私の好奇心は、どこから由来しているかというと、間違いなく母である。私はだんだん判って来た。 子供の頃、私の過剰な部分を恐れ、とにかく普通の子供にしようと母は苦労していた。どこも優れていなくて良いから、とにかく人並みに。目立つことはせず、とにかく普通に育って欲しい。児童相談所にも連れて行かれた。母が狭い下町育ちということもあろうが、時代もそういう時代であった。 私は小学校の4、5年。まばたきが止まらない時期があった。中学生になり、TVでロバート・ミッチャム主演のモノクロ映画を観た。精神科の医師なのだろうか。まばたきを続ける子供が出てきて、その横で当時教育ママといったらコレ、というキャッツアイ型の眼鏡をかけた母親がこの子はこうでああで、といっている。ミッチャムの見立ては、あんたが黙ればこの子のまばたきは収まる。あっさり片付けていた。つまり親のプレッシャーによるチック症だった訳である。私は逆まつげのせいだと思い込んでいたので、その日の夕飯時に母に訊くと、当時、医者にプレッシャーのせいだ、といわれたと、プレッシャーの元が他人ごとみたいにいう。 私が好きなことを続けているようで罪悪感のような物が拭い去れないのは、母のせいであろう。今になればそれもこれも、少々変わった息子が人に迷惑かけずに、ちゃんと生きていけるよう悩んだ末のことであろう。おかげで、生き方の割りに常識人のつもりでいるし?人との距離感を常に気にかけ、人間関係で失敗することは皆無である。罪悪感が有ろうと、やりたいことはしでかしてしまうものであるし。 だがしかし。話が違う、と母にはいいたいのである。杖をつかずには不自由なわりにじっとしておらず、どこへでも出かけていってしまう。炎天下、80過ぎの婆ァなんかどこにも歩いてないぞ!これだけ雪が積もって何処へ行く!いくら止めても無駄である。近々催されるカラオケ大会。学生時代の連中との忘年会。いつ?などと訊かれてうっかり答えるわけにはいかない。すべて乱入するつもりでいる。とにかく目立たず大人しく生きろ。私にあれだけいっていたではないか。話が違いすぎる。
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