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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



相変わらずくしゃみが出る。一度出てしまうとダムが決壊するかのように鼻水が。風邪をひいても熱が出るほどにはならないが、そうこうすると咳も出るので厄介である。たまたま下駄箱で粘土を一つ見つけた。(今は下駄箱とはいわないのか?さすがに草履袋は消滅しただろう)だいぶ置きっぱなしで固くなっているが、使えなくもない。この粘土の封を開ければ私の風邪も快方に向かうに違いないのだが。 寒山拾得が何故気になっていたかは、未だによく判らないが、風狂な様子の人物を作るのは面白いだろう。まして存在したかどうかも定かでない、お伽噺みたいな物で、やりたい放題であろう。 風狂といえば子供の頃、一休禅師の伝記を読んで、正月に竹棒にしゃれこうべを掲げた禅師が「門松や冥土の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」。事実かどうかは知らないが物凄く感銘を受けた。そりゃそうだ。上手いこというお坊さんがいるんだ、くらいには思った。ブログを書いていて、最近は特にしつこく書いているが、それこそ瘋癲の如く行き当たりばったりやってきたが、衝動に任せてきた。頭で考えるより結果が良いことに気がついたからである。私も草や樹木と同じ自然の物だから、下手に頭さえ使わなければ、その方がおそらく良いだろうと踏んだ訳である。蟻が作った蟻塚が自然の物なら人間が作った原発も自然物といえるだろう。ただ下手な頭を使っている分出来が悪い。 何故私がこんなことになってきたのか私にも判らないのだが、それでは馬鹿みたいなので、発表までには何か理由をでっち挙げなければならない。その時ようやく不出来な頭を使って考えることになる。 下駄箱の粘土には手を出してはならない。それで風邪が良くなるのなら、しかたないけれど。部屋がいくら片付こうと、健康が第一であろう。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連載

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一日  


来月、いよいよ背景に使う物を撮影する予定である。これは小さな人形の背景にしてこそ面白いことになるが、人間の背景に使っても当然画になる。かなり広大な場所なので、1日で撮影というのは無理である。何度も撮影することになるだろう。背景パーツとして今後の作品のイメージに大いに貢献することになるだろう。 それにしても、何故こういうアイデアは、何も考えていない時に限って降ってくるのか。今回のアイデアは母の電話で起こされ、携帯はどこだ、と頭を起こしている途中に浮かんだし、夢も観ていなかったから、まさに何も考えていない時であった。 よく思うのだが、私の場合、物心ついた時にはひな型のような物はすでにあり、どうも回りと成長の過程が違っているな、とは思っていたが、さすが我が母はそれに気がついていて、怖れ、学校に相談しては妙な施設に連れて行かれたものである。狭い下町の中で、とにかく大人しく、常識的に生きることを望んだ。おかげで回りに合わせ知ったかぶりを続け、空気を読み、その反面、好きなことを続けていることに対する罪悪感が拭えず、世間が休日である時は平日より清々しく制作できるのはそのためであろう。正月、連休、十代の頃から何か作っていた。だがしかし、生まれつきの物というのは私にはなんの責任もない。後は中からのわいて来た物を逃がさないようにしているだけで良い。釈然としないのは、何も考えていない時にしかアイデアが浮かばないことである。頭を使わないようにするにはどうすれば良いか。座禅でもすれば良いのか?寒山拾得を手掛けようという時に、妙なオチがついた。
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連載

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町へ出たついでに図書館に寄る。日本画の技法で調べたいことがあった。私は何をしているのか。それはともかく。 そんなものを調べていれば、当然画集を見ることになる。数百年前から新しいところで明治あたりか。それもともかく。そもそも寒山拾得をやろうと思ったのは蛸に絡まれた葛飾北斎がやれたのなら、という訳だが、寒山拾得が出来るのなら、蝦蟇に乗る蝦蟇仙人や、鯉を馬のように乗りこなす琴高仙人も制作可能ということになる。実在した生身の人物を陰影をもって手掛けている限り、そこまではやれない。せいぜい勝鬨橋に絡む大蛸と円谷英二であった。考えて見ると、ジャズ・ブルースから始まって、こう見えて枝葉を伸ばすように地味に変化してきた、つもりである。それにしたって今日のところは何が蝦蟇仙人だよ、という話である。旧HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』


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背景に使わせていただきたい場所の仲介者から先方はいつでも良いといってくれている、と聞いた。拙著を持っていってもらって良かった。中央公論Adagioで始めた背景を用意してから造形するという手法でいきたい。今度の背景は間違いない。
順序が逆というより、まだ作り初めてもいないのに、個展のタイトルだけ決めた。そのまんま『寒山拾得写真展』。まず入り口でこれは絵ではなく写真です、といっておけば、後が大分楽だろうという計算なのだが。写真という“まことを写す”という言葉を嫌い、まことなど写してなるものか、と長年いい続けてきたのに、ここへ来て、これは絵ではありません。カメラで撮影した写真です。とは、宗旨がえもいいところであるが、写真、写真いって恥ずかしくないのか、というと、これがまったく恥ずかしくない。あの時の私も私なら今の私も私である。変わりつづけてこそである。かつて憮然とした表情がカッコ良かった鈴木邦男さんの現在の笑顔を見よ。さらにカッコ良い。変わらないのは頭に浮かんだイメージを取り出して、やっぱり在ったな、と確認したい、ということであり、浮かぶ物が変われば作る物も変わるのは当然であろう。もっとも駄文のついでに書いてるからいいので、ああいっていただろう、と面と向かって指されれば多少赤面ぐらいしてみせるが。以前雑誌のインタビューでパソコン、デジタルについてボロクソにいったのを覚えていた編集者に突っ込まれたことがあったが、変われないなら生きていてもしょうがない。 と良いように言い訳してみた本日のブログであった。旧HP
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』

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明日先方に行くというので、被写体の仲介者に拙著二冊を渡していただくようお願いした。しかしすでに撮影して、作品に使わせていただくことも了承済みだそうで一安心。 昨日雨で中止したプリントの額装を頼みに行く。途中で銀座青銀座青木画廊に寄る。たまたま初日で、3人の作家にお会いできた。リコーイメージング銀座での個展で久しぶりにモノクロ作品を展示し、モノクロの良さを思い出した。寒山拾得も彩度を落とし二人の肌色か豊干の乗る虎に色があるくらいだろう。モノクロから遠ざかっていたのには理由がある。被写体に自分で彩色しているからである。カラー、モノクロの選択にこんな理由は二刀流ならではだろう。 まず背景を撮影し、それに主人公を合わせて配するのがパターンである。山深い風景のために思い付いた被写体なわけだが、そういえば泉鏡花の『高野聖』にも流用可能ではないか。私は目の前しか見ず、よく事前に思いつかずに残念な思いをする。しかし旅人を誘惑しては獣に変えてしまう妖しい女。さすがにご近所に人材は見当たらない。帰宅時、結局土砂降りに合う。新HP
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朝、朝食ついでにT屋に出版社から届いた『貝の穴に河童の居る事』を何冊か持っていき、『牡丹灯籠』のお米に渡した。河童の居る事では笛吹の女房を演じてもらっている。長女には女房の師匠仲間の娘を演じてもらったし三島由紀夫の『潮騒』の初枝も。大学生の末娘には牡丹灯籠のお露をやってもらっている。この一家の女性連には足を向けては寝られない。 男連には向けて寝られるけど。店のテレビで、カーネル・サンダースみたいな人が7千人しか客が入らないから仕事をしたくない、といっている。意地を張るところが間違っているのではないか。インタビュー後、去っていく後ろ姿が哀しい。午後注文を受けたプリントを引き取りに行くが、雨が降り始め、額装の依頼は明日にする。 頭の中で動き回っている寒山と拾得のコンビは当初、鴎外がいうところの唐子調で子供じみていたが、いつの間にか成長し、大人のコンビになっている。いつものように、早々に手を出していたら、私の寒山と拾得は今頃子供になっていたかもしれない。何故そうなったかは判らないが、それでいいのだ。そう思ったらそうするし、思わなくてもそうなってしまうことはあるが、それもいいのだ。私は鬱病にはなりにくいような気がする。しかし、このまま制作に取り掛からないでいると、鬱病にはならなくても、訳の判らない重い病に至る可能性がある。 一つ気になることがある。背景に使いたい物は紹介者は使わせてもらえる、といっているが、作品に使うとなると、話は違ってきはしないか。ということで、拙著二冊、特に『Objectglass12』は制作の様子を書いているので、念のため送ることにした。もっとも陰影がある時代の本だが。それに関しては直接お会いして説明したい。 母の電話で起こされ、突然浮かんだアイデアだが、これが使えるかどうかで、成否が別れかねないのである。無いものは作れば良いといっていた私も今度ばかりは。 新HP
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猛虎図や寒山拾得図に印を捺したくなるのはしかたがない。以前、拙著に捺すために印材を彫ったことがあるが、石が硬すぎ、それこそ金釘流になってしまった。自分の本に捺す分にはまあ味といえなくもない。しかし作品に捺すとなると話は違ってくる。そこでネットで印材から篆刻 用の道具を入手しやってみたのだが、改めて自分のぶきっちょさを確認して終わった。何度もいっているが、こんなことをしているのに、実にぶきっちょである。ぶきっちょが時間ばかりかけて、祈るようにして制作しているのが滲み出て、プラスに働くのではないか、と期待しているのだが。それはともかく。町のハンコ屋に作ってもらいもしたが、手透き和紙のインクジェット用紙に施された染み込み防止処理だかのせいで、絵の具でやっても上手くいかなかった。しかしどうにも諦めきれない。そこで雅号でも考えることにした。好き勝手に考えても良いものらしい。モチーフが変わるごとに変えてみたりして。 そういえば最初の個展の時、 辻村ジュサブローさんや四谷シモンさんのようにアーティスト名を付けようと一瞬考えたことがあった、しかし 初個展に見ず知らずの人が来てくれることがイメージできず、地元の幼なじみ、同級生しか浮かばず、何スカしてんだ、とからかわれるのがおちだと諦めた。 いい加減、粘土を触らず何十日であろうか。過去に何度か経験したことがあるが、しばらく休んでいたら上手くなっていたことがあったが。ところが本日、シモンさんのフェイスブックに“考えるより手を動かせ!昔臨済宗の和尚に言われたことを思い出した。”とあった。臨済宗!こ れはいかげん粘土だけでも注文しておけということか、と思ったのであった。新HP
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明後日リコーから預けてあった2メートル超のプリントが帰ってくる。人形を作る立場からいうと写真は、作ったサイズより拡大ができ、違う面を見られるメリットがある。意外に思うのは、そこまで込めたつもりがないものが見えることである。私の想定外の意志をもっているように見えたり。これは拡大して始めて判った。 以前サンディエゴ写真美術館の館長デボラさんに大きくした方が良いといわれた時は意味が判らなかったのだが。今となったらなんでも拡大して、私自身が制作時には見えていなかったところを知りたくなってしまう。 そこで『寒山拾得図』をただ拡大するのではなく、いっそのこと襖絵にしたらどうだろう。ちょうどうちの襖に穴が開いてるし。 2時に東京駅のステーションギャラリーで、友人二人と待ち合わせ『横山華山展』を観る。今まで聞いたことがなかったが、目的は寒山拾得である。意外なくらいの人の入り。長尺の絵巻、風俗物など興味はない。私の欲目を差し引いたとしても、大きさ、墨の濃淡のバランス、すべてにおいて『寒山拾得図』が一番良かった。 その後地元のサイゼリヤへ。最近安いといわれる飲み屋が乱立しているが、村を出る頃に酔いが醒める村醒め、どころか飲みながら醒めていく飲み醒めばかりでどうしようもない。その点こちらはワインを何の屈託もなくもなくがぶ飲みができる。ネットで、日本在住だというラッキー・ルチアーノの末裔が褒めているインタビューを読んで我が意を得た。 溜まりに溜まった『寒山拾得』に対するアイディア、想いを彼らに思う存分語ることができた。飲み仲間であるトラックドライバーの連中がトラック、物流の話ばかりでうんざりし、興味のない話を聞かされ続ける気分を味わえ、とばかりに、嫌味を込めて寒山拾得について話したところ、欠片も覚えていないことが判明し、腹の中で胸ぐら掴んで往復ビンタをしたばかりであった。
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ついに夢の中で豊干を作り始めてしまった。豊干から始め、それをその後、寒山と拾得の基準にしようと考えていたのでその通りなのだが、常に頭部を完成してから始めるのに、夢の中のそれは、虎の上に乗っているのに首は霞がかかったようになっていて見えない。というより無いようである。その後確か話が続いたのだが、夢のことゆえ忘れてしまった。 『タウン誌深川』編集部に、次号用『猛虎図』を届ける。今回に限り複写をお願いした。もともと豊干が乗る虎のために、猫を虎にすることを思いつき、我慢できずに6月の青木画廊ピクトリアリズム展Ⅲに出品してしまった。グループ展に参加して、私の作品が違和感があるのはしかたがないが、自分の個展なのにあまりに唐突な猛虎図は浮いていた。しかし、写真といえど、陰影さえなければどんなモチーフでも扱うことが可能だ、ということがタコに絡まれた葛飾北斎と猛虎図により証明された。ここから隠居後のモチーフだったはずの『寒山拾得』に急速に傾いていった。(太平洋戦争に突入していった、調で)。そんなことで喜んでいるのはお前だけだ、という声が聴こえてくるが、作った本人が喜んでいない物を人様に披露する訳にはいかないのである。 昼間歩いていて、頭の中のイメージに陰影がない、と気付いてコンビニの袋を落としそうになったのはいつだったろうか。外側にレンズを向けず、眉間にレンズを当てる念写が理想だ、といっていた私が、 何も考えずに、頭の中のイメージに、外界の光を当てつづけていた、と気付いてからは早かった。新HP
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それにしても、今まで古典的レンズ、ソフトフォーカスレンズ、写真の見も蓋もなさに抗うため、様々こだわってきたが、昨年より始めた陰影を排除した手法に至り、ついにどんなレンズでも良いという境地?に至った。それは画面上に配す物に、それぞれの陰影の影響を与えないために別々に撮影する必要があり、人形は小さいのに回りに配する物、例えば行灯だったり燭台だったり、縮尺違う物を合成することになり、個性のあるレンズであるとその味のせいで上手くいかない。よってたたのズームレンズで十分である。ここへきて単に陰影を出ないように撮影して配置するだけ。修験者の業のような技術を駆使するでもなく、探しだすのが一仕事のような道具を必要としないところに至ったことがなにより慶賀である。頭に浮かんだイメージ正確に表してくれさえすれば良い。 ところで私の父は神楽坂の叔母の嫁ぎさきの寺に墓を移し眠っている。神楽坂に事務所をお持ちの嵐山光三郎さんとお会いした時、宗派を聞かれ答えられずに恥ずかしい思いをした。従兄弟の住職がこのブログを見ていないことを願うが、そんな私ではあるが、作ることとなると別で、舘山寺、また谷中の全生庵の臨済宗とは何か、検索してみると禅宗という宗派があるわけでないことが判った。“ 禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことである。” 私はことあるごとに、突き動かされる何者かの存在について意識してきた。できの悪い頭より優秀な、より客観的な何かを感じ、人間も草や樹と同じ自然物、間違うことはないだろうと任せてきた。とくに『寒山拾得』を手掛けようと考えてからは、ブログで同じことを繰り返している。昨日などは寄生虫にコントロールされていたりして、みたいな戯れ事を書いていた。少々神妙になる。
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一日  


長い間制作を続けていると、やるといっていながら前言をひるがえし、やらずに終わったことは数々ある。やらないで済ませたのだから、粘土、フィルムなどムダせずに良かった、ということにしている。だいたい頭先行で進めた場合がほとんどで、その点自分でも解らないまま、やらずにおれない、そんな場合は結果が良い。ただ私が『ブーフーウー』の出演者で(例えが旧過ぎるが)私を鞄から出し、横でクランクを回しているお姉さんがいるかのようで、どこかやらされている感がぬぐえない。あまりそんなことばかりいっていると、電波に操られ系に思われても何だが。ある種の寄生虫は宿主をコントロールするそうだが、外側からの電波ではなく、せめて私の中にいる寄生虫の方がマシだろうか。なので私は何でこんな事をしようとするのか考え、お姉さんや寄生虫のせいでなく、私の頭で考えてこうしています、という顔をしたがるのである。もっとも先日も書いたが、当ブログの駄文さえ読まれなければバレない訳で、だったら書かなければ良い訳だが、結論が出ていることばかりでは書くことがなくなってしまう。それに訪問者数を考えると外部に漏れていないに等しいだろう。 今のところ制作にも入っていないのだから、説明のしようがないが、今回は大伸ばしのプリントこそが効果的のはずである。 それにしても『寒山拾得』展とは何事か。写真展なんて付けては混乱を招くだけかもしれない。三島由紀夫が様々な様子で死んでいる『三島由紀夫へのオマージュ男の死』ほどではないだろうが、個展会場探しには苦労することにはなるだろう。それもまた良し。モチーフが旧すぎて 『寒山拾得』なんて古いよ、といわれることはないだろう。 歴史から見て新○○、モダン○○の類いは発表の翌日から古び始める。
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母から電話。私が切ってあげた髪が評判でみんなに可愛いといわれると上機嫌である。植木屋の小僧のアルバイトよりはマシだったとみえる。 昔のご近所の話になり粉撒き屋のじいさんの話になった。粉撒き屋というのは、定期的に現れて、便所の汲み取り口に石灰を撒き、何十円かを得るという仕事である。気が利いた人は臭いで察知し、お宅に糖尿病を患っている人がいるのでは、と告げたりしたらしい。昭和30年代の元旦、東京オリンピックを境に街から姿を消したコンクリート製で、ブリキや木製の蓋の付いたゴミ箱の前で、じいさんが正座したまま前のめりになっていた。大晦日に酒を飲んで、ゴミ箱の前で寝てしまったのであろう。丁度切腹した後のような格好で最初は死んでいるのかと思った。じいさんは“マッチャン”という息子といつも一緒にやってきたが、おそらく20代と思われたが、作業服に坊主頭で近寄っては駄目だと大人達にはいわれていたが、いつもニコニコしていたので、子供には妙な人気があった。じいさんが石灰を撒くのを手伝うわけでもなく、汽車が通る度、嬉しそうにしていた。時折、子供には意味不明の難し気な言葉を吐いた。子供の中ではマッチャンは東大を出ていて、陸橋の上から飛び降り頭を打ったことになっていた。母もじいさんの息子が東大出ている、というが、おそらく他に兄弟がいたのであろう。母と話していて、愉快そうに独り言をいったり笑ったり童子と遊んだという寒山を 思い出していた。
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私には 寒山拾得を手掛けることが可能であると、なんの根拠もないわりに、そんな気だけはしていたのだが、相変わらず下手な頭で考えるよりも、そんな気に従った方が結果が良いことは判っている。ただ何だか判らないが作りたくなってしまった、では馬鹿みたいだから、作りながら理由を考え、個展会場では、そんな事はおくびにも出さず、始めから計画的に事を進めてここに至りました、みたいな顔をするわけである。よって本当のところは当ブログを読んでいただいているわずかな方々しか知らない訳で、例えば背景に使おうと思った場所は、実際は朝、母からの電話に起こされ、2秒で頭に浮かんだなんてことは、個展会場では絶対にいわない。 ところで私が何故寒山拾得が気になるのか、また手掛けられそうな気がしているのか、おぼろげながら判って来た。今回ばかりは、すぐに粘土をつかんで始めないで良かった。ブルース、ジャズシリーズまたは作家シリーズのようにただ好きだから、なんて理由でやれるモチーフではないからである。もっともただそれが判りつつあるというだけで、上手くいくかどうかはまた別の話ではあるけれども、例によって、下手な頭さえ使わなければなんとかなるだろう。
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午前中、昨日のロケ地を紹介いただいた方に、ロケハンの結果報告と御礼にいく。昨日はあえてカメラを持って行かない、というスカした真似をしたお陰で、これ以上観ていたら悔しくなって来そうなので早々に退散したというのが本当のところである。しかし撮影はともかく、作品への使用許可を直接貰わないと、三島由紀夫へのオマージュ展の場会場に三島に縁があることを知り狂喜したのもつかの間、縁があるからこそ許可が降りなかったという体験が私を簡単には有頂天にさせない。発表できないなら撮らない方がマシである。絶好のシチュエーションだけに憎さ?百倍となろう。そうはいうものの、紹介者は今日も太鼓判を押してくれた。撮影の時は一緒に行こうとまで。なにしろ広大、二回以上は通うことになるだろう。実をいうとついでに谷崎潤一郎に関しても数カット浮かんでいる陰影礼賛。 寒山拾得は、バカボンのパパとレレレのおじさんで充分でないか、などといっていたが、謎なのは寒山と拾得の不気味な笑顔である。例えば西洋でも子供の描き方が発明されるまでは、大人をただ小さく描いたようで気持ちが悪い。寒山拾得も、描いた当人が不気味なつもりで描いていない可能性はあるだろう。しかし私がこれ程気になるのは、この謎の笑いが貢献していることは間違いがない。謎の微笑みという意味ではモナリザ以上ではないか、と私は思う。そもそもモナリザの微笑みのどこが謎なのか、私にはさっぱり解らない。
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バスの中から奇妙なものを見た。以前グーグルマップ撮影用であろうサッカーボール状の全方向用カメラを上に乗せた車を二度見たことがあるが、今日はそれを背中に担いで歩いている人がいた。グーグルの車が入れない場所用なのか、単に変わったアングルから撮影したい人なのか。中国人風に見えたので、そのいずれでもないのか。まあどうでも良い。 某駅前でFさんと落ち合い目的地に向かう。思っていた以上に遠かった。ご主人は海外だとかで不在であったが、中に入って一目唖然。聞くと観るとでは大違い。本日は曇天で撮影にはうってつけであったが、私としては久々の大ネタである。中途半端に撮影したくないのであえてカメラは持って来なかった。しかし持って来ていたなら、釣りに来て、あまりの魚影の濃さにアワアワドタバタし、あげくに小魚一匹。となる可能性が高かったろう。心構えを新たに出直すことにした。魚と違って次回来てもここにいるので慌てる必要はない。寒山拾得はまだ何も作り始めていないが、背景に関していえば120%であろう。この被写体を私にしかできない方法で生かすことが可能であろうと確信した。そして日本一すなわち世界一と称される持ち主に、いずれ大伸ばしにして“私はこんな物を作っていたのか”という気分を味わっていただければ冥利に尽きるであろう。 その後母が食べたいというケンタッキーフライドチキンを買ってホームに行き、母がむさぼり食うのを見て、植木屋の小僧がアルバイトで刈ったような無惨なザンギリ頭を切ってやった。婆様はともかく、様々な理由で様々な施設にいる若い娘の髪型はもうちょっと考えてやれないものなのであろうか。
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