祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ ドイツZDF フクシマの嘘 (連結済み)29分23秒  mov

2017-07-24 02:34:52 | 原発事故


福島の原発事故が起きてから6年が過ぎている。利権がらみで多くの国民が犠牲となった。原発事故後、北海道に逃げてきている人たちが大勢いる。その人たちに聞くと、彼らの近くの人たちが突然のように亡くなっていることを話してくれた。そして、彼等は自ら自宅等の放射能の計測をしており、そのあまりの高さに危険を感じ子供連れて避難している。原発事故は、余りにも多くの人々の生活を根底から崩してしまっている。

問題は原発事故だけではなく、いろいろな方面で国民から搾取した税金を、好き放題に使っている官僚や政治屋、そして企業、学者などがいることだ。このビデオを見て、国民から搾取する利権集団の存在を理解することと、それが日本国中の仕組みに組み込まれていることを知る事が大切でしょう。



ドイツZDF フクシマの嘘 (連結済み)29分23秒  mov

・ ウクライナ美女が 千と千尋~ 主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings Spirited Away

2017-05-16 23:57:40 | 原発事故


1986年にチェルノブイリで原発事故が起きました。当時6歳で近くで住んでいたNataliya Gudziyさんが、事故の悲劇を忘れないため、唄をうたっています。彼女は次のように話しています。

”人間は忘れることによって同じ過ちを繰り返します。
    悲劇を忘れないでください。
    同じ過ちを繰り返さないでください。
そう願って私は歌を歌っています。この歌もそんな気持ちでお届けしたいと思います。とってもかわいらしい曲なんですが、とても深い意味を持っている歌詞です。”



ウクライナ美女が 千と千尋~ 主題歌を熱唱 Nataliya Gudziy sings Spirited Away

・ たらちね検診センター開設プロジェクト1

2017-02-10 01:32:05 | 原発事故


福島の原発事故が起きてから、まもなく6年になろうとしています。政府や東電の原子力ムラは何事もなかったことにして終わらせようとしています。一番かわいそうなのは、汚染された土地から転居できない子供やお母さんたち! ただその土地で一生懸命生きていただけなのに、土地は放射能汚染され、子供達や自分たちの健康も無視され、正確な情報さえ与えられず、全てが奪われた・・・・・

そんな中で、市民による健診センターが設立されようとしている。「たらちね健診センター」という。政府は医師に圧力をかけ、勝手に放射能汚染されたかどうかの受診・健診ができないようにしている。そして繰り返すのは、「放射能による影響はない」の一言・・・これほどデタラメな政府があるのだろうか。共産国の旧ソビエトでさえ、年間5ミリシーベルトの土地から全員を退去させた。それも1年以内に終了している。そして新しい土地で、依然と同等の生活水準が保てるように援助した。それに引き替え日本政府は、20ミリシーベルトの地域に住民を引き戻そうとしている。そして生活の援助も無くし、仮設住宅も無くしていくそうだ。

ここに民間による「放射能測定室兼検診センター」が設立されようとしています。2017年4月オープンを目指して活動中です。是非このプロジェクトに一人でも多くの方が参加されることを望みます。動画の下に「たらちね健診センター開発プロジェクトの応援」とありますので、そこから参加申し込みができます。今の自民党・官僚などをつぶす行動はしつつも、一方で困っている方たちの応援をしましょう。




たらちね検診センター開設プロジェクト1


たらちね健診センター開設プロジェクトの応援

・「原発再稼働は認めない」と断言した新潟県知事に、東電・原子力ムラのネガティブキャンペーンが激化!

2017-01-13 01:42:35 | 原発事故


新潟県の泉田知事の知事選出馬を取りやめさせた自民党・東電などの原子力ムラは、泉田知事の後継者である米山知事に対しても人気を落とすキャンペーンを張り始めているようだ。あの選挙の時も全国の市民が応援して米山知事を当選させている。今後も引き続き原子力ムラの汚いネガティブキャンペーンに踊らされないように、しっかりとした意識と決意が必要ですね。

友達が贈ってくれた「原子炉時限爆弾」(広瀬隆著)を読み終えて、大地震よる原子炉の破壊が確実視できるようになりました。私たちが住んでいる地殻は固くてしっかりしているように思えますが、地球の構造を知ると人間でいえば皮膚以下位の厚さしかないことが分かります。地球の半径が6370キロあり、地殻と云われているところが5~60キロほどしかありません・・・・・薄いところで地球半径の1000分の1、厚いところで100分の1位しかありません。そして2億5千万年前からの地球の大陸の形成変化を知ると、地殻がいかに激しく動いているかもわかります。特に日本の誕生は驚きです。3000万年前は姿すらありません。2000万年前くらいで日本海あたりができ始め、1000万年前くらいで四国・九州辺りが隆起してきており、700万年前くらいで関東から東北の一部ができ始め、100万年前で北海道辺りが隆起し、10万年前では樺太と朝鮮とは、まだつながっており、1万年前くらいでやっと日本列島の姿が分かり始めています。

知識の上では、マントルが動いていることや日本海溝に4大プレートが集まってきており、下に沈んでいることを知ってはいるものの、時代の流れの中で大陸の誕生・移動や日本の誕生を知ると、地殻というものはいかに流動的であるかが分かり、とんでもない所に原発を54基も建てていることに驚かされます。仕事で新潟に住んでいた頃、地元の人に聞きましたが、新潟は沼地で地盤が軟らかい所だと教えてもらいました。そんな危険な立地に建てている原発を、福島原発の事故原因が明確にされていないことで新潟県知事は再稼働を認めてきておりません。福島原発は地震による事故であることを、政府も官僚も東電も認めたくないのです。しかし、「原子炉建屋」と「タービン建屋」は建物が別であるため、その間をつなぐいろいろなパイプが走っています。これが脆くて簡単に壊れてしまう。その一つでも壊れると原子炉の冷却がストップしてしまいメルトダウンに繋がります。頑丈に作ってあると云っているのは、原子炉建屋だけの話しで、それ以外の接続部分はお粗末なものばかり。先日も日本製でフランスの原発で使われている部品が、不良品だということで使用禁止になりましたが、日本では知らん顔して使い続けていますね・・・・・あきれ果ててものも言えない・・・

以下LITERAより転載します。




「原発再稼働は認めない」と断言した新潟県知事に、東電・原子力ムラのネガティブキャンペーンが激化!2017.01.08

 東京電力の数土文夫会長と廣瀬直己社長らが5日、新潟県庁で米山隆一知事と初めて面談をした。冒頭で数土会長は知事選当選祝いから切り出し、「一番重要視すべきステークホルダーは何と言っても地元の方々」と“新潟県民ファースト”の考えを示し、福島原発事故の検証を進める県への協力も申し出た。

 東電トップが丁重な姿勢で初面談に臨んだのは、言うまでもなく、年間1千億もの収益改善効果が見込める「柏崎刈羽原発」(同県柏崎市と刈羽村)の再稼働が再建計画の柱になっていたためだ。しかし原発問題が最大の争点の新潟県知事選(10月16日投開票)で初当選をした米山知事は、「現状では再稼働は認められない」「福島原発事故の3つの検証が終わらない限り、再稼働の議論はできない」と繰り返し訴えた。

 そこで東電は「そんな米山知事を何とか懐柔したい」と下手に出たに違いないが、その目論見はすぐに打ち砕かれた。米山知事は選挙中の訴え(県民との約束)をこの日も繰り返して初志貫徹、「検証には数年かかる」と明言もした。この瞬間、柏崎刈羽原発の再稼働が最低でも数年は困難となったのだ。

 米山知事がこだわる3つの検証項目は、「1・福島原発事故の原因解明」と「2・事故による住民の健康と生活への影響」と「3・柏崎刈羽原発で事故が起きた時の避難計画」のことだ。すでに泉田裕彦知事時代に設置された「県技術委員会」や「(東電と県の)合同委員会」が事故原因解明の検証を進めてきたが、残り2つの検証については手薄なため、体制拡充する方針も米山知事は東電トップに伝えた。

 これまで東電や経産省などの原子力ムラと対峙し、再稼働阻止の防波堤役をしていた泉田裕彦前知事路線を継承、さらに強化しようとする米山知事の意欲が伝わってくる。 JR柏崎駅から北西に8キロほど日本海沿いに走ると、世界最大規模の東京電力「柏崎刈羽原子力発電所」に着く。“産みの親”というべき田中角栄・元首相の実家はここから10キロ足らず。海辺の砂浜を歩いていくと、フェンス越しに7基の原発施設が立ち並ぶ光景が近づいてくるが、一帯は砂地の軟弱地盤。もともと農地開発する予定だった二束三文の土地が、田中角栄・元首相の系列会社を経て東電に転売された結果、およそ立地に相応しくないところに原発群が建設されたのだ。

 この土地転がしで得た5億円を資金に田中元首相は、佐藤栄作首相(当時)の後継を決める1972年の自民党総裁選で億単位の金をばらまいて首相ポストを射止めた。全国に新幹線や高速道路を張り巡らせた実績は語り継がれているが、途方もない負の遺産を残した犯罪的行為についてはあまり知られていない。「角栄王国」とも呼ばれた新潟で自民党が12年前に担ぎ出して初当選した全国最年少知事の泉田氏は、就任直後と3年後の中越沖地震で陣頭指揮を取った。

 特に2007年7月の中越沖地震では、柏崎刈羽原発は緊急停止でメルトダウンは免れたものの、放射能漏れと火災事故が発生。しかし軟弱地盤の上に立つ敷地内外では道路の陥没や地割れが続出、消火作業や避難に支障をきたした。この混乱の中で奮闘した泉田知事は、「安全神話」にすがって杜撰な「原子力防災(原発事故時の災害対応)」で事足りていた東電や経産省に厳しい姿勢を取り始める。放射能被曝の遮断可能な「重要免震棟」が遅ればせながら柏崎刈羽原発に設置されたのも泉田前知事の功績だが、「同じ東電の原発で同じ沸騰水型の福島第一原発にも設置すべき」と東電に提案、実現させるのにも貢献したのだ。

 ちなみに福島第一原発に重要免震棟が完成したのは、東日本大震災のわずか8カ月前。この重要免震棟で吉田昌郎所長(故人)が原発事故対応の陣頭指揮を取ったことに注目すれば、泉田前知事もまた現場に最後まで残った吉田所長ら“決死隊”社員と同様、「関東圏に人が住めなくなる」という最悪の事態回避に貢献した功労者に違いない。

 現場体験で「原子力防災の第一人者」に鍛え上げられた泉田前知事の知名度がアップするにつれて、原子力ムラの攻撃は激しさを増し、古巣の経産省からは「変人知事」という情報を流されるようにもなった。現役霞ヶ関官僚がペンネームで書いた小説『原発ホワイトアウト』(若杉冽/講談社)では、泉田前知事をモデルにした伊豆田知事が原発推進勢力の仕掛けた陰謀で逮捕されて失脚、その後に原発テロでメルトダウンに至る結末となっていた。

 この小説と同じようなことが現実で起きた。自民党と地元紙「新潟日報」と東電が水面下で連携しているようにみえる“泉田知事降ろしキャンペーン”が新潟県知事選を控えた昨年夏頃から激しくなり、告示を1カ月後に迫った8月30日に泉田知事が4選出馬撤回を発表したのだ。 この時、株式市場は「自公推薦候補の森民夫・前長岡市長の当選は確実。柏崎刈羽原発再稼働の可能性が高まった」と判断、東電の株価は上昇した。そんな中、「福島原発事故の検証と総括なき再稼働はありえない」が持論の泉田路線の継承を掲げて立候補、奇跡の逆転勝利をしたのが、米山知事だった。

 5日、新潟県庁。東電トップとの初面談を終えた米山知事が囲み取材に応じた。柏崎刈羽原発の立地場所は地震の揺れが大きくなる軟弱地盤。しかも米山知事は福島原発事故の原因として「地震説」を排除しておらず(東電や経産省は「津波説」を主張)、新潟県が東電のさらなるデータ提示で検証を進めた結果、「地震説が有力」との結論になることも十分考えられる。

 その場合、津波説が前提の今の対策では不十分で、新たな配管補強などで天文学的な費用が必要になり、再稼働は極めて困難で廃炉を余儀なくされる可能性が高まるのだ。 このことについて聞くと、米山知事は一般論と断りつつも、「合理的に安全が確保できないのであれば、(再稼動は認められない)私の現状の認識が続くわけですから、再稼動は認められないことに必然的になる」と答えた。地震説採用で原発の安全確認のハードルが上がり、柏崎刈羽原発はもちろん全国各地の原発再稼働が困難となる展開も考えられる。新潟県の徹底検証で、安倍政権の原発推進政策を根底から揺るがす可能性が出てきたのだ。

 しかし存在感を示し始めた米山知事と原子力ムラの攻防が激しくなることは十分に考えられる。初面談後の囲み取材で数土会長は、「知事の同意が得られるまでは柏崎刈羽原発は動かさないという理解でいいのか」との質問に「そうなると思います」と答えつつ、衣の下から鎧が見える発言をしている。
「我々は世論がどうなるのかは分かりません。地球温暖化とか、化石燃料の状況だとか、東南海地震の襲来があった時にどうするのか」
 東電の次なる手段が見えてきた。それは、経産省など原発推進勢力を総動員して「原発は地球温暖化対策に有効」「化石燃料輸入で国富流出」「地震時の予備電源になる」「再稼働しないと電気料金は下がらない」といった情報を流して世論を誘導、検証に時間をかける米山知事への批判が噴出するようにするというものだ。

 実際、米山知事の囲み取材では産経新聞がこんな質問をしている。
「(東電が福島原発)事故処理費用を捻出して税金とか電気料金値上げを通じての国民負担を最小化するという意味で『一定程度の再稼動も必要』という意見もあるが、検証の長期化と国民負担の兼ね合いについてどうお考えですか」

 米山知事は「知事の責務は県民の命と暮らしを守ること。基本的には私が第一に考えることではない」と答えたが、「国民負担最小化を阻害する新潟県」といった批判が出ることを狙ったのは明らかだ。
「90万部突破!」「田中金権政治批判の急先鋒だった石原慎太郎が万感の思いを込めて描く田中角栄の生涯」と銘打った『天才』(幻冬舎)の中で石原慎太郎元都知事(元・維新共同代表)は、田中氏を「紛れもない愛国者だった」として次のように絶賛している。
「エネルギー資源に乏しいこの国の自活のために未来エネルギーの最たる原子力推進を目指しアメリカ傘下のメジャーに依存しまいと独自の資源外交を思い立ったのも彼だった」

 しかし柏崎刈羽原発の実態に目を向ける時、田中元首相はもちろん、原発推進の姿勢を引き継ぐ安倍首相もまた、愛国者とは対極にある「亡国の首相」にしか見えないのだ。
(横田一)




・ 誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗

2016-11-25 23:50:14 | 原発事故


ニュースの中で「福島県立福島高校の生徒ら13人が、初めて福島第一原発の廃炉作業を見学した」(2016年11月18日)というものがあります。18歳未満の高校生の入場を初めて受け入れたそうです。受け入れた東電もおかしいが高校生を連れて行った教諭も異常ですね。マスクもせずに2時間ほどバスで見学したという事です。

福島原発事故から北海道に逃げてきた人たちに聞くと、現地では危険地域だということが言い難い環境があると聞いたことがあります。現地で復興をしようとする人たちにとっては、危険だということを公に言うことが復興を遅らせると考えているのでしょう。それは政府が正しい情報を与えてないことと、将来の選択肢としてどこに移住しても健康と生活を補償する提案が無いからでしょう。お粗末な行政レベルですね・・・・

事故から丸5年が過ぎ、全く解決する様子はない中で、政府だけが何もなかったようなふりをして、住民を戻そうとしています。全く問題を解決する能力もなければ責任もない・・・・・しかし、国民ももっと真剣に問題認識を持たねばならないでしょう。
以下、現代ビジネスより転載します。




誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
「やることはやった」で終わっていい問題ですか?
山下 祐介



この復興は失敗である

7月10日投開票の参議院議員選挙に向けて、安倍政権の政策検証が各メディアで行われている。とくに「アベノミクス」と「安全保障問題」に多くの人の関心はあるようだ。

その中で丸5年を超えた東日本大震災・福島第一原発事故の復興政策については、世間の反応は実に穏やかに見える。すでに政府も集中復興期間を終え、やることはやったかのようであり、被災地もまた何かをあきらめてしまったかのようだ。

だが、本当はこう言わねばならない。

「この災害復興は失敗である」

それも単なる失敗ではない。
私たちが何年もかけて反省をし、もうこれ以上の失敗を重ねないよう議論をしつづけ、制度にまでのせようと努力していながら、その反省を吹き飛ばすかのように最悪の結果を導いた、そのような失敗である。

この失敗の原因はどこにあるのか。何をどう問題視する必要があるのか。そのなかで震災時から災害の処理を担当してきた各政権をどのように見たらよいのか。9ヵ月後にはついに丸6年を迎えるこの微妙な時点で、あらためてこの震災復興の問題を考えてみたい。

津波被災地では、長大な沿岸に巨大防潮堤が延々と築かれている。だがこのまま建設をつづけても、その背後に住む人はほとんどいない、そういう事態を招きつつある。奇跡の一本松で有名な陸前高田でも、いったいこの盛り土の上に誰が住むのかという奇態な高台造成が進んでいる。漁業や観光で生業を営んでいた人々にとって、復興事業が――正確には復興の前提となる防災事業が――復興の大きな障害になってしまった。被災地・被災者を応援するはずの復興事業が地域を死の町へと誘っていく

福島第一原発事故の被災地では、帰還政策が盛んに進められている。除染とインフラ整備が復興の基本であり、この地への早期帰還が目論まれているが、廃炉にまだ何十年もかかる被災地に、おいそれと人が戻れるわけがない。ましてそこで子育てなどできるわけはなく、帰還政策は早期決着による賠償切り政府や東電の責任回避のためとみてほぼ間違いがない。

こんな政策で被害者の生活再建につながるわけはない。巨額な資金を投じながら、それらのほとんどが被災者たちのための復興ではないものに使われている。

一体何が起きているのか?



復興にかける時間を考える

現状批判をさらに続けよう。
本来、仮設住宅は3年が限界と言われてきた。これは、建物の限界ではもちろんない。むしろそこに暮らす人の限界、もっといえば社会の限界である。「仮の暮らし」を続けるのにはやはり3年が限界、そして地域の復興も3年を超えれば難しくなり、3年までにもとの地域を立て直し、なりわいを取り戻さなければならない。その限界が3年なのである。

にもかかわらず、なにか当たり前のように、5年経ってもまだ復興の目処はつかず、多くの人が仮の暮らしのままにある。私はここで「復興を急げ」と言いたいのではない。こんな復興政策では、いくら急いだって復興はできない。もっと原点から考え直さなければならない。政策そのものを立て直さなければならないはずだ。今述べたのは津波被災地の実情である。原発事故災害の状況は、時間に関しては大きく違う。が、事態の根幹は同じようだ。

原発事故についても政府はその復興をやたらと急いでいる。単純にいえば、5年(ただし始まったのが津波被災地よりも遅いのでプラス1年で、事故発生から6年)で避難元へと避難者を帰すという帰還政策が復興政策の柱だ。

だが事態の大きさや、原発事故という災害の質から考えてそのような政策は無理である。帰還は簡単ではなく、すでに避難指示が解除された地域でも、まだほとんどの人が戻れていない。それは当然であり、ここでは帰還までに用意されている時間が短すぎるのである。

そもそも廃炉に30年はかかり、40年でも実現可能かどうかというのが公式見解である。撒き散らされた放射性物質も、半減期の長いものでやはり30年。さらに人々が気にするのは子どもたちへの影響であり、世代が一サイクルするのにやはり30年かかる。

しかもここでは自治体丸ごとの長期広域避難を余儀なくされ、地域社会はまるっきり壊れてしまった。いったん崩壊した社会の再生にもやはり、30年程度の時間がかかる。原発事故災害の復興にかかる時間は、つまりは最低限でも30年はかかるというべきだ。

事故から丸5年が過ぎた。少なくともあと25年はその事後処理をつづけなければならない。その覚悟が必要なのに、なぜか6年を目処に復興を終了させようとしている。そして帰還しようとしない被害者に対し、「なぜ帰らないんだ」とのイライラさえ政府の間で募りはじめてきた。

例えば、朝日新聞2016年2月1日付では、自民党東日本大震災復興加速化本部の幹部の話として、「住宅提供があるから戻らない住民もいる。いつかはやめなければいけない」という声が拾われている。だがその前に正すべきは、この政策の失敗である。はじめからうまくいかない復興政策だから、誰も戻ろうとしないのである。政策の失敗を被災地/被災者に責任転嫁するのはやめるべきだ。

間違いのもとを正し、進むべき道筋をあらため、人々の声をよく聞き、着実な形で生活再建・地域の復興がなされるよう、慎重になすべきことを見極めなければならない。



大規模公共事業の否定と住民参加

今回の震災復興の失敗は、しばしば震災初期に掛け違えたボタンにたとえられる。
震災発生から1年ほどの早い時期に、ボタンが間違えて掛けられてしまった。そして掛け違えたまま、間違った復興が急がされ、今日までつづいている。そのボタンを元に戻さないと、本当の復興には行き着かない。

むしろ進めれば進めるほど、復興政策が、被災地の/被災者の復興を阻害する。間違った復興政策が復興を長期化し、長引く復興を急がせようとして、さらに事態をこじらせ、復興はもはや不可能な状態にまで陥ってしまった。

だがこの失敗がどうにも良く分からないのは、私たちがこの事態を予想できないものであったのなら、これもまた「想定外」の一つとして片付けることもやむなしというべきだが、どうもそうではないということだ。ここで起きていることは、今回震災が生じてはじめて気付いたというよりは、すでに90年代後半に気づいていたはずだ。分かっているのにそうなってしまう――この構造が不気味なのだ。

私たちはすでに90年代にはこう議論してきた。私たちが直面している問題は、もはやこれまでのように巨大な土木事業では解決できない。むしろ大規模な土木事業が環境を破壊し、私たちの暮らしを壊している。お金が使えるからといって、予算が付くからといって、無闇に土木事業を興すのはやめよう――。この反省がバブル崩壊後には、実際の政策にも移され、土木事業にはその必要性の説明が強く求められ、アセスメントが義務づけられ、巨大な事業は基本的には認められなくなっていた。

2000年代初頭の構造改革も、こうした思考を前提に進められたものであったはずだ。
加えて90年代以降は、こうしたことも常識になっていった。今後はどんなことでも住民の参加が必要である。上意下達で決めて、下々の者は上の者に従えば良いと考える時代はもう終わった。民間の力を組み込み、官民共同で進めるべきである。

その民間の力をより多く引き出すために、98年のNPO法(特定非営利活動促進法)もつくられた。いまとなっては、そのきっかけが同じく時代を画した大震災(1995年阪神・淡路大震災)であったのも皮肉な話といえるかもしれない。大規模土木事業による問題解決法の否定。そして上意下達の政策形成から、官民共同、住民参加を基本にした政策形成への転換。

90年代のこの転換は、例えば平成9年(1997年)の河川法の改正などに現れている。それまでの治水と利水という、人間のための改変のみで自然に向き合うあり方を反省し、環境への配慮が河川法のもう一つの大きな柱として加えられた。そして人が暮らす環境を守ることで、人間自身にも優しい暮らしのあり方を取り戻そうとした。これが河川法改正の目的であり、事実ここから「脱ダム」のようなことも政策として浮かび上がってきたのである。

そして同じく河川法改正のもう一つの柱が住民参加であった。それまでは政府と省庁(とくに当時の建設省)で事業の内容を決め、実施されてきたものが、住民参加や協同を組み込むことの必要性が謳われた。それはまた、住民参加抜きで本当に住民のための政策はできないことを意味していた。そこに暮らす住民自身が参加し、汗をかき、協働することではじめて、より良い環境を手に入れることができるのである。

この河川法の考え方が、数年後の海岸法改正にも生かされていったのだから、今回の津波災害からの復興が、大規模な土木事業を主体とし、住民参加を否定して、次々と巨大な構造物を作り続けるプロセスとして姿を現したことは、全く持って理解に苦しむ。

要するに、私たちは90年代までに反省し、2000年代にはその制度で運営を進めていたにもかかわらず、どこかでこうした動きへの反動・反発が起き、この震災では完全に古い体制を呼び戻して、誰にも止めれれない事態を作り出してしまったことになる。




相互無責任体制がもたらした失敗

しかしそれも、5年もやってもはや復興政策として破綻しているのだから、もうこの道はあきらめ、別の方向へと転換すべきなのである。だがこの国は、何かが動き出すと、これではダメだと分かっていても止められない。どうもそういう体質を持っているようだ。それどころか、それぞれの事態の起動には必ず誰かが関わっているはずなのに、その責任の追及ができない

いやそもそも誰がはじめたのか分からない構造にさえなっていて、事態の悪化が予測されても、その軌道修正を行うことを難しくしている。相互に無責任なまま事態が進み、気がつけば取り返しのつかない場所へとはまり込んでいく。しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。

「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。

とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。

しかしこれに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着きいてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。

結局、復興と称して多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。

被災地・被災者のために始まったはずの復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。こうした展開はしかし、だれかが描いたシナリオというよりはむしろ、この国の無責任体制、それも相互無責任体制がなし崩しに引き寄せたもののようである。

この国には、自らが行っていることに対する自己検証と、そこで起きていることへの責任追及が欠落するという恐るべき体質がある

私たちがいま解き明かさねばならないのは、この体質だ。もちろんそれは文化に基づいてもいるので、容易に修正できないだけでなく、別の面では、この国の「くらしやすさ」、活力、統率力にもつながってきた可能性があるので、簡単に全てを否定はできない。

とはいえ、この復興に決着をつけるにあたっては、まずはこの体質を反省するところから論をはじめねばならないようだ。そのためにはやはり目の前起きていることをしっかりと総括していく必要がある。

この復興政策の失敗を認めよう。失敗している政策をこれ以上進めるのはやめよう。失敗の責任を認めよう。その責任の所在は、この国にある。しかし、この国の責任とは、政府や省庁もさることながら、当然、国民自身にもその一端がある。相互無責任社会の責任は全体でとるしかない。



この国の「本当の課題」

それゆえ、この失敗を自民党安倍政権だけに押しつけるのは筋ではない。責任の大きな一端は現政権にあるが、それがすべてではない。今の復興政策の筋を書いたのは、当時の政権であった民主党である。震災発生時の2011年3月の政権は菅直人内閣であった。

そして、今では評判の悪いこの政権こそ、「想定外」の震災で「国家が吹っ飛ぶ」事態を目の当たりにして、避難を必死で誘導し、また津波被災地からの復興においても、減災を中心とした、自然と調和し、民間の力を尊重した復興をはじめていた政権だった(とくに東日本大震災復興構想会議)。

その方向性を大きく変え、90年代以前のやり方に引き戻したのは、2011年9月に総辞職した菅政権にかわって政権についた、同じ民主党の野田内閣であり、安倍政権の復興政策はそれをそのまま引き継いだものともいえる。

野田佳彦首相が、震災時の財務大臣であったことには、この反動がいったい何を意味するのかを解く手がかりがあるような気がしてならないが、ともかくこの問題はどうも党派には関係ない。むしろ追求すべきは次のことだ。

いまの私たちが日々進めている政策形成過程には何か大きな欠陥がある。この欠陥を変えることこそが、私たちに課せられた大きな問題なのだ。そしてそのためには、国民の国策への参与・共同がまずは不可欠であり、いまや国民の参画が次々と封じられつつある以上、このことは絶対的な条件というべきかもしれない。

またそこには、土木や原子力関係の科学が深く介在しているのだから、科学の積極的な政策参画が求められ、それも技術的な問題としてこれを解くのではない、人間科学的な視点が十分に参照される必要があるということだ。今回、被災地では、例えば気仙沼では早い時期に民間の力で大規模な勉強会が行われ(気仙沼市防潮堤を勉強する会)、各地では巨大防潮堤を極力抑え、減災を組み込んだ等身大の対案が提案されてきた。

また原発避難対策については、帰還か移住かの二者択一から、第三の道としての超長期避難を提唱する学術の動きがあらわれ(「東日本大震災からの復興政策の改善についての提言」)、その学術的検討がさらに進められている。これら住民や科学の動きに対して、政治や行政が頑なにその変更を阻んできた

新しい考え方が生まれてきても、それを受け止める政治過程がない。それどころかここにきて、旧来の路線をさらに拡張するような、イノベーションやインバウンド、(国内外の観光地域づくり体制)やCCRC(継続介護付きリタイアメント・コミュニティ)など、異様な政策だけが幅をきかせて次々と採用されている。

もはやいま起きているのは、震災・原発事故をきっかけとした政治・行政の「暴走」である

全て政治と行政で解決できる、技術と予算で解決できるというやり方が、地方創生という形にまでエスカレートしつつある。震災と原発をきっかけにして、これまで抑圧されてきた体制に反動がおき、逆回りした歯車の回転が普通の力では止められないくらいに早く大きくなっている。

ある意味では政府や官僚も含め、誰にもどうにもできなくなっており、心ある人たちはどうやったらこれを止められるのか苦悩しつつ、出口の見えない復興政策に付き従っている状態だ。震災をきっかけにして、私たちの社会システム自体がコントロール不能に陥りつつある。

もはや今進めている復興政策は失敗なのだ。それどころかこのまま進めることはこの国の破滅にまでつながりかねない。政策転換を早く成し遂げることこそ、政権を担う人たちが果たすべき重大な責任になる。国策の責任は政治家にある。そしてそれは選挙によってチェックされる。私たちは選挙を通じて、そうした適切な判断ができる人物を選び、必要な変更を迫ることができる。

むろん選んだあとも、具体的な問題について、しっかりと意見を挙げ、事態を分析し、適切な作動が速やかに行われるよう要請していくことが必要だ。選ばれた政治家はこれらを適切に判断し、必要な決断を加えていく――。これがこの国を動かす基本的な設計図である。

逆に言えば、今の状態を招いた背景には、政治家を選ぶ国民の側にも重大な欠陥があるのだ。選挙は人気投票ではない。まして国政は国民自身も担うのであって、選挙は政治家にすべてを委託する手続きではない。だが選挙で選べば、あとは何か起きても、国が「なんとかしてくれる」と国民は思っている。国民が政治に依存し、国家に頼り切っている。これは当の被災者・被害者においてもそうなのだ。

そして政治家や官僚たちは、この国民の「なんとかしてくれる」に一生懸命応えようとしたがゆえに、こんな事態を引き起こしたともいえる。なぜなら国家の力だけで、こんな巨大な災害・原発事故を処理することはできないからである。




本当の意味での復興はできない

この国はどうも、政治も国民も、そして行政も含め、本当のことを言い、本当の気持ちを伝え、本当に必要なことを一緒になってしっかりとやっていく能力に、大いに欠けているようだ。みなどこかで遠慮して、本音を言わずにすましている。しかし裏ではぐずぐずと文句を言い、政府は国民を、国民は政府を馬鹿にもしているのである。

そして結局、声の大きい人に引っ張られて、やるべきでないことを容認し、そしてやったことが失敗すると、誰かに――それもたいていはもっとも声の出せない弱者に――その責任を押しつけようとする。それもこれもすべて結局は、他人任せの国民性に由来する。 

この論の冒頭で「復興政策が失敗だ」というのはそういう意味である。まずは、おかしいものはおかしいと言えなければ、私たちはこの国を守ることはできない。この国の平和は維持できないし、自然との共生もできない。持続可能な国家はありえない。

もっと落ち着いて事態を見据え、誤った政策を改め、本当に必要なことができるように、この国の政策形成過程をこの際しっかりと立て直すべきだ。東日本大震災は、こうした日本という国がもつ、もっとも異様な姿が表に現れた災害だったというべきかもしれない。津波そのものは自然のことであり、これはただ受け入れるしかない。

それに対し、本来避けられたはずの原発事故が起きたのは、この国の歪みを具現化した象徴的な出来事であった。だが本当に異様なのは、その後の過程である。この復興の失敗は避けられたはずだ。作動を誤って、私たちはこの震災を受けた衝撃以上のものにしてしまった

この震災・原発事故は、近く復興を終了するどころか、これからさらに大きな展開を見せることになるだろう。今はまだ小康状態にすぎない。この震災も原発事故もまだ終わっていない。むしろ問題はこの5年で大きく拡がり、今後事態はますます複雑化していくはずだ。

東日本大震災からの復興過程には、この国の危うさが現れている。しかも、その危うさに多くの人が気づかないでいたり、あるいは気づいていたりしてもあえて問わずにいることに本当の問題がある。このままでは本当にまずい、と心から憂える。

2011年3月11日から6年目に入った。この復興政策で本当に現地の再建はなしうるのかと、メディアは問題にする。だがもうすでに5年が経過しているのだ。もはや本当の意味での復興はできないというべきだ。

この復興政策は失敗だ

そこからスタートすべきである。その認識の上で、根本から政策のあり方を見直して、今からでもよい、可能な復興のあり方を再構築し直し、また今後こうした失敗が二度と起きないよう、何がこうした事態を引き起こしたのか、十分な検証が行われることを望む。

そしてそれはやはり選挙がどういう形で行われるか、その結果、政治の布陣がどうかわるかに大きくかかっている。私たちはなかなか変わられない。しかし選挙はそれを変える重要な機会なのである。どんな立場の人であれ、この国の政策形成過程に問題を感じ、それを正すような抜本的な改革に取り組む人にこの国の主権を委ねるようでありたい。それは国民にも相応の負担をもとめるものであるはずだ。

優しいことを言い、依存を助長する人こそ疑うべきだ
。むしろ私たちの政治に向き合う姿勢の危うさに厳しく釘をさす人こそが、実は国民の本当の声に応える人なのである。


山下祐介(やました・ゆうすけ)
首都大学東京准教授。1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現職。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。著書に『限界集落の真実』『東北発の震災論』『地方消滅の罠』(ともにちくま新書)。共著に『人間なき復興』『「辺境」からはじまる』『原発避難論』(ともに明石書店)ほか。







・ 世界で日本の食品を輸入禁止・輸入規制をしている国

2016-10-03 02:31:00 | 原発事故


福島原発の事故で多くの方が避難している中、日本政府は何事もなかったかのように危険な地域に住民を戻そうとしています。また、多くの子供たちが危険な状態にさらされているのに、病院での検査も十分に行おうとしていません。また、内部被ばくが問題となる食べ物も、基準値を高く設定しておいて、その基準以下なので問題はないと誤魔化している。この基準も緊急事態での基準あって、何年も続くの緊急事態ではない・・・・・

それほど安全ならば、なぜ世界各国や地域は、日本の食材の輸入禁止や輸入制限をしているのでしょう。日本の食材を禁止してる国・地域はアメリカ・ソビエト・中国をはじめとして9つある。輸入規制は世界中でほとんど・・・これに対して日本政府はどう対応しているかですね。本当に安全ならば、世界中の国に説明をし解除を求めるべきだろうし、そうではなく危険であるなら、日本国民に明確に説明すべきでしょう。そして、その地域の住民の健康と将来の生活設計をきちんと立てるべきですね。もっとも、自民党や官僚をはじめ民進党(元民主党)も国民の「健康の安全」や「将来に対する安心」には全く興味はなく、自らの利権以外はほとんど無視・・・・・



禁止または規制








・ <もう住めないよ!>首都圏で線量が除染基準の10倍近い街も・・・

2016-04-02 00:42:19 | 原発事故


福島の原発事故から5年が過ぎるが、放射能汚染の地域は無くなる様子はない。それどころか、300キロ以上離れている東京地域で、ホットスポットが発見された。以前のブログ「知らぜざる海洋汚染」にも書いてあることが起きている。無責任な自民党の政治屋や官僚などは、全く責任を取る様子はない。それどころか、「食べて応援」とか汚染された食材を九州などで加工して加工地名を付けて販売させている。内部被ばくは20年30年と被害が表面化するのは先の事ではあるが、全く国民の健康など見向きもしない。さらに原発再稼働と利権の事しか頭にない連中だ・・・・全国で裁判をどんどん起こし、犯罪者は塀の中にぶち込まなければ・・・・・
以下、「週プレNEWS」さんより転載します。




<もう住めないよ!>首都圏で線量が除染基準の10倍近い街も・・・ 福島より放射能汚染が深刻なホットスポット判明<週プレNEWS 2016.03.25>
Release Date:2016年03月25日

本誌では、原発事故から5年が経つ首都圏の放射能による土壌汚染を独自測定した。
前編記事(「福島より放射能汚染が深刻な首都圏のホットスポットが判明!」)では、利根川水系の牛久沼(栃木県)、印旛沼、手賀沼(千葉県)が放射線管理区域を超える水準で汚染されていたことをリポートした。
今回の後編では都内やその近郊の川や公園、住宅街の放射能汚染の実態に迫る!


都内やその近郊の川や公園を測定すると、ここでも高い放射能汚染が確認された。
まず、取手市の住宅街にあるドブの堆積物をさらってみた。このドブはメタンガスらしき気泡が浮き、異臭を発する場所だ。腐った葉っぱなども混じる泥を測定すると、そこから2402Bq/㎏以上。放射線管理区域基準の3.9倍。以下同)という高い値が検出された。周辺の空間線量は毎時0・23μSvを下回っていたが、住宅街のドブという生活空間に放射線管理区域の4倍近い汚染物があるということだ。

生活空間といえば、水元公園(葛飾区)や柏の葉公園(柏市)の池の泥も高濃度に汚染されていた。子供が遊ぶ近くの池の泥を測定すると、水元公園では2766Bq/㎏(同4.5倍)、柏の葉公園からは5477Bq/㎏(同8.9倍)という高い数値が検出された。ともに放射線管理区域をはるかに超える基準だ。

水元公園は11年5月に都が空間線量を測定したところ、毎時1μSvを超える場所が見つかり、除染をした公園。そこで今回、公園の土も測定すると、池の泥よりさらに高い6402Bq/㎏もの数値が出た(同10・4倍)。

これを平方メートル当たりのセシウム量に換算すると、38万Bq/㎡を超えてしまう(同9.5倍)。この値は、避難指示区域に指定されている福島県南相馬市の小高区で昨年12月に測定した土壌汚染に匹敵する。まだ汚染は続いていたのだ。

それにしても、なぜ水元公園だけこんなに高いのか。千葉県や都内の公園の土を測定した中でも飛び抜けた数値だ。長崎大学大学院工学研究科の小川進教授は「緑地率が高く、アスファルトが少ないと汚染が進みやすい」と話す。

東京の土壌汚染



「落葉樹の葉に放射性物質が付着し、枯れ葉が土に落ちることで土に染み込みます。そこで濃縮作用が働くから必然的に汚染度が高くなるのです。それに窪地状の公園なら水の流れが公園内に集まってくるため汚染が進みやすい。水元公園はこうした条件を兼ね備えているのでしょう」

そして今回、最大の放射能汚染が見つかったのは、松戸市の住宅街にある側溝。線量計を当てると、毎時2・16μSvという高い値を示した。国の除染基準は毎時0・23μSvだから、その10倍近い。さらに土の放射能を測定すると、3万4548Bq/㎏(放射線管理区域基準56・2倍)を示し、平方メートル換算では176万Bq/㎡(同44倍)という極めて高い放射能が確認された。

キログラム当たり8000Bqを超えると指定廃棄物扱いとなり、一般のゴミと一緒には捨てられない。そんな土が首都圏の民家が立ち並ぶ一角に存在するのだ。今回の調査では23ヵ所で25検体を測定したところ、10ヵ所で放射線管理区域の基準を超えていた。これだけ汚されていることを考えれば、空間線量が下がったからといって、放射能汚染が終わったと思うのは間違いだ。

身の回りが放射能汚染されていることで心配されるのは健康への影響だ。確かに今の汚染レベルは急性被曝(ひばく)症状を示す値でない。しかし、心配なのは長期的な影響だ。

「低線量被曝の影響はジョン・ゴフマン、ジェイ・クルード、グロイブ・スターングラスといった研究者たちが指摘しています。具体的には、IQの低下精神障害の増加流産奇形児などです。福島や汚染された首都圏でも30年から40年後に被曝影響が出るのではないでしょうか」

さらに小川氏は、被曝量が少ないから健康への危険性はないと話す専門家にも警鐘を鳴らす。
「原発から飛散した2千種類以上の核種の中にはガンマ線やベータ線だけではなく、細胞に対する強力な破壊力を持ったアルファ線も含まれています。それを考慮せず、レントゲンで使われるエックス線被曝と同じレベルで語ることが間違いなのです」

今、原発事故に対する国の安全キャンペーンが大々的に進み、健康被害は起きないとの前提で物事が進んでいる。福島で166人も甲状腺がんかその疑いがあると判定されているのに、だ。

首都圏は川や湖沼の底質の汚染はともかく、住宅街や公園は土を入れ替えるなどの対策をとれば、放射性物質がたまるのはある程度は防げる。自衛のために今一度、自分たちで放射能汚染度を調べて、地元自治体を動かすべきだ。

(取材・文/桐島瞬、撮影/有賀訓)
出典:首都圏で線量が除染基準の10倍近い街も…福島より放射能汚染が深刻なホットスポットが判明! (週プレNEWS) - Yahoo!ニュース

・ 電力企業のデタラメ

2016-03-21 01:14:32 | 原発事故


再稼働した高浜原発を大津裁判所が「運転差し止め」の仮処分を決定した。それに対し関西電力は不服申し立てをし、もし勝訴すれば「原発停止に伴う損害請求」が考えられると発言している。

電力企業は、原発による事故が起きても「その損害賠償は国税を使う」ことになっており、原発を止めていても「その費用は電気料金に上乗せ」できる仕組みになっているし、今回のように「原発停止」を法的に決定されても、その損害は電気料に上乗せさせることができる・・・・・

何をやっても、電力会社は損失を出すことは無く、名目はいろいろであるが「電気料金」や「国民の税金」から回収することができる仕組みである。これほど好き放題にできるシステムを構築したのは、天下り先を確保したい官僚であり政治献金や票田を確保したい自民党・・・・・法律を作り、名目をこじつけ、自分たちは犯罪者として捕まらないように動き回る・・・・ こんな奴らを塀の中に入れれる体制を作らねば!

共同通信より転載します。




原発、逆転勝訴なら賠償請求も
高浜停止で関電社長
2016/3/18 20:08

 会長を務める電気事業連合会の定例記者会見で、発言する関西電力の八木誠社長=18日午後、東京・大手町
 関西電力の八木誠社長は18日、大津地裁による運転差し止め仮処分決定で停止している高浜原発3、4号機(福井県)に関し、不服申し立てを経て上級審で勝訴するなどし最終的に確定した場合の対応として「一般的に(原発停止に伴う)損害賠償請求は、逆転勝訴すれば考えられる」と述べた。ただ「会社として現時点ではまだ何も決めていない」とした。

 今後、賠償請求の動きが現実味を帯びれば、原発に反対する地元や周辺の住民へのけん制にもつながるため、議論を呼びそうだ。

 会長を務める電気事業連合会の定例記者会見で語った。

・ 東電幹部を業務上過失致死傷の疑いで起訴へ!

2016-02-13 01:03:07 | 原発事故


福島第一原発事故から5年になりますが、やっと東電本社の役員3人を刑事訴訟に引きずり出すことができるようです。あれだけの事故を起こしておいて、誰一人責任を負うものがいない・・・・当時の役員は全員退職し別企業の役員におさまり高い年俸を受けながら、実態は家族を連れて全員海外に移住している。そして東電の賠償金のほとんどは国の税金で処理・・・・・こんなバカな仕組みを作り、誰一人犯罪者にならないのは許せないでしょう。東電の役員を塀の中に入れた後は、官僚と政治家も塀の中に入れて責任を取らすべきですね。
Business Journal さんより転載します。



2016.02.12
東電幹部を業務上過失致死傷の疑いで起訴へ!原発、大津波事故を予見しつつ対策先送り
文=小石勝朗/ジャーナリスト

東京電力本社


 福島第一原子力発電所で未曽有の事故を起こした東京電力の幹部に対して、刑事責任を問うことができないか。福島県の原発事故被災者らが検察に告訴・告発したのをきっかけに、勝俣恒久・元会長ら3人の東電元幹部が強制起訴されることが決まったのは昨年7月だった。

 検察官役を務める5人の指定弁護士は、東日本大震災から5年となる今年の3月11日をメドに3人を起訴する見通しだ。そこから始まる長い刑事裁判を後押ししようと、弁護士や文化人、市民運動家らが呼びかけた「福島原発刑事訴訟支援団」が1月30日に発足した。
 
 これまでの経緯をおさらいしておく。2012年6月、原発事故被災者らでつくる「福島原発告訴団」が東電幹部らを業務上過失致死傷罪などで検察に告訴・告発する。しかし、検察は翌年9月に全員を不起訴とした。これを不服とした告訴団の申し立てを受けた検察審査会は14年7月、3人について「起訴相当」と議決。再捜査した検察は翌年1月に再び不起訴としたが、再度の申し立てを受けた検察審査会が3人に2度目の「起訴相当」の議決をしたため強制起訴となることが決まった。

 起訴されるのは、勝俣元会長と、武藤栄・元副社長(原子力・立地本部長)、武黒一郎・元副社長(同)の3人。罪名は業務上過失致死傷だ。検察審査会の議決は、3人が福島第一原発を大きく超える津波が襲来して重大事故が発生する可能性のあることを予見できたのに、必要な安全対策を取ることなく運転を続けたため、大震災による津波で炉心損傷などの事故を起こし、避難を強いられた近くの双葉病院の入院患者44人の病状を悪化させて死亡させるなどした、と認定した。

 発足した刑事訴訟支援団は、この事件に対して「公正な裁判が行われ、真実が明らかになり、問われるべき罪がきちんと追及されるよう働きかけること」を目的に掲げている。福島の原発事故には「人災」との指摘があるにもかかわらず、これまで刑事責任が問われてこなかったためだ。


事故対策を先送り
 活動としては、公判の傍聴・記録と社会への発信、証拠の収集・分析などを想定している。賛同する法律家やジャーナリストらのネットワークを形成したり各地で集会を開催したりして、息長く世論の関心を喚起していく方針だ。年会費1口1000円以上の個人会員も募集している。

支援団の団長には、福島原発告訴団の中心メンバーだった佐藤和良・元福島県いわき市議が就いた。佐藤氏は東京都内で開いた発足集会で「原発事故は想定外でも天災でもなかった。刑事裁判を通じて民事訴訟では出てこない証拠を開示させ、事故原因を究明し、責任を明確にしたい。原発再稼働の路線にストップをかけ、事故の再発防止にもつなげたい」と力を込めた。

 発足集会では、原発告訴団や、東電の現・元取締役を相手取った株主代表訴訟で代理人を務める海渡雄一弁護士が講演。これまでに把握した「事故前の東電の対応」として以下の内容を解説した。
・08年3月:福島第一原発を15.7メートルの津波が襲う可能性があるとの試算を社内でまとめる
・同6月:担当部署が武藤氏に対し、上記試算結果とともに、原子炉建屋を津波から守るには海面から10メートルの地盤に高さ10メートルの防潮堤を築く必要があると説明。武藤氏は対策の検討を指示
・同7月:対策を先送りすることに方針転換
 
 刑事裁判ではこうした点も含めて、東電の幹部が大津波による事故の発生を予見できたか、また、対策を取っていれば被害を回避できる可能性があったかが争点になりそうだ。初公判は今年の夏以降になる見通しという。



10年がかりの裁判
 検察官役を務める5人の指定弁護士のうち、石田省三郎氏と神山啓史氏は「東電女性社員殺害事件」で再審無罪を獲得しており、山内久光氏は2度目の「起訴相当」議決をした検察審査会で審査補助員(アドバイザー)だった。強制起訴による刑事裁判では小沢一郎氏のように無罪となるケースも多く、支援団に加わる弁護士からは「有罪にするのは強制起訴より大変だ」との状況分析が聞かれるが、海渡氏は「最高の布陣」と期待を込めた。

 海渡氏によると、この裁判における被害者となる双葉病院の入院患者の遺族から支援団の弁護士が委託を受け、被害者参加制度を利用して法廷で意見を述べたり被告に質問したりすることができないかも検討しているという。
 審理が最高裁まで続くのが確実で、10年がかりになるともみられる刑事裁判。支援団の発足集会には400人以上(主催者発表)が参加したが、「脱原発」一色で、年配の人の姿が目立った。広く社会の関心を集めるには、脱原発にとどまらない多様な立場からのアプローチと、より若い層への働きかけが不可欠だろう。
(文=小石勝朗/ジャーナリスト)







・ 日本の原子力規制の欠陥が露呈

2016-02-02 00:27:42 | 原発事故


川内原発に続き高浜原発も強引に再稼働させようとするアベシ政府・・・・・アベシも自民党もMoxと一緒に燃やしてしまわなければ! 川内原発では「火山灰」の問題や「避難計画」の問題など無視したまま、再稼働しましたが、今回の高浜原発でも問題を残したまま再稼働しています。国民の生命・財産より自民党・官僚・経済界の利権を優先して、何が何でも押し通すようです。

グリーンピースさんより転載します。





2016/01/29
日本の原子力規制の欠陥が露呈ーーケーブル分離、MOX燃料使用など問題山積みのまま高浜原発再稼働へ

国際環境NGOグリーンピースは本日、関西電力高浜原発3号機(福井県)が再稼働される予定であることを受けて、原子力規制庁は東京電力柏崎刈羽原発などで明らかになったケーブル敷設不正が高浜原発であったかどうかの確認ができていないことを批判しました。
この原子力規制の欠陥は周辺の住民を大きなリスクにさらすことになります。再稼働される高浜原発3号機では、ウラン燃料よりも扱いが難しく事故時の被害も拡大するプルトニウムMOX燃料が使用され、これは新規制基準下では初めてとなります。

グリーンピース・ジャパンのグローバル・シニア・エネルギー担当のケンドラ・ウルリッチは「ケーブル敷設不正という、最悪の場合メルトダウンにつながるような重要な火災防護措置違反の可能性を残したまま再稼働を許すのは無責任です。また、今回使用されるプルトニウムMOX燃料の品質管理データは公開されていません。以前高浜原発で使用される予定だったMOX燃料の品質管理データが捏造されていたにも関わらず、原子力規制機関として製造者にデータを要求しないのは、規制の緩さを露呈しているだけでなく、いまだ原子力産業側の虜のままであることを示しています。この賭けで犠牲になるのは日本の住民です」と批判しました。

1月21日、原子力規制庁は市民団体との質疑応答の場で、安全上重要なケーブルと一般のケーブルをきちんと分離して敷設しているかどうかについては、抜き打ち的な検査しかしていないことを明らかにしました(注1)。つまり、分離すべき全ての部分についての確認ができていません。もし、安全上重要なケーブルと一般のケーブルがきちんと分離されていなければ、火災の際に延焼し、原子炉冷却に必要となるケーブルが使えなくなることもありえます。米国の原子力規制委員会はこのリスクを重大なものとらえ、ケーブル火災からメルトダウンに至るリスクは、他の全ての潜在的な要因を合わせたリスクとほぼ等しい、と推定しています(注2)。

高浜原発3、4号機の潜在的なリスクに加え、原子力規制委員会はMOX燃料について東京電力福島第一原発事故以後に詳細な評価をしていません。MOX燃料については、事故以前の、原子力安全・保安院による評価に依拠しています。また、今回使用されるMOX燃料を製造したアレバ社は、MOX燃料集合体の製造を含み、品質管理の面において問題を起こしてきました。2010年、アレバ社が品質管理上の要求を満たすことができないと理由で、原子燃料工業(NFI)に基準を下げさせるといった事態にも至っています。

グリーンピース・ドイツの核問題シニアペシャリストのショーン・バーニーは「致命的な安全上の問題が関西電力と原子力規制委員会によって無視されています。福島第一原発事故から5年になろうとするのに、日本の原子力規制は緊急事態に安全上重要なケーブルがきちんと機能するか否か、また、プルトニウムMOX燃料の品質についての確認ができていません。40機もの原発が動いておらず、そのうちの多くはおそらく二度と稼働させることはできないという原子力産業にとっての危機は続いています。2011年に54機あった原発のうち、3機しか稼働していない。それは、日本がもう原子力には戻れないということです。やがて日本政府も世論に追いつき、自然エネルギーにしか未来はないのだと気がつくでしょう」と話しました。