どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

作品における「聖地」とは?

2018年04月23日 22時55分00秒 | 
聖地巡礼について考察する専門書「聖地会議」...こんな本があるんですねぇ...。

25ページに渉り、この本を主宰される柿崎俊道さんと、片渕須直さんの対談が納められています。

その対談冒頭で柿崎さんの曾お祖父さんが広島の産業奨励館(現・原爆ドーム)の職員で、原爆投下の日もそこに居られたという事実が明かされます。

柿崎さんにとっての広島は単にアニメ作品における聖地ではない、もっと深く重い対象なのですね...。

広島が「この世界の片隅に」ファンにとって「聖地」であることは間違いなく、私自身もそんな視点で捉えてますし、実際に広島・呉に行った時も原作に描かれている風景や建物を見ては感激を隠すことはできませんでした。

それぞれの場所は「点」であり、それを繋ぐことで「線」となる...これは現地で多生なりとも歩いたり、現地の在来線(市内では広電、呉への往復で呉線)を使うことで、地理的な位置関係と距離感がつかめた気はしています。

それまでは江波や呉がどこにあって、市の中心部からどれだけ離れているかも分からなかったんです。

私は今のところ一度きりしか行ってないのですが、それでも随分と違うものだなと感じています。もっと行き来できれば、「線」は「面」となって行くでしょうし、歴史の積み重ねで「層」を形成できるようになるのかもしれません。

柿崎さんと片渕さんの対談は大凡そのような事を主張されている印象を受けました。

「点」だけで満足してしまったら、何も生まれないし、発展もない。観光ともちょっと違う「聖地巡礼」であれば、それくらいの気持ちで臨む必要があると。

以前にも当ブログで書きましたけど、こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」では、私が子供時代に過ごした東京都中野区周辺が舞台で、まさに慣れ親しんだ場所が「聖地」となっていたのもあって、この作品に一気に引き込まれた経緯があります。

なぜ中野だったのか...特に説明はないのですが、私はその地に立つ野方配水塔(通称・水道タンク)にあるのではないかと思っています。

昭和初期に建造された水道設備ですが、戦時中に機銃掃射の弾痕が残っていて区の平和史跡ともなっているようです。

古めかしくて、ちょっと異様な建築物ですが、ドーム状の屋根から原爆ドームのイメージと重なってみえるように、原作カットでチョイチョイ遠景に登場させているのです。

同作は以前、実写映画化されましたが、この風景は映画に取り入れられませんでした。今夏NHKでTVドラマ化されますが、できれば映し出してほしいなぁと思っています。

原爆ドームと水道タンクに関連性はないけど、こうのさんによってこの両者は時空と場所を超えた「線」で繋がっていると感じています。

「聖地」というキーワード、「点」だけではなく、「線」...そして「面」、さらには重なる「層」として捉える事の重要さを考えさせられました。




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