わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

芸術とは? 文化とは?を問うアルゼンチン映画「笑う故郷」

2017-09-11 14:36:44 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

 アルゼンチン映像界の風雲児と言われるガストン・ドゥプラットとマリアノ・コーンのコンビが監督・撮影を手がけた「笑う故郷」(9月16日公開)は、実にユニークな作品です。ノーベル賞を受賞した作家の帰郷をめぐって、地元の人間たちが巻き起こす騒動のかずかずと、そこから浮きぼりにされる人間模様の悲喜劇。両監督は、前作「ル・コルビュジエの家」で注目され、今回は彼らの日本公開2作目となる。ノーベル賞作家という人生の頂点を極めた国際的な文化人と、故郷の町に根を張って暮らすフツーの人々との、立場と考えかたの違いからくるコミュニケーションの溝と、そこで露呈される人間の真実が辛辣なタッチで描写される。苦い笑いとともに、芸術とは、文化とは何かを問う異色作になっています。
                    ※
 ノーベル文学賞に輝く世界的作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)のもとに、あるとき故郷から“名誉市民”の称号を授与したいという招待状が届く。ダニエルの故郷は、彼が住むスペインから1万キロも離れた南米アルゼンチンの小さな町サラス。20代で逃げるように離れて以来、親の葬儀にも帰らず、なんと約40年にわたり一度も戻ったことのない故郷だった。だが、あらゆるイベントへの参加を頑なに拒んできたダニエルが、なぜかふと、その招待に心を動かす…。懐かしい思いで帰郷を思いたったダニエル。サラスでは国際的文化人の帰郷に湧きかえり、名誉市民の称号を与え、人々は温かく迎えてくれる。そして、旧友たちとの昔話、初恋の人との感傷的な再会。町の絵画コンクールの審査員も依頼され、英雄に熱い視線を送る若い女性も出現、ダニエルは心地よい驚きと、秘密の喜びまで味わう。だが、ふと気がつくと、彼を取り巻く事態は、いつの間にか思いもよらぬ方向へと転換し、田舎町サラスと国際人ダニエルは、悲喜劇の渦に巻き込まれることになる…。
                    ※
 まずは、常に斜に構えるダニエルの個性が強烈だ。映画の冒頭は、ノーベル文学賞授賞式。受賞者のダニエルがスピーチの席で語ったのは、「これは喜びよりも、作家として衰退のしるし」という言葉だった。これには会場は唖然、だが次第に拍手が巻き起こる。確かに、ダニエルの言葉は、ある意味で本質をついているのかも、ね。そんな聴衆の様子を苦々しく眺めるダニエル。それから5年の歳月が流れるが、彼は小説を1冊も発表していない。でも富豪になり、秘書を雇い、バルセロナの豪邸で隠遁生活を送っている。それが、故郷で再び盛り上がる。消防隊のパレードに参加、だが集まったのはわずかな人たち。名誉市民の授賞式では、ダニエルの誕生から現在までをまとめたショートムービーまで上映される。「やはり故郷はいいものだ」。旧友と結婚した初恋の人とはキスを交わし、講演会で皮肉な質問を浴びせた娘とはベッドをともにする。そんな得意絶頂のダニエルを待っていたものとは?
                    ※
 …そんな彼を待っていたのは…故郷の人々からの強烈なしっぺ返しです。それは音もなく静かに、確実に彼を呑み込もうとする。幼なじみのアントニオ(ダディ・ブリエバ)は、ダニエルのかつての恋人イレーネ(アンドレア・フリヘリオ)と結婚したことを得意げに打ち明ける。翌日イレーネと再会するが間が持たず、衝動的にキスをして後悔する。そして何よりもサラス市民にとって、ダニエルは郷土の誉れであると同時に、生まれ故郷を風刺する彼の作品が、閉鎖的な住民の憎悪の対象にもなっていたのだ。それが彼にはわからない。更に、造形美術協会の男ロメロは、彼に嫉妬心を抱き、自分の絵が落選したこともあり、ダニエル批判の急先鋒になる。監督たちは言う。「彼(ロメロ)は攻撃的ですが、言っていることは非常に明瞭です。たとえば、大富豪となった主人公(ダニエル)を、世界の富裕層に故郷の貧しさと悲惨さを売って得た結果だと批判します」と。やがて、ダニエルの周辺に不穏な空気が立ちこめ、映画は衝撃的かつ幻想的な結末を迎えることになる。
                    ※
 故郷を捨てた世界的有名人と、彼を批判する故郷の人々、その間に横たわる深い乖離。いわば、エリート作家と、閉鎖的な市民感情とのギャップ。観客は初めダニエル側に立つけれど、彼の偽善ぶりが暴かれるのを見るうちに、次第にどちらにも一理あると思うようになる。「観客は、劇中の誰かの側に立つように促されるはず。それは、主人公の作家とは限りません。異なる複数の側に立てるようにしてあります」と、監督コンビは語る。この作品を見ると、南米コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスを思い出す。その作品の背景と、ラテンアメリカ文学特有の魔術的・幻想的リアリズムともいうべき手法。マルケスにも、ダニエルのような体験があったのだろうか。ダニエルを演じたオスカル・マルティネスは、2016年ヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得した。(★★★★+★半分)



コメントを投稿