日教上人について

2010年01月19日 | Weblog
来年の1月17日が佛立第四世講有、日教上人の100年目の御年回、すなわち100回ご遠諱(おんき)です。
日教上人は、関東に本門佛立宗のご信心をもたらした方ですが、その偉大な功績にしてはわずか56歳というお歳でご遷化、お亡くなりになりました。
遠妙寺の開基、伊達日彰上人も56歳でご遷化です。
さすがに業績を残される方は違う、比較にならないと痛感します。
17日(日)、清雄寺で恒例のご墓前式が開催され、報恩ご奉公へのお誓いを新たに今年度のご奉公をさせていただくことになりました。
日教上人はご遺訓として
一、信心強盛にせよ
二、我欲を出すな
三、彼我を見るなかれ
信心強盛にせよとは、日々に新たに清くせよと云ふことなり。
我欲を出すなとは、常乞食(じょうこつじき)を本分とし蓄積の念を出すなと言ふことなり。
彼我を見るなとは、敵対心を持ち競争の念を出すなと言ふことなり。
と言われました。これは、お弟子方に言われたことです。
信心強盛とは、ご信心が強く盛んに燃えさかるということですが、なかなか難しいですね。昨日は燃え、今日は鎮火というのが私たち。毎日、信心改良して新しい課題をみつけてご祈願をかけ、実践するということだと思います。
2番目の我欲を出すなとは、要するに教務たる者、私財を蓄え、資産を形成しようなどと思うな、余分なお金があればご弘通に投入し、ご有志をするように言われたのだと思います。
もっとも、佛立宗では他宗と違い、その気になっても資産を形成できるようなお寺は今やないでしょう。昔は多少あったかもしれませんし、例外もあるかもしれませんが。
3番目の「彼我を見る」というのは、他と比較して、あちらは恵まれていいなと、羨むうちはよいけれど、いつの間にかライバル意識が行き過ぎて敵対心を持ち、変な競争の気持ちをだしてはいけないということです。
お教化も、お助行も、ご有志も、信心を以て、いま困っていて救いを求める方のためにさせていただくのであり、成績とか敵対心をもととする競争などというレベルのものではないという事です。
田中日晨上人は、関東の佛立寺院は「もとは一つ。みな同じ血が流れている」と言われたそうですが、そのような気持ちで助けあっていくことを実践することが必要です。さらに考えれば、東も西も元は開導日扇聖人ですから、佛立は一体となって異体同心とならなくてはいけないのです。



                
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