2004年、イタリア作品
監督:ジャンニ・アメリオ
出演:キム・ロッシ・スチュアート、シャーロット・ランプリング他
15年前、出産で恋人を失った衝撃から、生まれてきた我が子パオロを手放してしまった父親ジャンニ。今は新しいパートナーと結婚し8カ月になる息子がいる。
そんな彼が一度も会ったことがなかった息子パオロを、ドイツのミュンヘンからベルリンのリハビリ施設に送り届けることになった。
パオロは重度の障害をもっており、杖がないと歩行できない。
障害を持つ彼を心の隅で密かに恥じ、彼を捨てた負い目、15年という空白の時間などから、どのように息子に接していいのかわからず、戸惑うジャンニ。
パオロも明るく振舞ってはいたものの、ジャンニに対して複雑な思いを抱いていた。父親は自分に対して「同情と負い目」は感じているものの、それは「真の愛情」ではないことを知っていて、寂しく思っていたのだ。
やがてジャンニはリハビリ施設で、重度の障害の娘を介護する「ニコール」という中年女性と知り合う。
ぎこちない父子の関係を見たニコールは、自分が20年間どんな思いで娘を看てきたのか、また、20年の時を経て得ることができた心の平穏をジャンニに語るのであった。
ニコールのアドバイスもあってか、パオロの世話をしているうちに、徐々にジャンニに父親としての情が芽生えてくる。
以前は恐る恐るパオロに触れていたのに、愛情と比例するかのように大胆にキスしたり抱きしめたり、まるで愛しい恋人のよう。
それに答えるかのように甘え、喜びの表情を見せるようになるパオロ。
二人の関係は一見15年の時を埋め、親子の絆を取り戻したかのように見えた。
だが突然、パオロはジャンニの前から姿をくらます。
心が通い始めていたと思っていたジャンニにとっては、これは相当なショックだった。
激しい不安と落胆をから憔悴するジャンニ。
やがてパオロは保護され、ジャンニの元に戻ってくるのだが、何故息子がこんな行動をとるのか理解できない。
多分パオロはジャンニを試したかったのだろう。
どれくらい自分を愛してくれているのか?
どれくらい心配してくれるのか?
それはジャンニに対するパオロの愛情の裏返しでもあったのだ。
終盤、ジャンニとパオロは二人で、パオロの会いたい人が住んでいるノルゥエーの街へと旅に出る。
だが結局会うことが出来ず、二人は学校の校庭にあるテーブルに向かい、土産に持ってきたケーキを食べる。
その幸せそうな二人の姿を見て、なんだか妙に悲しくなってワタシは涙ぐんでしまった。
幸せそうなのに、何故悲しいのか?
これからの二人に試練が待ち受けているんだろうなあと、ワタシはうすぼんやりと考えていたのだ。
「現実から逃げ出すか、辛いなかにも喜びのある体験をするか」というようなセリフをニコールが言う場面があった。
ワタシも寝たきりで、身体を動かすことさえできない母を看ていながら、実はすごい葛藤で胸が苦しくなる時があるのだ。
「いつまでこんな生活が続くのか?いつまで自分を犠牲にして生きねばならないのか?」という不安と不満、そして「でも一番辛いのは母なのだから。なんとか幸せだったと思えるような人生を送らせてあげたい」という気持ちが、交互にそれこそ一日に何度もやってくることもあるのだ。
帰路で「パオロ、一緒に暮らそう」とジャンニは言う。
だがこれからジャンニを待ち受けているものは、喜びより大きな苦悩かも知れないのだ。激しい葛藤に襲われる日々が続くかもしれないのだ。
ワタシが悲観的過ぎるのかもしれないが、美しい父子の愛に心をうたれながらも、この先を考えると手放しで「よかったね」とは言えないのである。
でもまあそういう道を乗り越えて、家族の絆というのはますます深まっていくものなのだろうけれど。
結構ラストのシーンのように、ピュアな心をもつパオロに逆に励まされながら、二人で色々な障害をクリアしていくのかも知れないな。
戸惑いながらも、息子と次第に心を通わせていく父親ジャンニ役のキム・ロッシ・スチュアート・・・うまいというより、演技を超えてもう「父親」そのもの。
「父親が頑張るの図」に弱いワタシは、終始うるうるしっぱなしだった。
シャーロット・ランプリングが演じるニコールの気持ち、ワタシには少しは理解できたと思う。
葛藤の日々から学んだのは穏やかな気持ちでは決してない。静かな絶望だ。
派手ではないが心に残る、あの繊細な役は彼女だからこそできたとも言えるだろう。