80才のハツラツ日記

愈々名実共に80才を迎え、人一倍好奇心を燃やして、元気な行動の随筆日記です。

こうしてゴッホになったゴッホ展

2010年10月10日 | シニア日記
東京の国立新美術展に出掛けました。「ゴッホ」展なんですが、
「こうして私はゴッホになった」と言う副題が付いています。

従来の美術館展示とは趣向が違った、興味ある展示をしていました。
順路に沿って観て行くと、ゴッホがどうしてあの独特の画風になったが良く判ります。

1853年に生れ、1880年(27才)で画家となり、1890年(37才)にピルトル自殺をするのですが、
その間の住居の変転に合わせて、時系列的にゴッホの絵が展示されていました。


ゴッホが絵描きになる前は色々な職業に就き、最後は牧師であったらしい。
彼は殆んど独学に近いと言っていいほど自分で勉強したとの事。

1.初期の影響
  当時の巨匠と言われる画家、ミレー、クルーベ、ルソーなどの絵の模倣、
  モチーフ、色調、技法、筆使いなどを素描きで徹底して模倣しています。

2.ニューネン(オランダのアムステルダムの近辺)に移住した頃(1883年~)
  今度は実際にミレーやドラクロワについて学び、沢山の人物画を描いています。
  ミレーの影響が大きく、農夫を描いたものが多いですね。

3.パリでの習作(1886年~)
  ロートレックの「薄塗り絵画」技法、日本の浮世絵からの大胆な構図をも学んでいます。

4.アルル(南仏)でのゴーギャンとの共同生活(1888年)
  この頃になるとあのゴッホの強烈な色彩を大胆に表現した独特の画風が開花します。

5.サン-ミレの療養院にて(1889年)
  強烈な青と黄色の色彩の特徴がいかん無く発揮されています。

気が付いた事と言えば、貧しい農夫の姿を非常に沢山描いています。
それに静物としてはジャガイモの絵が多いですね。 彼は薯が好きだったのかナ。
強烈な黄色には特に思い入れがあったようですネ。


最後は自分の人生は全て絵画に投入されて、自分自身は壊れてしまったと表現しています。

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