団塊太郎の徒然草

つれづれなるままに日ぐらし

浅田次郎「中国論」(2)

2010-05-30 09:46:39 | 日記

第2回


政治と文学の相関関係


浅田氏は文学の素養がなければ中国の政治を語ることができないと指摘する。政治と文学にはどのような関係があるのだろうか。


中国文化は長い歴史のうえに成立していますが、そのうちの一三〇〇年間ほど、すなわち隋の時代から清の時代までは、科挙制度を通過した官僚によって政治が行われていました。
ご存知のとおり、科挙制度というのは、人類の歴史上最も過酷といわれる官吏登用のための試験制度です。この科挙の試験問題の配点ですこぶる重視されていたのは「詩作」です。受験科目の三分の一が詩作だから、小さい頃から詩を作ることばかり勉強してきた人たちが官僚になり大臣になり、政治の中枢を担っていったのです。
つまり、中国における大詩人はまず全員が政治家でした。あるいは、ほとんどの政治家は同時に詩人としての教養を持ちあわせていた。これは他国には類を見ない中国史の特殊性と言えます。


詩作に加えて儒教など古典の教養に重点を置いた試験制度によって、中国は世界でも非常に独特な文治国家になった。


中国の現在を知るには中国の過去を知らなければなりません。そして、中国の過去の政治を知るには、まず官僚にとっての基礎的な教養であった詩作、つまり文学を知らなければならないのです。
南宋の著名な詩人である陸游はロマンチックに夜空の銀河を詠いあげるような叙景詩を残しています。一方で、北方の異民族国家である金に追われた南宋の官僚として今の世を嘆いた社会的・政治的な詩もたくさん書いています。作風があまりにちがうので、私は高校時代には「陸游という人は二人いるのではないだろうか」と思っていたほどです。しかし、そのうち、文学と政治が無理のないかたちで両立していることにこそ、中国文化の特質があると考えるようになりました。
もうひとつ、中国の文治主義を象徴しているのは、町でよく見かける「口喧嘩」かもしれません。中国を旅行していると、中国人同士の口喧嘩をよく見かけます。読者のなかにも、そんな光景をご覧になった方も多いことでしょう。それを見て、どんな感想を持つか。中国人は怖いと思う人もいるかもしれません。あるいは、喧嘩好きな民族だと感じる人もいるかもしれません。私はついつい見物してしまって、中国人の口喧嘩は見応えがあるなと感じています。


街角で中国人二人が喧嘩をしているのを見ていると、もう両方ともにワァワァと好き放題に怒鳴りあっているものだから、そのうち周囲に人の輪ができる。しかも本人たちもまわりも、手は出さないまま、あくまでも「言論」でやりあっている。どこか大道芸のように「相手を罵倒する構文の豊饒さ」を披露しあい、本人たちも周囲もそうした口喧嘩を楽しんでいるフシがあるという。


この「人間を罵倒する表現」にかけては中国語の語彙の豊かさにいつも感心させられます。こうした状況は、ある意味では高等な文化の素地を背景にしていると言えるのではないでしょうか。つまり、中国における「もめごと」は口喧嘩で済んでいるわけです。
たとえばアメリカのラスベガスのカジノで遊んでいれば、一晩で一件や二件は殴りあいの喧嘩を見かけます。しかし、「相手を罵倒する単語」はたいてい一言や二言で、あとはすぐに暴力の応酬になってしまう。相手を罵倒する表現が少ないから、つい手が出るのかもしれません。そして、アメリカではそのもめごとを楽しむような雰囲気はありませんね。人々はできるだけ近寄らないようにして「あとはガードマンに任せましょう」となってしまう。このことには、アメリカとの対比においても、中国の特色が出ているのではないかと思っています。
何度も言いますが、中国の特色は、学問や文学、言葉によって世の中を治める文治政治にあるわけです。


中国の共産主義体制は、それまでの中国の歴史や文化をことごとく反転させるような方針を採用してきた。しかし、庶民のあいだでは旧来の文化が温存されてきたという。


たとえば中国共産党は人民の「占い」や「おまじない」を禁止しました。共産主義は非科学性を否定するので、「占い」や「おまじない」などは一切やってはならないはずでしょう? 
しかし、庶民の住居を覗いてみれば、家の壁にはかならず何やら「おまじない」の効果のありそうなものがたくさん貼ってあって、キラキラと輝いている。この文化はなくなるはずがないと思いました。街なかでは占い師も商売を続けています。「占い」という看板は出していなくて、「命名」、つまり「生まれた子どもの名前をつけましょう」という看板だけを出しているわけです。しかし、入ってみたら旧態然たる占いがおこなわれている。これも「赤ん坊の名前については、教養のある人がいい名前をつけてあげたほうがいいのだから」と言えば誰も否定できないようになっているのです。


乾隆帝という怪物


現代の中国を理解するためには、「清朝の文化に触れることがいちばんの近道なのかもしれません」と浅田氏は言う。清代においては隋の時代から一三〇〇年間も続いた科挙制度が続いていた。宦官という宮仕えも健在であった。そして清朝末期にかけては欧米列強による理不尽な侵略にさらされる。清朝末期は浅田氏にとって「作家である以前に歴史マニアである私が、最も興味を持つ時代」だという。


清朝は北方の異民族である満洲族による征服王朝です。これが何といっても私には興味深かった。満洲族は漢民族とまるで違う言葉を喋っていて、農耕民族の漢民族とは決定的に違う狩猟民族としての文化を持っている。人数は少ないのに、たちまち中国全土を支配したわけです。そうしたパワーを面白いと思っていました。前々から、自分が中国を書くのであれば、清朝末期の状況を、できれば清朝中期の乾隆帝の時代にまで遡った大長編として書きたいと考えていたのです。


三年間かけて書かれた一八〇〇枚の大長編小説『蒼穹の昴』は、清朝末期の中国、西太后の時代に物語の幕を開ける。河北の曠野に生きる貧しい糞拾いの少年が、ある日、韃靼の老占星術師の口から、思いもかけぬ未来を予言される。
〈汝は遠からず都に上り、紫禁城の奥深くおわします帝のお側近くに仕えることとなろう。
やがて(中略)中華の財物のことごとくをその手中にからめ取るであろう。
そう、その皹〈あかぎれ〉た、凍瘡〈しもやけ〉に崩れ爛〈ただ〉れた、汝の掌のうちに〉
こうして長い物語ははじまる。浅田氏が前の発言で触れた清朝第六代の皇帝である乾隆帝(在位は一七三五年から一七九五年)は、モンゴル、東トルキスタン(新疆)、チベット、ネパールなどを征服、さらにビルマ(現ミャンマー)やベトナムにまで手を伸ばして領土を拡げた。『蒼穹の昴』の物語中において、西太后は夫(第九代皇帝である咸豊帝、在位は一八五〇年から一八六一年)の曾祖父である「乾隆帝の亡霊」に対して、幾度も国政の舵取りを相談することになる。


乾隆帝に興味を持った理由は、彼には「怪物性」を感じるからです。この「怪物性」こそ、中華皇帝の本質ではないでしょうか。そもそも、乾隆帝の時代には気候が安定していたこともあり、前後の数十年間に「世界の王者」のような人物があちこちに生まれています。日本においても八代将軍である徳川吉宗の時代で、幕府の統治は安定していました。


清朝末期においては「乾隆帝が生前にこうおっしゃっていたから……」と言えば、無理難題でも押し通されてしまったこともあったようだ。今の中華人民共和国の領土よりさらに二割も広大な国土を確定し、巨大な帝国を築きあげた乾隆帝とはどんな人物だったのか。


乾隆帝は、清朝末期には、ほとんど神様のように捉えられていたようです。また、乾隆帝の書いた筆跡を見てわかるのは、西太后の筆跡は完全に乾隆帝のコピーであるということ。『蒼穹の昴』における「西太后は乾隆帝を自分のロールモデルにしていた」という私の解釈は、そうした実物の筆跡がヒントになっています。つまり、西太后は何事においても乾隆帝の真似をしていたわけです。
乾隆帝については面白いエピソードがあります。中国においては紫禁城でいろいろな名宝が継承されてきたわけですが、乾隆帝には「これは私の持ちものである」と、自分のハンコを押してしまうクセがありました。たとえば、乾隆帝よりも一四〇〇年も前に書かれた、王羲之の「蘭亭序」という書は、世界的な宝の中の宝と言えるものです。それに、誰はばかることもなく自分のハンコを押してしまう。「これを、私は読みました」というような書きこみまでしてしまう。乾隆帝は、そういうマーキングをあらゆる宝物に対してやってしまう人物なのです。これは乾隆帝の「怪物性」を象徴するエピソードだと思います。私は「この乾隆帝という人物の自負心の大きさは何だろう?」と、ますます興味を持つようになりました。


宮崎市定教授と科挙制度


浅田氏が中国に興味を抱きはじめたのは、『蒼穹の昴』を書くより三〇年も前の中学生時代だったそうだ。


そもそも、中国に興味を持つようになった端緒は、中学で教えられた漢詩にありました。それで次第に漢文に親しむようになって、当時、京都大学で現役の教授だった宮崎市定先生の著作に巡りあいました。宮崎先生の著作は本当にすばらしかった。昔の学者は文章がうまいものだから、もう小説を読むよりも面白くなってしまいました。いちばんはじめに自分で買った全集も、鴎外でも漱石でも谷崎でもなく『宮崎市定全集』でした。今に至るまで、私が文章的に最も影響を受けているのは宮崎市定先生かもしれません。読みやすく、ユーモアがあり、洒落ていて、虜になりましたから。
宮崎先生の専門分野は近世、つまり明代と清代における科挙制度と官僚制度です。そのため、自然に中国の官僚制度に興味が生まれてきました。中国の官僚制度は屋根の上に屋根を架けることを無限に繰り返すうちにできあがった怪物のような組織です。その面白さに私はすっかりはまってしまいました。宮崎先生の著作を読みながら、呉敬梓の『儒林外史』という小説も読みました。これは、科挙についてのエピソード集として有名な作品です。そこで私はいかに科挙という試験が過酷なものだったのか知ったのです。その科挙の制度がつい最近まで続いていたところも面白かった。そのようにして、私は中国のなかでもとりわけ清朝に対して魅力を感じるようになっていったのです。


浅田氏によれば、歴史小説を書くときに史料ばかり集めて史料に埋もれてしまうのは最悪のことだという。史料の面白味だけに惹かれているのならば、フィクションを書かないで歴史研究をすればいいからだ。浅田氏は『蒼穹の昴』で、まるで実際に体験したかのように、科挙の試験の様子を活写した。科挙の試験問題や答案に書かれる漢詩まですべて浅田氏のオリジナルであるという。


科挙の試験や答案まで自分で書いてしまうのは面白かったですね。あれは「楽しみ」でやっているんです。自分にとっては、あくまで競馬や麻雀と同じレベルの娯楽。小説家である私が、中国を書くときに心がけているのは「好きでやっているのだから」と目一杯楽しんで中国の文化に没入してしまうことなのです。
科挙をリアルに書けたのは、私が歴史家ではなく趣味が高じた中国オタクだからです。科挙の答案も作成するし、状元(科挙に首席で合格した人物のこと)の答案も、自分でオリジナルの漢詩を作りました。これも、それほど上等な知識があるわけではありません。むしろオタク的に面白がって書いているだけです。
科挙を専門に研究なさっている学者さんならたくさんいるだろうけど、まさか、自分で答案を作ろうなんて人はいないでしょう。しかし、中国オタクとしては、やはり自分で科挙の問題に挑戦してみたくなるものなのです。


浅田次郎「中国論」(1)

2010-05-30 09:44:12 | 日記

『蒼穹の昴』から『珍妃の井戸』、『中原の虹』まで、
中国三部作の取材・調査・創作記録から浮かび上がった画期的論考
浅田次郎「中国論」


浅田次郎浅田次郎
(Jiro Asada)
1951年、東京都生まれ。作家。吉川英治文学新人賞、直木賞など数々の受賞歴をもつ。中国を舞台とした『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』(いずれも講談社)は、累計280万部を売り上げるベストセラー



浅田次郎「中国論」


取材・構成 木村俊介


第1回


あまりにも急激な変化


いま、中国は急激に変化しています。
昭和三〇年代から四〇年代、日本の社会にも大きな変革がありました。私は昭和二六年(一九五一年)の生まれで、戦後における日本の変化を身をもって体験してきました。歴史的に考えても、この時期の日本は大きな変革期であったと思います。
それでも、いまの中国で起きている変化ほど極端ではありませんでした。日本における変化は、東京オリンピックに向けての都市や生活の変化や、そこから続いた高度経済成長期の変化などです。街の様子は少しずつ変わっていきました。
しかし、最近の中国の変わりようは「すごい」の一言につきる。これだけの急激な変化に果たして人間はついていけるのでしょうか。私は少し心配しているのです。


浅田次郎氏のベストセラー小説『蒼穹の昴』が、日中合作の連続ドラマになってNHK(BS)で放送されるなど、浅田作品が大きな注目を集めている。中国の経済は飛躍的に成長し、世界における存在感は大きくなる一方である。かたや、日本の経済は停滞したままで、その出口はなかなか見えない。日本と中国は歴史的にも地理的にも関係が深く、お互いにその存在を無視しては、政治も経済も前に進むことはできない。日本人は中国人とどう付き合うべきなのか。その答えを出すには、まず相手のことをよく知ることではないか。小説執筆の取材を通じて、中国の歴史、文化、人民を深く知る浅田次郎氏が、中国のエッセンスを語りつくした。


私は一九九四年ごろに『蒼穹の昴』(単行本上下巻の刊行は一九九六年)を書きはじめました。その後、『珍妃の井戸』(単行本の刊行は一九九七年)、『中原の虹』(吉川英治文学賞受賞作。単行本四巻の刊行は二〇〇六年から二〇〇七年にかけて)を執筆するために清朝末期からの近代中国の歴史の中に身を投じてきました。
この一〇年間ほど頻繁に中国に通い続けてきましたが、ここ数年の中国の変わりようには驚かされるばかりです。


浅田氏は、いくら時代の変動にさらされても中国の庶民生活はそう変化していないのではないかと考えてきた。しかし、最近は「そうとばかりも言っていられない」とショックを受けているという。北京の街なかに張り巡らされていた小径、胡同がなくなってしまったからだ。


高層ビルはいくら建っても構わないけれども、胡同はなくならないで欲しかったですね。考えようによっては紫禁城(現在は故宮博物院)よりも大切な文化遺産だったのではないでしょうか。北京の胡同で庶民の生活が繰り返されているうちは、いつ覗いても普遍的で美しい中国がそこにありました。しかし、北京や上海など大都市の胡同はこの一〇年間でほとんどなくなってしまいました。「何も、ここまですべてをなくすこともないだろう。新宿の思い出横丁でさえ残されているのに」と思ったほどです。真の文化は芸術家が付与するものでも政治家が付与するものでもなく、庶民の中にあると私は信じています。その庶民の生活を破壊することがすなわち文化破壊でしょう。


共産主義と資本主義の両立


今の中国が直面している激動は、経済や社会、政治の「自由化」に沿った発展の一環だ。共産主義とは反対方向への変化でもある。つまり「自由化の下での経済発展」と「共産主義国家の運営」という相反する動きから生じる摩擦や矛盾を、埋めあわせる必要性に迫られている。


この問題を中国がどう解決するかは、今後の見所ですね。いまの中国は「共産主義と資本主義の両立」という、理論上は無理なことをやろうとしているわけですから。
中国の共産主義は、共同農業主義による自給自足という基本の上に成立していました。つまり、巨大な「農本主義」に基づいた国家形態でしょう。ところが、統計上の人口はともかく、いまや上海などでは実際の人口は三〇〇〇万人以上とも言われています。農村から都市に出てきた人が増えているから、私が上海を歩いていたって「ずいぶん人が多くなったな」と感じるわけです。そうした都市の状況から類推すれば、農村における生産性の下落が見えてきます。つまり、いまの中国は共産主義そのものが根本から揺らいでいるわけです。そんな中国が今後どう変貌するのか。その結末はちょっと想像がつきませんね。


浅田氏が今後の中国国内政治で注目していること、それは国民選挙だ。中国では有史以来、国民選挙が一回も行われていない。浅田氏は、『中原の虹』で清朝末期の政治運動を執筆するうちに、いかに国民選挙が近代の中国にとって待望のものだったのかを痛感したという。


『中原の虹』のなかで私は宋教仁という人物を登場させています。彼は実在の人物で、孫文たちと中国における議会制民主主義の確立を訴えた辛亥革命直後の政治家です。日本ではあまり有名ではありませんが、当時の中国では圧倒的な支持を集めていました。なぜ日本で名前が知られていないかといえば、志なかばで暗殺されてしまったからです。なぜ殺されてしまったかといえば、それこそ「国民選挙」という目標を掲げていたから。宋教仁の政治運動からおよそ一〇〇年経った現在でも、まだ中国において国民選挙は実現していません。

果たして、中国で今後国民選挙はおこなわれるのか。それはうまく機能するのか。あるいは、選挙以上にうまくいくシステムを中国はつくりあげることができるのか。中国の未来にも注目していきたいと思います。
私が一〇年前に北京や上海を訪れたときには、人民解放軍の象徴である緑色のコートを着ている人がまだ大勢いました。毛沢東や小平が愛用した人民服の人もずいぶんいた。しかし、いまの都市部ではそういうファッションはまず見受けられません。若者の服装のセンスは、ほとんど日本の若者と同じと言っていい。文化も経済も自由主義国の水準になってきているのです。


未知の橋を渡っている最中


中国の長い歴史では、異民族に征服されることが何度かありました。しかし、歴史の記録を調べると、征服王朝でさえ、中国の文化や制度にはかなりの敬意を持って接してきたことがわかります。


一六四四年に明に代わって支配者となった清王朝がそうでした。清は満洲民族による征服王朝ですが、彼らはできるだけ前の王朝の仕組みを踏襲した国を作ろうとした。官吏までそのまま任用していたのです。宦官の制度というのは、男性を去勢して王朝に仕えさせる制度で、勇ましい騎馬民族である満洲族にとってみたら、おそらくこれほど奇妙で気味の悪い仕組みはなかったでしょう。清朝はその宦官制度さえも踏襲して継続させたわけです。これは余談ですが、中国からあらゆる文化を輸入してきた日本が、宦官という制度は輸入しなかったことは「見識」だったと思います。

こうした歴史的経緯を眺めるだけでも、中国という場所には「変化」はあまり馴染まなかったのではないかと想像できます。中国の歴史においてはゆるやかにマイナーチェンジを繰り返しながら王朝や時代が交代していきました。
私はいまの急激な変化は、中国の歴史にとって「はじめての体験」になると予想しています。人民はそのような変化についていけないだろうと思うし、人民が無理に変化に適応しようとしたなら、いろいろな問題が起きてくるだろうと考えています。

日本人としては、やはり中国に対して過度の期待をしてはならないのではないでしょうか。「経済的に中国との相互依存を深めていこう」なんて単純な方針では、目論見が外れてしまうかもしれません。いまの中国は、これまでの長い歴史のなかでも経験したことのない未知の橋を渡っている最中なのです。


新・産業革命

2010-05-30 09:28:16 | 日記

独占 クリス・アンダーソン
「フリーの次にやってくる新・産業革命」 


クリス・アンダーソン



  1. クリス・アンダーソン
  2. Chris Anderson
  3. 1961年生まれ。「エコノミスト」等の編集者を経て、01年、「ワイアード」誌編集長に就任。07年、「タイム」誌の“世界で最も影響力のある100人”に選ばれる


「フリーの次のテーマは何ですか?」


FREE(フリー)話題の書『フリー』(日本版はNHK出版刊)の著者クリス・アンダーソン氏へのインタビューが終わり、別れ際にこんな質問をしたら、彼は自分が編集長を務める雑誌「ワイアード」の最新号を私に手渡した。表紙に大きく出ていたタイトルは、「ザ・ニュー・インダストリアル・レボリューション(新・産業革命)」。


雑誌のページをめくると、彼の言う「新・産業革命」の具体的な事例が紹介されている。
それは、たった10人でも始められる自動車メーカーの話。従来の自動車メーカーは、生産から販売まで膨大な人手を必要とした。でも、オープンソースを利用すれば少人数で自動車を開発して、製造・販売することができるのだ。
たとえば、5年前は12万5000ドルもした3Dプリンターがオープンソース化により1000ドル以下で購入可能になった。


自動車製造の過程はこうだ。まず、グーグルスケッチアップなどインターネット上で無料で使えるデザイン用ソフトウェアを使って3Dのデジタルモデルをデザインする。次に、3Dプリンターを使って、自動車のプロトタイプを作る。
現在、中国には、少数の注文でも柔軟に受け付けている製造工場がある。そこで、中国の製造工場にオンライン注文して自動車製造をアウトソーシングする。販売は、オンラインストアを通じて直販するという手順だ。


こうして、かつては、大手メーカーが独占していた自動車の製造・販売が、工場や倉庫というインフラを持たずとも、個人で可能になったというのである。

一読すると夢のような話だが、アンダーソン氏は、実際にオープンソースのツールを使って、オリジナルデザインの車の製造を進めている会社「ローカル・モーターズ」を紹介している。同社の車はひとつの車種あたり、500~2000台しか製造しない。10人の従業員しかいない同社は、在庫を持たず、注文者が手付金を支払ってから部品を購入しているので、経済的リスクも少ない。このようなスタイルのビジネスは、自動車だけでなくバイクや家具など様々な分野で広がっているという。


この特集の中で、アンダーソン氏はこう記している。



「アトム(物質)は、新たなビット(情報)である」


アンダーソン氏は前作の『ロングテール』で、ネットの世界ではたくさんのニッチ市場向けに、少量の商品を扱うことでも大きな売り上げにつなげられると説いた。『フリー』のテーマは「ビット(情報)はすべてフリー(無料)になる運命にある」というものだ。21世紀の経済モデルと、「無料」からお金を生み出す新戦略を紹介している。


オープンソースを使って従来とは比較にならないほど安価に、多品種少量の商品(たとえば自動車)を製造するというビジネスは、「ロングテール」と「フリー」のハイブリッド・モデルとも言えるだろう。そうなれば、典型的なアトム経済である自動車製造ビジネスすらもビット経済に近づいていく――。アンダーソン氏は、それを「新・産業革命」と名付けているわけだ。


『フリー』は、アメリカでも様々な議論を呼んでいます。無料にするということは、市場を破壊する恐ろしいことだと考える人がいる。しかし一方で、フリーは新しいビジネスモデルなので、挑戦しがいのあるスリリングなものと考える人もいます。特にビジネスを立ち上げたばかりの人には利用しやすいモデルです。新たに市場に参入した新企業は、商品をフリーにすることで、シェアを獲得することができますからね。アメリカでの読者の反応は、大きく分けて、フリーに対する恐れと期待の両方といったところでしょう。


ただ、私の著書に対する反応を聞いていると、フリーというビジネスモデルをよく理解していない人も多く見られます。現在、無料で閲覧できるニューヨーク・タイムズ(以下、NYT)のウェブサイトが本当に有料化されるかどうか、世間の注目が集まっています。これまで無料だったものを有料化するのは、時代の流れに逆行するのではないかと感じられているようですが、これは完全に「フリー」に対する誤解です。実は、NYTの有料化モデルは、完全にフリーミアムのモデルです。


というのは、NYTの課金計画というのは、これまで完全無料だったNYTのウェブサイトを、一部有料(たとえば、月に10本の記事までだったら無料。それ以上の閲覧は週400円程度の課金)にしようという内容だからです。一般の顧客は無料、全体の10%程度のハードユーザーは有料というのは、典型的なフリーミアムです。


実はこのモデルはすでに英国フィナンシャル・タイムズが導入していて、成功しています。だから、私はNYTの課金化計画は成功するだろうと予測しています。


しかし、すべての新聞にこのモデルが有効だとは思いません。なぜなら、フリーミアムが成立するのは、コンテンツがナンバー1やナンバー2になれるような価値あるものでなくてはならないからです。サンフランシスコ・クロニクルやLAタイムズなどのような地方紙は、NYTやウォール・ストリート・ジャーナルを含めたたくさんの新聞と競合しており、フリーミアムのモデルが採用できるほど、十分に付加価値が高いコンテンツを提供していません。フリーミアムのモデルは、フリーとプレミアムの二つの要素からなっていますが、このモデルを採用するには、何かの点でプレミアム、つまりナンバー1でなくてはなりません。そのため、市場で注目されるような、価値のある商品やサービスが必要不可欠となるのです。


インターネットが本格的に広まって、最初の10年間は、フリーにして多くのユーザーを掴むことが重視されました。これからの10年間は、獲得したフリーのユーザーをいかにプレミアムユーザーに移行させて、その数をどれだけ増やしていけるかが重要になります。大変なことですけれどね。

それらの商品やサービスは、必ずしも大多数の人に受け入れられるものばかりではなく、中には、馬鹿らしいと思われるものもあるでしょう。例えば、子ども向けのオンライン仮想空間「クラブペンギン」は、通常の利用はタダですが、イグルー(氷雪塊の家)をグレードアップしたり、ペンギンのためにペットを飼う場合には、親がクレジットカードで月約6ドルの会費を払わなければなりません。ゲームをやらない人から見たら、そんなことに月6ドルも払うのは理解できないかもしれませんが、ゲームに熱中していればどうしてもプレミアムバージョンがほしいと考えるようになるのです。

■「すべて無料」というのは誤解

『フリー』に対する最も多い批判は、私が「すべてはフリーになるべきだ」と主張しているという誤解です。私は、あくまで、フリーというモデルをマーケティングに取り入れるべきだと主張しているのです。何もかも無料にするのではなく、ある何かを無料にして、無料のものの周辺にある他のものを売ることを勧めているのです。無料のものの周辺で、いかにお金を生み出すか。そのことを理解できていない人も多いようです。

フリーのモデルではトップ企業だけが生き残るという批判もあります。確かに、グーグルのような大企業は、フリーのモデルを効果的に使っています。しかし、フリーは実は大企業より小さい企業の方が有効なのです。小企業は広告などのマーケティングにお金をかける余裕がないので、無料化はとても重要な広告手段になります。iPhoneのアプリケーションを作っている企業はどこもフリーミアムのモデルを採用し、無料化することで広告代わりにしています。生み出したものを無料で提供する場合、得られるのはお金ではなくアテンション(注目)や評判なのです。

■ベストセラーを作る戦略

電子書籍はこれから伸びるカテゴリーだと思います。書店に行かずに、本をすぐに買うことができるし、持ち運びも便利です。長期的視点から見ると、電子書籍は、出版業にとっても作家にとっても良いものだと思います。

今後、たくさんの電子書籍リーダーが発売されて競争が始まると、より良いリーダーが開発されることでしょう。しかし、電子書籍が成長するからといって、紙に印刷された本が消えていくとは思いません。紙の本はマイノリティーな存在になっていくでしょうが、だからこそ、特別な物として、また、美しく作られた物として、コーヒーテーブルや本棚を飾る物になったり、素敵なギフトアイテムになったりするでしょう。

出版業の未来を憂う声がありますが、私は、読者的視点と作家的視点の双方から、出版業の未来は明るいと思います。

まず最初に読者的視点で言えば、デジタルとフィジカル(紙)、さまざまな形で読めることで、本を読む人は増えていくと思います。無料の電子書籍の存在も、読者を増やすことにつながるでしょう。次に作家的視点で言えば、出版社を介さずに読者にリーチできることはデジタル出版の大きなメリットです。

作家が出版社を通さず直接アマゾンから著作を売り出すケースも増えるでしょう。すべての本は出版社を通して読者に届くという従来的なメカニズムは変わっていくかもしれません。
そうなったとしても、出版社は、自分の居場所を見つけることはできると思うのです。出版社は本のうまいマーケティング法を知っているし、紙の本をクリエイティブに生み出す手法も知っているし、それを売るチャンネルも持っています。しばらく出版界は大変な状況になるでしょうが、最終的にはその存在が再認識されると考えています。

グーグルのブックサーチはアメリカでも議論されていることではありますが、私は賛成の立場です。多くの人たちがグーグルとともに育ってきて、中にはグーグルの中にすべてがあると考えている人もいるくらいです。今の若い世代が育っていって、グーグルというレンズを通して世の中を見る時、その中に本があるのは重要なことではないでしょうか。そうしなくては、本の方も、ふさわしい読者を見つけることができません。だから、本がデジタル化され、ブックサーチの中に入れられるのには賛成しているのです。

日本で『フリー』は15万部以上売れました。売れていることは嬉しいことだし、驚きやスリルも感じていますが、謙虚に受け止めています。日本では『フリー』の出版に先立ち、1万部限定でネットを通じて『フリー』を無料で配布したそうですね。前作『ロングテール』は日本ではそれほど売れませんでした(中国では売れたのですが)。今回、『フリー』が日本でベストセラーになった理由は、このフリーミアム戦略にあることは間違いないでしょう。

アメリカでも、キンドル向けに1週間、グーグルブックス向けに1ヵ月間、オーディオブック用には現在も無料にして、フリーミアム戦略を実行しましたが、それほどは売れませんでした。日本のほうがフリーミアム戦略をより巧みに実行したのだと思います。よりシンプルに、よりはっきりと。アメリカでは、長い期間、たくさんの形で、無料であまりに多くのコピーを配布しすぎたのかもしれません。フリーミアム戦略をいかに実行するかという点ではまだ混乱しているところがありますが、実行の仕方によって同じ商品でも、もっともっと売ることができるという事実がここに証明されていると言えるでしょう。


ギルト・グループ

2010-05-30 09:24:29 | 日記

高級ブランドの会員制ネット通販「ギルト・グループ」、米国と日本で急成長の理由

東洋経済オンライン5月28日(金) 11時 2分配信 / 経済 - 経済総合
 高級ブランドの衣料品や雑貨を最大7割引きで販売するネット通販サイト「ギルト・グループ」が急成長している。2007年にニューヨークで2人の女性が立ち上げたこのユニークなサイトは、2年間で売り上げを6倍に伸ばし、200万人もの会員を抱えるほどに成長した。10年には売上高5億ドルを達成する勢いだという。

 日本への上陸は09年3月。日本版サイト(http://www.gilt.jp/)はオープンから約1年が経過した今、会員登録数は30万人を超えた。10年に年商500億円というのが当初の目標だったが、足元は計画の1.5倍で推移しているという。急成長の秘訣はどこにあるのだろうか。

 「昨年の極めて厳しい経済状況下でも、アマゾンやイーベイやギルトなど、トップクラスのeコマース企業は非常に好調だった。いずれの企業にも共通しているのは、独自のビジネスモデルを築き上げていることだ」とギルト・グループ会長のケヴィン・ライアン氏は語る。

 ギルトは誰もがすぐに買い物できるわけではない。友人・知人からの招待メールを受けて初めて、サイトにアクセスできる。単なる通販サイトではなく、“招待制ファミリーセールサイト”なのだ。

 1つのブランドの商品が販売されるのは、36時間(日本では54時間)と限られていて、毎日(日本では2日に1回)決まった時間にセールが始まる。いずれの商品もほぼ市価の半額以下。あれこれと迷っていると、見る見るうちに「売り切れ」の文字が並んでいく。利用者はパソコンの前で「今すぐ買わなければ売り切れてしまう」という焦燥感に駆られ、つい購入のボタンをクリックしてしまうというわけだ。

 もちろん、扱う商品は各ブランドからギルトのバイヤーが直接仕入れた商品。ブランド側も景気低迷で店頭の売り上げが落ち込み、在庫が膨らみがち。ギルトは、こうしたブランドから商品を買い取ると、プロのカメラマン、スタイリスト、モデルを使って撮影を行い、ブランドイメージを損なうことなくサイトに掲載する。米国では、衣料品や雑貨だけでなく、ワインや旅行なども扱うようになった。

 今でこそ、複数の「招待制ファミリーセールサイト」が登場しているが、少なくとも日本では、このビジネスモデルはギルトが最初だった。他社に先駆けてブランドとの強固な関係を築き上げた結果、よりよい商品をより安く仕入れることができる。「いち早く他社とはまったく異なるポジションを築き上げた」とライアン氏は胸を張る。

 eコマースの業界で、ナンバー1企業を打ち負かすのは並み大抵のことではない。たとえば、米ネットオークションサイトの「イーベイ」は10年前も今もナンバー1のポジションを譲っていない。1996年に米国でネット広告配信会社・ダブルクリックを設立したライアン氏は、ネット業界における先行者の優位性を心得ている。

 「96年の創業後、97年には35社の競合が現れた。が、その2年後に競合はわずか3~4社になってしまった。そのよくできたビジネスモデルは、すぐに誰かが学んで参入してくるが、こちらはそれよりも早く成長できたというわけだ」。

■3カ月間に50人採用、重要なのは人材

 07年に2人の女性が始めたギルト・グループは、08年12月には80人の従業員を抱えるようになった。そして、今や売り上げの急拡大に伴い、400人もの従業員がこの会社で働くまでになった。3カ月間に50人のペースで採用を行ってきたという計算になる。ただし、今現在はそのペースを少し落とし、男性向け衣料品、女性向け衣料品、生活雑貨、旅行など、主要なビジネスエリアの基盤づくりに徹しているという。

 ライアン氏は、「急成長する会社において最も重要なのは人材」と断言する。そのために、1週間の労働時間のうち約20%を人材採用に費やしている。昨年採用した300人のうち、50人の面接はライアン氏自身が担当した。

 面接において重視する点は、主に3つあるという。第1に、前職でどのような成功を収めたか。第2に、ギルトで働くに当たって適切な経験を持っているか。そして、最も重視するのが、その人がギルトという会社のカルチャーに合っているかという点だ。

 「ネット企業は動きが速く、意思決定も迅速に行わなければいけない。スピードが極めて重要だ。どんなに優秀な人でもこうした社風に合っていなければアンハッピーな結果に終わる」。

 ほかにはないユニークなビジネスモデルで事業を展開するからには、すべてのものを自ら創り出していかなければならない。「自分自身が行う意思決定が会社の運命を左右し、そこにはスピードも求められる。その意味でも、適切な人材を採用することが極めて重要なのだ」。

 今年2月、日本のギルトは社員に「ファストファッション着用禁止令」を出した。ユニクロやH&Mなど、最新の流行を低価格で売り切るファストファッション全盛の中、高級ブランド品が持つ価値を社員自らが体感し、消費者に伝えるべきとの方針からだ。

 ギルト急成長の背景には、ビジネスモデルのユニークさのほかに、こうした社風のユニークさもあるようだ。「ユニークで楽しいカルチャーは人を惹き付ける」(同)。

 ライアン氏はeコマース企業が勝ち残るためには、規模も必要だという。今後は、米国と日本だけでなく、香港、中国、韓国、ブラジル、オーストラリアなどでグローバルなビジネス展開を計画している。ギルト・グループはまだまだ拡大を続けそうだ。

(堀越千代 =東洋経済オンライン)

カミナリ様とキノコ

2010-05-30 09:23:04 | 日記

落雷でキノコの収穫量が増加

ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト4月12日(月) 15時36分配信 / 海外 - 海外総合







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写真を拡大する

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落雷でキノコの収穫量が増加 <NOSCRIPT>
落雷でキノコの収穫量が増加
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人工の稲妻を照射した原木から生えるシイタケ。
(Photograph courtesy Koichi Takaki)
 日本では古くから落雷でキノコが豊作になるという言い伝えが信じられており、農家は農地への嵐の到来を歓迎してきた。そして現在、この伝承に科学的根拠を与える研究が進んでいる。日本食に欠かせない食材であるキノコは、実際に落雷によって数が増えるという。

 現在、日本ではキノコの需要が高く、海外からの輸入量が増えている。主に中国や韓国から年間およそ5万トンのキノコが日本に輸出されている。

 岩手県では4年間に渡る研究の一環として、農業試験場に植えた様々なキノコに人工的に発生させた稲妻を照射し、キノコの数が実際に増えるかどうかを確認する実験が行われている。

 最新の実験の結果、稲妻と同等の強さの電気的刺激を与えると、ある種のキノコは従来の栽培法に比べて収穫量が2倍以上になることがわかった。

「今までに10種類のキノコで実験し、8種類で効果が確認された。最も効果が高かったのはシイタケとナメコで、食用ではないが東洋医学の一部で使われるレイシ(マンネンタケ)でも実験を行った」と、岩手大学工学部准教授の高木浩一氏は話す。

 高木氏の研究チームは、キノコの胞子を植えつけた原木に高電圧パルスを印加して、キノコの生長を刺激することを試みた。

 自然界の稲妻は電圧が10億ボルトに上ることがあり、落雷時はその電気が地面を伝わっていく。これほど大きなエネルギーが直撃すればキノコは焼けてしまうだろうが、落雷地点の近くにあるキノコが、土の中を通って弱くなった電荷を浴びることで生長が促される可能性は大いにある。そこで研究チームは、弱めの電気のバーストを使用して実験を行った。

 繰り返し実験を行った結果、1000万分の1秒間に5万~10万ボルトの電気を浴びせたときにキノコの生長が最も活発になることがわかった。このレベルの適度な電気を浴びたシイタケの収穫量は、電気を浴びていない原木からの収穫量の2倍になった。また、電気を浴びたナメコは収穫量が80%増加した。

「突然大きなエネルギーを浴びたキノコは、菌糸から分泌されるタンパク質と酵素の量がいったん減少するが、その後に急増するという反応を示す」と高木氏は説明する。

 菌糸はキノコにとって根のような働きをする細長い細胞で、胞子を下地に固定して栄養分を取り込む。また、菌糸は新しい子実体を作り出す。子実体とは傘を持った肉厚の組織で、胞子を生成するほか、作物として収穫される。

 菌糸が稲妻に対してこのような反応を示す理由はまだ研究中である。しかし、高木氏の研究チームと共同で研究を行う岩手生物工学研究センター主任研究員の坂本裕一氏は、危険に対する反応として繁殖力を増大させているのではないかと推測する。「キノコにとって、落雷は自分たちを簡単に全滅させる非常に深刻な脅威となる。キノコは死ぬ前に自分を再生しておかねばならないと感じ、稲妻を察知すると自動的に成長を加速させて子実体の数を増やすのだろう」。

 高木氏と坂本氏はこれまでの実験の成功を受けて、稲妻のような電気のバーストを発生させる装置を開発すれば農家の役に立つと考えている。ただし、その前に研究チームが取り組まねばならないのは、この技術をもっと使いやすくすることだ。「キノコの生長を促すために現在使用している設備は非常に専門的で複雑なため、設計を改良して扱いやすくしたい。キノコ栽培農家と協力しながら、最終的にこの技術を商品化したい」と高木氏は話す。

 高木氏の研究チームはダイコンでも同様の実験を始めている。初期の実験では、人工の稲妻を浴びせた方が早く発芽する傾向にあることが示されている。また、他の研究機関では、ナタネ、マメ、いくつかの品種のユリでも稲妻の実験が行われているという。


Julian Ryall in Tokyo for National Geographic News