美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

アイヌの工藝-衣装・木工・アイヌ絵- 9/26~20172/17 東北福祉大学芹沢銈介美術工芸館

2017-01-20 17:21:47 | レビュー/感想
展示室に入った途端、背中にゾクゾクとするものがあった。これは生半可に美しいなんて言えない。むしろ怖いと言った方が適切かもしれない。典型的なアイヌ文様は心を絡め取るクモの糸、悪夢の中に出てくる渦巻きのようで(ヒッチコックの映画「めまい」から連想)、心の深層に侵入してくる何か言い表しがたい、不気味な気配が漂っている。

これを見た後に芹沢銈介の型絵染を見ると、芹沢のモダンさがことさら際立って感じられる。芹沢銈介の生命力のあるかたち、シンプルな動くかたち、そしてそこに表れた強い造形意志は、むしろ近代画家のアンリ・マチスに近似している。芹沢は、晩年、フランス政府から招聘をうけてパリで大規模な個展を開いた。自宅にパリ展示の作品配置をシュミレーションするため、実物大の模型を作ったぐらいだから相当の入れ込みようだったようだ。美と調和を求める一個の芸術家において東洋も西洋も差異はない。そのようなユニバーサルな感性を持つ芹沢にとって自分の作品をパリで見せることに、まったく違和感はなかったのだろう。当時のル・モンド紙も「この類稀な染色物の位置を、マチスの切り紙とならべておくのは、あながち間違いとは言えまい」と書く。芹沢のデザインは、自然の形態から命を引き出す一方、呪術的を要素を脱色することで、パリ市民にもすんなりと受け入れられたのだ。

ひとつ疑問だったのは、このような芹沢銈介の作風と呪術的要素が抜きがたくあるアイヌ工藝との結びつきだった。しかし、工芸館を出てこの疑問も難なく溶けた。改めてパンフレットを見ると、このコレクションは、息子で考古学者でもある芹沢長介(今でも「神の手事件」のことが思い浮かぶがそのことは書くまい)によるものであった。考古学者は、美のベクトルにこだわりを持たない。強い磁力を持った物も、自分の理論を裏付ける貴重な標本資料でしかない。それを美しいか否かとするのは二次的な趣味の問題となる。そこが美を生きる銈介との大きな違いだが、この美術館の収蔵品に図らずも幅を与える結果にもなっていると思う。

帰り際に寄った一階のワークショップコーナーで知ったのは、アイヌの衣装の文様は、文字と同じく一つひとつ明確な意味があって、悪霊除けの呪術と深く関わっているということであった。文様は悪霊の主な侵入口と思われる背中を中心に描かれている。元来懸命に悪霊を封じ込めようとして作られたものを、展示室に引き出して工藝として鑑賞の対象とする。それを言えば、博物館に飾られた仏像も同じだが、そこには怖れの感情をもはやホラー映画でしか感じられなくなった現代人の「耐え難い軽薄さ」があるかもしれない。

展覧されていた「アイヌ絵」の中に、アイヌの代表を迎えた際の藩(松前藩?)の対応の様子を描いた絵があって興味深かった。アイヌの代表たちが通る道すがら、右脇に刀剣、左脇に火縄銃を配して座した警護の侍がずらりと並ぶ。すぐに一斉射撃できるよう火縄にはすでに火がつけられている。多くの人はアイヌ人を危険な蛮族として誇張的な異形の姿に描いた絵に、差別感情を読み解くだろうが、私には江戸時代という、特異な方法で、宗教を骨抜きにした近代化システムが、呪術的な古代の生きた魂と実際に遭遇したときの、恐怖の感情が素直に描かれているもののように思える。

一階の展示では、江戸期仙台藩の力強く美しい堤焼の日用品(とりわけ、三彩火鉢に惹かれた)と信じがたいくらいモダンな切込焼の粒ぞろいの名品がまとまったかたちで見られる。

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