80才のハツラツ日記

愈々名実共に80才を迎え、人一倍好奇心を燃やして、元気な行動の随筆日記です。

東野圭吾著「白銀ジャック」を読みました

2010年10月11日 | 本の情報
実業の日本社がこの程、実業の日本社文庫(いきなり文庫)を創刊し、
その第1回目に上記の本が含まれ、文庫オリジナルとして刊行されました。

早速買って読んだんです。

年の瀬のスキー場のゲレンデの雪の下に、爆弾を設置、
スキー客を人質にした、身代金要求の事件が起きました。
そのミステリー、サスペンス小説であります。


私自身はスキーもスノーボ-ドもやりません(出来ません)から、
作品の中に現れる、専門用語、競技用語がさっぱり判りませんでした。

推理小説は筋を事前に説明すると、「ネタばらし」になるのでやりませんが、
流石にミステリー作家の大御所ですから、私の様に知識の足りないものでも、
充分の醍醐味を堪能出来る様になっています。

特に後半になったら、もう途中で読書を止める事が出来ない位引き込まれました。

最後に想像も付かなかった大どんでん返しが二つ、三つと続きます。
面白く読ませて頂きました。


ゲレンデに爆発物を埋めて、脅迫すると言う、斬新な?着想に驚かされました。

最後の方のどんでん返しは、現実にはあり得ないと思うのですが、
作家と言う職業の方は巧く色々と考えるものですナ。



こうしてゴッホになったゴッホ展

2010年10月10日 | シニア日記
東京の国立新美術展に出掛けました。「ゴッホ」展なんですが、
「こうして私はゴッホになった」と言う副題が付いています。

従来の美術館展示とは趣向が違った、興味ある展示をしていました。
順路に沿って観て行くと、ゴッホがどうしてあの独特の画風になったが良く判ります。

1853年に生れ、1880年(27才)で画家となり、1890年(37才)にピルトル自殺をするのですが、
その間の住居の変転に合わせて、時系列的にゴッホの絵が展示されていました。


ゴッホが絵描きになる前は色々な職業に就き、最後は牧師であったらしい。
彼は殆んど独学に近いと言っていいほど自分で勉強したとの事。

1.初期の影響
  当時の巨匠と言われる画家、ミレー、クルーベ、ルソーなどの絵の模倣、
  モチーフ、色調、技法、筆使いなどを素描きで徹底して模倣しています。

2.ニューネン(オランダのアムステルダムの近辺)に移住した頃(1883年~)
  今度は実際にミレーやドラクロワについて学び、沢山の人物画を描いています。
  ミレーの影響が大きく、農夫を描いたものが多いですね。

3.パリでの習作(1886年~)
  ロートレックの「薄塗り絵画」技法、日本の浮世絵からの大胆な構図をも学んでいます。

4.アルル(南仏)でのゴーギャンとの共同生活(1888年)
  この頃になるとあのゴッホの強烈な色彩を大胆に表現した独特の画風が開花します。

5.サン-ミレの療養院にて(1889年)
  強烈な青と黄色の色彩の特徴がいかん無く発揮されています。

気が付いた事と言えば、貧しい農夫の姿を非常に沢山描いています。
それに静物としてはジャガイモの絵が多いですね。 彼は薯が好きだったのかナ。
強烈な黄色には特に思い入れがあったようですネ。


最後は自分の人生は全て絵画に投入されて、自分自身は壊れてしまったと表現しています。

遂に垂涎待望のiPadを手に入れました。

2010年10月09日 | シニア日記
現在携帯端末の覇王であるSoftBankのiPadを買いました。
WiFi+3Gのタイプなのです。


最初のinternet設定が結構難しいですナ。
これは購入元の販売員にやって貰いました。

それでも使いこなすには色々とチェックせねばならず、
試行錯誤を繰り返して、慣れて行くものと思いました。

使い勝手は慣れればかなり楽ではないかと思われます。

マニュアルは殆んど付属していません。
オンラインで入手するようになっているらしい。

今迄Windows専門でやって来ましたので、
Mac風には一寸馴染みが無い処もありますが、
しっかり研究して行きたいと思っています。

時代に密着した情報をどしどし身に付けて活用したいと思っています。




今日8日は暦の上で「寒露」です

2010年10月08日 | 季節の情報
二十四節気の一つ。冷気によって凍りそうな露が草花に宿り、
秋の長雨が終わって、愈々深まりゆく秋の季節の頃を言います。

関東ではもみじの紅葉が始まる頃でもあります。

然しながら、現実は依然未だかなり気温が高く、日中25℃の夏日に近いですね。

今年の紅葉はきっと綺麗でしょう。
もう那須高原では見事に紅葉している様ですね。

終戦が決まった後の8月20日に戦死?--占守島の攻防(3)

2010年10月07日 | シニア日記
一昨日のブログの続きです。占守島の攻防に関する書評等です。
(少し長いですが、お許し下さい)

文庫版の大野芳著の「・・・・、ソ連軍上陸す」については、
完全なノンフィクションであると書きました。

同島攻防の生存者である、軍使を務めた元将校の講演を元に、彼我の記録を探り、
他の生存者からの聞き取りなど、徹底した調査に基づいての記事です。

8月17日以降の日本側戦死者は約700名です。
武装解除後、ソ連側は「ダモイ、トウキョウ」(日本に帰す)と嘘をついて
生存者1万数百名を捕虜として、ナホトカ経由でシベリヤに送り、
厳寒の中で奴隷の如く過酷な労働にこき使ったのです。


この本の内容は日本とソ連の標準時間の差に迄気を配り、
詳細な戦闘の模様が具体的に記されていました。


片や、浅田次郎著の「終わらざる夏」は、これは小説です。
そろそろ終戦になるかも(陛下の意向を察した軍上層部)の予測の元に、

英語の通訳の出来る人間や、若い医学生、それに歴戦の強兵(つわもの)ながら、
指を欠落して、銃も打てない様な予備兵を刈り出して占守島に送り出す処から始まります。
その関わり合った人々の実に丁寧な人となりの描写、その抱く思想を述べ居ていますが、

もう確かに戦争否定の記述の外なりません。
実に様々な身分、立場の人が出て、当時の様を詳述します。

島の攻防戦については、やっと終章近くで、シーンが出て来ますが、
それもソ連兵の上司への報告や手記の如き体裁で書かれています。


著者が多年温めた題材かもしてませんが、生き残りの聞き取りは一人だけで、
大半は記録の調査でこの本が書かれたものでらしい。

何れも比較が出来ない別個の質の異なる書体のものですから、
良否を判定する事は出来ません。


以下は私の独断です。
もし、占守島で日本軍があっさり降伏していたら、ソ連軍はその勢いで、
北海道を占領していたかも知れない。ソ連の遣り方から想像して、
アメリカが沖縄を返した様にはならなかったでしょう。
つまり、北海道はソ連領になってしまった可能性が大きいのです。

何れにしても戦後に戦われた、最果ての地での激戦ーー戦死は、
我々に多大の感興(感銘と思考)を与えて呉れるものでありました。


金木犀が突然咲いた

2010年10月06日 | 季節の情報
前日迄全く気がつかなかったのに、昨日の朝、ふと見ると、
玄関脇の狭庭の金木犀が沢山の花を開かせているではありませんか!!

勿論芳香も漂っています。

この処未だ夏日が続いて結構暑くて、夏の延長のようでしたが、
やっぱり季節の花は時期を違えず咲くのですね。

気を付けてみると、あちこちのお庭の金木犀も、
皆一斉に咲いているのに気が付きました。。

愈々本格的な秋から初冬の季節になって来ている事を教えられました。

終戦が決まった後の8月20日に戦死?--占守島の攻防(2)

2010年10月05日 | 本の情報
昨日のブログの続きです。

ソ連軍が8月17日に上陸して来たのですが、
この島には上陸出来る場所が限られていました。

元関東軍の日本最強の残留部隊が、其処に堅固な要塞を築いて待ち受けていました。
この軍隊は輸送船が無くなったばかりに南方に転戦出来ずに取り残されていたのです。


ソ連軍が上陸すると、これは格好の餌食とばかり、戦車迄繰り出して猛攻撃。
敵は最初は戦車が無かった。 其処で緒戦は波打ち際で殲滅されたのです。

驚いたソ連軍は、援軍を次々上陸させて、大激戦になります。

8月20日にやっと軍使が出て、終戦に漕ぎ着けるのですが、
ソ連軍は、これは囮ではないかと銃撃し、白旗を掲げた軍使以外の
援護兵や通訳迄打たれて、皆戦死してしまいました。


この攻防戦で両軍とも甚大な人的損害を受け、
ソ連側で約1500名、日本側で約700名の戦死者が出たのです。
(彼我の記録はかなり隔たりがあるのですが、日本側の記録に依りました)

もう15日に戦争は終わっているのに、そして間もなく故郷に帰れると思っていた矢先の、
戦死は何とも悲惨な事ではありませんか。


では、昨日掲げた2種の本の書評に移りますが、驚いた事にその内容は全く違うのです

浅田次郎著の「終わらざる夏」は完全な小説です。
著者の信条であろうと思われる、戦争否定の内容が
この占守島の攻防を土台にして、たっぷりと織り込まれています。

他方、大野芳著の「8月17日、ソ連軍上陸す」の方は、これ又完全なノンフィクションなのです。

どう言う事かという点については、少し長くなりますので、
改めて次回(3)に記述したいと思います。 悪しからずご了承ください。


終戦が決まったのに8月20日に戦死?--占守島の攻防(1)

2010年10月04日 | 季節の情報
千島列島の地図をご覧ください。
直ぐ北側にあるカムチャッカ半島にひっつく様にして、
列島最北端の小さな島、占守島があります。

この島に終戦当時関東軍の精鋭、戦車隊、砲兵隊が守備していました。


終戦のニュースを聞いて、守備隊は兵器、弾丸などを、
埋めたり、海に捨てたりして武装解除が行われるのを待っていたのです。

処が17日に突如、国籍不明軍が、上陸攻撃して来たのです。

日本側は驚きました!! 演習ではないのかと・・・・。
然し、実弾で攻撃してくる以上、自衛的にも戦わねばなりません。

慌てて、火器重機を、弾丸を掘り返したり、取り戻して応戦する事となったのです。

一時的には混乱したものの、其処は日本最強の元関東軍です。

猛烈な激戦となりました。至近距離からの白兵戦です。

ソ連側は、日本は敗戦を知っているだろうから、戦意は無いだろうし、
直ぐ降参するだろうを甘く考え、1日で占領を終え、

南に下って北海道を占領すべく画策していたのでした。

その様子が最近出版された書籍に載って居ります。

一つは浅田次郎著「終わらざる夏」上下巻、
もう一つは、文庫版で大野芳著「8月17日、ソ連軍上陸す」です。


次回は其々簡単な説明を加えながら、書評をしてみたいと思います

振幅の差が激しい昨今の気温

2010年10月03日 | お天気情報
此処京浜地方の9月の最高気温は、月初から8日位の間では、
35℃を超える猛暑日で、其の後は22日頃迄30℃程度の夏日が続いたと思ったら、

今度は20℃を割る10月下旬並みの冷えびえとした気温で、

気温の振幅が大きかったです。

ホントにどうなってんの?と言いたい位。
気温に合わせて厚着になったり、薄着にしたり、クーラーを点けたり暖房にしたり、
体調を整えるのに大童(おおわらわ)。

因みに10年前の平成12年の気温を見ますと、
月初からずっと23℃~27℃位で安定しています。

 (月末だけは一寸下がって21℃前後になりましたが・・・・。)

世界各地で洪水が起きたりして
どうも気象の異常さは地球全体の様ですナ。

体調を崩さない様に気を付けましょう。

誰がどうして「悪人」なのか

2010年10月02日 | 本の情報
文庫版の吉田修一著「悪人」(上)(下)巻を読みました。
独断偏見に満ち満ちた書評を書きます。 悪しからず。

どうもこの手の小説は(not my style)=自分の性(しょう)に合わないのですナ。


保険外交員の女性が人里離れた峠で、殺され遺棄されるのですが・・・・。

大体、出会い系サイトを舞台にして、友達には内緒にして、
いい加減な大学生や、訳が判らない荒れた性格の男と会合し、話が進みます。

ヘルス・マッサージ嬢の話が出てきたり、
セックスっぽい描写が多かったりで、私が好む様な筋ではないのです。

「悪人」の映画が封切られていて、その映画を観る前に、
原作を読んでおこうと思ったのですがネ

(特にヒロインの深津絵里さんが、
 モントリオール映画祭で最優秀女優賞を得た事でもあります。)

下巻は殆んど読み飛ばしに近かったので、
余り正確な判断ではないかもしれません。

書評を読むとかなり評判が良いようなのですが、
私個人としてはそうとは思えませんでした。

(人間関係やその心の動き、環境などの描写が優れていたのでしょうが・・)

誰がどうして悪人なのかを考えさせられるものらしい。

いずれにせよ、映画を観るのは止めました。