祐さんの散歩路 Ⅱ

日々の目についたことを、気ままに書いています。散歩路に咲く木々や花などの写真もフォトチャンネルに載せました。

・ ハイブリッドカーの危険性

2016-12-09 02:36:10 | 雑感


自動車産業は、何かと税金をつぎ込んで、国民が車を買いたくなるように仕組まれていますね。そのくせ、トヨタなどはあれだけ利益を上げておきながら、法人税を5年間も払っていない・・・・とんでもない数の特例を設けて払わなくて済むように自公政権が根回ししている。国民からの税金を投入しておきながら、法人税を支払わないだけではなく、ハイブリッドカーによる電磁波の悪影響も無視のようです。トヨタのプリウスのデーターを調べた方がいました。これを見ると子供は乗せられないですね。

奴隷小児科医の刹那主義から転載します。



2010-02-23 17:49:03
「ハイブリッドカー・プリウスの電磁波」


『 まずは単位の確認から。

  Hz(ヘルツ)というのは、周波数と言って1秒間に作られる波の数である。
  mG(ミリガウス)、G(ガウス)というのは、磁束の単位面積あたりの密度である。 
  

  初代のプリウスの電磁波を測定したところ、始動後、低周波が2.2~8.5mGで、
  66~355Hz前後に常時変調していた。

  2009年に発表されたトヨタの3代目新型プリウスはどうだろうか。
  ドライブモードでスタートする。ここで低周波が2.0mG前後に上昇する。
  スピードをあげていくにつれて低周波は上昇していき、一時に2.9~5.1mGとなるがさらに
  上昇し、安定走行に入ると、10.5~12.2mGまでになった。
  停止中でも低周波は11.0~12.6mGという高い値で安定していた。

  
  それに対して、ガソリン車の電磁波はどうなのだろうか。
  あるレクサス車では5.1~7.3mGで、177~180Hz前後に変調していた。
  フォルクスワーゲンゴルフでは1.8~2.4mGで、166~230Hz前後の変調であった。

  日常の使用している携帯から出ている電磁波はどうなのだろうか?

  これらはマイクロ波と言われるもので波長が短く、周波数が高いものである。
  波長が1mm程度で、周波数は800MHz(メガヘルツ)から1.5GHz(ギガヘルツ)。
  ちなみにメガヘルツというのは、1000000~ヘルツ。
  ギガヘルツというのは、1000000000~ヘルツ。

  人体に影響を与える言われている電磁波は、この周波数が低いもの、つまり50~100ヘルツ
  程度の超低周波
と言われるものである。
  つまり高周波の携帯電話の人体に対する影響はそれほど高くないということらしい。
  では、人体への影響が高い低周波を発するものには、何があるのだろうか。
  
  まず思い浮かぶのが、高圧送電線や変電所。

  これらは、50~60Hzの電磁波を発生し、人体に影響を与える可能性が高いことは御周知の
  とおり。高圧送電線の直下で測定した電磁波の強さは、6.1mG
  安全基準である2mG以下まで距離を取ろうと思えば、高圧電線から50~60m離れる必要が
  あるというデータもある。
  
  あとは電子レンジなどの家電製品であるが、2mくらい離れれば人体に安全と言われている基準の
  2mG以下になるということらしい。

  先ほども書いたが、電気自動車プリウスが発生する電磁波の周波数は60~355Hzの低周波
  電磁波の強さは、安定走行や停止時でも10~12mG。高圧送電線の2倍の強さ。
  
  これらの数字をうのみにすれば、プリウスを運転している時というのは、高圧送電線を足元に
  引いて、2倍ほど強い電磁波を浴び続けているようなものであることが分かる。

  

  別のデータを提示します。

  「 1992年、スウェーデンのカロリンスカ研究所のアルボム博士らが、政府機関や電力会社
    の協力を得て行った疫学調査を発表。
    1960年から85年までの病気登録をもとに、スウェーデンの送電線がある所から325
    メートル以内
に自分の住む土地があり、そこに1年以上住んだことのある子どもを対象に調査
    が行なわれた。そこで電磁波の調査も行ない、過去のデータは推定値で被曝量が求められた。
    その結果は3ミリガウス以上の被曝で小児白血病が3.8倍、2ミリガウス以上で2.7倍に
    なるというものであった。 」

  
  どういうことか、分かりますか。
  あくまで事実ではなく可能性の話ですが、子供をプリウスに乗せ続けることによって白血病になる
  リスクが上がる可能性が示唆されているのです。
  また話によれば、子供をプリウスに乗せるとよく車酔いをするということもあるようです。

  大都会などプリウス過密地域では、大量の電磁波を多くの子供が浴びている可能性が高いのです。
  また、大人でも同様です。
  高圧電線から50~60mは離れないと安全域ではなのですから。
  プリウスの電磁波はその2倍の強さであり、街中にはうじゃうじゃしているわけです。 


  これがトヨタの意図する究極のエコだとすれば、恐ろしい話ですが・・
  こういう電磁波が車内に入ってこないように、もしくは車外に漏れないように遮断すればよいの
  ですが、それには非常にコストがかかってしまうそうです。
  それだけのコストを車の見えない部分にお金をかける会社なのかどうかは、みなさま自身で判断
  してもらうしかありません。

  
  私自身、電磁波=悪と決めつけているわけではありませんし、電磁波の危険性を納得の上で
  プリウスに乗るのは構わないと思っています。

  ただ、これだけ世の中にプリウスをばら撒いておいて、知らず知らずのうちに大都会の子供
  (大都会だけとは限りませんが)が大量の電磁波を浴び、小児白血病の罹患率を上げている
  可能性がある限り、しかるべき対応を国家として取るべきではないでしょうか。


  毎年、小児の白血病の発症率の統計が発表されています。

 
  「エコカー減税」と言わされている子供が、同世代の子供の命を結果的に危ぶむことになるという
  ような皮肉なことにならないことを祈ります・・・    』

・ <貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解

2016-09-04 01:44:15 | 雑感


ものの考え方の違いについてニュースが出ていました。NHKニュースに取り上げられた少女を見て、貧困であるのか、あるいは貧困でないのかを騒いでいるようです。これなどは社会保障制度の問題につながるのでしょうけれど、現実の日本では、その本質的な事を突き詰めずに、政治屋と官僚の都合の良い制度になっています。「生活保護の世帯の収入」と「40年間真面目に国民年金を収めてきた人の収入」の差に異常な驚きをもちます。この40年間真面目に国民年金を収めてきた人たちに対する、政府(基本的に自民党)や官僚の扱いのひどさは目に余りますね。

以下、Yahooニュースより転載します。



<貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解
毎日新聞 9月3日(土)9時0分配信

 貧困について語り、NHKニュースで取り上げられた女子高生に対するバッシングが止まりません。そこには「貧困」の基準を巡る大きな誤解があります。人々の貧困への視線を読み解きます。【NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典】

 ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には今も「貧困をたたいてるんじゃない、貧困のふりをしてることをたたいているんだ!」「映画やランチを楽しんでいるのに貧困? 支援? ふざけるな」「NHKは捏造(ねつぞう)をやめろ」といった声があふれています。

 18日放送のニュースで女子生徒は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かしました。

 アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えました。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが攻撃されました。

 女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。ある国会議員もその論調に乗ったツイートをしました。ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。

 つまり、「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。


 ◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか

 「貧困」の言葉から何を想像するかは人それぞれですが、多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。

 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を「絶対的貧困」と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。

 貧困について、特に欧州では、19世紀半ばから議論が始まりました。絶対的貧困は社会が対応しなければいけないという認識が広がり、20世紀に入ると、社会保障で貧困をなくす動きにつながりました。その意味では、先進諸国では絶対的貧困は解決された、とも言われています。

 1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが「相対的剥奪」(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。「最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか」と問題提起をしたのです。これが「相対的貧困」という概念です。

 タウンゼントはいくつかの「剥奪指標」を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。

 冷蔵庫を持っているか、ホームパーティーを開いているか、という項目もありました。国によって違いますが、通常の人が享受しているこれらの指標がもし剥奪され、その社会の人間が考える「普通の暮らし」ができていなければ、その人は「相対的に貧困である」と考えられます。

 社会生活から剥奪されたものをとらえ、先進国の貧困、普通の暮らしを定義しようとしたわけです。そして、国民の半数から60~70%ほどが実現している指標が欠けている場合、何らかの支援、所得補償が必要と判断されます。

 この概念は「貧困を再発見した」と言われました。欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。



 ◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ

 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。

 「貧乏人は貧乏人らしく」という目線は、貧者を「劣った者」と見なし、隔離した16世紀英国の貧者隔離思想に近いものです。

 昔の英国社会では貧困は罪でした。本人が怠惰で、なまけていて、努力する意思もないから貧しくなったのだと見なされました。貧困の「個人原因説」です。貧困者はムチで打ってでも働かせるべきだと考えられ、懲役にも近い形の収容所に送り込まれていたのです。

 日本の憲法第25条は、相対的貧困の考え方を先取りする形で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたっています。にもかかわらず、日本ではいまだに貧困バッシングが続いています。2012年の生活保護バッシングも同じ構図です。

 誰もが何かのきっかけで、ある日貧困に陥るかもしれません。そのとき貧困バッシングは自分に向かってくるかもしれないのです。

・ 日本語と漢字を廃止した某国 文献を読めないのは悲劇か喜劇か

2015-09-02 01:21:12 | 雑感


自国の言葉で大学まで行き勉強できる国は、かなり限定される。それは世界で通用する高度な学術書を表現する言葉が無いからである。日本語はその数少ない貴重な言葉であるため、英語を習わずとも高いレベルの知識を習得できる。また漢字の表現力は高く、文字を見るだけで意味することが分かる。これはアルファベットでは表現のしようがない特徴である。
以下ZAKUZAKUより転載します。



日本語と漢字を廃止した某国 文献を読めないのは悲劇か喜劇か K・ギルバート氏
2015.03.25
福沢諭吉

福沢諭吉は「freedom」に相当する言葉として「自由」を創作した


【ケントギルバート】
 私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。 しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。

 日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。

 ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。

 従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。

 世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。

 確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。

 例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。

 もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。

 ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。


 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。






・ 現代の矛盾を表した米国コメディアンの言葉が心に刺さる

2015-08-29 01:50:21 | 雑感


世の中がどんどん変化している時、ふと、これでいいのだろうかと思うときがある。一見前進しているように見えながら、その実態は失って行くものが多すぎる。facebookの中に素晴らしい言葉がありました。
facebookの兼井 浩さんより転載します。




現代の矛盾を表した米国コメディアンの言葉が心に刺さる



現代の矛盾を表した「ジョージ・カーリン」の言葉

放送禁止用語を多用して、政治や社会を痛烈に批判する笑いで人気を博したアメリカのコメディアン、ジョージ・カーリン氏。
最愛の奥さんを亡くした際に、彼がボブ・ムーアヘッド牧師の説教を引用して友人に送ったとされるメールがあります。
人生において本当に大切なものは何かを、気付かせてくれる言葉...。

***

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり

高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり

お金を使ってはいるが 
得る物は少なく

たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり

より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく

知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている

薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく

猛スピードで運転し 
すぐ怒り

夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない

長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず

情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく

利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく

たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え

家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて
あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを
愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない
どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

-- ジョージ・カーリン

***

The paradox of our time in history is that we have
taller buildings but shorter tempers, wider
freeways, but narrower viewpoints. We spend more, but have less,
we buy more, but enjoy less. We have bigger houses and
smaller families, more conveniences, but less time.
We have more degrees but less sense, more knowledge,
but less judgment,
more experts, yet more problems, more medicine,
but less wellness.
We drink too much, smoke too much, spend too recklessly,
laugh too little, drive too fast, get too angry, stay up too late,
get up too tired, watch TV too much, and pray too seldom.
We have multiplied our possessions, but reduced our
values. We talk too much, love too seldom,
and hate too often.
We’ve learned how to make a living, but not a life.
We’ve added years to life not life to years. We’ve
been all the way to the moon and back, but have
trouble crossing the street to meet a new neighbor.
We conquered outer space but not inner space.
We’ve done larger things, but not better things.
We’ve cleaned up the air, but polluted the soul.
We’ve conquered the atom, but not our prejudice.
We write more, but learn less. We plan more,
but accomplish less. We’ve learned to rush, but not to wait.
We build more computers to hold more information,
to produce more copies than ever,
but we communicate less and less.
These are the times of fast foods and slow digestion,
big men and small character, steep profits
and shallow relationships.
These are the days of two incomes but more divorce,
fancier houses, but broken homes.
These are days of quick trips, disposable diapers,
throwaway morality, one night stands, overweight bodies,
and pills that do everything from cheer, to quiet, to kill.
It is a time when there is much in the showroom window
and nothing in the stockroom. A time when technology
can bring this letter to you, and a time when you can choose
either to share this insight, or to just hit delete.
Remember, spend some time with your loved ones,
because they are not going to be around forever.
Remember, say a kind word to someone who looks up to
you in awe, because that little person soon
will grow up and leave your side.
Remember, to give a warm hug to the one next to you,
because that is the only treasure you can give
with your heart and it doesn’t cost a cent.
Remember, to say, “I love you” to your partner and your loved ones,
but most of all mean it. A kiss and an embrace will mend hurt
when it comes from deep inside of you.
Remember to hold hands and cherish the moment for
someday that person will not be there again.
Give time to love, give time to speak, and give time
to share the precious thoughts in your mind.
AND ALWAYS REMEMBER:
Life is not measured by the number of breaths we take,
but by the moments that take our breath away.

-- George Carlin

ジョージ・カーリン(George Denis Patrick Carlin、1937年5月12日 - 2008年6月22日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。
放送禁止用語を多用して、アメリカ合衆国の政治や社会を痛烈に批判する笑いで人気を博した。また、子供向けテレビアニメーション『きかんしゃトーマス』の米国版ナレーションを、第1シーズンから第4シーズンまで担当。1990年代に放送されていた『きかんしゃトーマス』の親番組『Shining Time Station』では、リンゴ・スターに次ぐ二代目駅長として出演した。

***

Living is not breathing but doing. 
Jean-Jacques Rousseau

生きるとは呼吸することではない。行動することだ。
-- ジャン=ジャック・ルソー

あなたは、『人生を生きていますか?』

・ NHKのみ映らないアンテナ

2015-07-13 05:09:17 | 雑感


NHKの報道や受信料・会長の発言など多くの問題が出ています。テレビそのものを見ない人が多くいる上に、NHKを見る必要性のない人も多くいます。そのような中で「NHKを受信できない装置」を筑波大の学生が考え出しています。以下、阿修羅さんのブログより転載します。



NHKは今や「安倍政権の宣伝機関」、ならNHK映らぬ装置開発。
筑波大で開発。商品化へ。受信料不払いへの道。

  事実関係A:筑波大学の研究チームが開発した「NHKだけ映らないアンテナ装置」が話題を集めている。4月25日、26日に千葉・幕張メッセで開催された「ニコニコ超会議」では、このアンテナ装置が出展された。 このアンテナ装置は、筑波大学システム情報系研究室の学生たちが卒業制作として考案した。「共振型ノッチフィルター」と呼ばれる電気回路を使っており、NHKの周波数の信号は通さないが、民放の周波数は通す仕組みだという。テレビのアンテナケーブルにフィルタ式の器具を取り付ける。この「NHKカットフィルタ」の実物は、手のひらに乗るくらいの大きさだった。 すでに、茨城県内のベンチャー企業が商品化しており、「関東広域圏向け地上波カットフィルター」として、アマゾンなどで7000円程度の価格で販売されている。ほかにも、NHKのBS放送をカットする製品や、関東以外の地域に対応した製品もあるという。(出典:「「NHKだけ映らないアンテナ装置」はなぜ生まれたか? 筑波大研究室の准教授に聞く」より)
事実関係B NHKだけ映らないアンテナ開発についての当研究室の公式見解(抜粋)



筑波大学システム情報系准教授 掛谷英紀

当研究室で開発したNHKだけ映らないアンテナの装置を開発したきっかけは、NHKの要請でYouTubeに上がった平成25年3月8日の中山成彬議員の国会質問が削除されたことです。同日の衆議院予算委員会で、いわゆる従軍慰安婦問題について、辻元清美議員と中山成彬議員が正反対の立場から質問しました。いずれもYouTubeにアップロードされましたが、NHKは後者のみについて削除要請しました。これは、公共放送として守るべき政治的中立性を著しく欠くと同時に、国民の多様な意見を尊重する民主主義を脅かす行為です。

上記はNHKの公共性を疑わせる最も重大な事案ですが、他にも個々の番組内において、やらせや意図的編集など、公共性を疑わせる事案が数多く発覚しています。こうした事案が続く背景として、NHKに公共性を担保させる仕組みがないことがあります。

NHKは予算については国会の承認が必要なものの、それ以外については国民による監視が一切行われません。

このように、公共性を担保する仕組みが存在しない以上、国民にNHKと契約しない自由は保障されてしかるべきと考えます。放送法64条には「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とあります。そこで、協会の放送を受信できない設備を設置するという選択肢を技術的に実現し、NHKと契約する・しないを選択する自由を国民に提供する目的で本装置を開発しました。

ごく一部に、この装置開発は脱法行為ではないかとの批判があります。当研究室は、むしろ現状こそが違法状態であり、この装置はむしろその違法状態の低減に寄与できると考えています。上述の通り、NHKには放送法4条違反を疑わせる事案が多数発生しています。また、受信料支払率が約7割という現状においては、約3割の国民は放送法64条に違反している疑いがあることになります。その3割の中にはNHKを視聴しながら受信料を払っていない人も多数おり、費用負担に著しい不公平があるのに、それが放置されている現状にあります。NHKのみ受信しないアンテナが提供されれば、「払わない人は見ない」が徹底され、放送法64条違反状態の低減が期待できるとともに、国民の支持を得て契約者数を維持するための自浄作用によりNHKの放送法4条違反も低減すると期待されます。

NHKの現行の受信料制度は、上述の通り多くの問題を孕んでおり、大多数の国民が不満に思っているものの、それを変えるきっかけがありませんでした。このアンテナ開発が、スクランブル放送、民営化、国営化、契約者による理事選挙制度の導入、BPO委員の公選制など、種々の選択肢を想定した上で、国民にとってより公正で有益なNHKのあり方を本格的に議論するきっかけになることを願っております。

・ 「放射能と戦うブログ」強制閉鎖

2014-12-12 01:07:49 | 雑感
「真実を探すブログ」に、アメーバブログが規制に乗り出しているというものがあります。多くの方が何の連絡も無しに強制閉鎖されているようです。その中で、「ホワイトフード」のブログも閉鎖のようです。今、福島原発事故後の放射能に関するデーターをまとめ公表しているのがホワイトフードですが、そのデーターも見ることが出来なくなりましたね。事実をどんどん隠して行ってしまう・・・・・こんな世の中にした政党はどこだ!
以下転載します。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメーバ

12月10日に特定秘密保護法が施行されましたが、この日にアメーバブログがブログの規制に乗り出していた事が判明しました。当ブログもアメーバの予備ブログが事前通告無しで削除され、他にも同じ様な被害にあったという方の報告が相次いでいます。楽天市場等で放射能測定した食品を販売している株式会社ホワイトフードが運営している「放射能と戦うブログ」も12月10日に強制閉鎖され、現在は閲覧も出来ないような状態になってしまいました。

また、ツイッターやフェイスブックなどのSNSで検索してみると、12月10日前後にアメブロを消されたという報告が増加しています。種類などは色々とありますが、いずれも事前の通告などは全く無かったようです。ちなみに、デフォルト設定のままでアフィリエイトなどを一つも貼っていないブログが消されているので、規約違反の可能性は低いと考えられます。

恐らく、アメーバブログ側が自主規制をしたのだと思われますが、何も言わずに強制閉鎖というのはちょっと酷いです。私はバックアップもある上に、複数の避難先があるので対応することが出来ますが、多くの方は何も出来ずにそのまま消されてしまっています。皆さんもアメブロには注意が必要です。
特定秘密保護法で消された可能性があるだけで、他の理由で消された可能性もゼロでは無いです。あとでアメブロに問い合わせなどをしてみます。

・ 大富豪が自分の息子に貧しい生活をさせてみたら…

2014-12-06 01:28:44 | 雑感
ネット上に素敵なお話がありました。転載します。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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中国のとある大富豪の男性が、自分の息子を田舎の土地へと送りました。


男性は、欲しいものはなんでも手に入る不自由の無い暮らしを送る息子に「貧しさ」というものを一度体験させ、日頃どれだけ恵まれているのかを知って欲しいと考えたのです。
田舎


息子さんは田舎に住む一家のもとで三日間を共にし、帰ってきます。
田舎



お父さん「田舎での生活はどうだったかな?」
息子「とっても良かったよ!」
お父さん「こっちの生活と、どう違った?」
息子「違い?たくさんあったよ!」
田舎



お父さんは「裕福な事がどれだけ幸せなことなのか分かってくれたかな」と安心しました。しかし、息子から返ってきたのは意外な言葉だったのです。



「僕の家には浄水された水のプールがあるけれど、あのお家にはとっても大きな池があるんだ。水が凄く透き通っていて、とても綺麗だった。魚も泳いでたよ」
子供



「それから、僕たちの家を電気の証明が照らすのと違って、あのお家にはお月様とお星様の光がキラキラと差し込むんだ」
星空



「僕たちの家の庭は壁に囲まれているよね。でもあの家には壁なんて無いんだ。目の前に広がる空一面が、庭のように思えたよ」



「彼らは、家にいる時にCDなんて聞かないんだ。鳥のさえずりとか、自然の音を聴いて楽しんでいるんだよ」
自然


「僕の家の回りには、安全のために壁があるよね。でもあの家は鍵をかける必要が無いんだ。扉からは友人たちがいつも遊びに来ていたよ」
入口



「携帯とパソコンが僕達を繋げてくれるこの街と違って、あの街は、家族の絆や豊かな自然がみんなを繋げているんだよ」
子供



驚きのあまり声が出ないお父さんに、息子は満面の笑みで言いました。

「お父さん、僕たちが本当はどれだけ貧しいのかってことを教えてくれて、ありがとう!」
自然



この話しはインターネットで世界中に広まり、大きな話題に。

ネットユーザーは「感動した」「いつだって大切なことを気づかせてくれるのは、子ども達なんだよね」「フィクションだとしても、良いお話だね」と、コメントを寄せています。

本当の幸せってなんだったのか思い出させてくれる、素敵なお話でした。

雑感 朝日新聞の社説

2012-03-17 22:28:07 | 雑感
大阪の教育問題に朝日新聞が社説で橋下市長を非難しています。
その社説は下記とおりです。

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「 卒業式で教員が本当に君が代を歌っているか――。 」

 大阪府立和泉高校の校長が教頭らに指示して教員の口の動きを監視させていた。歌わなかったと判断された教員らは事情聴取のうえ、処分も検討された。

 大阪府では昨年、全国で初めて君が代の起立斉唱を教職員に義務づける条例ができた。それに基づくチェックだという。
校長は10年春、民間人校長の公募に応じ、採用された。起立斉唱条例を提案した大阪維新の会代表の橋下徹・大阪市長の友人で、弁護士資格を持つ41歳。 府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた。

 それでも橋下氏は「これが服務規律を徹底するマネジメント」「ここまで徹底していかなければなりません」と校長の姿勢を高く評価するばかりだ。

 個人の歴史観で見解が分かれる君が代をめぐり、最高裁は職務命令で起立斉唱を強制することに慎重な考慮を求めている。
1月には東京都の懲戒処分をめぐる判決で、いきすぎた制裁に歯止めをかけた。
これに対して橋下氏は、君が代の起立斉唱は、良心や歴史認識の問題ではなく、公務員として守るべきルールであり、マネジメントのあり方だという主張を繰り返している。

 しかし、そもそも卒業式で口元を監視することが優れたマネジメントといえるのだろうか。
卒業生を送り出す祝いの舞台が、校長の管理能力を試す場になっていないか。
同僚の口元を凝視させられる教頭らの気持ちはどんなものだろう。教育者より管理者の意識ばかりを徹底させていないか。
教員のもつ能力を最大限に引き出し、良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ。口元監視がそうした教育環境づくりに寄与するとはとても思えない。

 今春、府立高校14校の教員17人が不起立を理由に戒告処分を受けた。研修を受け、「今後は職務命令に従う」との誓約書に署名・押印を求められた。
こうした府教委の対応は、府議会で審議中の職員基本条例案の成立を見越したものだ。
条例は、同じ職務命令に3回違反すれば免職にすると定めている。君が代で起立斉唱しなかった教職員を想定しているとみられる。市議会でも市長が提案する方向で準備をすすめる。
組織統制を優先させる「マネジメント」が、よりよき教育を生むのか。条例を審議する議会各派はじっくり考えて欲しい

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朝日新聞は、「口元監視が教育環境づくりに寄与するとは思えない」と言っている。「良好な学びの場を生徒らに提供することが校長の手腕であるはずだ」と言っておきながら、口元監視はおかしいという論理である。良好な学びの場とはなんであろうか・・・・学びとは、学校の教科書だけが学びであろうか? それが、最高の学びであり、人の成長なら、「東大の法学部に入学し、官僚として働いている者たち」が一番になるのか? それはおかしいだろう・・・・・・その官僚が今の日本をおかしくしているのではないか・・・・・ 天下り先を山と作り、国民の税金なり年金なりを好き放題に使い切り、やりたい放題ではないか・・・・?こんな人間が優秀なのか?・・・・・??・・・・・?

常識の世界では、基礎知識がある人間を優秀だとは言わない。それは、小学校までだろう。基礎知識があることは、何かの判断を正しくする際の基準が多くなるため、その判断が間違いにくくなるためである。人の評価は、正に判断と決断そして実行をもってその人の優秀さを決めるのである。その人が起こした行動と、結果がそれを証明するのである。

小学校から高校までの教育では、教科書の勉学のほかに、人としての道徳を学ばねばならない。それは、人として生き、世の中の人たちと関わり合い、同じ組織の人たちと一緒に仕事をするには、知識以外に必要なものがある。特に人の上に立つ人は、仕事の知識とマネジメントのほかに心の修業が必要である。徳を積むことで、大きな仕事ができる。その基本を学ぶ場が学校教育であり、その手本を教師が実践せねばならない。・・・・・・その手本となるべき教師が、自分が嫌だからといって大事な卒業式という式典で、手本となるべき態度が取れないのは、それこそ教育の環境つくりができていない事になるのではないだろうか。若者が、そういう教師の姿を見るから、「罰せられなければ何をやってもよい・・」とか、「見つからなければ何をしても構わない・・」と言うような人間が山と出てきているのである・・・・・・
教科書の暗記なら、個人でもできるし、私塾へ行けばもっと上手に教えてもらえる。・・・・・塾の方がテストの点数を取るならよっほど優秀な先生がいる・・・・・・しかし、それでは人としての成長は無く、単なるカタワになる。

したがって、式典で形だけでも添うようにさせるのは、その上司の責任でもある。そして、細かくチェックしなければそのような事が出来ない教師を、今までのさばらせていたことの方が大問題である。そのように手取り足取りしなければ、満足に教師として勤めることができないレベルの者しかいないことを、なぜ今まで問題としないのか・・・・・・朝日新聞の社説の方が、おかしな論理展開をしているのでは無いのだろうか・・・・・・・・・・・

現実の世界において、まともに教育できない教師が多くいて、組織を作って自分たちだけのための都合で教育をしようとしている職員をまともに変えようとすると、今、実施しようとしている形にならざるを得ない。今の、現状の教育がいいと言えるか・・・・・。その方がよほどおかしいだろう・・・・・・。

府教委の生野照子委員長は橋下氏と校長にメールを送り、「もっと悠々たる度量でご検討を」と口元監視をいさめた・・・・とあるが、自分たちがしてきた結果が、悪い状態を引き起こしてきたことを全く理解しいなく、何を悠長な事を言っているんだ・・・・・無責任にも、程がある・・・・・・。全く公務員と言うものは、悪いことを悪いと理解する能力が無いことと、それをすぐにでも改善せねばならないという責任感もないようである・・・・・・・。一般の社会では、全く理解のできない世界だね・・・・・・・・とりあえず狂っているよ・・・・・
しかも、給与だけは、一般社会人より50%くらい多くて、年金もずるして多い・・・・?  なんなんだこいつらは・・・・・

最後に言いたい。 組織の中で責任のある行動がとれないのなら、あるいは、そのように行動をとりたくないのであれば、自らその職場を立ち去るべきであろう・・・・・・・自分の主張が通る企業を探して、勤めればいいわけである。
組織の初歩的な話になるが、給与は与えられた命令を正しく実行し、その結果を正しく報告をした者に支払われるものであり、ただ単に通勤していれば・・・とか、決められた時間をそこに存在していれば・・・支給されるものではない。与えられた職務を、決められた期限で、目標とする成果を実現して初めて給与に結びつくのである。

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雑感 石原慎太郎は何様だ?

2011-12-27 00:07:28 | 雑感
最近2回ほど石原慎太郎のニュースを見た。1回は、八ッ場ダムの件に関して、前原民主党政調会長を激しく非難していた。2009年9月、政権を取った民主党がマニフェストに掲げた「八ツ場ダム」中止を決めたことに対し、昨日、前田国交大臣が「建設再開」を発表し、その件に関して、前原政調会長が異議を唱えた。
この異議を唱えたことに関し、石原慎太郎は
  「何様なんだ! あの人は! 彼一人が反対するならば、辞任せざるを得ないだろう!」
と、メディアで前原政調会長に対して激しく非難したことだ?・・

おかしいのは、石原慎太郎の方ではないか? 
八ツ場ダムの建設がいいのか、中止がいいのかは、内容の詳細が分からないので判断のしようがない。しかし、前原政調会長は民主党として、いろいろ検討した結果コンクリートから人への考え方の中で、八ツ場ダムは建設中止とした。それを、今頃「建設再開」を担当大臣が決断したとすれば、おかしいと判断するのは当然のことである。「朝霞公務員宿舎」と同じような事態である。前原政調会長は、政府に対して抗議し、首相を入れ党3役で話し合いをした。

このことを見る限り、前原政調会長を個人的に非難することなど、到底考えられない・・・・
個人的に話をするならまだしも、メディアの前で口汚くののしることなど、常人では考えられない・・・
わざと、メディアを通し「石原は、建設再開に賛成なのだ」と、誰かに伝えているように思える。
もしそれほどに怒り狂うほどの感情になるとすれば、何か、石原にとって利害関係があるとしか考えようがない・・・・
そうだとすると、どこかの族議員になっているのか? あるいは、どこかの企業となんらかのつながりがあるのか?・・・


もう1回は、橋下徹大阪市長との面談である。
放映の内容は、橋下大阪市長が革新的に、組織改革を実施しようとしている事に対し、石原慎太郎が手を結び、一緒に国の改革をしようと協力的な態度で会談していることである。しかし、石原慎太郎にその力はない。なぜなら、改革するには大きなロマンを持たねばならないし、腹の底に何があってもやり抜く気力が必要となる。そのどちらも、慎太郎にはない・・・・多少、暗記力がいいことや理屈を聞けば理解する能力があるだけである。また、国会議員の経験があるために、橋下の言う組織改革が理解できる状況にあるだけだろう。そんなレベルの人間、いくらでもいる・・・・・改革の意思があるならば、これだけの長期間にわたり東京都知事をしていたのならば、もっと、改革が進んでいるだろう。問題意識があるのならば、悪代官に書いたような、東京都の固定資産税課がある訳ないだろう・・・・・問題意識がない人間に改革はできない!!


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