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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
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コスタリカ 2018年(65)Lupe の思い出

2019-01-03 15:22:19 | コスタリカ
 ガソリンスタンド(bomba de gasolina。bomba は「爆弾」という意味もあるが、ここでは「ポンプ」の意。最近では gasolinera ともいう)に行くと、かつての少女が車の中で待っていた。手を振ると、すぐ気がついてくれた。
 この少女は本名は別にあるが、1980年当時、サンホセ郊外の Guadalupe(グアダルーペ)地区の下宿のばあさん(彼女の madrina「(洗礼に立ち会う)代母」)が“Lupe”または“Lupita”と呼んでいた。“Lupe”と呼ぶときは、他人の家の玄関先で「こんにちは」とか「ごめんください」と言うような場合に使う言葉の“Upe”の節で呼んでいたものである。“Upe”の節は中国語で言うと、まず第二声(上昇調)、次に第三声(まず低く、それから上昇)が続く。“Upe”については「コスタリカ再訪(194)Upe」ですでに紹介しているので、そちらもご覧いただきたい。
 Lupe はたぶん、彼女の個人名の一つ Guadalupe の愛称だと思うが、Guadalupe にはスペインの船乗りの守護者、Nuestra Señora de Guadalupe(英 Our Lady of Guadalupe)もいるが、ラテンアメリカでは主にメキシコの守護者 la Virgen de Guadalupe(英 the Virgin of Guadalupe) の方を指すのではなかろうか。
 実は、筆者は Lupe という名前は16歳のころから知っていた。ライチャス・ブラザーズ(Righteous Brothers)の曲に“Little Latin Lupe Lu”というのがあり、日本での2枚目のアルバムに収録されている。ビルボードで最高第47位を記録したスマッシュヒットである。ウィキペデァ“Little Latin Lupe Lu”によると、作曲者であるビル・メドレー(ライチャス・ブラザーズの低音部担当)が高校時代にデートした Lupe Laguna(laguna は英“lagoon”の意)という女の子から着想を得たとのこと。
 Lupe (Lupita)には室内遊びに付き合わされたこともあるが、そちらは「コスタリカの屋内の子どもの遊び」をご覧いただきたい。

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コスタリカ 2018年(64)義妹宅でかつての少女を待つ

2019-01-02 16:44:01 | コスタリカ
9月2日(日)
 7時ごろ目覚めたが、起床は8時。薄曇り。気温24度。9時に黒パンとビフテキ小2切れ、サラダ、アボカドとコーヒーで朝食。食後、乾燥させたオレガノ(orégano)の葉をむしり、ジップロックに詰め込む。
 この日は1980年ごろ住んでいた下宿によく遊びに来ていた女の子(今では立派な中年女性)と会う約束がある。10時に義妹宅まで来てくれることになっている。2015年にも会っているので、3年ぶりになる。そのときも自家用車を運転してきたので、今回もサンホセ郊外からはるばるアラフエラ(Alajuela)まで20キロぐらいの道のりをやってきてくれる。
 オレガノの葉むしりが終わったので、しばし休憩。
 さて、前日ビールを飲みに行ったが、会話のほとんどは覚えていないが、一つだけ覚えていることがある。それは義妹の旦那が DNA 鑑定を受けた、その結果である。唾液を採集して、アメリカに送ると鑑定して、結果を知らせてくれるというシステムである。費用は数十ドルぐらいだと言っていたが、詳しくは覚えていない。
検査の結果、義妹の旦那の遺伝子はスペインや地中海にも見られるが、中米に多く見られるものが多いとのこと。スマホに結果を取り込んでいたので、それを見せてもらった。女房殿の場合は、中国人の祖父がいるので、中国南部にも多く見られる遺伝子が見つかることだろう。
 ところで、義妹はアンティークのコレクションがある。古いアイロン(plancha)が陳列棚に飾られていた。

 【電気ではなく、内部に熱く焼いた炭を入れるタイプ】
この部屋にはテレビも置いてあるが、テレビには“VIORE”と書かれていた。“VIERA”というテレビ受像機があるが、これはパナソニックの製品である。いかにも“VIERA”を意識したようなネーミングである。調べてみると、韓国 Samsung(三星)社の製品のようである。
 1980年ごろ、台湾のメーカーの製品に“Tobishi”というのがあったのを思い出す。このほかにも “Panashiba”等というブランドもあったようである。
 10時になった。約束の時間ぴったりに来ることはあるまいと高をくくっていたら、義妹宅の近くのガソリンスタンドに着いたという電話が入った。 
  

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コスタリカ 2018年(63)ビールを飲みに行く

2018-12-30 10:36:54 | コスタリカ
 昼寝から目覚めたのが午後6時半。そろそろ夕食の時間である。この日は義妹の旦那にビールを飲みに行こうと誘われている。2015年の訪問時には自宅の近くのバーに行った。そのときの様子は「コスタリカ再訪(212)近所のバー Bar Pipo's へ」で紹介している。今回もそこに行くのかと思っていたら、町の中心部へ行くと言う。近所のバーではおつまみ程度のものしかないので、食事もできるところがいい。しかし、とても歩いていける距離ではなく、また、夜歩くのは危険である。
 ということで、義妹の旦那の娘(姪っ子、西 sobrina)が車を運転して連れて行ってくれた。義妹は不在で、参加メンバーは義妹の旦那と筆者夫婦の3人である。
 着いたところは日本で言えば、「何とかプラザ」のようなところで、いろいろな店がある。1980年ごろにはこんなしゃれたところはなかった。おしゃれなだけあって、若者が多い。
 寿司屋の看板も見たが、たぶん現地風にアレンジされたものだと思う。地下もあったが、筆者一行は地上1階の“Pub & Grill”と英語で表記されたバーのようなところに行く。ドアも仕切りもなく、カウンターの近くにテーブルが並べられている。適当なところに座ると、ウェイトレス(mesera、「テーブル」mesa の派生語)が注文を取りにやってくる。例によって、義妹の旦那はウェイトレスの名前を聞いて、なれなれしく会話する。
 とりあえずはビールを注文する。ここにはいろいろなビールが置いてある。義妹の旦那はオランダのビールを注文、筆者も付き合って同じものを頼む。
 
 オランダのビールというと、ハイネケン(Heineken)しか知らないが、注文したビールは Hollandia という銘柄である。ただ、Hollandia というスペイン語はない。「オランダ」はスペイン語では Holanda(オランダ)である。ビールの味については、よく覚えていない。可もなく不可もなかったからだろう。
 ビールだけでは、腹の足しにならないので、料理も注文する。筆者はセビッチェ(cebiche)、義妹の旦那はフィッシュ・アンド・チップス、女房殿はステーキを注文する。フィッシュ・アンド・チップスは普通、小麦粉をまぶして揚げるのだが、この店ではパン粉を使っていた。それでも結構おいしかった。まだ腹に入るので、ピザを注文して、3人で分ける。
 ビールはお替りしたが、筆者は弱いので、2本(たぶん)、女房殿は4本、義妹の旦那は5本飲んだ。
 会計の記録は残っていないので、たぶん、義妹の旦那のおごりだろう。安くはなくても、それほど高くもないだろう。
 会計が終わって、女房殿がトイレにっている間に、その辺で写真を撮る。
 
 【“Pub & Grill”の近く。元は電話ボックスだと思われる】
 
 【日本と同様のゴミの分別はコスタリカでは、ここで初めて見たような気がする】
 11時半ごろ、タクシー乗り場に行く。無事、タクシーに乗って、帰宅。すぐ寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(62)mercado(市場)に立ち寄る

2018-12-28 17:15:37 | コスタリカ
 典型的なコスタリカ料理の昼食は義妹の旦那のおごりだったので、いくらだったのか、わからない。Alajuela 市の自宅に戻るのだが、途中、女房殿がチーズを買いたいというので、mercado(英 market)に寄る。義妹の旦那はそのまま自宅に帰る。雨がぽつぽつ降ってきた。
  
 野菜、フルーツ、チーズ、牛乳などが売られている。天使の写真はどこかの売り場にかけられていたものだと思う。
 パプア・ニューギニアのマーケットも大体こんな感じだったと思う。チーズ売り場でお目当てのチーズを探したが、残念ながら売っていなかった。
 仕方なく、帰宅することにしたが、タクシー乗り場は長蛇の列である。ここでの乗車はあきらめて、市街地まで歩いて、タクシーを拾うことにする。義妹の旦那に傘を1本借りていたので、相合傘で歩く。
 街の中心の公園と墓地のある交差点まで行くと、うまい具合にすぐ、タクシーが拾えた。運転手は女性だった。これまでの経験で、コスタリカで女性タクシー運転手に当たったことはない。年配ではなく、わりと若く、太ってもいない。物腰も柔らかく、感じのいい女性であった。
 基本料金は660コロン(120円強)。しばらく基本料金で走っていたが、基本料金の区間を過ぎると、10メートルで10コロン(2円)上がるようである。2円だから、大したことはないのだが、気にはなる。結局、自宅まで1800コロン(約360円)だったが、200コロン(40円)をチップとして渡した。コスタリカでは一般にチップの習慣はないが、駐車場のおじさんに渡すこともある。
 帰宅後、昼寝する。この日は朝から大変だったので、疲れた。6時半まで寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(61)帰り道のコスタリカ料理店にて昼食

2018-12-27 15:55:04 | コスタリカ
 義妹の旦那が迎えにきてくれたときはすでに12時を回っていた。Alajuela(アラフエラ)の自宅に帰る前に昼食を済ませることにした。Autopista(国道1号線)をまたいで、Alajuela 方面への道に戻る。ロータリーを出てほどなくレストランがあった。義妹の旦那もよく来ているところらしい。レストランの名前は“La Casona Del Maíz”(ラ・カソーナ・デル・マイス)。「とうもろこしの古くて大きな屋敷」という意味である。レストランの様子はリンクをご覧いただきたい。
 人気店らしく、結構客がいた。窓際の席についた。
   
【窓からの景色】
 ウェイトレスが注文をとりに来るが、この店ではウェイターやウェイトレスは伝統衣装を着ている。ただし、厨房スタッフは除く。
 
 【“depositphotos”より】
 義妹の旦那はウェイトレスの名前を聞いたりして、親しげにしている。これくらいはコスタリカでは当たり前のことだろう。
 注文したのは以下のものである。美味であった。
  
 

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コスタリカ 2018年(60)車が故障

2018-12-25 08:49:26 | コスタリカ
9月1日(土)
 昨夜はさっさと8時半に寝たので、6時に目が覚めた。が、例によって、だらだらして、7時起床。気温は22℃。気持ちがいい。朝食後、庭に義妹のサボテンコレクションが多数あるので、見物する。日向でも暑くはない。
 7時40分ごろ、乾燥ハーブの葉っぱむしりを手伝う。袋につめて、全部日本に持ち帰るのである。
 この日は Atenas(英 Athens、アテネ)在住の知人を訪れる予定である。この知人は1979年以来のお付き合いで、ずいぶんお世話になった方である。コスタリカでビジネスをしている日本人で、奥さんはコスタリカ人である。3年前にも会っている。そのときも Atenas の自宅にいらっしゃいといわれていたのだが、都合がつかず、行けなかった。その後、ガンや認知症に侵されていると聞いている。事前に連絡していたが、すぐには思い出せなかったようだ。というわけで、この日の連絡は奥さんにした。
 10時に出発。実は、Atenas へ行くのは初めてである。観光地ではないし、知人もいなかったのである。この知人は長くサンホセに住んでいたのだが、奥さんの実家が Atenas にあり、親戚がまとまって住んでいて、その広大な敷地の一角に家を建てたわけである。

 Atenas までは順調なら、1時間もあれば着くはずである。昨日 Puntarenas からの帰りに通った道を行くわけである。ところが、エンジンの調子が悪く、変な音が出るようになったが、そのまま進む。
 Puntarenas へは Autopista(1号線)で行くが、Atenas は Autopista の向こう側に行くわけである。Autopista には信号がない。このあたりは交通量が多く、立体交差になっていて、難なく Autopista を横切れる。立体交差の手前がロータリーになっていて、ちょっと運転が難しい。この辺でますますエンジンの調子が悪くなってきた。止まるわけにも行かないので、ロータリーを抜け、立体交差をまたぐと、うまい具合に、右手にガソリンスタンドがあった。女房殿はそれに気づかず、行き過ぎようとしたが、筆者が教えて、ガソリンスタンドに入った。
  
                  【借りた車】
 見てもらったところ、エンジンオイルが少なくなっていた。冷却水が熱湯になっていたので、水が冷めるのを待って、それからエンジンオイルを入れてもらう段取りである。
 待つこと1時間。その間に、義妹の旦那に電話して、迎えに来てもらうことになった。エンジンオイルを交換しても、車は動かせる状態ではない。
 
 【ガソリンスタンド内にある消火器の看板】
 そうこうするうちに義妹の旦那が迎えに来てくれた。車はガソリンスタンドにおいて、後日取りに来ることにした。
 この車は貸してもらう前に taller(車修理工場)でチェックしたとのことだが、何しろ走行距離が20万キロである。売りに出すことも考えていたらしいが、2ドアのため人気がなく、売れなかったとのこと。コスタリカでは4ドアが人気らしい。
 Atenas の知人には連絡して、日を改めて訪問することにした。
 

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コスタリカ 2018年(59)Alajuela(アラフエラ)の義妹宅に帰宅

2018-12-22 20:54:30 | コスタリカ
 granizado (カキ氷)を食べながら、Alajuela(アラフエラ)方面へ向かう。Autopista(国道1号線)に入ると、信号もないので、すいすい進む。日本の高速道路と違って、autopista に入るのに料金所はない。料金所はサンホセ方面への上り線に3か所あった。それも中央高原に入ってからである。そのうちの1か所の料金は710コロン(約140円)。他の2か所はもっと安かったような気がする。
 料金所は昔は現金のみだったが、プリペイドカードの専用レーンができていた。ゲートは数か所あり、そのうちの一番左側がプリペイドカード専用レーンだった。日本の ETC のようなものはない。
 だんだん日が暮れてきて、autopista からアラフエラ方面への道に入るあたりで暗くなってきた。このあたりは道が新しくなっていて、ロータリーになっていた。間道に入るのだが、昔は車が少なく、道はスカスカだったものだが、今では車が多い。また、ちょうど退社時間になっていたので、道が混んでいる。道は狭いし、信号はすぐ赤になるし、なかなか進まない。それでもアラフエラの町の北にある Auto Mercado(画像あり)へ続く道までやってきたが、女房殿が道を間違えた。ナビ・ソフト Waze をつけていたが、道が複雑な上、暗いので、一つ手前の道を左折してしまったのである。引き返すにも道が狭いので、直進する。すると、義妹の家のさらに北の方、ポアス火山へいく道に出た。間違えでもしない限り、こんな道を通ることはない。ナビ・ソフトどおりに進み、やっと義妹の家のゲートまでたどりついた。ゲートは歩道のやや奥まったところにあり、車は歩道に乗り上げなければならない。ところが、歩道に乗り上げたとたんに、エンジンが止まってしまったのである。この時は、すぐエンジンをかけなおして、ゲートを通って、無事帰宅したわけであるが、これが翌日のトラブルの前触れであるとは夢想だにしなかったのである。
 帰宅したときには午後6時半になっていた。昼食の時間が遅く、それもたらふく食べたので、全然お腹がすかない。コーヒーを1杯飲んで、休憩する。7時半の気温は23度であった。8時半には寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(58)Granizados と Churchill 

2018-12-16 19:51:04 | コスタリカ
 Puntarenas から Alajuela(アラフエラ)に引き返す。
 Puntarenas は細長い町なので、道を間違えることはない。それでも、一応ナビ・ソフト、Waze を使う。半島を出ても、しばらく海沿いの道を行く。
  
 
 すると、右手(海側)に Granizados や Churchill の看板が見えてきた。女房殿は granizados(グラニサドス)がほしいという。granizados とはカキ氷のようなもので、granizar(あられ、ひょうが降る)という語の過去分詞形である。そういえば、日本のカキ氷には「みぞれ」があるが、似たような発想である。
  
 筆者もお付き合いで、注文する。紙コップに入れて、写真のおじさん(屋台の店主だろう)が車まで持ってきてくれた。
 近くには Churchill の看板もある。パフェのようなものだろうか。
 
 Churchill という文字だけだと、とても食べ物とは思えない。どうしてもイギリスの政治家、ウィンストン・チャーチル(Winston Leonard Spencer-Churchill)を連想してしまう。
 Churchill はスペイン語読みすると、「チュルチル」なので、「チャーチル」といっても通用しない。
 Churchill は1980年ごろにはすでに Puntarenas には存在していた。ただし、首都サン・ホセではこんな言葉は通用しなかったと思う。Churchill については「アイスクリームとかき氷とチャーチル」でも触れているので、参照願いたい。
 暗くなる前に帰りたいので、granizados は車中でいただくことにして、出発する。サン・ホセ方面の分岐に出たが、今度は間違えることなく、ちゃんと Autopista(1号線)に入った。

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コスタリカ 2018年(57)Nicoya 半島に行くか、帰るか

2018-12-09 16:58:17 | コスタリカ
 Puntarenas の次は Nicoya 半島へ行くつもりであった。Nicoya 半島は Puntarenas から見える。
 
 Nicoya 半島には女房殿の父方の親戚が2家族いる。どちらも中国系で、そのうちの1人はマカオに兄弟が2人いる。その兄弟のうちの1人には2017年の香港・マカオ・広東訪問時に会ってきている。 
Puntarenas から Nicoya 半島にはフェリーが出ているが、乗ったことはない。Puntarenas の対岸の赤丸印まで10キロもなさそうである。“Ferry from Puntarenas to Paquera and Naranjo”によると、こちらの便は1日4便、半島の南部に行く便は1日6便となっている。当日、知人宅で聞いたところではフェリーは5時に出ると言っていたので、南部行きの便だったのだろう。すぐ近くなのに2時間もかかるという。
 陸路で行くとかなり大回りになる。地図の上のほうの赤丸印のところは現在、橋ができているが、1986年にはまだなく、橋のもう少し南の辺りからフェリーが出ていた。半島からの帰路に一度利用したことがある。
 この橋は“Puente de la Amistad de Taiwán”(台湾友好橋)と呼ばれている。コスタリカは2007年までは台湾と外交関係を持っていたので、台湾からの援助でできた橋だろう。この年に中国と外交関係を結び、台湾と断交したわけだが、橋の名前はそのままのようである。
 さて、何にしても Nicoya 半島に着くころにはだいぶ暗くなっていることだろう。事前に訪問すると連絡してあったが、帰国まであと4、5日しかなく、予定が立て込んでいるので、Alajuela(アラフエラ)に戻ることにした。

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コスタリカ 2018年(56)知人訪問

2018-12-07 20:39:39 | コスタリカ
 Restaurante El Jirón (エル・ヒロン)にて筆者一行は店の外の道路のテーブルについた。
 
 午後2時半ごろだったので、他に客はいない。女房殿がウェイターに店のおススメを聞く。勧められるがままに注文したが、たぶん一番高い料理だったのだろう。いつもなら暑いので、ビールも飲むところである。女房殿は運転もあるので、やめておく。
 程なく、料理が来た。
 
 伊勢海老(langosta)、エビ(camarón)、タコ(pulpo)、魚(pescado)などがたっぷり盛られている。
 おいしくいただいたが、食べきれなかった。安い食材は残す。1人約2500円であった。
 さて、このレストランのそばに知人の家がある。2015年にも訪ねていった(「コスタリカ再訪(117)マチョ訪問」参照)が、まだ健在だろうか。70代半ばである。知人のニックネームは Macho(マチョ)だが、2015年にはこのニックネームだけで、家を探し当てた。小さい町ではあるが、現地ではちょっとした有名人である。
 新しいウェイターは知らないが、昔からいるウェイターは当然知っている。
 
 知人の家は、通りを隔てた隣の家である。前を通りかかると、小窓が開いていて、中に Macho が座っていた。ソフトドリンクを売っているらしい。“Don Macho”と声をかけて挨拶するが、3年前のことを覚えていないようだ。当時すでに軽度ではあるが認知症を患っていたので、そういうこともあろうかと、ショックは感じない。すぐに娘たち(といっても立派なおばさん)が出てきた。こちらの方はちゃんと覚えていてくれている。
 娘たちは3人姉妹だが、出てきたのは2人。その場にいない娘が、某私立大学の学長・理事長を勤めた、筆者の友人(青年海外協力隊OB)に懸想していたのである。残る2人の娘たちにこの友人が1年前に逝去したことを伝えなければならないのは残念なことであった。
 中に入ってコーヒーでもと誘われてたが、先を急ぐので、辞退せざるを得なかった。
 

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コスタリカ 2018年(55)Restaurante El Jorón(レストラン・エル・ホロン)へ

2018-12-05 17:48:15 | コスタリカ
 2015年 Puntarenas 訪問時に夕食を摂ったのは Casa Almendro(アーモンド・ハウス)というレストランだったが、今回はもっと岬の突端近くにある Jorón(ホロン)というもっと庶民的なレストランである。
 レストランの名前 Jorón の意味はよくわからない。jorón という言葉は筆者の小学館『西和中辞典』には載っていない。jora(ホラ、チチャ酒用のとうもろこし)、または joro(ホロ、小さいかご)に増大辞がついたもののようでもある。
 “Definición de jorón ”というページには「居住用または穀物貯蔵用の屋根裏部屋」という説明がある。中米の先住民の言葉キチェ語に由来するらしい。
Diccionario de variantes del español”というページには次のように書かれている。
 Establecimiento festivo donde se venden y consumen refrescos y bebidas alcohólicas
 お祭りのときにソフトドリンクや酒類を出す店(屋台)ということだろう。それが発展して、シーフード・レストランになったのだろうか。
 Jorón に似たような言葉に jirón(ヒロン、布などの切れ端、三角形の旗)と言う言葉がある。こちらの方は1980年ごろラジオのコマーシャルでよく聞かれたものである。コマーシャル・ソングのメロディーは今でも耳に残っている。そういうわけで、レストランの名前はてっきり、Jirón だと思い込んでいた。それで、レストラン Jorón の前に来たとき、一度通り過ぎてしまったのだが、他にそれらしいレストランはないので、戻ってきた。
 
 【Restaurante El Jorón。店のフェイスブックより。いかにも宣伝用の写真】
 
 【店の看板】
 

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コスタリカ 2018年(54)Puntarenas の教会

2018-12-02 19:58:17 | コスタリカ
 これまで Puntarenas に行くときはまずホテルかレストランを目指すのだが、今回は教会である。別に信心深いわけではない。お目当ての教会は2015年のコスタリカのカレンダーに載っていたもの(「2015年のコスタリカのカレンダー 5 La Guaria Morada」参照)である。これまで何度も Puntarenas へ行ったが、この教会を訪れたことはない。
 ナビ・ソフト Waze の指示どおりに進むと教会があった。細長い町なので、まず間違うことはない。無事到着。午後2時前なのに、涼しい。気温は25度以下ではないだろうか。何度も Puntarenas に来ているが、こんなに涼しいのは初めてである。Puntarenas は北緯10度ぐらいの港町である。寒流にも洗われていない。当然暑いはずなのだが。そういえば、Puntarenas に来るときはいつも乾季であった。乾季は雨が降ることはまずない。地面が雨で冷やされないので、暑いのだろう。それに対して8月末は雨季の真っ只中である。この日の天気は曇りだったが、雨のおかげで涼しいのだろう。
教会に着いて、まずはトイレに行く。教会脇の店でたずねる。トイレの鍵はこの店の人が持っていたので、トイレまで行って開けてもらった。トイレを済ませたあと、お礼に水でも買おうと思ったが、なかったので、お礼の言葉だけで済ませる。まずは教会の外を撮る。
  
 
 横に回ると、プレートがあった。
 
 この教会は Catedral de Nuestra Señora del Carmen という。1902年に建てられた PATRIMONIO CULTURAL(文化遺産)である。残念なことに落書きもされていた。
 次に中に入る。
  
 
 
 祭壇(altar、英西同形)の脇にはおもしろいデザインの台(?)があった。 
 最後に外に出て、マリア像を撮影する。
  
 これで、今回の Puntarenas 訪問の目的の一つを果たした。昼食がまだなので、岬の突端方面を目指す。そちらにレストランが何軒かある。

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コスタリカ 2018年(53)Puntarenas へ

2018-11-25 16:41:03 | コスタリカ
8月31日(金)
 昨夜9時半に寝たので、夜中に一度目が覚めた。また寝て、6時ごろ目覚めたが、だらだらして、結局起床は7時。涼しい。温度計を見ると、室内は21度である。天気は曇り。
 この日は太平洋側の港町、Puntarenas 方面へ行く予定である。 
   
 2015年12月にも訪れていて、知人も訪問している。そのときのことは「コスタリカ再訪(115)プンタレーナスで夕陽を拝む」、「コスタリカ再訪(116)プンタレーナスで海鮮料理を食す」、「コスタリカ再訪(117)マチョ訪問」をご覧いただきたい。
 さて、朝食を取ったり、旅行準備をしたりしているうちに時間がたってしまう。出発は10時半になってしまった。義妹宅を出て、まずは車で5分のところにある Auto Mercado(画像多数あり) へ行く。コスタリカでの運転はすべて女房殿に任せている。スマホのナビ・ソフトを使っていると、バッテリーがすぐなくなってしまうので、車用携帯バッテリー・チャージャーを買いたい。ところが、電器屋の開店時間は11時である。30分近くも待たねばならない。スーパーはすでに開いているので、そちらに入る。食料品以外のものも売っているので、探してみる。運よく見つかった。これで安心してナビ・ソフト Waze が使える。
 Alajuela(アラフエラ)の市街地を出るまでは Waze を使った。Autopista(幹線道路)に出てしまうと、後は迷うことはないだろうと高をくくって、バッテリーの節約のために切ってしまった。Puntarenas に近くなったら、またつければいい。
 一本道をすいすい海へ向かっていく。途中、工事をしているところがある。道はカーブが多く、周囲は木が生い茂っている。道を間違えたのではないかと錯覚したが、他に道はない。そのまま進む。
 標高も低くなり、そろそろ Waze をつけようかと思っているうちに、Caldera 方面への分岐の標識があった。実は、Puntarenas へは Caldera を通っていくのだが、Puntarenas の表示が出るものとばかり思っていて、つい行き過ぎてしまったのである。10分ぐらいして、どうもおかしいと思い、ナビの案内にしたがって、戻るのだが、路地に迷い込んだ。指示された道は地域の小学生がパレードの練習のようなことをしていたので、そこからUターンして分岐点まで戻ってきた。後はナビの指示どおりに行くと、無事 Puntarenas の町に着いた。時間を食ったので、2時前になっていた。

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コスタリカ 2018年(52)Alajuela(アラフエラ)の友人訪問

2018-11-23 20:34:49 | コスタリカ
  4時に Grecia を出て、5時前に Alajuela(アラフエラ)の郊外に入った。
  
 今回のコスタリカ訪問は3週間の日程である。9月5日にはコスタリカを発つので、あと5日しかない。ということで、アラフエラ在住の友人を訪ねることにした。友人には先日、Facebook を通じて、娘に連絡してある。本人もアカウントを持ってはいるが、あまり見ていないようである。
 訪問前に一応都合を聞いておく。とっくに隠居生活に入ってはいるが、まだまだ元気でどこか遊びに行っているかもしれない。車内から電話をかける。奥さんではなく、いきなり本人が出た。急な訪問ではあるが、OKとのこと。というわけで、アラフエラの義妹宅に帰る前に友人宅に行く。友人宅から義妹宅までは歩いても5分の距離である。
 今回は家の番号までちゃんと覚えていたので、住宅団地のゲートを通って、すんなり友人宅までたどり着いた。お土産(日本酒のミニボトルとおつまみ)を車のトランクから出す作業をしていると、後から友人が声をかけてきた。
3年ぶりの再会である。あまり変わっていない。元気そうで何よりである。
 家に通され、奥さんにも挨拶する。奥さんはいくらかお年を召した感じだが、まだまだ年の割りに若い。この夫婦は幼稚園のころからの幼馴染である。子どもは4人いるが、全員すでに成人しており、夫婦2人だけの生活である。
 友人は筆者が1979年にコスタリカに来たときの語学学校の教師である(語学学校については「語学学校に通う(2)」、「サンホセ市の語学学校にて」を参照されたい)。また、1987年に筆者がコスタリカで結婚したときに、式に来てくれた。その後、コスタリカを訪れるたびに、彼に会っている。かれこれ40年近くのつきあいになる。
 ビールを飲みながら、しばし歓談。この友人は詩集も出版し、絵も描く芸術家でもある。元スペイン語教師なので、話も上手である。筆者のスペイン語は彼のおかげで上達したことは言うまでもない。
 6時半になり、夕食の時間も近づいてきたので、名残惜しいが、そろそろお暇する。
 こちらの夕食は Alajuela の町ですませることにする。女房殿がいいペルー料理の店があるといっていたので、探してみたが、見つからない。町からの帰路、Auto Mercado 近くのレストランで食事をする。立派なハンバーガーといちごスムージーをいただく。お会計は2人分で約16000コロン(約3200円)。
 義妹宅に着いたのは7時半になった。この日も盛りだくさんで、疲れたので、9時半には寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(51)Grecia の友人宅にて

2018-11-17 13:30:55 | コスタリカ
 Grecia(グレシア)の友人宅に到着したのは午後3時前。事前に連絡してあったので、自宅で出迎えてくれた。3年前は息子と奥さんがいたが、今回は友人1人だけである。何はともあれ、再会を喜ぶ。70歳を超えて、3年前よりいくらか太っていたようだが、元気である。3年前はちょうど昼食時にお邪魔してしまって、ご馳走になってしまったが、今回はコーヒータイムである。Ciudad Quesada を出るときは曇りで、少々雨も降っていたが、Grecia は晴れている。暑くもなく、寒くもなく、ちょうどいい(2015年訪問時の詳細については「コスタリカ再訪(113)グレシアの知人宅にて」参照)。
 まずは裏の庭に出る。庭とは言っても、裏の小川に続く坂である。
  
  
  
 レモンの木にはご覧のようにトゲある。トリニ・ロペス(Trini López)が「レモン・トゥリー」という歌を歌っていたが、バラと同様、要注意である。
  
 高いところにある実を取る道具は、cortafrutas (英 fruit picker)という。  
 
 庭で歓談していたら、あっという間に1時間過ぎてしまった。暗くなる前に Alajuela(アラフエラ)に帰りたい。お土産にレモンをたくさんいただいた。こちらからのお土産は日本酒のミニボトル1本と日本のおつまみである。
 
 名残惜しいが、4時ごろ友人宅をあとにした。Alajuela まではそう遠くない。

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