ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

隊長、無事帰還しました・・・

2008-02-12 21:24:21 | 
つらいつらい一日を、何とか凌いで、無事帰還しました。

目の奥がジーンとし後頭部から側頭部にかけてモヤモヤと妙に熱い。
徹夜マージャンで、朝を迎えたような気分。もちろん今は夜である。

体が寝たがっているのに、頭が寝てくれないのは本当に困る。
こんな時に僕は、翌日しこたまお酒を飲み、いやでも眠りたくなるように脳ミソを「麻痺」させる。
余程でない限り睡眠薬を飲んだりはしない。
普段ろくに働きもしない脳ミソなくせに、こんな時ばかりはやけに血の巡りが良くなる。

  ミソは酒で締めるに限る。


睡眠を味方につけないと、ホントしんどい。大体、人間の一生の半分は寝ている。
心地よくかつ明日への活力を生み出す睡眠を敵に回しては、人生の半分を無駄にしてるようなもの。
枕が悪いのか、照明に問題があるのか、それとも・・・
結局、外部要因というより内部要因、自分の心身が健康でない証左なんだろうな。

預言者が、人類の5つの危機について語っている。

予知夢、ジュセリーノ??夢を見てアイルトンセナの死や地下鉄サリン事件、9・11テロなど、数限りない予言をしていたのだという。
今後は、隕石がぶつかり広島原爆の10万倍の大爆発、2百万人もの死者を出すインフルエンザが流行、あとなんだっけ。これは危機ではないがエイズの予防薬もできる??
もう、矢でも鉄砲でも何でもござれ!そんなハイな感じだ。


あぁあ、、、そうして僕の青春はどんどん向こうへ遠ざかっていくのであった。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

こんな朝もはよから(不眠症?)

2008-02-12 06:15:19 | 
しょせん眠れないと思い、こんな朝もはよからPCに向かっている。
なぜか眠れない。こんなことが定期的にある。
布団に入り、いろんなことを考えた末、す~っと眠りに陥る場合と、
考えれば考えるほど、次々と目くるめくように頭が冴え渡ってしまう場合と、二つある。
本日は、完璧に後者のケース。

これがあるから寝るときには何も考えを起こさないようにしていたのだが。

12時過ぎた頃、布団に入ったが、もう駄目。相当忍耐に忍耐を重ね、
寝返り打ったり、眠る場所を変えたりしたが、駄目であった。こんな時間になってついに年貢を納めた。

連休も空け(といっても僕の場合、土曜日も、そして祝日の昨日も会社に出たわけであるが)で、今日はとても重要な日。
その重要性に対するプレッシャーというわけでもない。こんなプレッシャーは日常茶飯事のこと。今日は、この分だと、とてもつらい一日になりそうだ。

いったい何を考えていたのであろうか。会社のあれやこれやが多かった。
また、己の帰し方行く末か。ま、こんな時に考えることなどろくなことではないのが常だ。
時間の壮大な無駄遣いである。

目がちかちかする。今日一日持つかなあ・・・。

もう6時だ。目覚ましはいつも6時半に。
うるさいからセットを解除しとこうか。とんだ週明けとなりそうだ・・・とほほ。


ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ



今日のランとディラン

2008-02-10 19:16:45 | 
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルにおいてボブディランは、それまでのアコーステック・ギターを捨て、エレクトリック・ギターを用いて演奏した。ファンから手痛いブーイングの洗礼を受けた。僕のブログの表現も、これまでのベタ文字オンリーから、文字の色や大きさに工夫を凝らすことにしました。その方が、親しみやすく、またブログという表現方法に馴染むのではないかと考えたからです。※ディランを引き合いに出すなど神をも恐れぬ大馬鹿野郎ですね・・・しかも大袈裟。

今日もマラソンを貫徹した。天気は快晴で絶好のマラソン日和。
コースは、目黒通りを北進し「寄生虫館」を右折、 「目黒不動尊」経由で武蔵小山商店街を通過し「林試の森公園」へ。
目黒不動尊では駆け足状態で手を合わせ、煙る線香を全身に浴びて浄化。50段余りの石段を全速で降り、山門を出てからがこのコースの難所。緩やかなのぼりの坂が続く。武蔵小杉商店街では、小休止しお腹がすいたのでケンタッキーフライドチキンを食べた。そして林試の森公園へ。ここはキャンプが出来るくらい広い森だ。いつも地域の住民が憩いの場、スポーツの場としている。公園の中に小川も流れている。夏場だと噴水から流れ落ちる水流をプールに子供達が行水をする。

気持ちのいいランだった。

ところでボブディランだが、僕はディランのアルバムの中では「欲望」が一押しである。 「ハリケーン」、「コーヒーをもう一杯」、「サラ」・・・圧巻である。是非、一度聞いてみてください。
しかし、とうに還暦を過ぎたディランだが、21世紀に入ってからの活動も全く衰えをみせることはない。ローリングストーンズと並びロックンロール界の奇跡かも知れない。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ



遠い世界に

2008-02-10 12:29:49 | 
遠い世界に


(1) 遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

(2) 僕等の住んでる この街にも
  明るい太陽 顔を見せても
  心の中は いつも悲しい
  力を合わせて 生きることさえ
  今ではみんな 忘れてしまった
  だけど僕達 若者が居る

(3) 雲に隠れた 小さな星は  
  これが日本だ 私の国だ
  若い力を 身体(カラダ)で感じて
  みんなで歩こう 長い道だが
  一つの道を 力の限り
  明日の世界を 探しに行こう

1969年(昭和44年)「五つの赤い風船」の楽曲、「遠い世界に」


この頃は、みな一様に貧しかったが、がんばればればお金持ちになり幸せになれるという「夢」みたいなものがあった。
日本の生活水準が今では考えられないほど低かったため、夢のハードルが低かったし、現在のような強烈な格差というものがなく、大体が平準的に貧しい状態だったから、諦めなどと悲観する者よりも多数が前向きに夢を求めた。

それと似たような状況が、今は、中国、インド、韓国などといった東南アジアの国々で起きているような気がする。日本は、おかしな形で成熟してしまった。
すっかり元気がなくなってしまった。
かつて、英国がそんな病理に襲われたが、なんとかそうした状況を乗り切り、一回り大きく安定した大人の国として再生した。
日本も、「金融ビックバン」などとその物まねを試みたものの、息切れもはなはだしくいまや右往左往の迷走と相成っている。
それぞれの国には歴史的な発展段階というものがあり、また、グローバルな諸関係はアメーバのごとく千変万化している。その中で、独自の発展形を見出さねばならない。物まねやいいなりではなく、独自性を求めねばならない。
このままでは過去の遺産を食い潰し、衰退していくばかりのように思えてならない。

 だけど僕達 若者が居る

こういう気概を若者が持てるようになること。
若者らに希望や夢をどうやったら持たせられるか。
そういう国にすることを今の大人は真面目に考えなければならない。
当時の若者は有り余るパワーを、社会変革に向けた。この国を自分達で変えようという夢があった。
大きな挫折はしたものの、その体験は、社会のいろんな場所で生かされただろう。

「だけど僕達 若者が居る」 今の若者達に、こう言わしめたいものだ。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ



「得した感」の散髪屋さん

2008-02-09 22:22:18 | 
夕方になり会社から戻り、最寄の駅に着くと、外は小雨が降っていた。雪が降るとは聞いていたが雨かよ。傘も持ってなかったから、雨宿りもかねて駅前の散髪屋さんに行くことにした。いつも行くところが休みだったので、初めてのところに飛び込んだ。
店員は若い女の子ばかり。多少高そうだったが、たまにはいいか。
タオルやシートなどを首に巻くたびに、「きつくありませんか」「痛くないですか」とうざいくらいに聞かれた。そのたび「大丈夫です」と、答えるのさえ億劫になるほど。女性だと、心配りが細やかだ。のっけから洗髪をされ、カットに入る。その後も、ああだこうだと、本当に「親切」にされた。再び洗髪され、5~6分ほど毛が抜けるかと思うほどゴシゴシ頭を洗われ、「かゆいところはございませんか」とは、笑いそうになった。確かに摩擦が過ぎて、痛痒い感じもしないではなかったが・・。
マッサージも手でやるだけでなく、強烈な手持ちバイブレータまで取り出し、尾てい骨から首や頭まで、これまた念入りにされた。
こんな髪の毛を懇切丁寧に1時間ほど。しかも、4千円足らず。やす。
おまけに帰りにビニール傘まで貸してくれた。これって貰っていいんだろうか。

驚いたことに1時間足らずの間に外は雪となっていた。大粒のボタン雪が勢いよく降っていた。天気予報がやっぱり当たった。道路は既に真っ白になっていた。
「ありがとうございます」
「気をつけてお帰りください。またのお越しをお待ちしております」
外に出てきて雪の中、ずっと頭を下げていた。
次も、来るしかないな、と思った。

駅前には確かに床屋さんやビューティサロンが乱立している。競争が厳しいんだな。競争は、消費する側には低価格化やサービスの向上となってありがたいことだ。けれども会社の方は、本当に大変である。そうでもしないと生き残れないのだろう。その気持ちは実によくわかる。

北川景子風のお姉さんだったが、まさか、そういう人らを選別してそろえているわけでもなかろう。たまたま空いてた子がその子で、多少、美少女系だったということなのだろう。とても得した感があった。金銭で言えば1万円位までならオッケーだったかもね。

さて、それはそうと明日もまたマラソンが待っている。先週に続き、今週も雪中行軍の憂き目となるのだろうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

母親と子供の頃

2008-02-09 11:03:30 | 
僕の家系は複雑で、祖父母や父母の系図を理解したのはだいぶ後のことだった。
祖母は子供が出来ない性質だった。だから祖父母には子供がいない。養子に入ったのが現在の父だ。その父は、祖父の一番下の弟だった。祖父の兄弟は、10人もいて、祖父は兄弟の2番目か3番目だった。その事実が長らくわからなかった。

おばあちゃん(ここからはそう呼ぼう)だけは、僕とは何の血のつながりもない。
じいちゃんとばあちゃんは、その昔、結婚を反対され駆け落ちしたらしい。そして戦時中は、南方(パラオ)に赴任しじいちゃんは郵便局員をしていた。その地では結構、はいからな生活をしていたようで、特にばあちゃんは僕の田舎の町でも南方での生活の様式が抜けず、多少贅沢者のきらいがあった。
母は、同じ町の農家の家から嫁に来た。どちらかというと貧しい家柄で、当時の典型的な田舎娘であった。そんな、ばあちゃんと母は、文化的にも性格的にもしっくりいくはずがなかった。

そこに初めて僕が生まれた。子供のいないおばあちゃんは、それこそ目に入れても痛くないほど、僕を愛で可愛がった。母から、僕を取り上げて、離さなかった。
当時あった地元の映画館に僕を背負って通ったり、おばあちゃんの実家に連れて行ったり、日常的な買い物や、どこに行くにしても僕を離さない。チョコレートやバナナやカステラや、その頃に贅沢とされたお菓子を買ってきては食べさせてもらった。そして、おばあちゃんの苦労話やどんなに僕に期待しているか、どんなに僕のことが大好きかを、常に聞かされた覚えがある。逆に言うと、普通に母と子とで過ごした思い出が、僕には皆目ない。

子供の頃からそう、高校を卒業するくらいまで、僕は母のことを誤解していた。母は、とてもだらしなく、教育もろくに受けておらない、駄目な人間だと思っていた。というか、そう洗脳されていた。おばあちゃんは、僕の心や気持ちを自分に惹くため、母のことをよくは言わなかった。おばあちゃんが、こんなに苦労し僕を育てたのに、母は駄目な人間であることを、事あるごとに聞かされていたからだ。
いつもおばあちゃんのそばに置かれ、母のところに居たり、母と会話をした記憶の一切ない子供の頃の僕の環境からして、母の抗弁など聞く由もなかった。だから僕の母に対するイメージは、ずっと最悪の人だった。

父は、年のほとんどを出稼ぎに出ていて家にいなかった。農繁期である夏や秋の一時期だけ手伝いに戻ってくることがあった。母は、1時間くらいかかる地方都市の鮮魚の加工場に働きに行き、帰りはいつも夕方の7時とか8時であり、帰ってくると魚の生臭い匂いをさせていた。おじいちゃんは、毎日勤勉に田畑の手入れに勤しんでいた。うちの中にいるのはいつもおばあちゃんだけであり、花壇を手入れしたり、料理をしたり、豆を挽きコーヒーを入れたりと、優雅な生活をしていた。そして、僕や、後に生まれてきた妹、弟の面倒を見ていた。

役割分担だったのだろうから、だれがどうと今更、言うつもりはないし、現に僕はおばあちゃんにはとても感謝している。ただし、母に対する誤解は、とても申し訳なく思っている。母は、働き者であった。自分の初めての子供を取り上げられ、手元で可愛がることもできず、どんな思いだったろうと思う。しかも、あることないことを吹き込まれ、僕に悪態をつかれ、悔しい思いをしたことだろう。
母は学問もろくな教育も受けてはおらないけれど、心根はとても優しく人のふみ行わねばならぬことをしっかりわきまえている立派な人だと今は思っている。

おばあちゃんが、呆けたのは僕が大学で好き放題をしていたころ。2~3年闘病生活をして、自宅で寝込みご飯やお風呂の世話から下の世話まで、全部してたのは母親であった。もうほとんど人間としての意識もなくなっているおばあちゃんに対し、まるで赤ちゃんにでも接するがごとく、優しく大切に相対していた。過去のことは一切、語らず水に流し、最期まで面倒を見切ったのは誰あろう母であった。
そんな母親を、今はとても尊敬している。

母親も、おばあちゃんが亡くなった年をもうとうに過ぎている。遠い田舎でいまは親父と2人きりで過ごしている。まだ元気であるが、僕の帰りを切に願っている。
僕は、一番世話になったおばあちゃんの死に目にも会えず、ろくなお返しも出来ず、人としては仁も義も欠いている。また、同じことを繰り返しそうで、嫌になる。けれど、その時が来るまで、この状態が続く気がする。その中で僕はいったい父や母に何をしてあげられるのだろうか。放蕩息子である。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

僕にできること

2008-02-06 22:27:56 | 
人の人生に立ち入るまいと長らく思ってきたが、その禁を解こうと思った。
雑多な人々が集まるのが会社であるから、人の見え方も人それぞれで、善人らしき人も悪人らしき人もいる。
善人らしき人とは一歩踏み込んで、悪人らしき人とはそれなりに、と思った。
これまでは、善悪関係なく、どんな人とも距離感を保ちつつ、それ以上は踏み込まないことにしていた。

踏み込んだとて、所詮、その人のために僕は何をやってあげられるのか。今までそんな付き合いをしてきた人らに結局何にもしてあげられなかったし、無責任な位置にいてもっともらしいことを言っている自分に、嫌気がさした。そんなことならいっそのこと、立ち入らないことだ。そのように思った。

慰め、同情、憐憫、そんな感情を共有することで、人の痛みは和らぐものだろうか。「同情するなら金をくれ」この「名言」はあながち笑い話ばかりでもなかろう。
そんなおせっかいは、かえって迷惑な話かも知れないと思ったし、「偽善」の匂いがするのも妙に鼻についた。結局、何もしてあげられないとわかった。

けれども、今一度と思い始めている。その途端、いろんなものが僕の中にすーっと入り込んできた。人の中にあった呻きや喧騒や苦しみなどが、僕の心をかき乱し始めた。人の内側に立ち入ることの大変さを今更ながら思い知るようだった。

そうした苦悩を、受け止めるくらいなら僕にも出来るかも知れない。
ただし、「空手形」だけは切るまい。出来もしないことは言うまい。それでいい。
何かをしてあげる、などという発想自体が傲慢なのだろう。聞いてあげる、受け止めてあげる、それだけ。
後は、そういう地の声天の声をしっかり胸のうちに秘め、僕の出来ることをやる。
それだけで良いのではないかと思った。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

純愛小説

2008-02-04 22:37:54 | 
「まあ政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まあ綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれったら、私ほんとうに野菊が好き」

「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」

「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好(この)もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」

「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。

「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」

「さあどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」

「それで政夫さんは野菊が好きだって……」

「僕大好きさ」

 民子はこれからはあなたが先になってと云いながら、自らは後になった。今の偶然に起った簡単な問答は、お互の胸に強く有意味に感じた。民子もそう思った事はその素振りで解る。ここまで話が迫ると、もうその先を言い出すことは出来ない。話は一寸途切れてしまった。


伊藤左千夫「野菊の墓」の一場面である。こんな恋心に、いまさらながらあこがれる。人は、ないものねだりをするものだが、僕にはこんな気持ちを持てることが、ないものねだりなのだろう。
そしてこの恋の物語は、儚くも一途な民子の死でもって終焉を迎える。

「民子は余儀なき結婚をして遂に世を去り、僕は余儀なき結婚をして長らえている。民子は僕の写真と僕の手紙とを胸を離さずに持って居よう。幽明遙(はる)けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ。」


こんな「野菊の墓」を子供の頃に読んで泣いた人は多いと思う。忘れたが、僕もその一人だったかも知れない。
こんな気持ちを、大人になった今に至っても、みな持ちえていたなら、世の中はもう少し生きやすいだろう。
そんなメルヘンは、現実の世界にはもうない。現実世界とは・・・、。やめよう。

ベタな純愛小説の古典が読みたくなった。谷崎潤一郎の「春琴抄」これもある意味純愛小説であったか。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

旅芸人

2008-02-03 22:24:47 | 
もしも僕がギタリストなら、好きな彼女をボーカリストにし、旅芸人宜しく、歌と演奏で生活できたらいいなと空想する。
ロックンロールは心の友。学生の頃から、今に至るまで、僕を魅了し続ける。
そうだな、日本のミュージシャンなら、布袋寅泰のギターが好きだ。
チャーとか鮎川誠もいい。ギターにチャレンジしたこともあったが、実らず。
今も、ケースに入ったギターが埃をかぶっている。これは3代目にあたり、相当な大枚をはたいて買ったものだ。
いつかもう一度ケースから取り出す時がくるのを期待し持ち続けている。
布袋はいい歌を作る。「PRIDE」は最高にいい。
せっかく歌の上手いかみさんをもらったのだから、浮気などせず、どんどんいい曲書いてくれよ。




一昔前なら、「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠が超かっちょいかった。
「Kiss-Me-Quick 」、「Baby Maybe 」、「YOU MAY DREAM 」・・・。鮎川の乾いたギター音にしびれた。




「旅芸人」というのはもはや死語ですかね。
僕が大学2年目の頃、「旅芸人の記録」という大作を観た。3時間を越えるえらく長い叙事詩のような映画で、辛抱がいった。1939年から1952年、旅芸人一座の姿を通して、圧政、戦争、占領、叛乱、ギリシャが生きた現代史を描いた。全編をワンシーン・ワンカットの連続で貫き、圧倒的な映像美で世界に衝撃を与え、★1975年カンヌ映画祭国際批評家大賞★1976年ブリュッセル映画祭黄金時代賞★1976年ロンドン映画祭大賞★1979年度キネマ旬報ベスト・テン外国映画第1位・外国映画監督賞 などに輝いたいぶし銀のような映画だ。

旅芸人のような一座は、子供の頃よく僕の田舎にも来た。ちょっとした時代劇と歌謡ショーを組み合わせた演目。僕が見たのは、中学の体育館にて、大御所・都はるみのショーだった。これは旅芸人というより歌謡ショーだったが。

ギター片手に旅芸人のようになれたらいいのに。お金は食べられるだけあればいい。家族で日本中、世界中を旅する。苦労も多いだろうが、身一つで生きられる。
誰にも迷惑もかけず、自分の芸だけで生きる。素敵だな・・・。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

「大雪」の中、お勤め果たす!

2008-02-03 17:40:47 | 
雪がしんしん降る中、定例のマラソンを貫徹した。この雪は、3日深夜にも及び10~15センチの積雪となる予想だという。
もちろん、とても寒く冷たい思いをしたが、僕はワンコロのごとく大はしゃぎで、世田谷公園から三軒茶屋方面のぬかるんだ道筋を、転んで怪我をすることもなく走りきった。
屋根や木々には雪が積もっていたけれど、東京の雪なので、道路は人通りの多いところほどシャーペット状になっており、靴の中はもうぐちゃぐちゃである。これが夜半まで降り続くとなると、気温も下がるので、相当積もることになるんだろう。

家の前に置いてあるかわいらしい雪だるまを何件も見た。子供とお父さんが雪合戦をしている風景もあった。しかし、こんな日にランニングしている人など一人もおらず、僕はとんだおバカさんだったかも知れない。車も少なくバスのチェーンの音がやたらうるさかった。

帰りに、さすがに暖をとりたいこともあり、最寄の本屋さんに立ち寄った。目指し帽に汗臭いタオルを巻いた格好で、鼻をズルズルさせているおじさんの出で立ちにつき、いかがなものかとは思ったが、気にしな~い。その代わり今日は漫画本を2冊買ってあげた。(「ぼくらの」第8巻、「蝉時雨のやむ頃」)
「蝉時雨」の方は、「吉田秋生」という方の鎌倉を舞台にした3姉妹の家族モノ。絵が気に入ったのと鎌倉を舞台にした物語であることのため、思い切って買ってみた。
最近買うのはほぼ漫画本のみ。あとは、ほぼ本屋さんにて立ち読み、斜め読み。それで事たれりと思っている。どうしても欲しけりゃ「BOOK OFF」にて兼価にて購入することにしている。新刊で購入するに値する本は中々ないのである。
ここ最近は、そうした才能は漫画の中にあり、と僕は考え、いくつかのめぼしい作品はかかさずチェックし、買う。文筆家が書く小説などからよりも、最近は圧倒的に漫画からテレビドラマや映画化がなされていることからも、漫画の内容の充実振り、質の高さというものが証明されているのではないか。
一時期は酷かったが、最近はキラ星のごとき作品、作家の登場に驚く。

ところでである。その本屋さんの女性向けのコーナーでは「スローセックス」なる本の類が20万部を超えるベストセラーになっているのだという。
僕は、人目もはばからず、そのうちの一冊を手に取りふむふむとページをめくった。まず能書きが長い。挿絵や解説が、なんとも家庭科の教科書のようであったが、懇切丁寧に性の奥義が語られていた。
多分、男性は性に目覚めた興味本位の学生さんくらいしか購入しないだろうと思った。だとすると、ヒットを支えているのは世の女性の方々か。
スローセックス、要するに時間をたっぷりかけて行為を楽しむ。そうしたセックスの作法が、今は少なくなっているのだろうか。であるなら、深刻なのは男性よりも女性の方だろう。男性は出してしまえば事足りる。女性はそうはいかない。
挿絵の中に、仰向けの女性の傍らにひざまずいて女性自身に奉仕する男性の図があって、「片手ではなく両手を使って丁寧に」などと解説してあったが、何かツボを押すマッサージ師のようで笑えた。長い時間をかけ、いったいどんな会話をしながら奉仕し奉仕されるのであろうか・・・。
ただ、いろいろ「参考」になることが多かったので、今度やるときに「実践」してみようか。(苦笑)

今日の夕飯の弁当を買って帰ってきた。大急ぎで着替え風邪だけは引かないよう厚着をし、コタツにもぐりこんだ。そして、漫画本を読むうちにうとうと眠りこけてしまった。さて、ひとっ風呂浴びてくるか。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ





雪を見ながらロートレック

2008-02-03 09:14:00 | 
「日曜美術館」にてロートレックの特集があった。好きな画家の一人でもあったので拝聴した。まもなく友人の手記が発表されるらしい。

モンマルトルで飲んだくれて没したロートレック。
親友の目を通してみた青年時代のロートレック。彼は1865年に生まれ、小さな宝石と言われ溺愛された。しかし不幸にも18才のとき転んで足を折り、もう片方も駄目になり両足の発育が遅れた。
それが原因で絵に夢中になる。1882年が塾に入門。20歳の時。
モンマルトルには、19世紀産業革命により職を求める人々が集まってきた。貴族や労働者、ならず者、娼婦などあらゆる階層の人々が集まり、モンマルトルはバー、ダンスホールが一斉に花開きパリ一番の歓楽街となった。
そしてロートレックが通いつめたムーランルージュ。射的、占い、ストリップ、おならの音を芸にする者。ダンスホールはにぎやかな社交場。支配人に依頼されムーランルージュのポスターを描く。ムーランルージュ一のダンサーを中心に描いたポスターはパリ中に張り出され一躍有名になった。

娼婦の館で絵を描くロートレック。快楽、欲望、そして絶望。娼婦たちの仮面の後ろの顔を描く。ロートレックは病に冒され36歳の短い生涯を閉じた。

丁度サントリー美術館で「ロートレック展」を開催中。

■サントリー美術館 「ロートレック展」
開館記念特別展「ロートレック展 パリ、美しき時代を生きて」【2008年1月26日(土)~3月9日(日)】

予想通り、東京は大雪の予感。しんしんと雪が降る。今晩まで5センチは積もるという。さて、本日のランニングの予定だが、敢行するよ。学生の頃は部活で雪だろうが雨だろうが、お構いなしだった。風邪だけは御免だから、重装備で行こう。
けれど、僕は、犬っころのように雪が降ると心が躍る。雪が好きだ。静かに街を白く染める雪が好きだ。汚いものを全部隠してくれるからか。現実の風景をきれいにし、新しい現実を見せてくれるような気がするから。

何よりも、雪を見ると、純粋で無垢だった小さな子供の頃の自分とふるさとを思い出させてくれる。そんな郷愁の思いが、なぜか雪を見ると僕の中に湧いてくる。


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。
            三好達治「雪」

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ


80年代のミュージックシーン

2008-02-03 00:04:46 | 
ミュージックステーションの80年代の洋楽ヒットチャート特集。

米米クラブの石井達也がゲストでコメントが面白い。
ディスコミュージックの全盛期。
確かに僕でさえ聞き覚えのある曲が多くあった。
もう、洋楽など聴くような環境ではなかったが、音楽とは時代を映すし記憶にも残る。音楽の影響力って言うのは絶大なものがある。

プリンス
クィーン
ジョンレノン
ビリージョエル
デビットボウイ
シンディローパー
マドンナ
イエス
ワム
デュランデュラン
アースウィンドアンドファイアー
ヴァンヘイレン
アーハ
スティービィーワンダー
シカゴ
カルチャークラブ
マイケルジャクソン


カルチャークラブのボーイジョージのその後の変遷には笑えた。ヘロインで2回ロンドン警察に捕まり、ノルウェーの男性を性的な目的で拘束し傷害罪で逮捕され、今は保釈されている。コンサートなど音楽活動を再開しているらしい。すっかり禿げ上がってお腹もでっぱっているが、お化粧した顔だけは昔のボーイジョージのままだ。ワムのジョージマイケル、クィーンのフレディマーキュリー、エルトンジョンなど、ミュージシャンの多くは女性ではなく男性を好むようだ。

もともとそういう体質に生まれてきて、人より多くを悩み、苦しんでいるからミュージシャンや芸術家の道に自ずと向かいやすいのだろうと分析してみる。
平々凡々の人生であればそういう仕事には行き着かないだろう。人の痛みが良くわかる彼らにこそ、政治を任せてみたら世の中、変わるのではないか。日本も例外なく。ボーイジョージはやや困り者だが。

男性を「愛する」という感覚は、当然のことながら僕にはわからない。いわゆる「ホモっ気」が僕にはまったくない。女性なのに男性に生まれたという生理学的なな要因なら、もっともかと思う。しかし、女嫌いとか女性であれば男嫌いで、同じ性に向かうなどということは、かなり病的な感じがする。
子供の頃の虐待や、青年期の何らかのトラウマなど後天的な要因によっても、やはりそういう結果になり得るんだろう。その場合、プラトニックな愛を超えて、肉体的な関係までいきつくという「飛躍」は、とてもミステリアスに感じる。

今日は、雪が降るんだという。雪が降ってもランニングはする。これは自分との約束だから。三軒茶屋方面を予定しているが、気分次第だからわからない。いつか出張して皇居の周りをぐるぐる回りたいが、将来の課題。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ


セルフポートレート

2008-02-02 22:26:49 | 
「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」――この一節は、太宰治が引用したヴェルレーヌの詩である。いかにも太宰が好みそうな言い回しにして、太宰の胸のうちをこれほど如実に表す言葉もなかろう。
上の写真は太宰の自画像である。この引用と妙に重なる自画像である。

長らく太宰治を、僕は封印してきた。太宰気取りで「恍惚と不安」などと自惚れるつもりもないが、妙に太宰の精神世界とシンクロする傾向が僕の中にあることを、若い頃から、僕は感じていた。
その行き着く先は、「玉川上水」か。そこまで深刻になるつもりもないけれど、自分の心の中の、人間であるが故の弱くて醜い根底へと、静かに堕ちていく居心地のよさに、溺れてしまいそうになる。
太宰は、大学時代に無産運動に嵌り挫折し作家になった。僕はまた、同じ地方の出自でもある。
太宰とは、遠い昔に訣別したつもりであった。

太宰の自画像が公開されたのは、つい最近のことらしい。太宰に限らず、多くの作家は自画像を残している。画家であれば、必ずといって良いほど。心の目で見た己の姿を絵筆で表現する。
そうした芸術家ではない普通の人々も、ポートレートで自らを写す。
自分を見ることは自分を確認する作業である。
どんな精神の巨人も、自分の存在の儚さや、移ろいやすさに対し、どれだけ対抗する術を持っているだろうか。
自分の顔、自分の手、自分の肉体という事実を、確認すること。みな生きるために生きている己を確認したいのである。

体を鍛えよう。隆々とした足腰、太い腕、逞しい体躯、引き締まった顔筋。身嗜みもさっぱりし、鏡に映った自分の姿に誇りを持とう。絵を描く才能もなく、写真の趣味もない僕にしてみれば、出来ることと言えばそんなこと。鏡に己の姿を確認するのが関の山。ナルシシズムかも知れないが、そんな要素は、生きるための方便として必要なのかも知れない。

しかし、鏡を見ると年年歳歳しわも深くなり頭髪には白髪が増え、肌の色艶も芳しくない。これで自画像描いたらいったい僕の顔はどう表現されるのだろう。


自分さえ支えきれずに右往左往している今の僕に、人の人生にどうこう言う資格はあるのだろうか。
無責任な助言など、ご都合主義もいいところだ。よかれと思い言う言葉も、本当に相手のことを考えての言葉か。
もっと人に責任を持てる顔に、僕はなりたい。
いい年こいて、依然、僕は半人前で青臭い学生みたいなことばかり言ってるね。(自嘲)

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ

水族館オタク

2008-02-02 09:54:32 | 
くさくさするので久しぶりに水族館にでも行ってみようか。
八景島シーパラダイスはかなり遠い。品川水族館は、行き飽きた。
東京タワーにもしょぼいのがあったはず。
サンシャインの水族館はまだあるのかな。
沖縄の美ら海水族館、最高に凄いが、無理・・・。
あの独特な薄暗い水族館の雰囲気、その中で小さくライトアップされた魚や生き物たちの住空間を、こっそり眺めて歩く。
何が楽しいわけでもないが、そんな時間の過ごし方が好きで、よく水族館に足を運んだ。オタクっぽく一人で行くこともあったが、誰かさんが隣にいることも多かった。
また、八景島や美ら海のように、海中トンネルやどでかい水槽の中を、巨大魚が豪快に泳ぎ回る姿を見るのも、現実離れしていていい。

ネットで検索していたら、品川に「エプソン品川アクアスタジアム」というのが引っかかった。品川プリンスホテルの敷地内にある。

■通常営業 月曜~金曜 土曜 日曜・祝日
水族館 12:00NOON~
10:00P.M. 10:00A.M.~
10:00P.M. 10:00A.M.~
9:00P.M.
■ギャラクシー エクスプレス 999 1:00P.M.~ 10:00P.M. 11:00A.M.~
10:00P.M. 11:00A.M.~
9:00P.M.
■ポート・オブ・パイレーツ 1:00P.M.~ 10:00P.M. 10:00A.M.~
10:00P.M. 10:00A.M.~
9:00P.M.
■バーチャルライドシアター 12:00NOON~ 10:00P.M.
ドルフィンパーティー
※ 休館日はございません。
※ 最終入館は閉館の30分前となります。
※ 1月13日(日)、2月10日(日)は土曜日の営業時間になります。

・水族館(入場料金) おとな/¥1,800
小~中学生/¥1,000
幼児/¥600(4才以上)


パステルカラーのちいちゃな熱帯魚の群れをボーっと眺めるのがいい。ずぼらなので自宅で飼う気にはならないが、部屋に水槽でもあれば毎日でも眺めていたい気がする。
たまには昔のようにそんな時間を過ごすのもいいかもしれない。

問題は、昼間からしんしん冷える本日、コタツから離れられるか否かである。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ


ダリの自画像

2008-02-02 01:13:55 | 
サルバドール・ダリの自画像。この絵の自画像は生身の存在の崩壊を示しているのだという。そこにあるのはあらゆる物質は最終的に崩壊するが、かろうじて何かの「支え」(ここでは松葉杖)によって留まっているに過ぎない儚い存在。そういう自分の存在。

かろうじて・・・か。まさに週末の僕はそんな気分だ。午前12時を回って帰宅した。システム障害があり、散々だった。今週は、人事問題で相当めげた。会社という存在の儚さ、人と人との絆の脆さというものを、思い知らされた。

とても疲れた。疲れた1週間だった。

ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ シンプルライフへ