アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

80 アチャコの京都日誌 再びの京都 不倫についての考察

2017-06-23 07:51:22 | 日記

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今日は、我々世代のおやじの倫理は絶対に通用しない事を前提に書く。特に男女雇用機会均等のこの時代は絶対に言ってはいけないことだ。もう一度言う、おやじの倫理は絶対に通用しない。

 

人間特に男は、人のお役にたちたい、とか、自分を実現したいとか言う。

決して金を稼いで地位を得て旨いもん食って、そしていい女にモテたいとは、言わない。

しかし、男の生きるインセンティブは、家族もそうだが「金と女」が、究極の目的だ。

功なり名を遂げた人が、女性に向いていくのは極自然な事なのだ。しかし、それは「配偶者も含めて誰にも迷惑をかけないことと、バレナイこと。」だ。

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さて、これが高名な財界人や、政治家の場合と、芸能人や芸人の場合はどうか。見方ははやや違う。

芸人にはそもそも我々と同じ倫理観を求めているのではない。その持っている芸を、求めているのであってそれ以外の私生活まで倫理的なものを期待するものではない。

考えても見よ、女遊びしない役者や歌手って面白いだろうか?あくまでも芸以外は勝手である。芸の肥やしだ。

それを、芸能記者が謝罪を求めるに至っては笑止千万。浮気はその人の甲斐性である。ただし他人に迷惑はかけてはならない。原則がそれだ。

政治家や財界人は?ばれてしまったらアウト。彼らには通常以上の報酬や名声とともに倫理観も求めている。大企業の社長や幹部が「不倫男」ならば社員の指揮は上がらないのは当たり前だ。もちろん政治家は、別な観点から許されない。しかし知れたらだめなので、誰にも知られず迷惑もかけていなければ問題はない。

プレイでしかない。お遊びである。知らなければ追及のしようもない。

 

昨今、女性も強かで、男よりも冷静であり、相手が有名人でその愛人となれば、もしばれても自分に損はなく、むしろ世に出るチャンスでもあったりする。

損するのは昔は女性、今は男性なのである。

 

 いずれにしても、もう「不倫報道」は、止めてもらいたい。特に売り出し中の若い芸人をそんなことで目を摘まないで・・・。

恋愛はあくまでも自由だ。清廉潔白な芸能人ばかりならば面白くない。女遊びした事のない歌舞伎役者を私は見たくはない。

特に女役の役者は、女性からすべてを学ぶ。(女のすべてを?)

そして一般人はそれ相応の覚悟の上でプレイせよ。電車では万歳。

女の人、許してください。私は潔白です。


79  アチャコの京都日誌 雑感 

2017-06-22 09:10:57 | 日記

79   アチャコの京都日誌 雑感

 

最近見たいテレビはありません。しかし暇が出来て、よくテレビを見る。今は、籠池オバハンが楽しみです。

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絶対見たくないのは、芸人が多く参加してどうでもいいようなクイズを出して、その馬鹿さ加減を笑う趣向だ。

まず、あれほど多くの出演者は要らないだろう。どうせギャラの安い芸人だろうが、経費の問題でもなく、彼らは本来の芸?を発揮すべきなのに、今や即興の受け答えに命を懸けているのだ。(それが芸か?)

また、彼らの馬鹿さ加減を笑うのだが、実はテレビ側の戦略で笑っている我々の方が馬鹿であったりするのだ。

何より許せないのは、問題が知識にもならないことや、常識に関する程度で、一般的な常識人には何の役にも立たない。

次に、芸人が町をぶらぶらするやつ。ブラタモリは、良い。役に立つ。マニアックなのも良い。女子アナが良い。

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しかし、何の奥深さもない芸人が単純に食べ歩きするものはもう止めたほうが良い。そもそもは、「夜はくねくね」(40年も前の毎日放送)が原点。売れる前のトミーズが助手で確か角淳一とあのねのねが主役だったが、伝説の番組だ。単に夜の街をぶらぶらして通りがかりの人をいじる番組だったが、当時はとても新鮮だった。

それを一つのジャンルに育てたのは立派だが、そろそろ内容を検討すべき。

 あの人は今?外国にいる日本人は?日本にいる外国人何しに来た?などは。微妙だ。感動的な事情(ドラマ)がある場合は良いが、成功話(自慢話)に終始するのは止めてほしい。

いずれの番組にもあるが、重要な結末の前に必ずコマーシャルで引っ張るのは許せない。イライラするだけだ。しかもコマーシャルの後、すでに見た場面から始まる。60分の番組も、実は30分くらいの内容だ。

 私が、見たいのは、古典落語、古典芸能、スポーツ中継、朝ドラ、大河ドラマ、ニュース、ブラタモリ。など、

結局テレビ大好きか?いやいやでも見ているではないか? 

絶対に見ないのは、今風のドラマ。出ている連中がだれか分からないうえに、ストーリーが低レベル。感動がない。安っぽい。コマーシャルが多い。

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 今は、ブラタモリの「近江アナウンサー」が良いです。可愛い!!


78 アチャコの京都日誌 定年退職

2017-06-21 16:33:13 | 日記

78 アチャコの京都日誌

定年退職の日

 

 読者には何の興味もないだろうが、筆者にとってとても大事なので、サラリーマンとしての最終出社日を書く。40年余り証券会社に勤務した。最後は子会社で終える事になったが、この業界を全うした事に誇りを持っている。以前のブログで紹介したが、前半生は異常な日々だった。

 

空前絶後の日々。

抱腹絶倒の上司。

戦々恐々の後輩。

支離滅裂の先輩。

絶体絶命の自分。

天真爛漫の女子社員。

転落人生の同僚など、色々見て来た。多くの同僚が様々な事情で会社を去る中で、さほど深い意味もなく今日まで勤め上げた。

 この業界の理不尽さは、以前にも詳しく書いたが今後も折に触れて振り返ることにする。

 定年退職の日

朝は、関西から新幹線で出社して、午後一時の重要会議に臨みその終了と同時に勤務終了の段取りだ。会議で社長からひと言求められ、空気も読まず俳句を紹介。

「寒椿 落ちてなお 咲く 未練かな」

一線を退いたサラリーマンが、それでもなお、出世の競争への未練を残し、嘆くサマを多く見て来た私の感想を、寒椿の鮮やかな花びらが、薄雪の積もる庭に、落ちてなお真っ赤な花びらでアピールする姿に投影して詠んだ。もちろん私自身に未練がないから詠める句だ。

 

最終出社の帰る時には、全社員に見送られ美人女子社員に花束を贈呈され、大きな拍手の中一部涙ぐむ社員をしり目に帰るような場面を想像をしていたが、その気配が全くないことを知った私は、遅い昼飯に出かける。同じく退職の同僚と一献傾ける。

すでにバリバリの窓際族であった我々に注目する社員もいず、心行くまで閉店の3時までシコタマ飲んだ。日の高いうちに帰宅したが、酔いが醒めず一日を棒に振る。

 名刺サイズカード;メッセージカード,書道,毛筆,おつかれさまでした,定年,退職,ねぎらい,

明日から、どこにも行くところない日々が始まるが、関西に戻って考える。

新書 「定年退職」という本を買って帰った。