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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いつの間にか、ブログを毎日書くようになってしまったが、読む方には迷惑であろうが、同じようなことを書きながら、考えをまとめていき、個展の際に、なんだか判らないけど、やりたくてやってしまいました、なんて言わずに、熟考の末の結果であります、という顔をするためには必要なので仕方がなく、お付き合いいただくしかない。寒山拾得の場合は、恐れ多くも伝統あるにも程がある、禅宗のモチーフである。横溝シリーズのへっぽこ刑事のように「よしわかった!」と軽々しく言うわけに行かない。しかし、何故私がこのモチーフに惹かれるのか。その位は私の問題であるので解明してみたい。タイムリミットは二年。三島の経験があるので、貴重な時間を無駄にせず挑みたい。だがしかし、今のところは、寒山と拾得、豊干に見立てた金魚を飼うにあたり、豊干の乗る虎に見立てる魚をどうするか、友人に相談して、それじゃ虎という感じじゃないだろ?もうちょっと、どうだこうだ、とつまらない話ばかりで、こんな調子で大丈夫なのか、という状態である。

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材木を見に新木場のもくもくに行く。そのうち松尾芭蕉が納まる芭蕉庵を作らなければならない。 金魚をくれるという人は鯉でも何でも水質管理と酸素の供給であっという間にデカくしたりする。新潟に鯉の池を借りている専門家だが、あくまで趣味に徹し、鯉では絶対商売をしないと決めている。準備が出来たら、早速貰いに行きたいが、3匹の金魚で寒山と拾得に豊干というのはどうだろう。金魚に名前を付けてはいけない、というのは金魚の飼い方に書いてあるが、金魚に限らず、ペットに死なれること考えると判る気もする。夏目漱石は結局飼い猫に名前を着けなかったらしい。話しは違うが昔、スーパーで魚の切り身のパックに”お魚“と書いてあるのを見た。これなどは本名を知らない方が良い、というパターンであろう。熱帯魚のナマズに近い魚にプレコというのがいる。これを水槽に入れておくとガラス面を綺麗にしてくれ、丈夫で金魚との混泳も可能なようである。これに縞模様のタイガープレコというのがいて、豊干が乗る虎に見立てるのはどうか?中国の断崖を模したレイアウトも悪くないかも。個展までの二年間、風にそよぐ洗濯物を眺めているならば、こちらの方が良いような気がするのだが。
 


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何でこんなことをしようとするのか判らなくとも、制作を通じて段々理解してきて、個展会場では全て予定通り、判ってやって来ました。という顔をするのが常だが、寒山拾得も今判らなくとも、きっとそうなるだろう、と昨日まで考えていた。しかしこれに関してはそうはならずに終わる気がしてきた。またそれで良いような気も。 私がもし二年後にふげん社で全て判ったみたいな顔していたなら失脚したグルメ野郎のような胡散臭さであろう。おそらくこのモチーフは、ただ手掛ければそれで良い、という、私にとって初めてのものではないか。制作することにより正解を得ようと考え、それが常にモチベーションになってきたが、今回はどうもそうではなさそうである。本日も洗濯物眺めていたらそんな気がしてきた。バットを強振したら絶対打てない。それこそ本家大リーグボール3号のようなものかもしれない。どうもそんなモチーフのようだ。強振したくとも体力その他、出来なくなった今こそ、止まって見えるボールもあるのではないか。 座禅を組まずとも、私の場合は寝転がって洗濯物を眺めていると何かと教えてくれるようである。

 



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窓を開けたまま寝てしまい、ここ数日腹の調子が悪く、三島もやることがなくなってしまって何だか三島ロス的気分が続いている。他の作家とは違い、テーマはたった一つしかなかった。ベランダの洗濯物を眺めながらぼんやり寝転がっていると田舎の道端の日陰で昼寝しているようていくらでも寝られる。私には三島が大変過ぎて、かつ面白過ぎた。 それに比べて次に手掛けよう、という寒山拾得が捉えどころがなさすぎる。一気に始める気分になれるモチーフでもない。捉えどころがない所が肝腎なのであろう。その間、今ままで作って来た人物を一通り、石塚式ピクトリアリズムに置き換えることも続けなければならない。 難しいのはこれは陰影をなくせば良い、という撮り方を言うものでもない。十年は手掛けていない寺山修司など、どうもこの試みに協力的な感じがしない。陰影を出さずに撮影して切り抜いて配置する。まさにそれだけであり、技術的には簡単だが、ただ方法が簡単なだけで肝腎なのは絵作りである。 寒山拾得は、数メートルに渡る絵巻物として考えている。決まったフレーム内に作るのと違い、続いているため各場面をつなげる岩山などいくつも作る必要がある。そう考えたら、額装する作品は巻物からトリミングしてではなく、それぞれ配置を考えて個別に作品としよう。一歩前進。今日の所はこんな所で。

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寒山拾得に髭を描かない、にはやはり理由がありそうである。あの独特のイメージ、髪はボサボサ服はボロポロで爪は伸び放題。なのに髭はないことがほとんどであり、仙人とは一線を画す。奇怪な童子じみたイメージに、髭を描かないことも貢献しているだろう。イカれた曾我蕭白ですら描いていない。最初からこの二人を手掛けるには作法のような物があり、それに準じるべきだ、とそんな気がずっとして来た。型というものは、そうするにはそうする理由がある。 本当のことなどどうでも良い、と言い続けてきた私が、実在した人物から説話上の人物を作ろうとしたとたん、型がある、先達に準ずる、などと言いだすのは、自分で言っていて、この期に及んで何をいってる、と思うのだが、例によって何故だかそう思うのである。 最近矛盾は矛盾として、そのまま解決せずに抱え込むことも有りではないかと思うようになった。作品における矛盾に耐えられずにグループ展の出品作を会期中に2度も差し替える醜態もさらした。 このモチーフも完成の暁には、何某かつかんで、初めから知っていたような顔をするのであろうか?最初から頭で理解できるようなモチーフは取り組みに値しない。開始前は、まずはこんなところであろう。





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寒山拾得~描かれた風狂の祖師たち~展 図録栃木県立博物館を以前持っていたが引っ越しの際に置いてきてしまった。寒山拾得図はそれこそ玉石混交、星の数ほどあり親しまれてきたモチーフであることが判る。その分下手くそな物も数多い。しかしこの図録には名品が選ばれていた。こういう欲しい物が決まっている時はネットで探すに限る。必要でない物まで買ってしまうことは避けられる。断捨離を済ませた私としては余計な買い物は避けたいところである。ヤフオクで検索すると一冊あったが8000円もしている。この間まで持っていただけにそれは嫌なので検索して1500円でみつける。 当初から、といっても先日からだが、新趣向の寒山拾得を、とは考えないこと。先達の作って来たイメージから、逸脱しないこと。私の危険回避センサーがそう警告を発している。ただいつも作家を作るのと同様に、寒山と拾得、または豊干それぞれの声までが頭に浮かぶくらいには持っていって臨みたい。私の中では、コロコロとした童子じみたものから変化しつつある。童子とは言わなくとも、そんな印象があるのは、あれだけ髪はボサボサで爪は伸び放題の二人なのに、何故だが髭を生やした寒山拾得の記憶がない。そのことも図録で確認してみたい。その辺りが仙人の表現とは一線引かれているような気がするのだが。 


黒蜥蜴



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寒山拾得はいつものように和紙にプリント額装するとして、その全作品をインクジェットのロール紙を利用し、長尺の絵巻風にしてプリントしてみたい。そこには時間経過だって描けるだろう。寒山拾得、豊干、虎が寝ている四睡図や、様々な場面を並べたら良い。山中の様子も描きたいが、小川や湖水なども欲しい。そうなると未だ手を出していない水の表現が問題になってくる。陰影が無いということは反射や艶もないことになるだろう。行灯や蝋燭の炎は筆描きでなんとかこなしたが。円谷英二同様、水と火の表現には苦労することになる。 松尾芭蕉は芭蕉像だけでなく芭蕉庵も作ることになっている。かつてのジャズ、ブルース時代のように、人形作りが楽器や芭蕉庵に感心されてもしようがない。あくまで芭蕉像を引き立たせるためだけに作りたい。せっかくそこまで作るなら、芭蕉庵の芭蕉も写真作品にしたい。となるとカワズが飛び込む古池が欲しくなる。その時には水をどう描けば良いか打開策が見つかっていなければならない。芭蕉記念館の前に芭蕉の木もあるのだが、道路っぱたでまったく生気がない。それに引き換え、最近SNSで見た友人の工房に生える芭蕉の木が瑞々しい。あれを撮らせてもらう手もある。芭蕉庵に芭蕉の木がなければ絵にならないだろう。 また別な欲もあって、陰影を思いっきり出して、池も本物を使い、リアルな芭蕉と芭蕉庵も制作してみたい気もする。夜、燭台の灯りを頼りに句作に思いを馳せる芭蕉なんていうのも良いだろう。絵画とは違い、被写体を一度作ってしまえば撮り様は色々あるので妄想は拡がる。最近ジタバタしながらも気が付いたら思った物が作品となって目の前に現れる。何よりである。


6月7日まで延長

大鴉 エドガー・アラン・ポー


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新型コロナ騒動が、ある程度収束したとしても、様々なことが一変するだろう。寒山拾得に向かうにあたり、何某か作用することは間違いない。そう思うと、椿説男の死を延期せずに決行したことも、今年の後半作用してくるだろう。そのせいで今年の暮あたりは、予定外の妙な所に立っている気がする。そもそもいっぺんに2つのことに責任が持てない私は、三島を終え,返す刀で寒山拾得と行きたい。 インクジェットのロールペーパーは長辺はそれなりの長さが可能であろう。絵巻調で行くのはどうだろう。そこには月に虎、寒山と拾得、虎に乗った豊干、また豊干と虎と寒山と拾得が眠りこける四睡図の数メートルの絵巻。そこには時間の経過も詰め込まれ、それぞれのパートは、手拭き和紙に額装。 実は良くあることなのだが、今まさに書きながら思い付いたことを書いている。しかし、新たに作るからには独自の寒山拾得を、というのは危険である。人形を写真で、その時点でかなりなことをしでかしている状態である。自由なモチーフだと曾我蕭白などを見て勘違いしてはならない。能面師の謙虚さをもってあたらないと、寒山と拾得はゲラゲラ笑いながら、どこかへ去って行ってしまう気がする。




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一日  


  1. ノートルダム大聖堂が燃えた。私はフランスに行った事もなく、特に何も感じないが。幼稚園児の頃だろう、親戚の家で昼間テレビで外国映画を見た。石作りの寺院のような所に怪物じみた怪力の男がいて、多分怒りに任せてだったろう。大きなた桶から熱湯なのかなんなのか、それを民衆の上に流し掛け、民衆が逃げまどう、と言う場面を覚えている。大人になり、あれは怪奇俳優ロン・チャニーの『ノートルダムのせむし男』だったのでは、と見当を付け観に行ったが、そんな場面はなかった。 結局出来た、と言いながら室生犀星の首、まだやっていて朝になってしまう。これは実在した人物、と言う所が、自分のイメージと残された写真とのすり合わせに時間がかかる。やはり残された時間を考えると、絵しか残っていない、もしくは架空の人物に限るべきであろう。 母がまた脚が腫れ、ホームから、いつもの病院に入院した。以前は蜂窩織炎だと言われたが、あれは痛いと聞いたが、母は痛くなかったと言う。本人は至って元気だが江東区内で近いので、顔を出すのは楽である。
  2. 新HP

     旧HP

    『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  

      深川江戸資料館にて葛飾北斎像展示


     


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早朝、旧知のフリーの映画プロデューサーYさんから「ロッケンロール死す。」とメールが着て、ついで電話。仕事柄安岡力也など親しかった。ある日安岡力也に連絡したら昨晩銀座で飲んでいたので来れば良かったじゃないか、と。メンバーを聞くと勝新太郎、小林旭、内田裕也、安岡力也、佐藤蛾次郎。それは良いなぁ、と思うのは素人である。Yさん曰く「絶対嫌だ!」聞くと小林旭が内田裕也に絡み始め、その後に佐藤蛾次郎がこうむった事態を聞くと、行かないで大正解と素人でも思った。色々面白いと書き始めたが、こんな所で書けない話しばかりなので止めておく。ロッケンロールはともかく『ブルージーンと革ジャンパー』は良く聴く。合掌。 ここ数日探していた資料があるのだが、いくら探しても在庫がなく、ネット上には古書も見つからない。取り寄せに二週間はとても待てない。出版社に直接出向いて、と問合せすると倉庫から取り寄せ一週間だという。倉庫まで取りに行きたい、を何とか飲み込み、倉庫からの発送を頼んだ。私は例えば部屋の片付けなど、サグラダ・ファミリアの建設工事が如き優雅さを見せるが、作る事に関すると別人の様にせっかちに変身する。上手く行かない物である。

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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数年前亡くなったロックミュージシャンのプロモーションビデオというのかミュージックビデオが出て来た。架空の黒人ミュージシャンを作っていた頃、本人を作って欲しいと言われた。実在した人等数体しか作った事がなく、まして日本人は作ったことがない。自信はなかったが、やることにした。ついでに他の人形も借りたい、という。 撮影スタジオは某映画で、城の炎上シーンを撮影したという体育館みたいな広さで、スモークをたき、照明を筋状に、いわゆるチンダル現象を、ということであったが、こんな小さな人形なのだから、狭い所で撮れば煙だって楽だろうに、と呆れて観ていた。 しかしとっくに完成しているはずが一向に連絡がない。電話してみると、監督が私の人形を撮り過ぎ、これでは何のプロモーションか判らないと、事務所からクレームがつき没になったという。それは監督に見る目が有り過ぎただけで、それがどうした、と言う話しである。実際はテレビで観た知人が二人ほどいた。 そこからである。没になった、予算がない、とわずかな制作、使用料を払おうとせず逃げ回る。電話に出る事務所のおばさんに同情されながら、結局払わせるまで半年近くかかった。 そうこうして、ある日日本アカデミー賞の授賞式を観ていたら、欠席した巨匠中の巨匠の代わりに登壇し、トロフィーを受け取っていたのが件のプロデューサーであった「コノヤロ~!」 思えば当時、減るもんじゃなし、土下座の直後に口笛吹きながらスキップ、なんて輩が多かった80年代であった。しかしおかげで初期の作品が映像に残った。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  


『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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一日  


それにしても良く寝る。長年寝る寸前まで起きていて、ばったりと、ほぼ十秒以内に寝ていた。ピストルで撃たれたように、といわれたものである。しかしそれは力尽きて寝るのであって、できれば制作を続けたい。二日酔いしないことと、いくらモニターを見つめていても疲れのが有り難い。ただし乱視は酷くはなってきている。夕方最終日、ようやくフジイメージングギャラリーの『織作峰子“小山薫堂写真展』光という絵の具を求めて、を観る。オイルプリントは修験者の技のような分、額装が映え見違える。私が何度オイルによる個展をやるより、この展覧は伝搬力があったろう.会場を見て回り、ソファーに座り、私は写真の中の陰影や光や艶、ボケ、それらをすべて排除しようとしているのか、と改めて思ってしまった。こうして書くと良いとこ無しである。年内に一度はカラオケで『回転禁止の青春さ』の一番だけは歌っておこう。

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友人  


明日雨や晴天でなければ、つまり陰影の出ない曇天であれば、ようやく懸案の背景を撮影に行く。助手は暇している友人Eである。彼とは16年の深川資料館の個展以来である。その時も5年ぶりくらいであったろう。小学一年からの付き合いなので、その程度のブランクはあってないような物である。一年生の時黒板に描いた彼の似顔絵を私は未だに描ける。 洲崎の旧パラダイスに永井荷風を撮りに行った時も付き合ってもらたし、ニジンスキーの薔薇の精の時は後ろで花びらを蒔いてもらった。中学の時は学校に来ない彼を迎えに行ったし、ロックばかりだった私に日本のフォークを教えてくれたのは彼だった。後に古本屋通いと日本映画も教わった。高校時代は今は亡き銀座の並木座で『仁義なき戦い』を観ていて山城新伍を「こいつ白馬童子だぜ」。大川橋蔵だと思い込んでいた私にショックを与えたし、小津の『東京物語』では、隅田川のずっと向こうのきわから銀座に出てきて、こんなの観ていられるか、と耐えられずに途中で出た。 まあ思い出を書いていればきりがないが、長らくお袋さんの介護をしてきて、会うこともままならなかったが、今年亡くなり、少しは外に引っ張り出せそうである。 新HP
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube

『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』深川江戸資料館葛飾北斎と古今亭志ん生像展示

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』
  

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写真はやはりなんといっても被写体である。自分で作った物を被写体にしていれば、悪ければすべて私が悪いことになる。逆に良ければすべて私のおかげであり、被写体に感謝したり、礼をいうこともない。しかし今回に関すれば、背景に使わせていただく被写体が素晴らしく、これで人形さえなければ、なんてことにならないようにしなければならない。私はテレビは観ないが、しょっちゅう紹介されている場所のようで、ホームにいる母でさえ知っていた。だがしかし、私が企んでいる使い方は、人形を被写体とする私でないと生かされない、と久しぶりに自画自賛しているところである。 11月23~12月9日深川江戸資料館レクホール特別展『江戸からの旅人、杉浦日向子の世界』に、葛飾北斎、三遊亭円朝、古今亭志ん生を出品する。。新HP
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連

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背景を撮影に野山にロケに出かけることもあるが、今度ばかりは寒山と拾得、または猫を虎に見立てた虎に乗る豊干禅師である。どこかで、背景だけホンモノ使ってどうする、というのが私のどこかにあったのではないか?朝、母からの電話に目を覚まされ、身体を起こそうとした時にアイデアが浮かんだ。そろそろ撮影に行こうと考えている。ただ陰影を出さないように、曇天の日を選ばないとならないことと、できれば一人助手がいるだろう。子供の頃から偉人伝の類いが大好物であったが、子供の私がすっかり騙されたのは、人のやったことのないことを成す人か偉い人だと思いこまされていたが、日本ではどうもそうてはなく、誰でもやっていることで上手な人が偉いということのようである。大リーグで活躍する日本人選手が、変な打ち方だったり変わった投げ方だったり、二刀流だったり、普通のやり方でない選手に限り超がつく活躍をしてきたのが、ざまあみろ的に嬉しくてしょうがない。新HP
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載11回『猛虎図』連載

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