信友の遷化を悼む ああ藤本淳悦師

2010年01月05日 | Weblog
昨日から今日にかけて私は、大阪の豊中良風寺にまいりました。
住職の藤本淳悦師(如説院日修上人)は京都の佛立教育専門学校(教学院)では私の一年後輩で、一年、寝食を共にしました。その後、清風寺でいっしょにご奉公。
また、その兄の藤本淳講・日唱導師には私はいろいろお世話になりました。
藤本淳悦・日修導師はまだ50代半ばですが、さる12月31日、ご弘通ご奉公のさなかに倒れ、急逝されました。
教務がご奉公の中で亡くなると言うことは、本望だと言われていますが、なかなかその言葉通りに「身命を惜しまず」ご奉公し、自分はご信心をお弘めするためにはどんな目にあっても構わないと本気で思うことは難しいものです。
しかし、藤本御導師は、常に体を張ってご奉公されてきました。古巣の清風寺でも、奄美大島にあった清風寺別院でも、ブラジルでも、住職としてご奉公するようになった良風寺でも、東に病人があれば御助行して一所懸命に全快を願い、西に信心に迷いを起こしている人があれば、行って「そんな風に考えたら間違いや」と折伏し、北に問題を抱えて困っている人があれば「いっしょに御宝前にお願いしよう」と御看経して励ます。南にダダをこねて暴れる者がいれば「話を聞こう」とどんなところでも、どんな人にも妙法の有難さを説く人でした。
その臨終の姿は尊く、その顔は寂光浄土に行かれた人だけが示すことができる安らかさをたたえていました。
身をもって佛立教務のあるべき姿を示されたように思えてなりません。
さようなら、藤本御導師。さようなら淳悦師。
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