アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

382 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 57代 陽成天皇 狂乱か正気か?

2018-06-13 12:30:33 | 日記

57代 陽成天皇 虚構の天皇?


 

第57代天皇

在位期間
876年12月18日 - 884年3月4日

元号

貞観  元慶

先代

清和天皇

次代

光孝天皇


誕生

868年1月2日  染殿第

崩御

949年10月23日  冷然院

陵所

神楽岡東陵

貞明

別称

持明院殿

父親

清和天皇

母親

藤原高子

子女

源清蔭 元良親王 元平親王 元長親王 元利親王 源清鑒 源清遠 長子内親王

皇居

平安宮

 

「陽成天皇」の画像検索結果
ここから桓武天皇まで一気に遡るが、すべて大物天皇である。


まず、陽成天皇は、狂乱の天皇と伝わるが、まず筆者の思いは虚構を演じた名俳優ではないかと推察する。冷泉天皇や花山天皇などは誠に怪しいが、陽成天皇は権力志向の無い賢人であると思えて仕方ない。

「陽成天皇系図」の画像検索結果

系図を見れば分かるが、皇統が途絶えた天皇、つまり系図の先に天皇のいない場合、その評価を異常におとしめられる。武烈天皇が最大の例であるが、天皇に徳がないから違う血統の徳のある天皇を選んだことにしたいのである。

「陽成天皇系図」の画像検索結果

陽成天皇の場合、母高子とその実の兄の基経との確執が大きく絡む。系図にあるように基経は、良房の養子であり父は共に長良である。陽成天皇の外祖父は長良であり良房でも基経でもない。しかも、高子は絶世の美人で、在原業平との恋(塩窯伝説)でも有名な多情な二条后であり、基経とは不仲であった。

その様な理由から狂気を装い保身したのではないか。その証拠に、乱行の逸話はすべて在位中の事で、その後65年間の上皇時代には一つも伝わっていない。

「陽成天皇乱行」の画像検索結果

長い長い隠遁生活において文化的功績も伝わっていない。乱行の事も政治的な行動も伝わっていない。華やかな艶聞もなくさぞかし退屈な余生であったろうと思われる。

ただ一つ伝わる話は、宇多天皇のことを、「彼は以前朕の召使であった。」と皮肉ったという話くらいだ。まさに正気の天皇だ。

次回は、清和天皇。


余話の余話  意味不明

2018-06-13 08:05:46 | 日記

余話

男性の放尿について書いた。読者数が増加したので調子に乗る。

「マツタケの露」の画像検索結果

放尿などと馬鹿にしてはならない。昨今、洋式便器の普及により座位にて行う男子が称賛されていると聞く。なめるのではない、立位での「気張り・いきみ」が重要なのである。

また、男子の特権である「立ちしょん」を否定するものである。軽犯罪法なるものの見本のように言うが、筆者は近所のおやじにこんこんと説教された上現場周辺の清掃を命じられたことがあるが、逮捕の経験はない。

「立ちしょん」と馬鹿にするべからず、秀吉は家康の国替え(駿府から江戸)を立ちしょんべんしながら命じた。男子たるもの騎馬立ちにて放尿し重要事項を考えるのだ。

「秀吉のたちしょ...」の画像検索結果

男子の放尿の儀式について、以下に論理立てにて解説する。

『急ぐとも 心静かに手を添えて 外にこぼすな マツタケの露』

①   第一撃の多様性と重要性

②   「おくせ」とは

③   朝立ちなど勃起時の対処

④   包茎及び極寒の時の対処

⑤   放尿以外で酷使した後の特殊性

⑥   飛距離と年齢

⑦   頻尿と尿漏れ・失禁など

それでは、

①   第一撃の多様性と重要性

なかなか女性陣にご理解いただけないのが、ファーストショットの飛び出しの向きが予測不可能であることだ、飛び散りは最初の瞬間が一番多い。すぐに手を添えて修正するが、定まるまで反対側に行き過ぎるなど困難を極める。約数十秒の作業中の最初5秒までの修正技量は年齢と共に高まるものではない。

「おしっこ角度」の画像検索結果

特に視力の衰える頃になると床への落下音で気づく始末である。方向性は尿の放出の勢いが増すことで定まる場合もある。方向性の修正と放尿勢力の増加との兼ね合いで安定する。放尿の恍惚はここから終盤まで安定する。しかし安心はできない。終盤、勢いがなくなり最後のしずくを出し切るまで注意が必要だ。公衆トイレの足元を汚す原因はこれである。今更ここから一歩前には行けない。下半身を突き出すように一物をふるわせて終了する。

「マツタケの露」の画像検索結果馬鹿にするな