57代 陽成天皇 虚構の天皇?
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元号 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
神楽岡東陵 |
諱 |
貞明 |
別称 |
持明院殿 |
父親 |
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母親 |
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子女 |
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皇居 |
まず、陽成天皇は、狂乱の天皇と伝わるが、まず筆者の思いは虚構を演じた名俳優ではないかと推察する。冷泉天皇や花山天皇などは誠に怪しいが、陽成天皇は権力志向の無い賢人であると思えて仕方ない。
系図を見れば分かるが、皇統が途絶えた天皇、つまり系図の先に天皇のいない場合、その評価を異常におとしめられる。武烈天皇が最大の例であるが、天皇に徳がないから違う血統の徳のある天皇を選んだことにしたいのである。
陽成天皇の場合、母高子とその実の兄の基経との確執が大きく絡む。系図にあるように基経は、良房の養子であり父は共に長良である。陽成天皇の外祖父は長良であり良房でも基経でもない。しかも、高子は絶世の美人で、在原業平との恋(塩窯伝説)でも有名な多情な二条后であり、基経とは不仲であった。
その様な理由から狂気を装い保身したのではないか。その証拠に、乱行の逸話はすべて在位中の事で、その後65年間の上皇時代には一つも伝わっていない。
長い長い隠遁生活において文化的功績も伝わっていない。乱行の事も政治的な行動も伝わっていない。華やかな艶聞もなくさぞかし退屈な余生であったろうと思われる。
ただ一つ伝わる話は、宇多天皇のことを、「彼は以前朕の召使であった。」と皮肉ったという話くらいだ。まさに正気の天皇だ。
次回は、清和天皇。
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