明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



実写と区別がつかないAIによる画像が簡単に作れるようになり、今後世の中を席巻しそうだという。私からすると”まことを写す”という意味で命名された写真という恥ずかしい訳語がついに終焉を迎える、と大歓迎である。写真のデジタル化に期待したが、それほどでもなく。 まことなどとは一切関わるつもりはないので、その居心地の悪さは迷惑千万である。光画と付けてさえいてくれたら。 その挙げ句が700年前に日本に来た人を作って、陰影を与えず撮影し、本人が植えて、現在巨樹となった前に立たせようとしている。陰影を無くした時点でかなり溜飲は下がってはいたものの。〝写真”の終焉に生きている間に間に合いそうである。もっとも、私がこだわっているのは用語の話であって、学校の制服に文句を言ってる女学生みたいなものである。ツールとしての写真は今が最も好きだろう。 下で本番!とか聞こえるので窓を開けると大泉洋と吉田羊がすぐ真下でドラマの撮影をしていた。吉田羊は洗濯バサミで摘んだ、いやかつてのフランス女優のような鼻をしていた。古葉監督のようにそっと覗いていたが、誰かが上から観てるとでも言ったのだろう、吉田羊が見上げ目が合ってしまって窓を閉めた。



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