アベシ政府になってから、武器三原則を防衛装備移転三原則と名称を変えるとともに、武器の輸出拡大を図っている。表面上は①世界の平和・安全の維持、②厳格の審査、③目的外使用、第三国への移転は適正管理・・・とは言ってはいるものの、実質的には意味をなさない。アベシや政治屋達が言った過去の嘘や、誤解の招く言葉使いは日常茶飯事だ。その後、集団的自衛権行使・特定秘密保護法案・NSC・安保法案と次々に日本国以外で戦争のできる状況を作った。この後、最終的には「緊急事態条項」を決めれば、一人の首相の判断で国民の生命も財産も自由にできるようになる・・・昔のドイツでヒトラーがやったやり方と同じになる・・・
国会できちんと議論もできない状態が非常に危険です。独立国家として主権を持つならば(今は主権はあるように見えるが、実際は無い・・・)防衛力を持つことは当然としても、今のアベシや自民党・官僚が推し進めていることとは全く違う。アメリカの出先機関として極東の防波堤としか見られていない現状で、アメリカのやりたい放題の言動にただ尻尾を振ってついていく情けない自民党政府。日本の国民の意思を、正しく把握し、国民のための政治をやろうとする気概は無い。単なる利権団体として、自己の利益を獲得するだけに懸命な自民党政府や官僚たちを、排除できる力を持たねばならないですね。
子供達にも分かりやすい「戦争のつくり方」ユーチューブが流れています。転載します。
国連安保理で、北朝鮮への制裁決議案を全会一致で決めた・・・と報道されています。いつもの事で、北朝鮮には何の意味も効果もない。建て前的には「北朝鮮と云うキチガイ国家があって、このままでは危険なので国防の為に体制をとらねばならない・・・」としておきながら、社会保障など国民に使うはずの金は減らしてでも、国防費に金を回している。支払ったように見せかけて、実際は政治屋に還元するようになっている。
危険であると煽っておいて一度でも防衛費を使えば、あとはいくらでも税金を使い続けることができる。北朝鮮のミサイル対策として、アメリカ製の「イージス・アショア」を購入(1600億円)することになったが、それを使えるようにするための費用が莫大に増加するようになる・・・・・
以下、日刊ゲンダイさんより転載します。
次は巡航ミサイル 米の兵器押し売りで血税8兆円が消える
2017年9月12日
各省庁の来年度予算案の概算要求が出揃ったが、とりわけ目を引くのが過去最高となる5兆2551億円に上る防衛予算だ。第2次安倍政権発足後、6年連続で増加。しかも先日、安倍首相の“側近”である自民党の河井克行総裁外交特別補佐は、「自衛隊が中距離弾道ミサイルや巡航ミサイルを持つ可能性を検討すべき時期にきている」と言い出した。
先月の日米外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)で小野寺防衛相は、北朝鮮のミサイル開発が「新たな段階の脅威」に入ったとして米国製「イージス・アショア」の導入を決めた。イージス艦に搭載している迎撃ミサイル「SM3」を地上配備する迎撃システムだ。防衛省は日本全土をカバーするために2基が必要として、1600億円以上かかる関連経費の一部を来年度予算案に計上する。
日本の「イージス・アショア」の購入は、トランプ大統領が唱える「バイ・アメリカン(アメリカ製品を買おう)」に従うものだ。安倍は今年2月の国会答弁で「米国の装備品はわが国の防衛に不可欠。結果として米国の経済や雇用にも貢献する」と持論を展開。その上、河井特別補佐が言及した中距離弾道ミサイルまで買うことになれば一体、どれだけコストがかかるのか。トンデモない大盤振る舞いになるのは間違いない。
安全保障に詳しい専門家が言う。
「最新鋭の巡航ミサイルと中型弾道ミサイルを欧米諸国と同じだけ用意しようとすると、1000億円ほどの予算がかかります。ただし、これはあくまでミサイルの数から導き出した単純計算で、巡航ミサイルを持つということは、敵基地攻撃を視野に入れることを意味します。準備を整えるには、偵察衛星の新たな打ち上げ、早期警戒管制機の配備、グローバルホークのような無人機の増勢、偵察・電子戦機といった護衛部隊の編成と訓練、パイロット救出のための体制構築など、ザッと見積もっただけで最低1兆円近いコストがかかります。しかし、これだけ武器と戦闘機を用意したとして、今度はそもそも日本が敵地攻撃をできるのかという問題が出てきます。米国が絶対に許さないでしょう。受注が決まっていない工事のために大量のブルドーザーを買い込んでいるようなものです」
おまけに米国に不要なミサイルや兵器を買うだけ買わされて「使うな」と禁止されるのでは、バカみたいな話だ。これを“カモ”と言わずして何と言うのか。
そもそも日本は、向こう5年越しでF35戦闘機42機(1兆2000億円)、オスプレイ17機(3600億円)、イージス艦2隻(1800億円)など総額2兆円の武器を米国から買う約束をしている。トータルで8兆円だ。“バイ・アメリカン”のために日本人の血税が米国にむしり取られようとしている。
多くのマスゴミ新聞やテレビが政府のポチになっている中、東京新聞の望月記者が菅官房長官に鋭い質問を浴びせかけている。そのことに対して、政府はお得意の脅し作戦を実施したが、彼女の上司である東京新聞のキャップが反論・・・。普段から良い記事を書いている東京新聞だけあって、いい根性をしていますね。政府べったりのマスゴミ新聞より、東京新聞をとったほうが正しく情報を把握できる。これからも、望月記者の活躍が楽しみですね。
以下、AERA Dot さんより転載します。
2017.9.9 20:01
菅義偉官房長官の会見をめぐり、首相官邸報道室が9月1日、東京新聞官邸キャップに抗議書を送ったことが波紋を広げている。 官邸が問題視したのは、加計問題で菅官房長官へ厳しい質問を浴びせ、注目された東京新聞社会部の望月衣塑子記者の発言だ。
官邸資料によると、8月25日午前の菅官房長官会見で望月氏は、「加計学園獣医学部設置の認可保留」に触れ、次のように質問していた。
望月氏「最近になって公開されています加計学園の設計図、今治市に出す獣医学部の設計図、52枚ほど公開されました。それを見ましても、バイオセキュリティーの危機管理ができるような設計体制になっているかは極めて疑問だという声も出ております。また、単価自体も通常の倍くらいあるんじゃないかという指摘も専門家の方から出ています。こういう点、踏まえましても、今回、学校の認可の保留という決定が出ました。ほんとうに特区のワーキンググループ、そして政府の内閣府がしっかりとした学園の実態を調査していたのかどうか、これについて政府としてのご見解を教えてください」
菅官房長官「まあ、いずれにしろ、学部の設置認可については、昨年11月および本年4月の文部科学大臣から大学設置・学校法人審議会に諮問により間もなく答申が得られる見込みであると聞いており、いまの段階で答えるべきじゃないというふうに思いますし、この審議会というのは専門的な観点から公平公正に審査している、こういうふうに思っています」
官邸は望月氏の質問が、文科省が加計学園に「認可保留」を正式発表(解禁)する前であったことを問題視した。
7日後の9月1日、東京新聞官邸キャップ に対し、官邸は文書で〈官房長官記者会見において、未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は、断じて許容出来ません〉〈再発防止の徹底を強く要請いたします〉と厳重注意した。
官邸の抗議書に対して望月氏は、こう反論する。
「文科省の正式発表前に質問しましたが、加計学園獣医学部設置の『認可保留』という事実関係自体が誤っていたわけではありません。うちの担当記者が取材で大学設置審議会の保留決定の方針を詰めて、記事も出ていたため、菅官房長官会見で触れたのです。ただし文科省の正式発表であるかのような印象を与えたとすれば、私の落ち度といえるでしょうが……」
官邸のこの抗議書に対し、加計問題を取材した多くの報道関係者、国会議員らが違和感を覚えたという。「認可保留」という公知の事実を、文科省の正式発表よりも少し前に質問で触れたところで、国民に誤解を生じさせるとは考えられないからだ。
ちなみに文科省の正式発表は8月25日午後で、望月氏の質問はわずか2時間足らずのフライングに過ぎない。 しかも加計学園に対し、「認可保留」を決定した文科省の設置審議会が開かれたのは8月9日で、テレビや新聞はすでにその直後から「認可保留」の方針決定を繰り返し、報じている。
官邸の抗議文を一刀両断に批判したのは、民進党の小西洋之参議院議員だ。ツイッターで官邸が送った書面を公開し、〈不当な言論弾圧そのもの。東京新聞は断固抗議すべきだ〉と記している。
東京新聞に対し、官邸はなぜ、このような抗議書をわざわざ出したのだろうか。
“謎”を解くカギは、望月氏が質問した8月25日から抗議文が出る9月1日までの7日間のタイムラグだ。
望月氏は8月31日の菅官房長官会見で、北朝鮮のミサイル発射前夜に安倍晋三首相が公邸に過去2回(8月25日と28日)、宿泊したことなどについて次のように質問している。
「(安倍首相が公邸で待機したということで)前夜にある程度の状況を政府が把握していたのなら、なぜ事前に国民に知らせなかったのですか」
「Jアラートの発信から逃げる時間に余裕がない。首相動静を見て、(首相が)公邸に泊まると思ったら、次の日はミサイルが飛ぶのですか」
こうした望月氏の発言を「トンデモ質問」と一部のメディアが取り上げ、批判した。この日の質問について望月氏は、こう補足解説をする。
「金正恩委員長が米韓合同軍事演習の中止を求めたのは『斬首作戦』が含まれていたからです。アメリカの攻撃で国家が崩壊したイラクやリビアの二の舞いにならないように、自国防衛のために核武装をしようとしている。相手の立場に立って考えることが重要。北朝鮮に核ミサイルを連射されたら日本全土を守り切ることは難しい。悪の枢軸として圧力をかけるだけではなく、北朝鮮との対話を模索してほしいとの考えから質問をしたのです」
北朝鮮情勢が緊迫する今、安倍政権と異なるスタンスで記者が質問をしたとしても何ら問題はない。
官邸の抗議に屈せずに望月氏が今後、菅官房長官会見でどんな質問を続けていくのか。注目される。(横田一)
今は、北朝鮮の核弾頭ミサイルの話題が多くあります。
国民を洗脳し、戦争することを非難する者を非国民扱いにして抵抗できない雰囲気を作り上げ、国や家族を守るためという建前論を持ち出し徴兵し戦場に送り出す・・・ことを如何にしてだまし続けるかが自民党政権の狙いのようです。
アメリカのポチとして言われるがままに戦争の準備を強引に推し進め、政権の維持の為に後ろ盾として陰で動いてもらい、戦争で儲けられる大企業からの多額の献金を受け取る。全てのしわ寄せは、善良なる国民のみ・・・・・自分の家族が亡くなっても、その遺骨さえ探そうとはしない政府。旨い汁は自分たちがとり、大変な事はすべて国民が背負いこむ・・・ 政府を信じるとロクなことは無いのは、古今東西どこにでも転がっている話。ゆでガエルが一人でも減ることが大切です。そしてろくでもない政治屋を送り出さないことですね。
以下、現代ビジネスさんより転載します。
「113万体」世界に眠る戦没者の遺骨をどうするのかという、この国の宿題
栗原 俊雄 2017.8.11
世界各地に眠る戦没者の遺骨、その数113万体。すべての遺骨を収容することは不可能だろうが、一人でも多くの遺族にそれを引き渡すことが、国家の責務ではないだろうか。『戦後補償裁判』『遺骨』の著者・栗原俊雄氏(毎日新聞)の特別レポート第三弾――。
やって来ましたこの季節、マスコミが1年で一番、戦争に関する報道をする8月です。「今年はあんまりみないぞ」というあなた、その通りです。昨年の戦後70年で各社たくさん報道した反動か、はたまた今年はオリンピックや選挙の取材で忙しいのか、各社あんまり積極的ではないかもしれません。
しかし1年中8月ジャーナリズムの旗を高く掲げ、常夏記者と呼ばれる私は、相変わらず戦争の記事を書こうと思います。「昔の戦争じゃなくて、イスラム国とか今の戦争を報道しろよ」という声が聞こえました。いえいえ、そういう報道は各社のエース記者がやっていて、常夏記者はお呼びではありません。だいたい語学は板橋弁しかしゃべれません。大きな選挙の泡沫候補のように、独自の戦いを続けます。
ま、花札じゃなかったトリンプじゃなかったそれは下着メーカーだ、そうそうあのトランプさんだって、最初は泡沫扱いだったんですから。常夏記者も、この先どうはじけるか分かりません。江戸っ子だってねえ。板橋の生まれよ。
楽観的な終戦構想がすべての元凶
今から75年前の1941年12月、大日本帝国はアメリカやイギリスなど連合国と戦争を始めた。後年「太平洋戦争」と呼ばれるように(近年は「アジア・太平洋戦争」と呼ばれることが多い。保守派は「大東亜戦争」と言う)、主戦場は太平洋だった。つまり、海軍が重要な役割を果たす。
帝国海軍の実力は、軍艦の保有量や国力などからみて世界トップスリーの一角にあった。ほかの二国はアメリカとイギリスだ。つまり帝国海軍は、3強のうちの2強からなる連合軍に立ち向かうことになった。同盟国のナチスドイツ、イタリアは海軍力が弱く、太平洋海域で戦うことはおよそ不可能だった。このことから分かる通り、そもそも勝てるはずのない戦争だった。
秀才ぞろいの帝国陸海軍、政府もそのことは分かっていた。ではどのような終戦構想を持っていたのか。それは(1)ドイツがイギリスを屈服させる(2)アメリカが戦意を失う(3)講和が成立する、というものであった。
1939年の大戦勃発以来、ドイツは快進撃を続け、スペインなど中立国を除く欧州全体を手中に納める勢いだった。イギリスはその欧州大陸から本土に追い落とされ、独空軍の激しい空襲を浮けた。風前の灯火、のようにみえた。
だが、ドイツの海軍力ではイギリス上陸を成功させるのは難しかった。つまり大日本帝国の終戦構想は最初から危うかったのだ。また、かりにイギリスが降伏したとしても、アメリカが戦争をやめる保障はない。帝国は願望の上に願望を重ねた構想で戦争を始めたのだ。
蜃気楼のような構想の結果、帝国は惨敗した。日本人だけで310万人が死んだ(厚生労働省の推計)。
未収用遺骨は113万体
戦争は、政治家や軍人など為政者たちが始めた人為的な災難である。間違った国策によって被害を受けた人は、国の補償を受ける権利がある。補償をするのは、帝国の後継である日本国政府だ。ところが、その政府が戦後補償、ことに国と雇用関係になかった民間人への補償を拒んできたことは、以前の「常夏通信」で書いた通りだ。そして、亡くなった人たちの遺骨収容についても、政府は責任を果たしてこなかった。
前述の310万のうち、240万人が海外(沖縄、東京都小笠原村硫黄島を含む)で亡くなった。政府は「サンフランシスコ講和条約」が発効した1952年の独立回復以来、遺骨収容を続けてきた。今日まで127万体が帰還したとされる。このうち、政府の事業によるものは34万体に止まる。大半は戦友会や遺族らが収容したものなのだ。
そして、未収容の遺骨は113万体に及ぶ。
「政治は結果だ」という趣旨のことを政治家はしばしば言うが、戦没者遺骨の収容に関する限り、およそその責任を果たしてきたとは言い難い。メディアはよく「戦後補償問題」という言葉を使うが、正しくは「戦後未補償問題」なのだ。以下は主な地域と未収容の遺骨の概数である。
中国(23万)▽インド(1万)▽ミャンマー・タイ・マレーシアなど(4万6000)▽フィリピン(37万)▽インドネシア・北ボルネオ(2万5000)▽中部太平洋(17万)▽ビスマーク・ソロモン諸島(6万)▽ロシア・モンゴル(3万)▽北朝鮮など(5万)。
遺骨収容における未補償問題で象徴的なのが、硫黄島(東京都小笠原村)である。クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」「父親たちの星条旗」などで知られる通り、この島は第二次世界大戦末期、日米両軍が激戦を繰り広げた場所だ。
都心から1250キロ南の離島とはいえ、首都東京の一部である。自衛隊が常駐している。その地にして戦後71年が過ぎた今、戦死者およそ2万1900万人のうち、いまだに1万体以上の遺骨が未収容なのだ。
「どこで幕を引くべきか」
筆者は2012年7月、遺骨収容に参加した。自衛隊の滑走路近くで、たくさんの遺骨が発掘された。黒い砂地に、自分が掘り出したものを含めておびただしい骨が並んでいた。目の前の光景をどう解釈していいのか分からなかった。地熱の高いところに長年埋まっていたせいか、いっけん頑丈にみえる骨がとてももろく、掘り起こすのに力を入れすぎると、すぐにぱらぱらと黄な粉のようになってしまった。
たくさんの遺骨以上に衝撃的だったのは、戦没者の息子や娘、70歳前後の人たちが父親の骨を掘っていることだった。「美しい家族愛」とは、筆者は思わなかった。南島の夏の暑さは、立っているだけでつらい。発掘がどれくらい過酷か、想像してほしい。「高齢の遺族が、こんな過酷な作業をしなければならない国家、日本の戦後はなんだったんだろう」と思った。
さて、遺骨の収容事業には「国がそれをやらなければならない」という根拠法がなかった。法的には、いつやめてもおかしくなかったのだ。実際、52~58年度に硫黄島と沖縄、サイパン、フィリピンなどの南方で約1万人分を収容した後、政府は終了させる方針であった。
もともとすべての遺骨を収容するのは不可能であり、その後も幕引きを模索した。たとえば、2002年度の「厚生労働白書」には、フィリピンなど南方での遺骨収容を「おおむね終了」と書いた。さらに2005年、尾辻秀久厚労大臣(当時)は南方での遺骨収容について「どこかで幕を引くべき」と述べた。前述のように、膨大な遺骨が収容されていないにもかかわらず、だ。
実際はその後も続いた。しかし、年を追うとごとに収容は難しくなる。(1)もともと収容しやすいところから進めてきたこと(2)埋葬地などを知る戦争経験者が少なくなってきたこと(3)外国の場合、都市開発などによりもとの埋葬地が分からなくなってしまったこと、などによる。
このまま、本当に幕が引かれてしまうのか――。そんな遺族ら関係者の危惧をよそに、政治で動きがあった。戦後70年の2015年、戦没で亡くなった人たちの遺骨を帰還させるための超党派の議員立法「戦没者遺骨収集推進法案」(推進法案)がまとまったのだ。
ひとつの画期
中心になったのは、自民党の水落敏栄(みずおちとしえい)参議院議員である。水落議員の父親は海軍の整備兵で、敗戦直前、山形県の飛行場で米軍機に襲われ戦死している。
「推進法」の眼目は、遺骨収容を「国の責務」と明記したことだ。さらに2015年10月から10年間、集中実施することを国に課した。また関係各省の連携を義務づけた意味も大きい。
収容の主管は厚労省だ。スムーズに進めるためには、収容を行う外国と交渉する外務省、移送に関わる防衛省、予算の裏付けをはかる財務省など省庁の協力が不可欠だ。だが、従来は「縦割り行政」の弊害がしばしば指摘されていた。推進法はこれを改善しようとするものだ。
推進法は2015年9月11日、衆院を通過した。この日の本会議は、「改正派遣法案」を巡る反対演説で与野党議員の怒号が飛び交っていた。しかし推進法案が提案されると、雰囲気が一変。多くの議員が「異議なし!」と力強く応じ、全会一致で可決、議場は万雷のような拍手に包まれた。参院は時間切れで継続審議となり、結局成立したのは今年3月24日であった。集中実施期間は、2024年度までの9年間となった。
あまりにも遅すぎたとはいえ、推進法は戦後補償史における一つの画期ではある。衆院での様子をみれば分かる通り、政党や歴史観の違いを超えて同意できる事業でもある。
硫黄島で遺骨を掘ってから4年。筆者は今でも、70歳を過ぎた遺族たちが、記憶がほとんど、もしくは全く無い父親の骨を探している姿を思い出す。すべての遺骨が返ることはあり得ないだろう。だとしても、待っている人が元気なうちに、一人でも多くの遺骨を、その人たちに渡す。それが、戦争にまみれた大日本帝国につらなる政府、あるいは日本人の責任だと、筆者は思う。
でも、苦労して掘り出した遺骨の身元、分かるの?と疑問を持ったあなた。ごもっともです。実は、前述の推進法ができても、遺骨収容には課題がてんこ盛りなんです。それについては、次回の常夏通信で。