80才のハツラツ日記

愈々名実共に80才を迎え、人一倍好奇心を燃やして、元気な行動の随筆日記です。

思いもよらず我一人

2010年07月31日 | 体験談
古いファイルを整理していましたら、
学校時代のゼミの仲間たちと一緒に写した写真が出て来ました。

大阪市大(旧制高商部)を卒業して2年後の昭和25年頃に、
大阪戎橋の写真屋で撮ったれっきとした記念写真です。


ゼミの指導教授を交え、自分を含めて全員で9人が写っています。

♪♪思いも寄らず我一人、不思議に命永らえて~・・♪ は、
軍歌「戦友」の一節ですが、正にその歌詞の通り、

その親しかった友は、自分を除いてみんな霊界鬼籍に入ってしましました。

其の当時、未だ食料不足で、誰かの2階でスキヤキ・パーティを開いたのですが、
皆がそれぞれ牛肉の煮える前から、箸で抑えて所有権を確保したものでした。
アッと言う間に肉は無くなりました。

そんな懐かしい思い出を、共に語る大学時代の同窓生は殆んど居りません。

自分がもう日本男子の平均寿命78才を超えている事に思い至れば、
選ばれた人なんだと感謝の気持ちで毎日を過ごさねばなりません。

亡くなった友人の分も引き受けて、一日々々を意義のある、楽しい余生を
大切にして生きて行きたいと念願している次第です。



慈雨来たりV字型の底の冷気を誘う

2010年07月30日 | お天気情報
昨日のブログで、干天の慈雨を渇望したのですが、
忽ち効果が表れました。 それも思ったより早く朝からです。

激しく降ったり、突然止んだり、シトシトと梅雨の様に降ったり・・・・でした。
庭の草木も完全に息を吹き返しました。 ThankYou です。


この雨のお蔭でしょうか、最高は29日(木)は29度、そして30日(金)は30度の、
日付と合わせた気温の低下です。やはり5度違うと随分と過ごし易いですね。

処が又、31日(土)、1日(日)と最高気温35度の猛暑に戻ります。
気を緩めず、熱中症など飛んでけと、気合いを込めたいです。


当社は7月末大決算。 棚卸もしなくてはいけないし、結構忙しいんですよ。

干天の慈雨よ来たれ

2010年07月29日 | お天気情報
此処京浜地方では7月17日の梅雨明け宣言以来、雨らしい雨が殆んど降っていません。

1,2日、夜の間に降ったらしい痕跡があったのですが、焼け石に水程度のお湿りで、
庭の草木はもうぐったりと弱っています。

その間、稀に見る猛暑の連続で、其の暑さたるや正にサウナに入ったよう。
電気量や水道の使用量は物凄く鰻登りのように増えていると思うのですが・・・・、


今年は水が足りない、電気が足りないとの声は出ていません。
結構な事に水源地のある山沿いでは、かなりの降雨があったので、
水の補給には事欠かないのでしょう。

然しもうソロソロ雨の神に頼んで、
山沿いで降っている半分でも、此方の空に回して呉れないものかと願いたいです。
土砂降りでは困りますが、2,3時間でもスコールの様に降って欲しいものです。

そうすれば大気もひんやりと涼しくなろうものをと、考えるのですが・・・・。

中々思うようには行きませんナ。

今朝の予報を見るとどうやら夕方頃から雨になるかもしれません。

びっくり仰天!霞ヶ浦の大竜巻

2010年07月28日 | お天気情報
昨夜のテレビでご覧になった方も多いと思いますが、
実に物凄い竜巻が発生したものですね。

私の今迄の竜巻の概念と言えば、天と地が細い管の様な線で、
結ばれていたものですが、昨日見た竜巻はまるで太い柱のよう。

多分湖の水を吸い上げていたのでしょう、飛沫の様な雨が降ったらしい。
それにしても人畜被害が出ていませんから、どうだったのでしょうかね。

「竜巻が発生したぞ、逃げろ」と言われても、
何処に退避したらよいのか判りません。


外出中なら、堅固なビルに入っていたら良いのですが、
一般家庭なら家の中で、頭を抱えて小さくなっているより方法がありません。
猛烈な力で、鉄骨製のガレージの屋根を吹き飛ばしたそうですから、
人間なんか軽々飛ばされてしまいますね。

そんな竜巻が傍に来たらもうお手上げで、後はどうなと勝手にしてくれとなります。
(尤も大きなマンションにお住まいなら、全く問題なしといえますがね。)

然し大体発生する場所は、凡そ決まっているらしいです。
黒い雲が出て、雷雨、突風、それに雹まで降る事があるそうです。

雷が多い(積乱雲の良く発生する)関東の山沿い周辺などは要警戒でしょうな。

白鵬の快挙と異例づくめの名古屋場所

2010年07月27日 | スポーツ情報
天地動乱の名古屋場所もやっとどうにか終わりました。

不祥事件も場所中迄、親方と暴力団との関係が浮かび上がったりして、
ごたごた続きでしたが、それを差し引いても余りある白鵬の偉業でした。

白鵬の努力が無かったら、ホントに寂しい場所に成り下がる処だったです。
せめて賜杯は渡してやりたかったですね。


最近の取組について一言。
単純な決まり手が増えたですナ。 これでは相撲の面白味が半減します。

私の勝手な愚見なのですが、
内容と決まり手によって勝ち星の点数制を実施したらと思うのですが・・・。

張り手や立ち上り横に跳んでの引き落としなどは勝ち点1点とします。
1分を切る様な寄切りや押し出しは勝ち点2点。
その他の決まり手なら勝ち点3点。


これで其の場所の勝ち点を合計して、番付の上下の参考にするのです。
結構面白い取組に変わって来るのでは・・・と思ったりします。

負け越しているのに、勝ち越しの力士より、勝ち点が良かったりして・・・・。

よく張り手を使って勝っている阿覧の今場所の敢闘賞はおかしいと思うのですが・・・・。
張り手を推奨してはいけません。 ボクシングではないのですから。

鰻族受難の日

2010年07月26日 | 食の情報
26日は土用の丑の日。 
夏負けしないようにと精力の付く鰻を食べる習慣が付きました。


江戸時代、夏場でさっぱり鰻が売れないので、どうしたものかと思案の挙句、
「土用の丑」と書いて張り出したらよく売れたとの事。
定説では無いので本当かどうかは判りません。

現在ではもう殆んどが養殖ものばかりです。

黒潮に乗って日本沿岸にやって来た天然の稚魚、シラスウナギを漁獲して、
人工池で育てる訳です。昨今は輸入物、中国、台湾、アメリカ等が主力。

私はかなり頻繁に東阪間の新幹線に乗りましたが、以前に比べて
浜名湖周辺の養鰻(ようまん)池がずっと少なくなりましたね。
たぶん採算が合わないので撤退したのでしょうナ。

輸入物は残留農薬などが検出され、一頃売行きが停滞しました。
国産と輸入物との値差が大きく開き、産地偽装問題が発生しましたね。

鰻を人工授精させ、稚魚を生ませて育てるという完全養殖はとても難しいのだそうです。
平成3年頃に成功したと言われたのですが、実験段階の程度で長続きしませんでした。

それが今月初め頃、日本の水産総合研究センターが、
世界で初めて多量の完全養殖に成功と発表しました。
25万個の卵を生ませ、75%の孵化率だったそうです。今、10万匹も育っているそうです。


排卵、精子の放出が一定条件で無いと駄目で、又餌も試行錯誤の末やっと食べ出したとの事。

シラスウナギの漁獲が減って、将来どうなる事かと心配されたのですが、
此処でやっとこさ、商業採算に乗る養殖法が発見されたと言う事でしょうか。
大成功になりました。


謝れば済むのか

2010年07月25日 | 時事問題
昨日の日経夕刊のコラム欄に、「謝る文化、謝らない文化」
なる小論が出ていましたので、読まれた方も多かったと思います。

確かに事件が起こると、当該大企業や自治体の幹部が首を揃えて、
済みませんでしたと謝るシーンが実に多いです。


これはどうも日本だけの風習に思えます。
記事ではオーストラリアの人は決して謝らないと、ありましたが、
豪州だけではなしに日本以外、何処の国の人も殆んど謝りません。

訴訟にでもなれば忽ち不利な立場になるからです。

日本では何でもかでも直ぐ裁判になると言う訳でもないし、
まずは、本人の気が済むと言う事でしょうナ。
受ける方も、まあ相手は「済まないと感じている」事だしと多少寛大になります。

然し、其の事件に就いては何の解決にもなりません。
寧ろ、何故こうなってしまったのか、或いは今後どんな対策を講じるのか、
具体的に改善策を述べる方が、遥かに良いのではと思いますがね・・・・。


まあ、なにはともあれ、取り敢えず、謝って置こう、
厳しい追及の矛先を少しでも避けようとの姑息な判断ではないかと思うのです。

もうがん首を並べての謝罪だけのシーンは見たくありません。

新聞の小論では「スミマセン」は止めた方が良いとの提案の様ですが、
其処までしなくとも、はっきりと改善策を直ぐ述べられる様にして欲しいと思います。



百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を読んで

2010年07月24日 | 本の情報
講談社文庫です。
帯紙に「最高に面白い本大賞第1位」と派手な広告です。
かなり売れているらしいので、買って読みました。

太平洋戦争の終戦直前に特攻隊になって戦死した祖父の、人となりを調べたくて、
60年経った今日、僅かに残された記録を探し、当時の彼の戦友を訪ねて、
戦時中の話や祖父との接触の様子を聞くストーリーです。

従って主人公(祖父)はこの小説には出て来ません。
過去の戦友の話を聞く内に、次第に祖父の人間としての全貌が浮かび上がって来ます。

軍人でありながら、戦場に出ていながら、
絶対に生きて帰りたい、そして妻と未だ見ぬ娘に会いたいと口癖の様に言っていた祖父。
戦友から臆病者、逃げてばかりいる奴とからかわれ、蔑まれていた男。


零戦の操縦に掛けては天才と迄言われた、物凄い技術の持ち主。

それが最後に特攻隊で米艦に突入する物語です。


様々な生き残りの元戦友の話から、日本の負け戦の全貌が極めて判り易く説明されます。
他の太平洋戦争に関する本は結構読みましたが、
これ程判り易く書かれているものは無かった様に思います。

本当に過酷な戦争、涙なしでは読めません。戦争を知らない若者に是非読んで欲しいです。

最後に全く想像も附かない、衝撃の大どんでん返しがあります。
本当に泣けてしまいました。最終章は電車の車内で読まなくてよかったです。


一部の批評に、戦争の描写の場面に剽窃(ひょうせつ=他人の文章を盗み取る)があると、
けなしていましたが、それを上回る素晴らしい全体の構成で、全く感動の極みでした。


間違いなく「大暑」です

2010年07月23日 | 季節の情報
今日は暦の上での「大暑」なのですが、
全く以て、文字通り、暦通りの「大暑」になりました。

昨日も日中の街路では、灼熱の気温、太陽が陰(かげ)っても、
空気自体が熱を持っていますので、正にサウナ室の中と同じです。

南方の諸民族は、こんな時間帯ですと、皆昼寝の時間とばかり、
自宅で、或いは木陰の風当たりの良い処で休んでいるのが普通ですが、


日本人ばかりは、熱中症になりながら働いています。  どうもご苦労さま。

処で明日の夜は十三夜。 月が皓皓と輝いて気分が良い事でしょう。
「真夏の夜の夢」でも見ますか・・・・。


前立腺肥大がやや改善

2010年07月22日 | 健康管理
昨日は東海大付属東京病院に出掛けました。
月一回の予約通院で泌尿器科で受診します。

暑かったですナ。 12時過ぎに家を出たのですが、
酷暑で眼がクラクラしそう。

自分の体温は普通35度台ですが、もう完全に体温以上で、
丁度サウナに入っているようでした。


泌尿器科と言うのは患者さんは殆ど男の高年者ばかりです。
付添いの付いている人も多い。後ろでしゃべっているのを聞くと、
88才だとか、90才になったとかでホントにご年配です。


月一の尿道カテーテルの交換をします。
未だ自力での自然排尿に自信が無いので、カテーテルを続行です。

主治医もその方がよいとの意見でした。
秋になれば自分で着脱できる細いものにしたらとのアドバイスでした。

前立腺の肥大は少し小さくなっているとの事。

嬉しかったです。毎日忘れず欠かさず薬を飲んでいるので、
其の成果が表れたのでしょう。

暑い中でも俄然元気になりました。