これまでの4回の連載(67~70回)で見てきたように、厚生年金は深刻な財政問題を抱えている。現在の制度を継続して何の対策も講じなければ、20年以内に積立金が枯渇し、年金給付ができない状態に陥る可能性が高いのだ。
では、現時点で厚生年金制度を清算し、新しい制度をつくることができるだろうか? ここで、「清算」とは、年金制度を通じて将来支払うと事実上約束している額を、積立金を用いて現時点で支払い、厚生年金制度を廃止することだ。
清算は、2つのグループの人たちについて必要である。第1グループは、現在の年金受給者だ。これらの人たちが将来受給できる総額の現在値を、いま支払う必要がある。第2グループは、現在の保険料支払い者である。この人たちに対しては、これまで支払った保険料に相当する額をいま返却する必要がある。
現在の年金受給者に関する清算
現在の年金受給者のグループに属するのは、現在65歳以上の人である。
この人たちの年金額はすでに決まっている。現在の制度が継続すれば、給付総額はいくらになるだろうか。
これについて、つぎのように考えることとしよう。
(1)現在65歳の人は、平均すれば、本人があと18.5年間(「18.5年」は、65歳における男子平均余命)受給し、本人の死亡後、配偶者が本人の半額の遺族年金を5年間受給すると考えることができる(「5年」は、65歳における平均余命の男女差)。したがって、本人が21年間受給することと同じである。
(2)現在の年金給付総額は、厚生年金給付が22.3兆円、基礎年金給付が12.6兆円で、合計34.9兆円だ(2007年)。
(3)現在の制度が継続すれば、受給者の死亡によって受給者数は今後減少し、これにともなって給付総額も徐々に減少し、21年後にゼロになる。簡単化のため、年次の経過にともなって、総額が直線的に減少するものと仮定しよう。
(4)割引率をゼロとすれば、給付総額の現在値は、
現在の給付総額×21年間/2=34.9×21/2=366.5兆円
となる。
割引率が正なら、これより若干少なくなる。
仮に割引率2%を想定すれば、21年後の1は、現時点で0.66と評価される。各年の給付額が同一であるとすれば、給付総額の現在値は、単年度分の0.66+(1-0.66)/2=0.83と評価される。
したがって、要支払い総額の現在値は、366.5×0.83=304兆円となる。
現在の保険料支払い者に関する清算
現在の保険料支払い者のグループに属するのは、20歳から65歳までの人で、現在厚生年金に加入し、保険料を払い続けている人たちである。
厚生年金制度をいま止めるとすれば、これまで支払った保険料に相当する部分を返却する必要がある。それがいくらかを評価するには、つぎの2つの考え方がありうる。
第1は、過去に支払った保険料の現在値とすることだ(この場合、雇用主負担分も含めるか否かが問題となるが、雇用主負担分は賃金の変形と考えられるので、含めるのが適切だ)。
第2は、将来受給できると期待できる年金額の割引現在値とすることだ。
ここでは、第2の考えを用いることにする。
この人たちは、65歳になったとき年金を裁定され、それを22年間受給する。裁定額がいくらになるかは、今後の賃金の動向に影響される。ここでは、簡単のため、現在の受給者の平均額が期待できるとしよう。
現在の厚生年金の老齢退職年金受給権者総数は1200万人である(2006年度末)。他方、給付総額は、上で見たように34.9兆円だ。したがって、1人当たりでは、年間290万円である(*1)。
ただし、現在時点で年金を止めた場合に、すべての人がこれだけの年金を得られるわけではない。なぜなら、保険料納付年数が少ないからだ(*2)。
ここで、簡単化のため、加入者は20歳から65歳まで一様に分布しているものとしよう。その場合には、すべての加入者を、20+(65-20)/2=42.5歳の人で代表させることができる。そして、290万円の半分、すなわち145万円を、21年間受給できると考えればよい。したがって、1人当たりの額は、割引率をゼロとすれば、145×21=3045万円である(ちなみに、これは、普通の家計が保有する最大の資産だ)。
ところが、加入者の総数は3379万人だ(06年度末)。したがって、割引率をゼロとすれば、総額では1029兆円になる。
割引率がゼロでない場合には、つぎのようになる。
現在42.5歳の人は、いまから22.5年後に年金を裁定されて受給者となり、43.5年後まで受給する。
割引率が2%の場合、22.5年後の1の現在値は0.64であり、43.5年後の1の現在値は0.42である。したがって、この人の受給総額の現在値は、3045×{0.42+(0.64-0.42)/2}=3045×0.53=1614万円となる。
したがって、加入者全体では、545兆円だ。
*1 繰り上げ繰り下げを除く厚生年金の老齢、退年相当の平均年金額は200万円とされている。
*2 制度上は、20年間保険料を支払わないと受給資格が発生しない。しかし、ここで想定しているのは通常の受給ではないので、支払い年数のいかんにかかわらず、支払い年数に応じた額の年金が支給されるものと考える。
清算には約1400兆円不足
以上で計算した要支払額を合計すれば、366.5+1029=1396兆円となる。
他方で、積立金残高は、130兆円だ(2007年度末。時価ベース)。したがって、差し引き1266兆円の不足となる。
いうまでもないが、上記の結果は、さまざまな仮定に依存する。
まず問題となるのは、割引率だ。上で計算したことから、割引率が2%の場合の要支払い額の合計は、304+547=851兆円となる。割引率を高く想定すれば、要支払額は少なくなる。ただし、現在の長期国債の利回りが1.3%程度であることを想定すれば、割引率としては2%未満の値を用いるべきだろう。したがって、851兆円は、かなり保守的な見通しと言える。
また、今後の賃金がどのように推移するかで、将来受け取れる年金額は変わる。ここで行なった計算は、賃金上昇率がゼロの場合に相当すると考えることができる。
しかし、現実的な値を想定する限り、現在の厚生年金制度をいまの積立金で清算するのが到底不可能であることは間違いない。ここでの計算は仮想上のものであり、厚生年金の清算という事態が実際に生じるわけではない。したがって、細かい仮定に拘泥しても、あまり意味はない。重要なのは、「厚生年金を清算することはできない」ということだ。
できない以上、継続せざるをえない。現在の日本の公的年金は、「止めようとしても止められないから続ける」という(よく考えてみればそら恐ろしい)状態にあるのだ。
そうであるからこそ、長期にわたって財政破綻が生じないように、細心の注意をはらうべきなのだ。これまで見てきたことから明らかなように、財政検証は、その責務を果たしていないと言わざるをえない。
財政赤字にカウントすべきか
現在、国の一般会計の財政赤字が問題とされている。しかし、財政赤字の問題を考える際には、定義が問題だ。国の一般会計赤字が財政赤字であることは間違いないが、政府が抱えている赤字は、これに限定されるものではない。
ここで推計した厚生年金の不足額は、政府が将来支払うと事実上約束している額と、現在保有している資産額(積立金額)との差だ。したがって、広義の財政赤字と考えることができる。
企業年金では、これを「年金債務」とカウントすべきこととされている。日本航空の場合にも、これが問題になった。だから、当然国の場合にも同じ考えでの「年金債務」が考えられてしかるべきなのである。
ここで計算した赤字額は、実際に債務とカウントされている額(国と地方をあわせた長期債務残高は、2009年度末に816兆円)とほぼ同額、あるいはそれを超える額である。