母から電話。私が切ってあげた髪が評判でみんなに可愛いといわれると上機嫌である。植木屋の小僧のアルバイトよりはマシだったとみえる。 昔のご近所の話になり粉撒き屋のじいさんの話になった。粉撒き屋というのは、定期的に現れて、便所の汲み取り口に石灰を撒き、何十円かを得るという仕事である。気が利いた人は臭いで察知し、お宅に糖尿病を患っている人がいるのでは、と告げたりしたらしい。昭和30年代の元旦、東京オリンピックを境に街から姿を消したコンクリート製で、ブリキや木製の蓋の付いたゴミ箱の前で、じいさんが正座したまま前のめりになっていた。大晦日に酒を飲んで、ゴミ箱の前で寝てしまったのであろう。丁度切腹した後のような格好で最初は死んでいるのかと思った。じいさんは“マッチャン”という息子といつも一緒にやってきたが、おそらく20代と思われたが、作業服に坊主頭で近寄っては駄目だと大人達にはいわれていたが、いつもニコニコしていたので、子供には妙な人気があった。じいさんが石灰を撒くのを手伝うわけでもなく、汽車が通る度、嬉しそうにしていた。時折、子供には意味不明の難し気な言葉を吐いた。子供の中ではマッチャンは東大を出ていて、陸橋の上から飛び降り頭を打ったことになっていた。母もじいさんの息子が東大出ている、というが、おそらく他に兄弟がいたのであろう。母と話していて、愉快そうに独り言をいったり笑ったり童子と遊んだという寒山を 思い出していた。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』
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