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スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
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パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

コスタリカ 2018年(81)帰国

2019-02-09 18:38:44 | コスタリカ
(承前)
 フードセンターでメキシコ料理の夕食を済ませたが、乗り継ぎ便の出発時間までまだたっぷり時間がある。一度出国手続きをしたのだが、人が多く、くつろげない。いろいろなところを見て回った。
 たまたまエレベーターの近くに行くと、下の写真のボードがあった。
 
 「地震と火災のときに使う」と書いてあるが、そんなはずはない。英語にはちゃんと「使うな」と書いてある。“usar”(英 use)の前にあるはずの“No”が取れたのか、それともいたずらされたのか。
 一通り見終わったので、また出国手続きをして、中に入ることにする。
 すぐ近くにも出国手続きのゲートがあったが、Lと書かれていて、そこはアメリカ行き専用だった。その他の国は別のゲートに行かなければならない。思うに、アメリカ行きは麻薬対策などのために、チェックが厳しいのかもしれない。
 日本行きはKのゲートである。無事、出国手続きを済ませて、出発ラウンジの方に行く。人の少ないゲートに行き、寝転ぶ。人が増えてきたら、また、別のゲートに移る。寝転んでいても、アナウンスがうるさくて、ゆっくり寝ていられない。それでも、何とか5時間過ごした。
 無事に、エアロメヒコの成田行きに乗り込んだ。ほとんど満席だった。メキシコ時間の9月6日(木)午前2時に離陸。15時間も乗っていなければならない。
 まずは寝ることにしたが、15時間も寝ていられない。そのうち食事が出た。2種類のうちから1つ選ぶのだが、そのうちの一つがカツどんだったので、それにした。肉は分厚く、醤油と砂糖も少なく、かなりの薄味だった。隣りに座っていたメキシコ人成年が上手に箸を使ってカツどんを食べていたので、それをきっかけに話が弾んだ。
 朝食は日本時間の午前4時ごろ出た。サンドイッチか玉子だったので、玉子にした。玉子には frijoles(豆)が付いていた。
 成田空港には予定どおり、6時半ごろ到着した。まず、入国手続きである。
 日本人用の入国手続きゲートではパスポートの写真のページをスキャナーに合わせて読み取り、次に正面を向いて写真を撮り、照合するシステムだった。問題がなかったので、扉が開き、そのまま外に出た。帰国のスタンプは残念ながら押してもらえない。
 日本に帰ったことを実感したのはやはりシャワートイレの中だった。

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コスタリカ 2018年(79)コスタリカからメキシコへ

2019-02-02 20:28:45 | コスタリカ
9月5日(水)
 6時起床。いよいよ帰国の日がやってきた。2週間があっという間に過ぎてしまった。朝食は適当に済ませたようである。記録が残っていない。
 7時半に義妹宅を出る。7時45分にレンタカーの会社によって、車を返す。手続きは簡単に終わり、スタッフに空港まで送ってもらう。空港に着いたのは8時である。
 以前にも書いたが、乗客以外は建物の中には入れない。1981年に2年4か月の滞在の後、帰国するときは見送りに来てくれた人たちと名残を惜しんだものであるが。
 ともかく、中に入る。チェックイン手続きは機械でする。簡単だが、味気ない。その後、カウンターに行って、荷物を預ける。時間が早かったので、あまり人はいなかった。
 まだまだ時間があるので、椅子に座って休む。近くに、木でできたナマケモノのキャラクターが飾られていたので、写真を撮る。身長は2~3メートルである。これは2015年の訪問時にはなかった。
 
 サンホセ国際空港はハブ空港ではないので、発着便数はあまり多くない。アナウンスも少なく、静かである。のんびり過ごして、12時前にメキシコ・シティー行きの飛行機は飛び立った。メキシコ・シティーまでは約3時間なので、機内食はサンドイッチのみ。ビデオもない。寝るだけである。
 

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コスタリカ 2018年(78)Atenas から Alajuela へ

2019-01-28 20:17:56 | コスタリカ
 Atenas の知人宅をあとにして、Alajuela(アラフエラ)に戻る。知人宅の敷地を出て、右に曲がり、そのまままっすぐ進む。もちろん、ナビソフトの Waze を使う。旧道をひたすらまっすぐ行く。途中、急勾配の下り坂があった。上から見ると45度もありそうな感じがするが、実際は、それほどでもないはずである。それでも重い車だったら、とても坂を登れそうにないほどの勾配である。こんな急勾配の坂道は初めてである。
 無事、通過してさらに進む。左側に新道が見えてきた。ナビの指示もわかりにくい。左折せずにそのまま直進すると、行き止まりになったので、引き返して、新道に入る。ナビの指示どおりに進むと、autopista(3号線)に入った。入ってから5分もしないうちに autopista から出ることになった。すると、そこには料金所(peaje「ペアヘ」)があった。通行料金は700コロンぐらい(約140円)だったが、何だか損した気分である。
 あとは旧道を通って Alajuela に戻る。義妹宅付近の Auto Mercado に寄り、ATM で現金20万コロン(約4万円)下ろす。義妹の旦那に車を借りたり、いろいろお世話になったので、そのお礼である。買い物もしなければならない。お土産のコーヒーを大量に買い込む。Salsa Lizano(サルサ・リサーノ)も外せない。ウィキペディア“Salsa Lizano”によると、これはコスタリカ特有のサルサだそうである。ウスターソース(Worcestershire sauce)に似ていると書かれているが、そういえばそんな感じである。
 
 お土産の他に、今晩のてんぷらのために醤油(Kikkoman)も買う。
 買い物を終えて帰るのだが、翌日、レンタカーを返さなければならないので、ガソリンを入れておかなければならない。義妹宅のすぐそばにガソリンスタンドがあるので、立ち寄る。
 ガソリンは満タンではなく、メーターが8.8を指しているところまでである。この状態で車を借りているのである。日本では普通満タンで貸してくれるような気がするのだが。
 義妹宅に帰ったのは午後4時半であった。
 早速、てんぷらの準備をする。甥っ子がてんぷらの作り方を覚えたいというので、手伝ってもらった。5時半に始めて、7時に出来上がった。なかなかの出来栄えである。おいしくいただいた。この日も疲れたので、さっさと寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(77)Atenas の知人宅にて昼食

2019-01-27 19:28:55 | コスタリカ
(承前)
 屋敷に通された。中は日本の装飾品が多数ある。ちょうど昼ごろだったので、早速昼食にする。屋内より、庭のほうが気持ちがいい。ベランダになっているところにテーブルがあり、4人で囲む。
 ご主人はワインが好きで、高価そうなワインのビンが何本も並んでいる。そのうちの1本を開けることにした。が、ご主人はうまく栓を開けられない。ここにも認知症の症状が出ている。女房殿が代わって開ける。
 ワインをいただきながら、奥さんお手製のコスタリカ料理をいただく。鶏料理にサラダ、それに米のご飯である。気温はやや高くなっていたが、日陰なので、暑くはない。食後にはコーヒーをいただく。
 本来なら、楽しい歓談になるところなのだが、ご主人は同じ話を何度もする。日本語よりスペイン語での話のほうが多い。認知症になっても、言語の領域は機能が衰えてはいないようだ。文法は正しい。話が弾むということはなかったが、それでも会話がかみ合わないことはなかった。ただ、声に力がなく、目の輝きも失われていた。
 静かで、きれいなところだが、刺激や変化に乏しく。認知症にはいい環境とは言えまい。認知症になる前はサンホセのオフィスに通っていたのだが、引退してずっと家にいることで、認知症の進行が早まったのかもしれない。
 さて、奥さんの話によると、最近、庭の下に広がる土地からフェンスを乗り越えて、泥棒が入ってきたとのこと。被害はなかったが、それ以来不安だという。大型犬でもいればいいのだが。
 ご主人の病気がきっかけになったのかどうかわからないが、写真アルバムを捨てるつもりだという。もし、欲しいのがあれば、持って行ってもかまわないというので、2017年に亡くなった友人が写っている写真を中心にいただいてきた。
 3時ごろ、お暇する。これが最後になるかもしれないと思いながらも、また会いましょうと、固く握手して別れたが、今ごろ、ご主人はもうこの日のことは忘れてしまったかもしれない。

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コスタリカ 2018年(76)Atenas 郊外の知人宅へ

2019-01-26 20:59:15 | コスタリカ
 Atenas の町の中心にある教会で待ち合わせた知人夫婦の車の後についていく。市街地の西に向かっている。すぐに郊外に出た。一本道をまっすぐ進むと緑が多い。ウィキペディア“Cantón de Atenas”によると、Atenas 郡の住民の半数以上は郊外に住んでいて、生活レベルや教育レベルも高いそうである。
 郊外に出て5分ぐらいしたところを左に入っていく。交差点ではない。hacienda(農園)の入り口のようだが、農園ではない。敷地に入ると、ゲートがある。当然施錠されている。ここから家まで何十メートルあるだろうか。家の前に来ると、もう一つゲートがある。これでやっと屋敷に入れる。屋敷は平屋である。夫婦二人だけなので、かなり広く感じる。当然、庭もある。表の道路の車の音は全然聞こえない。このあたりの土地は知人の奥さんの一族が住んでいて、その一角に知人夫婦の家がある。かなり広い土地で、隣の家は見えない。
 車から降りて、ご夫妻に挨拶する。2015年以来、3年ぶりである。3年前にご主人に一度遊びにいらっしゃいといわれていたのだが、行く機会がなかった。
 先日、Atenas に来る途中、車のトラブルがあり、来られなかったが、実は、奥さんからご主人がガンと認知症を患っていて、これが最後のチャンスになるかもしれないと聞かされていたので、なんとしてでも、訪問しなければならないと思っていたのである。
 ご主人は最初、3年前にサンホセの共通の知人宅で会ったことを忘れていたが、幸いにも思い出してくれた。3年前は全然、認知症の兆候はなかったのだが、進行が早かったのだろう。
 

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コスタリカ 2018年(75)アテネ、ギリシャ、スパルタ等

2019-01-24 16:56:47 | コスタリカ
  Atenas(アテネ)の町へ来たのは初めてである。特に観光名所というわけではない。コスタリカの他の町と同様、街の中心に教会(iglesia)と公園(parque)がある。町の様子の写真はリンクを参照されたい。Atenas の町についてはウィキペディア「Atenas (Costa Rica)」を参照されたい。ただし、スペイン語だが。
また、ウィキペディア「Cantón de Atenas」(アテナス郡)によると、Atenas は1960年発行の“National Geographic”に「世界一気候のいい土地」と紹介されているが、Atenas に限らず、Alajuela 州全体がそう言えるのではないだろうか。
 ところで、autopista(1号線)の向こう側には Grecia(ギリシャ)という町があり、知人が住んでいる。ギリシャ系の移民がこのあたりに多かったのかと思ったが、ギリシャ風の姓を持つ人にはあったことがない。
 前述のウィキペディア「Cantón de Atenas」(アテナス郡)に当たってみると、次のような記述があった。
 
Según la corrientes más aceptadas, el cantón basa su nombre en Atenas, la capital de Grecia. Según el historiador Carlos Meléndez Chaverri el origen del nombre se da por lo siguiente:

“...hubo en esos años de 1833 a 1838 una corriente helenística, que plasmó en esos dos nombres (Atenas y Grecia) tal ideario e inquietud.” (lo encerrado entre paréntesis no pertenece al original) (Álvaro Rojas, 1993, p. 43).

 大意は次のとおり。
 
 Atenas の名前はギリシャの「アテネ」に由来する(または、パクッた)というのが通説のようだ。
 1833-1838年ごろ、ギリシャ趣味(ヘレニズム)が流行ったらしい。

 コスタリカには Filadelfia(英 Philadelphia)という地名もあるが、実はこれもギリシャ語で、「兄弟愛」という意味である(小学館『西和中辞典』Filadelfia の項)。ヨルダンの首都、アンマンもかつては「フィラデルフィア」と呼ばれていた(ウィキペディア「アンマン」)。

 また、太平洋側の港町 Puntarenas に行く少し手前には Esparza(エスパルサ)という町がある。この町は Esparta(スパルタ)とも呼ばれている。本来は Esparta だったのが、Esparza に変わったのかと思ったが、そうではないらしい。ウィキペディア「Cantón de Esparza」には次のように書かれている。
 Esparza (también llamado «Esparta» coloquialmente)
 和訳は「口語では Esparta とも呼ばれる」。つまり、本来は Esparza のようだ。esparza は動詞 esparcir(まく、ばらまく、広める、くつろがせる等)の接続法現在1人称及び3人称単数の活用形である。Esparza は「この町でゆっくりくつろいで」という意味であろうか。
 ちなみに、英語には sparse(《人口など》希薄な、まばらな、《髪の毛・繁みなど》薄い」という意味の形容詞があるが、研究社『英和中辞典』には《ラテン語「まき散らした」の意から》と、語源が書かれている。 Esparza に髪の毛が薄い人たちが多いかどうかは、ちょっとわからない。
 ともかく、Esparza が Esparta とも呼ばれるわけについて考えてみたが、前述のコスタリカのヘレニズムの時代にちょっとしゃれて、Esparta(スパルタ)と言ってみた人がいて、それが流行したのかもしれない。

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コスタリカ 2018年(74)Coyol 地区経由で Atenas へ

2019-01-23 09:49:18 | コスタリカ
9月4日(火)
 6時ごろ目が覚めた。だらだらして、結局、起床は7時40分。気温22度。薄曇り。
 前日に続いて、昨晩も夜、寒く、ブランケットを出した。
 8時15分に朝食。パン、アボカド、サラダ、チーズにコーヒーである。小雨が降ってきたが、後、晴れて、暑くなった。
 この日がコスタリカ滞在最終日である。Atenas の知人宅を改めて訪問する予定である。知人の奥さんに連絡したあと、10時半に出発する。
 
 Atenas まではそう遠くない。1時間もあれば到着しそうである。その前に、Alajuela (アラフエラ)の西のはずれにある Coyol 地区に住む、女房殿の友人宅に立ち寄る。Coyol 地区は怪奇現象が日常茶飯事とまではいえなくても、頻発する地域である。具体例は「怪異譚(1)」、「怪異譚(2)」、「怪異譚(3)」、「怪異譚(4)」を参照されたい。
 2015年にも立ち寄ったが、現在改装工事中である。ちょっと見せてもらったが、なかなか立派な内装である。コーヒーを勧められたが、先を急ぐので、失礼した。
 Atenas への道は旧道を通っていくのだが、1か所、ナビソフトの指示を間違えて、autopista(1号線)に入ってしまった。すぐにまた、旧道へ出るのだが、そこには料金所(peaje「ペアヘ」)があった。たいした金額ではないが、ばかばかしい。
 Atenas の市街地に入った。教会前に知人の奥さんが迎えにきてくれることになっている。
 教会の近くまで来たのはいいが、一方通行で、教会前には入れない。ぐるぐる大回りして、やっと教会前までやってくると、知人夫婦が待っていた。

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コスタリカ 2018年(73)Paraíso から San José 経由、Alajuela へ

2019-01-20 20:22:49 | コスタリカ
 そろそろ昼食の時間である。2015年訪問時にはカルタゴ市内の中華レストランへ行ったが、今回はカルタゴの近くにあるパライソ(Paraíso、英 paradise)市に住む、女房殿の従姉妹の自宅に招待されている。彼女たちはつい先日、グアピレスの義母を訪れたばかりである。カルタゴからは来るまでものの10分ぐらいである。目印になるスーパーの前に車を停めて、電話をかけると、すぐ歩いてやってきた。
 
 パライソの市街地には入ったことがあるが、彼女の家は郊外の閑静な住宅地にあった。治安もまだよさそうで、格子の塀はなかった。ガレージもあったが、車はない。ということで、ガレージに車を入れて、家の中に入った。
 早速、昼食をご馳走になった。メニューは忘れたが、肉料理だったことは確かである。牛タンのトマト煮だったような気がする。昼食の前かあとか、はっきりしないが、従姉妹の姉(妹だったかな、スペイン語では hermana「エルマーナ」)がやってきた。彼女も先日、グアピレスで会っている。ひとしきり歓談したあと、3時半ごろ辞去した。次はサンホセ市で知人に会うことになっている。この日は盛りだくさんである。
 パライソからカルタゴ経由でサンホセ市街地に向かうのだが、ナビがないと道に迷う。当然、ナビに頼っていく。パライソからカルタゴまでは問題なし。カルタゴの町を出て、autopista に乗ってしまえば、一本道である。問題はサンホセの市街地を通らないで、サンホセ旧市街地の西端までの道である。新しい道なので、ナビがないとどうにもならない。ところが、autopista からサンホセ市の東端に入ったところで、スマホのバッテリーが切れたのである。ナビなしで進むととんでもないことになりそうなので、適当なところに車を停めて、充電する。プンタレーナスへ行く前に買った充電器が役に立った。待つこと、約30分。やっと充電が終わり、再び出発。ナビの指示どおりに進んだが、どこをどう行ったのか、よくわからない。それでも目指す知人宅に着いた。2015年にも訪れたところである。到着したのは午後5時。もっと早く行くつもりであったが、申し訳ないことをした。暗くなると、帰り道が心配なので、30分でおいとませざるを得なかった。

 【知人宅のそばを走る電車。現在は短距離の通勤・通学時間帯に走っているようだ】
 アラフエラまでの帰り道は問題なし。アラフエラの町に入って、Auto Mercado で夕食用の買いものをする。ブロッコリーは日本のものの3倍ぐらいの大きさだった。寿司もどきの惣菜も売っていた。“Panko”(日本風パン粉)も置いてあった。
 帰宅したのは午後7時。夕食は牛肉、人参、たまねぎの炒めものとブロッコリー。疲れたので、9時半ごろ、さっさと寝てしまった。


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コスタリカ 2018年(72)Ruinas de Cartago(カルタゴ遺跡)へ

2019-01-19 20:20:06 | コスタリカ
 毎度お馴染みの Basílica(大聖堂)だが、今回も中に入る。
  
 女房殿は前回(2015年)大聖堂の一番後ろの席から跪いて聖壇まで進んでいって、お祈りしたが、今回はお祈りのみ。大聖堂の脇に聖水が出る泉があり、前回は聖水を購入したが、今回は購入せず。ただし、聖水のところには行ったが。
  
 前回は大聖堂近くで肉屋を営んでいた従兄弟を訪ねていこうとしたが、すでに肉屋はなく、会えなかったが、今回はうまく連絡がついたので、大聖堂まで来てくれることになった。筆者も20年近く前、一度会っている。
 大聖堂までやってきた従兄弟は顔はあまり変わっていないので、すぐわかったが、ずいぶん太ってしまっていた。また肉屋をやっているようである。
 
 少々立ち話をしたあと、今度はかねてより行きたかった“Ruinas de Cartago”(カルタゴの遺跡)に向かう。「カルタゴの遺跡」とはいっても、大地震で破壊された教会の遺構である。
 
【絵葉書より:地震により破壊された教会跡。1980年以前】
 この遺跡はカルタゴ郊外のオロシ(Orosi)渓谷にあるものと思っていたのだが、実はカルタゴ市内にある。大聖堂からそう遠くない。すぐ見つかったが、駐車場を探すのが大変である。仕方がないので、筆者1人で車から降りて、女房殿がその辺を1周してくるまでの間に、写真を取りまくることにした。
  
  
  
 
 この遺跡はカルタゴの観光名所のひとつになっていて、2015年のカレンダーに使われていた(詳細は「2015年のコスタリカのカレンダー 7 Mi Cartago (わがカルタゴ)」参照)。

 
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コスタリカ 2018年(71)Alajuela から Cartago へ

2019-01-14 18:23:11 | コスタリカ
9月3日(月)
 7時に目が覚めた。7時40分起床。夜は結構寒かった。8時の気温は22度。薄曇り。適当に朝食を摂って、レンタカーが来るのを待つ。9時半に来ることになっていたが、来たのは9時40分である。これぐらいなら合格である。
 この日はかつてのコスタリカの首都カルタゴ(Cartago)へ行く予定になっている。Basílica de Nuestra Señora de los Ángeles(大聖堂)で女房殿が何か願い事をするのが主目的である。この大聖堂については「コスタリカの州-カルタゴ」、「コスタリカ再訪(81) 大聖堂(Basílica de Nuestra Señora de Los Angeles) にて」でも触れているので、参照願いたい。
 さて、10時に義妹宅を出る。レンタカーは当然、調子がいい。ナビソフト Waze の指示に従って進む。アラフエラ(Alajuela)の街中を抜けるにはまだまだナビが必要である。Autopista(1号線)に出てしまえば、サンホセ(San José)市街地の手前まではナビがなくても大丈夫。
 
 以前、車が少なかったころはサンホセ市街地を抜けてカルタゴまで行ったものだが、今は市街地を通らないで、市街地の南を回ってサポテ(Zapote)方面へ行く、新しい道路がある。
 
 普通名詞 zapote とは「サポジラ、チューインガムの木、またはその実」という意味である。詳しくはウィキペディア「ブラックサポテ」、「ホワイトサポテ」をご覧いただきたい。コスタリカの zapote がどちらの zapote かよくわからないが、この際深く追求しないでいただきたい。あくまでも経由地の名前ということでご勘弁願いたい。この Zapote 地区は闘牛で有名だったが、今でもやっているのだろうか。聞いた話ではあるが、闘牛とはいっても、本場とは違い、牛は殺さない。勇気があるのか、無鉄砲なのか、若い男たちが牛の前に飛び出して、逃げ回るというものである。筆者は見に行ったことがないので詳しくは知らない。
 1980年ごろ、サンホセ市街地の周りをぐるっと回るバス路線があった。路線名は Periférico(「周囲の、周辺の」の意)で、市内バス運賃が50センティモ(1980年当時、約10円)だったのに対し、Periférico の運賃は1コロンであった。今でもこの路線があるのだろうか。
 ところで、英語の perimeter(境界線、周囲の長さ)や period(ラテン語「ひとまわりの道」の意から)はスペイン語 periférico の関連語のようである(小学館『西和中辞典』には明記されていないが)。
 ナビの指示どおりに進み、無事、サンホセ市街地を抜け、カルタゴへの幹線道路に出た。この道路も autopista で途中に料金所があった。
 カルタゴ市街地にも無事入り、目的地の Basílica(大聖堂)に着いた。車は大聖堂脇の駐車スペースに案内人がいたので、指示に従って停めた。時刻は11時半。アラフエラから1時間半であった。上出来である。

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コスタリカ 2018年(70)レンタカーの会社へ

2019-01-13 11:51:10 | コスタリカ
 スターバックスのコーヒー園からアラフエラの義妹宅に帰ったときには午後5時になっていた。義妹の旦那が貸してくれた車が故障したので、レンタカーを借りなければならない。空港の近くにレンタカーの会社がいくつもある。義妹の旦那に連れて行ってもらう。連れて行ってもらった会社はの名前は Mapache という。「アライグマ」という意味である。
  
 先客はだれもいなかったが、手続きに1時間かかった。この日、車を借りても、義妹宅に帰るだけなので、もったいない。翌日車を届けてもらうことにする。9時半ごろ来る予定である。料金は102ドル(約11,500円)である。3日借りるといっても、正味48時間弱である。料金はリーズナブルであろうか。
 手続きをしている間もよく鼻水が出る。そのたびにトイレを貸してもらう。普段はいちいち気にしないのだが、注意書きの写真を撮った。スペイン語の勉強の一助になれば幸いである。
 
 やっと手続きを終え、帰宅したときには6時になっていた。気温24度。黄昏が美しい。
 
 【義妹宅から】
 夕食は簡単に済ませ、9時に寝てしまった。

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コスタリカ 2018年(69)スターバックスのコーヒー農園にて

2019-01-07 21:04:11 | コスタリカ
 2時半ごろ、Corso Lechería をあとにして、アラフエラ(Alajuela)方面に戻る。帰り道にコーヒーを飲めるところがありそうである。

 Corso Lechería から車で10~15分ぐらいの距離だろうか。右手に工場っぽい建物が見えてきた。これは Corso Lechería へ行く途中で確かに見た。この建物のそばにコーヒーを飲めるところがある。
  
              【入り口近くの花】 
ここは Hacienda Alsacia といって、あのスターバックス・コーヒーの農園である。ここの Visitor's Center でコーヒーが飲めるのである。詳細はリンクを参照されたい。
 
 さて、この日は日曜日ということもあって、人が多かった。景色はいいし、コーヒーはおいしいし、なかなかの人気のようだ。空いた席を探すのにちょっと時間がかかった。景色のいい窓際の席はなかなか取れない。景色は景色として楽しめばいいので、窓からは遠い席を見つけて座った。もちろん注文するのはコーヒーである。カプチーノを頼んだ。サイズはいろいろあるが、日本のサイズより数段大きいので、Sサイズで十分である。Lサイズだと1リットル近くもありそうなので、頼めない。義妹の旦那はケーキも頼んだが、筆者夫婦はコーヒーだけで十分である。コーヒーに限らず、ケーキもサイズが大きそうである。
 
 コーヒーを飲んだあと、写真を撮る。コーヒーの苗も陳列してある。
  
      
 【最後の3枚はコーヒーの苗】
 客の中にはアジア人(たぶん中国人)の団体がいたが、中国本土からの観光客ではなさそうである。全然うるさくない。景色を楽しむでもなく、もっぱら会話をしている。彼らは観光客でもビジネスの視察でもなく、コスタリカ在住の中国系市民のようだった。中華商工会議所のお偉方といった感じであった。
 だんだん日が傾き、客も帰り始めた。こちらもアラフエラ市内のレンタカー会社に行かなければならない。

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コスタリカ 2018年(68)Corso Lechería にて昼食とチーズ購入

2019-01-06 17:07:40 | コスタリカ
 Corso Lechería にはアラフエラ(Alajuela)市の義妹宅から約30分で着いた。このあたりは標高が高く、やや寒いので、義妹の旦那にジャンパーを借りてきた。
 
 
 まずはレストランに入る。sopa(英 soup)と cremoso(「クリームを含んだ」の意。crema の派生語)を頼む。
 
 【cremoso】
 レストランのメニューについては Corso Lechería の Restaurante のリンクを参照されたい。
 昼食についての詳細な記述は残っていないので、はっきりしたことは言えないが、おいしかったような気がする。支払いはこちら持ち。締めて約15,000コロン(約3000円)。
 昼食後、乳製品売り場(といっても、レストランに隣接)に行く。女房殿のお目当てのチーズがあったので、大量に(といっても、スーツケースに入る程度)買い込む。約12,000コロン(約2400円)だった。0がたくさんあるので、大枚をはたいたような気がするが、日本円に換算してみると、安かった。レストランも乳製品売り場もクレジット払いである。
 
 【乳製品売り場のレジ(caja「カハ」。原義は「箱」】
 ここで買ったチーズは帰国後、ほとんど毎日食べていたので、2か月ぐらいでなくなってしまった。
 買い物を済ませて、駐車場に向かう。すると、下の写真のような車が駐車してあった。
 
 

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コスタリカ 2018年(67)Corso Lechería へ

2019-01-05 21:01:28 | コスタリカ
 話が前後するが、Auto Mercado 内の喫茶店から帰ってくる前に、Auto Mercado でフルーツも買った。レジで支払を済ませて出ようとしたら、出口の左側に薬局(farmacia)があった。
 数日前にグアピレス(Guápiles)で甥っ子に風邪をうつされて、鼻水がよく出るので、Lupita にここで薬を買っていったほうがいいと言われた。アドバイスに従い、購入する。病状を説明すると、薬を教えてくれた。どれぐらい必要かというので、10錠買うことにした。錠剤は日本では1瓶単位で売るが、この薬局ではばら売りしていた。確かに1瓶または1パックの量が多い。小売用ではなく、卸売のサイズのようである。そうすると、ばら売りも理に適っている。
 さて、12時半ごろ義妹の旦那と筆者夫婦の3人で(義妹は義母の世話のため、グアピレスに行っている)、ポアス火山(Volcán Poás)方面へ向かう。午前中 Lupita と一緒に行った展望台(Mirador)を過ぎると、標高がだんだん高くなり、気温も下がってくる。
 
 そのうち分岐点に行き当たる。直進するとポアス火山だが、右への道を取る。目指すは Corso Lechería 。牧場にレストランもあり、ちょっとしたツアーも楽しめるところである。詳しくはリンクをご覧いただきたい。
 名前の Corso Lechería だが、Lechería は leche(牛乳、仏 lait、伊 latte。英 lactose「乳糖」も関連語)の派生語で「牛乳店、乳製品販売店」という意味である。Corso という言葉はなじみがない。小学館『西和中辞典』で調べてみると、「《海》私掠船による敵船の捕獲行為」という意味もあった。チリやアルゼンチンでは「パレード」という意味もあるらしい。山の中で「敵船の捕獲行為」はないだろう。
 「コルシカ(コルス)島 Córcega の」、「コルシカ島民」という意味の別の corso という語もある。
 Corso Lechería の創業者はコルシカ島出身だったのだろうか。ウィキペディア「コルシカ島」によると、コルシカ島はワインやチーズの産地としても有名とのことなので、それにちなむものなのだろうか。

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コスタリカ 2018年(66)Cafetería を探す

2019-01-04 22:27:19 | コスタリカ
 中年になった Lupita は幸い、多くのコスタリカ中年女性と違って、若いころの体形を保っている。喜ばしい限りである。Lupita は現在、サンホセ市の南の郊外に住んでいる。グアダルーペ地区は北の郊外になる。自動車がなかったころは、あまり遠出をすることもなかったのだろう。サンホセ市から約20キロのところにあるアラフエラ(Alajuela)にはほとんど来たことがないと言う。 
 とにかく立ち話もなんであるから、座って話せる場所を探しにいく。

 【赤い四角で囲んだところは午後、義妹夫婦と訪れたところ】
 アラフエラの町の北のはずれの義妹宅からさらにポアス火山(Volcán Poás)へと続く道を北上することにした。街中の喫茶店(最近は「カフェ」というらしい。café はスペイン語では「コーヒー」そのものを指す。「喫茶店」は cafetería という)より景色のよいところへ行きたい。北上すると、だんだん家が少なくなり、田舎っぽくなってくる。それでもコーヒーが飲めるところはありそうなものであるが、なかなか見つからない。3年前にもこの道を通っている。もう少し行くとサンホセまで見渡せる眺望のすばらしいところがあったのを覚えている。店もあったように思う。
 まだまだ記憶は確かなようで、わき道に入るところもちゃんと覚えていた。わき道に入り登っていくと、mirador(展望台、mirar「見る」という意味の動詞の派生語)があった(上の地図では “Alajuela”と赤い四角で囲んだところの中間点ぐらいだろうか) 。

  店もあったが、時間が早すぎた。Lupita はこの場所は初めてのようで、絶景に見入っていた。しばらく話したが、やはり座ってゆっくり話したい。これ以上先に行っても喫茶店があるかどうかわからないので、町に引き返すことにした。義妹宅に近い Auto Mercado まで戻る。ここはスーパーであるが、スーパーの入り口の両脇にいろいろな店がある。うまい具合に喫茶店があったので、そこに入ってコーヒーを飲みながら話す。Lupita は休暇をとって、日本に行きたいというので、いろいろアドバイスをする。1時間ぐらい話し込んだ。この日は義妹の旦那が郊外の昼食に誘ってくれているので、義妹宅に連れて帰ってもらった。ベルを押すと、女房殿が出てきて挨拶する。Lupita は長女誕生のときにも病院に来てくれているので、顔見知りである。3年前にも会っている。
 名残惜しいが、再会を約して別れた。

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