美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

香月泰男展 7月3日〜9月5日  宮城県美術館

2021-07-18 16:53:14 | レビュー/感想

久しぶりに訪れた宮城県美術館。マスクに検温、ソーシャルデスタンスを促す放送と、絵をじっくり見る気を削がれること著しいが、コロナパニックの最中仕方がない。しかし、そのせいかどうかは分からないが期待したような感興が起こらない。香月のシベリアシリーズは6年前に同美術館の展示で見ている。針生一郎という、ある世代にはメジャーな地元出身の美術評論家と関わりの深い絵を選んだ展覧会(針生一郎と戦後美術 2015 1/31~3/22 )の中であった。その時書いた感想を以下に再掲しよう。

「シベリアの大地に追いやられ人間性を剥ぎ取られて、丸太のように無造作に埋められた者たちが唯一見たものは、圧倒的な星の瞬きであっただろう。創世記のアブラハムがふり仰いだ星空は、神の約束のしるしであったが、無残な大量の死に対置して、画家香月泰夫が出会った星空は、透明な無言の美に満ちた不条理の表象であった。戦後、彼がシベリアシリーズという絵を描き続け、ヨブのように問い続ける必要があったのはそれ故であったのだろう。

しかし、むき出しの現実に出会う者は常に少数者であった。多くのものは同時代を生きただけでまるで特権を得たかのように、実は解放された自己のイデオロギーをにぎやかにエネルギッシュに語ったに過ぎない。「針生一郎と戦後美術」を見て、ほとほと疲れる感じになったのも、結局はポリティカルな体裁を取りつつ、色や形になって噴出した情念のるつぼのような作品ばかりを見せられたからであろう。

対照的に、この情念を脱色したかのように、厚みのあるマチエールを失い浮遊しているのが現在の画家の絵だ。いずれも時代の表層的空気から出てきた絵だ。しかし、個性を競い合った一連の戦後美術の中で、ほとんど香月泰男の作品だけが、その中で特異なまでの静けさに満ち、かえって独創的に感じたのは、戦争という重い主題を据えたからではなく、過酷な体験を通して究極の外部性という重力を魂の奥底に刻み込まれたからであろう。」

この時の評の元になったのは、シベリアシリーズの一枚であったが、戦前からの彼の画家としての歩みを物語る他の絵についてもまとめて見る機会が与えられた。シベリアシリーズとはそれらは趣きを全く異にしていた。そこにあったのは日本のモダニズムを疑いもなく受け入れて才能を開花させていった若き画家の姿であった。大胆な構図で形態と色彩を単純化し、具象から抽象化への瀬戸際まで追い詰めたのが彼の絵の特徴だった。そこにあるのは近代日本画と共通するような静かな平面性である。

この画風は復員の後もしばらく変わらないが、より一層主題は圧縮されシンプルになり、オリジナルな形態の展開を目指し抽象化が進んでいく。しかし、彼は完全抽象化へと進むのではなく、マチエールに独自性を開拓するようにある時期から方向転換を図ったように思える。「方解末」との出会いがそのことを決定づけたようだ。彼は日本画的な造形手法では得られない、遠近、または奥行きの表現を厚みのある素材を用いることで確保しようとしたのだろうか。

この技法上の変化は彼をシベリア抑留の体験を描くことに向かわせる。フランス、スイス、イタリアへのヨーロッパ旅行で見た、西洋絵画の数々が西洋の表層的なまねに過ぎない日本のモダニズム絵画の底の浅さに気づかせたのかもしれない。そこに過酷なシベリア体験がクロスするとき、真似事でない絵画への模索が始まる。それはシベリアでの抑留体験に自己のアイデンティティを禁欲的に掘り込んでいくことと並行してなされていく。

しかし、絵画に華やかさを添える形態と色彩を捨ててのシベリアシリーズの画業は、果てることない陰鬱な、そして窮屈な旅であったろう。モノクロームに近いシリーズに現れる唯一の色彩といえば、アリの巣穴から見たような星空の青しかなくなる。当然、絵画への模索という意味合いより、このシリーズに対しては世間は倫理的な意味合いにを持って見るようになる。戦後の論調の中では、絵画というより鎮魂の思いや反戦の意志が問われ、それが絵画の深度として期待されることにもなる。

さて不条理に満ちた「パンデミック」の最中に考える。彼は、借り物ではない無意味を超える確かなものを見い出したろうか。絵画においては、物質性やそこに滲む叙情性に頼ることしかないとしたら、造形の意味はあるのか。存在論的意味では、累々たる死者の行く末は、結局は土に帰り、自然に飲み込まれることにしかないのだろうか。それはシベリア抑留者ではなくても一人一人に例外なく重く背負わされた運命のリアルな姿でもあるが。特異なシベリア抑留体験を元にした絵画と生における意味の追求も、最晩年の絵を見ると、新しいベクトルを見出せず、なし崩し的に凡庸な画家の自然な営みになっていったように思える。

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