5月15日の記者会見で、「邦人輸送する米艦防護」の事例を挙げ、集団的自衛権行使の必要性を訴えるアベシ。だが、そもそもこうした事態が起こりえるのか・・・・あり得ないことを専門家が指摘しています。全く実務の分からないアベシが、無理やり「集団的自衛権行使」を押し通すために、国民の感情に訴えた事例のようです。こんな嘘つきが国のトップにいること自体が異常ですね。以下転載します。
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特集ワイド:首相が急ぐ集団的自衛権行使容認 非現実的な「事例集」←専門家が指摘
毎日新聞 2014年06月17日 東京夕刊
◇邦人輸送中の米艦防護←邦人救援は日本の責務/弾道ミサイル迎撃←大気圏外は技術的に無理…
これほどほころびだらけの議論も例がないのではないか。安倍晋三首相が閣議決定を急ぐ集団的自衛権の行使容認論。「抑止力を高めて日本人を守る」目的らしいが、本当なのか。首相らが掲げる「行使が必要な事例」には、専門家から「非現実的」と失笑さえ聞こえてくる。【吉井理記】
米国艦船に重ね、赤ちゃんを抱く母親と不安げな幼児のイラスト。近くに描かれた自衛艦には、「防護」の文字に×印。最近、安倍首相が繰り返し掲げるパネルだ。訴えるところは「近隣諸国で紛争が起き、逃げようとする日本人を輸送する米国艦船が襲われた時、自衛隊が守れなくていいのか。今の憲法解釈ではできない」(6月11日の党首討論での安倍首相答弁)。だから行使容認へ解釈変更が必要だ、ということらしい。
政府は5月27日、議論のたたき台として、グレーゾーン事態への対処など15事例を与党に示した。うち集団的自衛権行使の事例は8例。パネルに描かれた
(1)邦人輸送中の米艦防護、のほか
(2)攻撃を受ける米艦の防護
(3)武器輸送が疑われる船の公海上での強制的な検査(臨検)
(4)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃
(5)弾道ミサイル発射を警戒する米イージス艦の防護
(6)米国本土が攻撃された場合に日本付近で行動する米艦の防護
(7)国際的な機雷掃海活動への参加
(8)民間船舶の共同護衛−−
の八つだ。確かに朝鮮半島で武力衝突が起こり、日本人が米艦で逃げることになれば、自衛隊に知らんぷりはされたくない。ならば集団的自衛権行使は、やはり必要なのか。
「だまされてはダメです。8事例はあまりに非現実的です。現実を知らないか、知っていてウソをついているかです」と怒るのは、第1次安倍政権時代を含む自公連立政権で5年半、内閣官房副長官補として防衛政策に携わった柳沢協二さんだ。
柳沢さんは「まず、安倍さんは『日本が血を流さなければ米国も血を流してくれない。だから集団的自衛権の行使容認が必要だ』との論理を展開するが、そもそもこれが空想的です」と切り捨てる。米国の軍事行動は米国の国益にかなうかどうかが基準だ。自衛隊が米国のために血を流した、ならば米国も、なんて人情話やヤクザ映画のような世界ではない、という。
その上で「邦人輸送中の米艦防護」について「政府も外務省もバカじゃない。紛争の兆候があれば民間人に退避勧告を出して帰国させます。最後まで残る大使館員らの輸送にしても、(1)のように攻撃対象となるルートは普通選びません。何より1997年の日米ガイドライン改定で、邦人救援は日本が行うと定められた。米艦での輸送は想定されていません」(柳沢さん)。
改憲論者でありながら解釈改憲を「憲法のハイジャック」と批判する慶応大名誉教授の小林節さん(憲法学)は「百歩譲ってこの事例があるとしても、個別的自衛権の話であって集団的自衛権とは何ら無関係です」と突き放す。日本人保護は日本政府の義務だ。ここで日本が守る対象は日本人であり、艦船ではない。だから船の国籍を絡めることがまずおかしい、というのだ。
小林さんは「米国と日本の近隣国が戦争になれば、どう考えても在日米軍基地も攻撃対象になり日本は戦争に巻き込まれる。これは日本有事で個別的自衛権の問題だ。集団的自衛権を持ち出す理由はどこにもない」と一蹴した。
軍事評論家、前田哲男さんは「(6)は米国が核攻撃された際の米艦防護を想定しているが噴飯ものです。まず米国の抑止力が消失しているのに集団的自衛権を行使する意味がない。何より米国は即、核報復し、悠長に艦船防護を日本に要請したりしない」と解説。北朝鮮を想定した(4)も米国本土を狙う弾道ミサイルは北極上空を通り、日本上空は通らない。第一、大気圏外を飛ぶミサイルの迎撃は技術的に不可能で、あり得ない事例という。
「特に(5)はひどい。『北朝鮮の弾道ミサイルの発射警戒中の米イージス艦は、防空能力にスキが生じる』としているが、ウソです。イージス艦はミサイル警戒と防空用の艦船です。こんな話を米第7艦隊のイージス艦長が聞いたらどんな顔をするでしょう」。(7)のホルムズ海峡を想定した機雷掃海活動も、今やホルムズ海峡手前のオマーン湾に多くのパイプラインが敷設され、海峡を封鎖する意味は乏しく、現実味がないという。
なぜこれほど穴のある事例を列挙したのか。「本来なら、事例のような状況が起こるかを吟味し、起こりうるならどう対応するか、それが個別的自衛権で収まるかどうかを見る。その結果、新たな法整備と憲法解釈の変更が不可欠だ、という結論ならまだ分かりますが……」と柳沢さん。「最初に『解釈変更ありき』だから吟味もせず、防衛の常識からかけ離れた不思議な事例が議論される事態になってしまった」と嘆息した。
与党は当初、15事例を議論するはずだったが、ここに来て時間がかかるとみて、解釈変更の閣議決定を優先しようとしている。
カギを握るのが自衛権の発動要件を定めたルールの変更だ。政府・自民党は新たに「他国への武力攻撃で我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利を根底から覆すおそれがある」場合を加え、集団的自衛権を「ごく限定的に行使する」とうたい、慎重な公明党を説得しようとしている。
「他国への攻撃が国民の生命や権利を根底から覆す、という事態、想像できますか? 少なくとも8事例の中に該当するものはない」と首を振るのは法政大教授の杉田敦さん(政治学)だ。「他国への……」の文言、72年に「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とした政府見解から引用された。「『根底から覆され』という部分は個別的自衛権が容認される範囲を示したもの。なのに結論を無視して、前段だけ採用した。もう支離滅裂です。安倍さんは持論の戦後体制の破壊・脱却を図りたい、外務省は行使容認をテコに外交力を高めたい。どちらも国民の安全とは関係のない、不純な動機です」
そもそも集団的自衛権は他国の戦争に介入する権利だ。柳沢さんが付け加える。「日本人は限定的とか最小限という言葉が好きですが、戦争に介入して他国やテロ組織から日本が敵扱いされる事態に『限定』などない。逆にリスクを高める可能性があることを政府は説明していない」
低レベルの議論で、この国のあり方をガラリと変えることは許されない。
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特集ワイド:首相が急ぐ集団的自衛権行使容認 非現実的な「事例集」←専門家が指摘
毎日新聞 2014年06月17日 東京夕刊
◇邦人輸送中の米艦防護←邦人救援は日本の責務/弾道ミサイル迎撃←大気圏外は技術的に無理…
これほどほころびだらけの議論も例がないのではないか。安倍晋三首相が閣議決定を急ぐ集団的自衛権の行使容認論。「抑止力を高めて日本人を守る」目的らしいが、本当なのか。首相らが掲げる「行使が必要な事例」には、専門家から「非現実的」と失笑さえ聞こえてくる。【吉井理記】
米国艦船に重ね、赤ちゃんを抱く母親と不安げな幼児のイラスト。近くに描かれた自衛艦には、「防護」の文字に×印。最近、安倍首相が繰り返し掲げるパネルだ。訴えるところは「近隣諸国で紛争が起き、逃げようとする日本人を輸送する米国艦船が襲われた時、自衛隊が守れなくていいのか。今の憲法解釈ではできない」(6月11日の党首討論での安倍首相答弁)。だから行使容認へ解釈変更が必要だ、ということらしい。
政府は5月27日、議論のたたき台として、グレーゾーン事態への対処など15事例を与党に示した。うち集団的自衛権行使の事例は8例。パネルに描かれた
(1)邦人輸送中の米艦防護、のほか
(2)攻撃を受ける米艦の防護
(3)武器輸送が疑われる船の公海上での強制的な検査(臨検)
(4)米国に向かう弾道ミサイルの迎撃
(5)弾道ミサイル発射を警戒する米イージス艦の防護
(6)米国本土が攻撃された場合に日本付近で行動する米艦の防護
(7)国際的な機雷掃海活動への参加
(8)民間船舶の共同護衛−−
の八つだ。確かに朝鮮半島で武力衝突が起こり、日本人が米艦で逃げることになれば、自衛隊に知らんぷりはされたくない。ならば集団的自衛権行使は、やはり必要なのか。
「だまされてはダメです。8事例はあまりに非現実的です。現実を知らないか、知っていてウソをついているかです」と怒るのは、第1次安倍政権時代を含む自公連立政権で5年半、内閣官房副長官補として防衛政策に携わった柳沢協二さんだ。
柳沢さんは「まず、安倍さんは『日本が血を流さなければ米国も血を流してくれない。だから集団的自衛権の行使容認が必要だ』との論理を展開するが、そもそもこれが空想的です」と切り捨てる。米国の軍事行動は米国の国益にかなうかどうかが基準だ。自衛隊が米国のために血を流した、ならば米国も、なんて人情話やヤクザ映画のような世界ではない、という。
その上で「邦人輸送中の米艦防護」について「政府も外務省もバカじゃない。紛争の兆候があれば民間人に退避勧告を出して帰国させます。最後まで残る大使館員らの輸送にしても、(1)のように攻撃対象となるルートは普通選びません。何より1997年の日米ガイドライン改定で、邦人救援は日本が行うと定められた。米艦での輸送は想定されていません」(柳沢さん)。
改憲論者でありながら解釈改憲を「憲法のハイジャック」と批判する慶応大名誉教授の小林節さん(憲法学)は「百歩譲ってこの事例があるとしても、個別的自衛権の話であって集団的自衛権とは何ら無関係です」と突き放す。日本人保護は日本政府の義務だ。ここで日本が守る対象は日本人であり、艦船ではない。だから船の国籍を絡めることがまずおかしい、というのだ。
小林さんは「米国と日本の近隣国が戦争になれば、どう考えても在日米軍基地も攻撃対象になり日本は戦争に巻き込まれる。これは日本有事で個別的自衛権の問題だ。集団的自衛権を持ち出す理由はどこにもない」と一蹴した。
軍事評論家、前田哲男さんは「(6)は米国が核攻撃された際の米艦防護を想定しているが噴飯ものです。まず米国の抑止力が消失しているのに集団的自衛権を行使する意味がない。何より米国は即、核報復し、悠長に艦船防護を日本に要請したりしない」と解説。北朝鮮を想定した(4)も米国本土を狙う弾道ミサイルは北極上空を通り、日本上空は通らない。第一、大気圏外を飛ぶミサイルの迎撃は技術的に不可能で、あり得ない事例という。
「特に(5)はひどい。『北朝鮮の弾道ミサイルの発射警戒中の米イージス艦は、防空能力にスキが生じる』としているが、ウソです。イージス艦はミサイル警戒と防空用の艦船です。こんな話を米第7艦隊のイージス艦長が聞いたらどんな顔をするでしょう」。(7)のホルムズ海峡を想定した機雷掃海活動も、今やホルムズ海峡手前のオマーン湾に多くのパイプラインが敷設され、海峡を封鎖する意味は乏しく、現実味がないという。
なぜこれほど穴のある事例を列挙したのか。「本来なら、事例のような状況が起こるかを吟味し、起こりうるならどう対応するか、それが個別的自衛権で収まるかどうかを見る。その結果、新たな法整備と憲法解釈の変更が不可欠だ、という結論ならまだ分かりますが……」と柳沢さん。「最初に『解釈変更ありき』だから吟味もせず、防衛の常識からかけ離れた不思議な事例が議論される事態になってしまった」と嘆息した。
与党は当初、15事例を議論するはずだったが、ここに来て時間がかかるとみて、解釈変更の閣議決定を優先しようとしている。
カギを握るのが自衛権の発動要件を定めたルールの変更だ。政府・自民党は新たに「他国への武力攻撃で我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利を根底から覆すおそれがある」場合を加え、集団的自衛権を「ごく限定的に行使する」とうたい、慎重な公明党を説得しようとしている。
「他国への攻撃が国民の生命や権利を根底から覆す、という事態、想像できますか? 少なくとも8事例の中に該当するものはない」と首を振るのは法政大教授の杉田敦さん(政治学)だ。「他国への……」の文言、72年に「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とした政府見解から引用された。「『根底から覆され』という部分は個別的自衛権が容認される範囲を示したもの。なのに結論を無視して、前段だけ採用した。もう支離滅裂です。安倍さんは持論の戦後体制の破壊・脱却を図りたい、外務省は行使容認をテコに外交力を高めたい。どちらも国民の安全とは関係のない、不純な動機です」
そもそも集団的自衛権は他国の戦争に介入する権利だ。柳沢さんが付け加える。「日本人は限定的とか最小限という言葉が好きですが、戦争に介入して他国やテロ組織から日本が敵扱いされる事態に『限定』などない。逆にリスクを高める可能性があることを政府は説明していない」
低レベルの議論で、この国のあり方をガラリと変えることは許されない。