頭部が出たら完成したも同然、後は時間の問題である。ところが午前中、図録が届いた。制作中の禅師の木像の横顔が載っていた。特に変わっている訳では無いが、知らなければこんな形にはしないだろう。 この禅師、二つの特徴がある。笑っている訳ではないが広角が上がっている、首が前に傾き気味である。優しく慈しみの気持ちが強い禅師で、人にも優しく対したらしい。まさに目の前の人に語りかけそうな首の角度と表情である。禅宗には師が弟子に肖像画を、卒業証のように与える習慣があり、おかげでこの人物はこういう人物であった、と伝わる訳である。 ある人が、ある肖像画について、堂々として、という意見に対し驚いた。という。どこが堂々なのだ、眉を顰めて不安気でさえある。悟りの表情とは対極にある。それはまさに人物が言わんとしたことで、その表情を描かせることにより〝賭けた”のではないか?という。すぐに無精髭を生やし、横目でこちらを観ている曾我蕭蛇足描く一休宗純の肖像を思い出した。小学四年の私にさえ何か伝わったあの顔、あの表情である。
