80才のハツラツ日記

愈々名実共に80才を迎え、人一倍好奇心を燃やして、元気な行動の随筆日記です。

あの暑かった日の思い出

2010年08月16日 | 体験談
65年前の8月15日。あの日も暑かったですね。 
こよなく晴れた日に太陽がジリジリ照り付けていたのを覚えています。


疎開先の(学校の夏休みでしたから)お隣の農家から、
「天皇陛下のご放送があるので、聴きに来て」との
連絡が入りました。天皇がラジオで放送するなんて古今未曾有の事です。

さて一体何だろう。「苦しい戦争だが、耐え忍んで頑張って下さい」との
最後の激励のお言葉だろうと思っていました。

農家の土間で、正午から雑音の入って聴き難い放送が始まりました。
・・切れ切れに聴こえたお言葉は、
 これ以上国民の苦しむのはとても耐えられない、朕の身はどうなっても良い、
 ・・・・戦争を終える事にした・・・と言う意味が聞き取れました。
頭を下げて聞き入っていた人は皆、泣きましたね・・・。


そんなに宸襟を悩ませていたのかと、済まない気持ちで一杯でした。

夜になって、もう電灯を黒い布で遮蔽しなくても良いのだと気が付くと
悲しい様な、嬉しい様な複雑な気持ちだったのです。


昨日もとても暑かったですナ。
2階のクーラーを入れずに書斎の窓は閉めて、
1階の居間でクーラーを付けっぱなしで休んでいたのですが、

2階の書斎に戻ると何と、室温は34度になっていました。
結局、何処にも出掛けず、(戦争の犠牲者を偲んで?)一日蟄居致しました。


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4 コメント

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Unknown (sacromonster)
2010-08-16 19:48:04
今日も厳しいお暑さでした。
65年前のあの日も厳しかったので
敗戦の日の複雑な思いが蘇ってきます。
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戦争 ( 菜の花 菜の花 nnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnnn)
2010-08-16 21:28:10
下町の大空襲は清澄庭園で助かり叔母の住む青山表参道での空襲は青山墓地で一命をとりとめ8月15日の玉音放送は荻窪できくことにんsました。終わったのだが本音です。空襲で妹と弟を失いました。90才を迎えpcの時代を知る事は幸せです。 お元気なブログに毎日お邪魔しています。   素晴らしい事と感服しています。
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Re:あの暑かった日の思い出 (donkousi)
2010-08-17 19:38:30
sacromonster さんへ

コメント 有難うございます。
本当にあの終戦の日、8月15日の出来事は決して忘れられませんね。残された人生を有意義にそして楽しく過ごしたいものです。
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Re:戦争 (donkousi)
2010-08-17 19:43:01
菜の花菜の花 さんへ

コメント 有難うございます。
あの日、8月15日の衝撃、一生忘れる事はありません。

残された余生を有意義に楽しく過ごしたいものですね。
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