ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

今日のランとディラン

2008-02-10 19:16:45 | 
1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルにおいてボブディランは、それまでのアコーステック・ギターを捨て、エレクトリック・ギターを用いて演奏した。ファンから手痛いブーイングの洗礼を受けた。僕のブログの表現も、これまでのベタ文字オンリーから、文字の色や大きさに工夫を凝らすことにしました。その方が、親しみやすく、またブログという表現方法に馴染むのではないかと考えたからです。※ディランを引き合いに出すなど神をも恐れぬ大馬鹿野郎ですね・・・しかも大袈裟。

今日もマラソンを貫徹した。天気は快晴で絶好のマラソン日和。
コースは、目黒通りを北進し「寄生虫館」を右折、 「目黒不動尊」経由で武蔵小山商店街を通過し「林試の森公園」へ。
目黒不動尊では駆け足状態で手を合わせ、煙る線香を全身に浴びて浄化。50段余りの石段を全速で降り、山門を出てからがこのコースの難所。緩やかなのぼりの坂が続く。武蔵小杉商店街では、小休止しお腹がすいたのでケンタッキーフライドチキンを食べた。そして林試の森公園へ。ここはキャンプが出来るくらい広い森だ。いつも地域の住民が憩いの場、スポーツの場としている。公園の中に小川も流れている。夏場だと噴水から流れ落ちる水流をプールに子供達が行水をする。

気持ちのいいランだった。

ところでボブディランだが、僕はディランのアルバムの中では「欲望」が一押しである。 「ハリケーン」、「コーヒーをもう一杯」、「サラ」・・・圧巻である。是非、一度聞いてみてください。
しかし、とうに還暦を過ぎたディランだが、21世紀に入ってからの活動も全く衰えをみせることはない。ローリングストーンズと並びロックンロール界の奇跡かも知れない。

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遠い世界に

2008-02-10 12:29:49 | 
遠い世界に


(1) 遠い世界に 旅に出ようか
  それとも赤い風船に乗って
  雲の上を 歩いてみようか
  太陽の光で 虹を作った
  お空の風を もらって帰って
  暗い霧を 吹き飛ばしたい

(2) 僕等の住んでる この街にも
  明るい太陽 顔を見せても
  心の中は いつも悲しい
  力を合わせて 生きることさえ
  今ではみんな 忘れてしまった
  だけど僕達 若者が居る

(3) 雲に隠れた 小さな星は  
  これが日本だ 私の国だ
  若い力を 身体(カラダ)で感じて
  みんなで歩こう 長い道だが
  一つの道を 力の限り
  明日の世界を 探しに行こう

1969年(昭和44年)「五つの赤い風船」の楽曲、「遠い世界に」


この頃は、みな一様に貧しかったが、がんばればればお金持ちになり幸せになれるという「夢」みたいなものがあった。
日本の生活水準が今では考えられないほど低かったため、夢のハードルが低かったし、現在のような強烈な格差というものがなく、大体が平準的に貧しい状態だったから、諦めなどと悲観する者よりも多数が前向きに夢を求めた。

それと似たような状況が、今は、中国、インド、韓国などといった東南アジアの国々で起きているような気がする。日本は、おかしな形で成熟してしまった。
すっかり元気がなくなってしまった。
かつて、英国がそんな病理に襲われたが、なんとかそうした状況を乗り切り、一回り大きく安定した大人の国として再生した。
日本も、「金融ビックバン」などとその物まねを試みたものの、息切れもはなはだしくいまや右往左往の迷走と相成っている。
それぞれの国には歴史的な発展段階というものがあり、また、グローバルな諸関係はアメーバのごとく千変万化している。その中で、独自の発展形を見出さねばならない。物まねやいいなりではなく、独自性を求めねばならない。
このままでは過去の遺産を食い潰し、衰退していくばかりのように思えてならない。

 だけど僕達 若者が居る

こういう気概を若者が持てるようになること。
若者らに希望や夢をどうやったら持たせられるか。
そういう国にすることを今の大人は真面目に考えなければならない。
当時の若者は有り余るパワーを、社会変革に向けた。この国を自分達で変えようという夢があった。
大きな挫折はしたものの、その体験は、社会のいろんな場所で生かされただろう。

「だけど僕達 若者が居る」 今の若者達に、こう言わしめたいものだ。

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