アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

75 アチャコの京都日誌 再びの京都 乙訓寺

2017-06-18 16:06:43 | 日記

乙訓寺に行った。一昨日行った。

アキレス腱断絶後、初の京都散策だ。午前中に卒業試験のような診察を受けて、超音波診断の結果ほぼ完全に繋がっていることを確認。

医者は、「足を引きずることなくしっかり歩いてますね!」

「いやいや、先生が見ているので見栄張っているだけで、まだまだです。」

「そうですか?もうそろそろゴルフでもどうです?」 医者の割になかなか強気な発言。

思わず、「崖の下にでも落ちたらどうしてくれます?」

「そんなところに打たんようにしたら良いじゃないですか?」「そんなこと出来たら苦労しまへんわ。」

先生も遠慮がちに、「とりあえず練習ですね。」しかし、「わし、練習嫌いでんねん。」

「ほな勝手にしてください。とにかくダッシュしないように。」「先生、ゴルフでダッシュする事アリマヘン。」ざっとまあこんな具合に、最終診察が終わり、私は一人リハビリ難民となった。

 

 断絶後、98日目、全治3か月。誠に長い長い闘病生活だった。もちろん本格的な力強い足取りではないが、そろそろ出かけるか?腰もつらいが・・・・。

 

乙訓寺は、歴史が古い。以前書いた光明寺や楊谷寺など西山を散策した時にどうしても見つけられなかった小さな寺だ。広隆寺と同様聖徳太子の創建だ。御承知のように、平城京から平安京への遷都は、長岡京をはさんでいる。藤原種継の暗殺の疑いで、早良親王(桓武弟)が捕らえられここ乙訓寺に幽閉されている。親王は無罪を主張し断食を行うが、淡路島に送られる途中憤死する。そのご遺骸にも処刑を加えたというから物凄い。お陰で歴史上有力な「怨霊」となる。

後日慌てて崇道天皇と追贈するが皇統には数えられていない。どのような場所で食を絶たれたのか見たかったが、当時の広大な寺領はなく、悲しいくらいこじんまりしたお寺だ。

拝観料も500円となっているが、受付に人影はなく事実上無料である。

 本堂の御本尊は有名な「合体大師」八幡様と弘法大師の合体したものと言う。残念ながら本堂内は入れず、秘仏のようだった。周辺の住宅地まで寺域は広がっていたはずだが、その痕跡も見いだせなかった。小さな境内はボタンの名所でシーズンは過ぎているが、そのわずかな名残を見て帰った。やっぱり、自分の足での京都散策は良いものだ。


74 アチャコの京都日誌 再びの京都

2017-06-18 09:22:29 | 日記

再びの京都シリーズ。昼食編。

昨夜は、京美人に囲まれて年甲斐もなくはしゃいでしまった。このような翌日の昼食はあっさりしたものに限る。

毎月恒例の京都セミナー(勉強会)の昼食休憩。会場(商工会議所)周辺は、意外に奥まった筋に粋な店が多い。

京町屋を改造して、創作料理など作る店だ。

特徴は、①芸術家のような風貌の店主がいる②店内の佇まいが凝っている③少人数しか入れない④愛想がない⑤けど女店員は美人⑥おいている雑誌もフアッション関係が多い(週刊ポスト・現代は置いていない)

ざっとこんな感じなのだが、味は特徴的でもはずれはない。

こちらの店も典型的なものだった。フラット看板に導かれ飛び込んで見た。案の定、完全にちょんまげ状態の無口そうな店主が、カウンターの向こうにいた。

しかし店員は、和服の似合いそうな可憐で小ぶりな美人。

メニューを見るが、実は入る前から決めていた。店前の立て看板に「和風カレー」とあったのが妙に気になったのだ。

あっさりと思ったが、二日酔いにはカレーが意外に食欲を誘ってくれる。

出てきたのが、以下の写真だ。

もはやカレーと言って良いのかと思う。難しい料理の事は分からないが、今までのカレーの範疇からははみ出たものだ。

極端に言えば、豚汁のような和風煮込み汁を飯にかけて食っているような食感だ。これが実に美味い。

黒く点々に見えているのは、ヒジキだ。まさに和風の汁かけご飯を食べたような、それでいて食後のほんのりした辛さが口に残りやっぱりカレーなのだ。

やるではないか、ちょんまげの若造。

帰りに「御馳走様!」と言えば、「ありがとうございますっ!」

何だ。明るい好青年だった。

京都の夷川通りは、家具の町で有名だが烏丸より西にはこのような粋な店が多い。京都御苑や二条城にも近く散策の折りには、また探してみよう。

午後のセミナーは、半分居眠りしていた。参った。