アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

378 アチャコの京都観光日誌  逆順の天皇史 61代 朱雀天皇 温室育ち?

2018-06-08 09:00:37 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

61代 朱雀天皇 偉大なる天皇に挟まれ存在の薄い天皇

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第61代天皇

在位期間
930年12月14日-946年5月16日

元号

延長  承平  天慶

先代

醍醐天皇

次代

村上天皇


誕生

923年9月7日

崩御

952年9月6日

陵所

醍醐陵

父親

醍醐天皇

母親

藤原穏子

女御

煕子女王  藤原慶子

子女

昌子内親王冷泉天皇中宮

皇居

大内裏

醍醐・村上時代と言うが、間に朱雀天皇がいらっしゃる。残念ながら存在感は薄い。まず、菅原道真の怨霊を一番心配する時期に育ったために、幾重もの几帳の中で全く外に出ずに育てられた。まさに「温室育ち」であった。事実病弱で、女御もそばに入れず皇女も皇子も誕生の期待は薄かった。

Sugawara Michizane.jpg道真公

醍醐・村上時代は置かなかった摂政を置き政治を任せた。藤原家は忠平の時代で結果として朝廷との蜜月関係を構築した。

さらに、まさに在位中承平・天慶の乱と重なりその鎮圧に忙殺される。世が乱れるのは「天子の徳の無さ」と考えられる時代である。朱雀天皇自身が早世していることもあり、政治的にも文化的にも功績は残っていない。

「純友」の画像検索結果「将門」の画像検索結果左 純友 右 将門

母の生命力に救われる。

「皇后」の画像検索結果現在の国母

因みに、母の藤原穏氏は、皇太子であった保明親王を生むが早世してしまい、孫もすぐに亡くなってしまった。

しかしその後38歳で朱雀天皇を生み、41歳で村上天皇を生んだ。2代に亘り国母を勤め70歳まで生きた。母の生命力が皇統の維持に貢献したのだった。

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