明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



22年の寒山拾得展以降、禅宗モチーフを制作するうち、師の迫真の肖像画を、卒業証のように弟子に与える頂相、あるいは頂相彫刻が、人形や彫刻などの人像表現の究極と思うに至った。 小学生の頃、百科事典ブームがあり、我が家にやって来た辞典は『虚無への供物』の中井英夫が編纂しており、ボディビルの項に、貧弱な三島由紀夫の上半身が使われており、シャンソンの項がやたら詳しいのが小学生の私には奇妙であった。中井に写真のモデルを依頼された三島は〝あんな嬉しいことはなかった”そうだが、鍵っ子の私は小〜中学にかけて一往復は読んだ。別巻の世界の美術のシュルレアリズム絵画を見て、子供なのに間違いなくノスタルジーを感じ、東洋美術では、頂相彫刻の圧倒的リアリズムに飽きることなく眺めた半ズボンの私だったが、ここに至ってみると私の設計図は小3から4にはすでに描かれていたことは間違いがない。様々な伝記を読みまくり、力道山以来、プロレス中継で様々な人種の様々な体型を吸収した。

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