昨日の深夜。大層な薔薇の花束を持って私は永代通りを歩いていた。実に違和感がある。 天才バレエダンサー『ニジンスキー』を制作した時、初めて観たバレエであり、それがきっかけでニジンスキーに興味を持った演目『薔薇の精』ははずせなかった。制作には薔薇を撮影する必要がある。花音痴の私にしては薔薇、特に赤い薔薇はもっとも好ましく感じる花ではあった。しかし撮影用に薔薇を買いに行くのがいやで、ぐずぐずと近所の小学校の校庭からはみ出た薔薇を撮影していた。当然不十分であり、室内で撮影する必要もあった。しかたなく花屋に買いに行ったのだが、その際、聞かれもしないのに「撮影用で」といい訳せずにいられないし、帰りの道中を思うと憂鬱であった。何故これほど抵抗があるのか。思い当たることが一つあった。 高校時代、下校途中のこと。相手がどう私に持ちかけたかは覚えていないが、若い女性から小さな花束を買わされて帰ったことがある。家族中に充満する、こんな物買わされ帰って来て。という冷ややかな空気。特に父の呆れ顔は未だに記憶にある。どう考えてもあれが原因である。 最近の花は長持ちする処理がされていると聞いた。月曜まで美しさが保たれるのであれば、花好きなK本の女将さんに差し上げようと思っている。常連席では何故私が薔薇を、となるのは避けられないであろう。ならば数分間でも酒の肴になれば、とこの件に関して一切口を割らないことに決めた。
過去の雑記
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