1999年4月14日、山口県光市の本村弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(11か月)が殺害された。
奥様は、首を締められて殺害。娘は頭から床にたたきつけられるなどし、首にひもを巻きつけて殺害。さらに、奥さんには絞殺後、乱暴された跡があるとのことです。
最終判決(死刑確定)が出た後、夫である本村洋さんは次のように言っていました。
「20歳に満たない少年が人を殺めてしまった時に、もう一度社会でやり直しチャンスを与えてあげることが社会正義なのか、命を持って罪の償いをさせることが社会正義なのか、どちらが正しいことなのかとても悩みました。明日、福岡のお墓に行って、今日の判決の事をゆっくり報告しようと思っています。」
13年という長い期間一人で裁判と戦い、やっと最終結論が出た人の言葉です。当時23歳の時に最愛の妻と子供を、何の理由もなく殺された人にとってなんと苦しい時を過ごしてきたことでしょう。殺された弥生さん本人にとっても、どれほどまでに恐怖を覚え、何としても子供を助けたいと思ったことでしょうか。
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一審の山口地裁での判決は、無期懲役。
殺害行為に計画性がなく18歳でない面が未熟であり今後更正できる可能性もある。
これを見ていた本村洋さんは、
「私はあの2時間彼に対する殺意を理性で抑えるのに精いっぱいでした。」
「最後の最後まで司法に裏切られました。遺族も回復しないといけないんです・・・被害から。人を恨む憎むそういう気持ちを乗り越えてまた、優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしないといけないんです。」と言っています。(2000年3月22日)
一方、加害者の大月被告は拘置所で知り合った知人に送った手紙には次のように書いています。
「ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょーしづいてるとボクもね。思うとりました。・・・・
無期もほぼ決まりで、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出すのだが・・・・・」
被害者の遺族は、とても苦しい思いを耐えて生き続けなばならないのに、加害者の方は、法律の抜け穴を知っていて、ここしばらくおとなしくしていれば、7年くらいで普通の社会に戻れることを知っている。腹の中では被害者も、遺族も裁判所も何もかも馬鹿にして笑っているんですね・・・・・・・何のための法律なんですかね?・・・・・表面的には更正が大切だとして犯人を大事にし、殺された被害者やとんでもない苦しみと戦っていかねばならない遺族の事は、ほったらかし・・・・・・こんな法律なら、いらないだろう・・・・
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2002年3月2審の広島高裁でも、犯行の内容については全く争われず、再び無期懲役。
残酷な犯行を認めながらも、被告の更生の可能性を考慮し死刑を回避。
「犯行当時18歳と30日の少年であり、内面の未熟さが顕著である、矯正教育により改悛更正の可能性が無いとは言い難い。」
これに対し、本村洋さんは言っています。
「なぜ、加害者ばかりが優先されるのでしょうか?」と・・・・
一審、二審とも、犯罪の残虐性を問題とはせず、「18歳になったばかりで、被告の更正」が最優先された・・・・
こんなバカなことがあるか・・・・被告を死刑にしても、遺族は苦しみ・悲しみ・そして長い期間耐えて生きていかねばならないのに、それを全く問題にしない司法の判断は異常ですね。判断基準が狂っている。たとえ18歳未満でも、遺族は納得できるものか・・・
罪を犯した者は、必ずその報いを受けるべきである。それは被害者の苦しみ以上の報いを受けるべきだ・・・・・当然の事と思う。「何ら落ち度のない被害者」と「殺人を犯した犯人」とを天秤にかけてみて、犯人を被害者と同じ状態にしたとしてもその刑罰は軽すぎると思いませんか? たとえば、犯人が他人の腕を1本切り落としたとしたら、その犯人の罰は最低でも腕1本切り落とされて同じレベルで、罰を犯した部分に対する処罰はありません。よってそれ以上の罰を受けて当たり前でしょう・・・・
それを受けずして、更正とはおかしいだろう・・・・・
よく、18歳未満だからとか、正常な判断が出来なかったからとか言っているが、殺された本人や、残された遺族にとっては、そんなこと全く関係ないだろう。特に遺族は、その理不尽さを黙って受け止め、生きねばならない。いつ癒えるかわからず、将来に対する夢も希望もすべて無くし、立ち直れるかさえも分からない・・・・・
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2006年6月 最高裁 2時判決を破棄
18歳になって間もないないという年齢は、死刑を回避するという決定的な事項にはならない。
2008年4月 広島高裁 死刑
嘘の弁解をしたことで、死刑回避を見出すすべもなくなった。
2002年2月 最高裁 上告棄却 死刑確定
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今回の事件に関して、本村洋さんが戦い続けた結果、被害者のためのいくつかの法律が作られました。
お見事ですね。本当に素晴らしい人ですね。23歳の若さで13年間耐え続け、法律を変えた・・・・・
2000年5月 「犯罪被害者保護法が成立」
法廷での意見陳述、傍聴席の優先確保が認められる・・・今まで遺族は、ただ黙って聞くだけ????
2004年12月 「犯罪被害者等基本法が成立」
相談や情報提供、経済支援
2008年12月 「被害者参加制度 スタート」
被害者遺族が被告に直接質問したり独自の量刑意見を述べる権利が認められる
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また、今回の裁判は13年間の長い期間を要しました。最初の1審2審とも、犯罪ではなく「年齢」と「更正」が全てに優先されましたが、上告した最高裁で、「18歳になって間もないないという年齢は、死刑を回避するという決定的な事項にはならない」と2審の判決を破棄したことがきっかけとなり、その後の判決基準は犯罪そのものに切り替わったという事です。
過去の判決基準は、永山基準と言うのがあって、その判決をすべての基準にしていました。
内容は下記のとおりです。
永山基準
1:反抗の罪質
2:動機
3:態様(殺害の手段方法執拗性残虐性)
4:結果の重大性
5:遺族の被害感情
6:社会的影響
7:犯行時の年齢
8:前科
9:犯行後の情状
永山基準では、よほどのことが無い限り死刑判決は無く、最高でも無期懲役としていました。(無期懲役は7年ほどで社会復帰する。)
上記のすべての基準を超えない限り死刑にはならないのなら、犯人は萎れたふりをし遺族に反省文を送り、法廷で涙を流せば「9:犯行後の情状」が適用され、死刑は回避です・・・・・??????? 人を殺すような人間が、他人を騙して反省のふりをすることなど簡単でしょう・・・・
今回の判決で、それが少し変わリ始めているようです。
殺人が行われると、その処罰は死刑になり、例外的に無期懲役がある・・・と言うように、永山基準と逆になり始めた模様です。(永山基準は、殺人でも死刑はなく無期懲役とし、例外的に死刑があるものでした。)
これは、本村洋さんの悲しみを乗り越えて戦う姿が、多くの世論を動かし、法律を改定し、判断基準を変えてきたものです。
本当に、素晴らしい人ですね。・・・・・判決を奥様の墓前で報告するそうですが、その後一日も早く、立ち直れることを祈りたいと思います・・・・・・・・。
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