耳毛まで描いてしまう臨済宗迫真の描写の頂相だが、臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師には、そのスタイルのものが残されていないようで、江戸時代以前の習慣なのかもしれない。多くの禅画を残した白隠慧鶴は自画像も残しているが、自画像も達磨像も何を描いてもあまり変わらないような、画調自体は、子供の頃から私が興味が惹かれないタイプである。 私の人像制作者としての渡世上のルールとして本人の実像に迫る頂相があることが作る条件だ、といったばかりだが、今日フト、イマジンなど、ジョン・レノンが影響を受けたという白隠を私が作ったらどうなるだろう?とちょっとだけよぎった。私の突然の前言撤回はよくあること、と昨日書いたばかりだし、この件に関しては私自身を信用していない、とも書いた。 このせいで、気がつくと知らない街に一人立ち尽くしていることになる。