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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、母の顔を見に行ってくれたT家のかみさんが送ってくれた母の写真はいかにも施設の年寄り調のザンギリ頭で、これだけは我慢できない。ブロがやっているはずだが、植木屋の小僧がアルバイトでもしているのではないか。できれば明後日あたり行って、髪を切ってやりたい。昼食でも食べて、その後Fさんの車での背景に使わせてもらう物を見学に行けるといいのだが。本番は、陰影を出さないために、曇天か雨天時に撮影する必要がある。 三遊亭円朝から始まったシリーズは、実在した人に作りたい人がいなくなってきたこともあっての思いつきであったが、それでも寒山拾得は最晩年、半分ボケながら、墨絵かなにかで、そんなことでもやっていたりして、と漠然と考えていたモチーフであり、よってここにきて飛躍し過ぎではないか、と考えなくもないが、陰影の呪縛さえなければ、かつての日本人絵師のように、どんなモチーフでも手掛けられるのではないか、というのが発端であり、事実、蛸に絡み付かれた葛飾北斎は通常の陰影のもとではとても無理であったろう。これにより身も蓋もない写真という手段にあらがってきた私に、何でもアリだと思わせてしまった。西洋画のリアリズムを取り入れて行ったお陰で日本人絵師から、発想の自由さに限れば失われて行ったと考えている。オイルプリントを始めるきっかけになったのが野島康三だが、かつて先端をいっていたはずのピクトリアリズムが古臭い技法と見なされるようになり、銀塩プリントに転向し、着物から洋装に、家でダンスパーティ。なんとか最新の写真の潮流について行こうとする姿は私を失望させ、以降の作品は今観るとただ古臭いだけだと私には思える。 晩年もう少し時間があれば、と西洋技法を取り入れていった北斎も、つまらないことになっていったのではないか。私は良いところで死んだと思う。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube



『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』



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コーナンに電気コード等買いに行く。そこへ牡丹灯籠で、娘のお露の横でお米や、『貝の穴に河童の居る事』でおどりの師匠役をやってくれたT屋のかみさんから電話。お寺がすぐ近くなのでお参りついでにホームにいる母の顔を見に行ってくれたらしい。有難いことである。「若くなったんじゃない?」とお世辞をいうから、調子に乗るから止めて、といったが遅かった。案の定母木に登る。ホームのスタッフは、おだてておけば木に登って降りて来ないから、扱いは楽ではないだろうか。身内の介護に多少でも関わると、きれいごとではすまされないが、私も母も怒りが持続しない、という共通点があるから、喧嘩しようとすぐ収まってしまう。怒りをぶちまけてのことなので我慢して平静を装っているよりはるかにマシである。牡丹灯籠を手掛けていた時は、ちょうど母と同居していた時で、つくづくお化けという浮き世離れしたモチーフを手掛ける有り難さを感じた。とはいうものの、8年止めていたタバコを肺まで入れずふかすだけとはいえ、再開してしまった。家でお化けなどではなく実利的な仕事をされる方などどうしているのだろう。というわけで毎日一度は読むことに決めている森鴎外版『寒山拾得』である。牡丹灯籠の幽霊は実際は男に焦がれ死にして化けてでる娘で生臭くはある。浮き世忘れ効果は『寒山拾得』の方が高い。新HP
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無いものは撮れない写真は被写体との出会いで勝負は決まるものであろう。であるが、眉間にレンズをむける念写が理想などといって被写体を自ら作るせいで、外側の世界に在る既存の美しい物や風景の恩恵に預かることがあまりない。しかし母に電話で起こされ2秒で思い付いた被写体はどうやら撮影できるようだし、大いに恩恵に預かりたい。 背景のパートは、まずそれを主役として配したい。寒山の住まう洞窟奇岩の類いは石膏を削るか、実際の岩肌を使うか、また両方を使うか。いずれにせよ、寒山と拾得ともあろうものを既存の景色の中に配する、という残念なことだけは免れそうである。そもそも豊干禅師の乗る虎のために、猫を虎に変えることを思い付いて制作した猛虎図だが、猛虎こと猫のモモちゃんがなかなか寝そべってくれず、豊干がソファがわりにして寝て、これに寒山拾得を加えた三人と一匹が寝ている四睡図のためには再撮が必要である。是非マタタビの大量投与を望みたい。そして酔っぱらったところをすかさず。寒山拾得は爪は伸びてるは頭はボサボサである。『貝の穴に河童の居る事』の河童の三郎以来、髪は人形用の毛髪を使うことにする。こうしてのシミュレーションばかりの歯痒い毎日が続く。新HP
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一昨年、谷中の全生庵の円朝祭りの際に、円朝旧蔵の幽霊画と共に私の円朝像を展示いただいた。円山応挙他の大家等と、また百年ぶりに見つかった鏑木清方作のお菊さんが追加展示されたのは、清方作の円朝像が、残された写真と異なって見えることに、惑わされ創作とは何かを学んだ私に対する清方からの褒美だったのは間違いがない。さらに円朝像を持参した際に、全生庵が中国の寒山寺と同じ臨済宗の禅寺であることで、すでに『寒山拾得』が喉元まで出かかっていた私は搬出の際に、「いずれ寒山拾得をやります」。と口走っていた。こういった偶然に意味を感じる私は、これは作れということだ、とかつての東洋の魔女の如くに必ず拾うことにしている。そういう意味では、三島由紀夫が作中、または言及したことがある死に方で死んでいるオマージュ展の会場を探していたら、直前に紹介されたビルの持ち主の先代が、三島が事件当日、市ヶ谷に持参した刀を三島に進呈し、現社長が切腹の作法を伝授したことを知った時は、この展覧は祝福されている、と確信したのは無理のないことである。しかし昨日書いた理由により大空振りとなった。もっともこれには予兆があった。前年、そのビルと三島との縁など知らず会場を見、担当者と会ったのだが、三島との関係を知り、すぐに担当者と連絡を取るはずが、そこに大震災が起こり、主な収入がビルに掲げた何とかビジョンという広告搭で、電力事情により存続さえ危ぶまれる、ということになり、再び担当者に打診できたのは一年後であった。そこでまさかの何をやっても良いが、三島だけはNGという結果に。 ところで『寒山拾得』の背景に使わせてもらいたい物があり、仲介をお願いしたい方に話したら、許可をもらうまでもなく先方にいっておく、とのことであった。小さい人形を作る私には、拡大可能という写真は大きなメリットになる。撮らせていただく物も、わざわざ小さくした物を拡大して使おうというのだから、持ち主も驚くに違いない。
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元トラックドライバーと現役ドライバーと昼にサイゼリヤへ。こんな連中があと何人かいて、なにしろブラック企業だから休みは少ないし、昼飯を食べる時間もないそうで、また毎日がそんな有り様なら他の世界に触れないせいで、寄ると触ると物流業界またはトラックの話しかしない。いい加減にしろよ、といってはみるが多勢に無勢である。そんな連中の中に入る私の方が悪いのだろうが、それにしたって。今日は相手が二人だけだったこともあり、『寒山拾得』の話をしてやった。しかしどんな話か説明したところで、それがどうした、という話であるが。さらに最近思い付いたニューアイデアについてひとしきり。撮影許可がでるかどうか、そこが問題なんだけど、と興味が全くない話を聞かされる気分を充分味あわせてやった。とはいうものの、50過ぎと70手前にまでなって、たとえ興味がない場合でも、聞いてるような顔をする演技ぐらい覚えておけ、といいたい。新HP
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禅の世界についてまったく知らないし、そもそも『寒山拾得』 自体よく判っていない。判っている人がいるなら聞いてみたいくらいだが、その程度でよく作りたいというな、と思わないでもないが、ずっと気になっており、なぜ気になっているのかさえ、実はよく判っていない。けれどだから作る資格はある、ような気だけはする。よくブログには書くが、何故作ろうと思うのかよく判らず、完成したころ、理由を見つけ、その後、初めからそうするつもりだった、という顔をするのが私のパターンである。そういう意味では『寒山拾得』など典型的であり、さっぱり解らないが、そこがまた禅だからこそ、なんて思ったりする。 先日浮かんだ名案は、そこに縁のある知り合いを介して紹介してもらい、撮影、また使用許可を得たい。連休明けにでも相談してみることにする。1億円くらい平気でするそうだが、使えるのならば、大迫力の画面になること間違いなしである。蛸に絡まった北斎以来の思いつきとなるか。
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リコーイメージングに売約済み作品にサインを入れに行く。写真作品はまだ搬出していない。長辺二メートルのプリントが全部置いてあるので来月運んでもらうことになっている。人形の乱歩と荷風だけ搬出。 『寒山拾得』 の背景について考えている。実景を撮影することも考えないではないが、曾我蕭白の奇岩を見と、自分で作ってみたい気がする。石膏を削って、というのは、高橋幸宏さんのアルバムジャケット『EGO』で昔やったことがある。撮影用なら人形に合わせたサイズで作る必要はない。それともうひとつ。朝、母からの電話で目が覚めた2秒後くらいに名案が浮かんだ。スケッチブックを前に考え込んでイメージが浮かぶ、なんてやってみたいが、棚からぼた餅や教室の黒板消しの様に突然降ってくる。スケッチブックに描いたのは乱歩の気球にぶら下がった『帝都上空』と宮沢 賢治の『ニコライ堂と銀河鉄道』だけである。共に最初に描いたスケッチそのままで、あまりにそのままなので、取っておけば良かった。名案に関して。いずれ撮影、使用許可を得なければならない。撮影できるのであれば、迫力の自然の中に寒山拾得を配することができるはずである。新HP
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一日  


寒山拾得を手掛けるなら豊干禅師を含めて5カットは欲しい。いつものように首一つづつにポーズの違う身体を複数体。古典絵画では顔と着物の表現は別で、衣紋線というのか、ざっくりと勢いをもって描かれている。私も頭部以外は勢いで作る。結果的にそれが肝心の頭部を強調することになる。説話上の人物は、さらに筆ならぬ粘土べらの勢いそのままに作ろうと考えている。こういうモチーフは写真では比喩的に描くしかないが私の場合は連中を作ってしまうので可能である。豊干禅師に寄り添う虎は、勿論猫を虎にする。 背景は実写と作るという2案。説話上の人物には、やはり陰影はあってはならい。当然背景にも。 工芸学校時代の三重県で陶芸家の友人と会う。彼が日本伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞した時、日曜美術館で最初にドンと映った時は感激した。試験もろくすっぽ無いような学校からよくぞ。近代美術館の工芸館にも収蔵されている。現在東海伝統工芸展の審査員を務めているが、今年の日本伝統工芸展は落選したという。その代わり、もう一人の同級生が25年ぶりに入選したと聞き、これがまた嬉しかった。二人ともにそろそろ引退を考えていると聞いていたが、冗談をいうなよ、といいたい。
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私が今後やろうとすることに関しては、技術的に不明なことはほぼない。一昨年から考え5月に発表した立体から陰影を消して撮影し、かつての日本画調になるという私なりのピクトリアリズムも、いきなりできた当初は頭がついて来ず、例によって、何だか判らないうちにできた、では馬鹿みたいなので、後に解明できたら、初めからそのつもりでやっていたことにしよう。といっていた通り、今ではすでにそんな顔をしている私である。しかしこの状態というのは、技術が思いにとどかないでジタバタしつづけた私にすると、実にあり得ない状態であり、これでさらに大リーグボール4号に取り掛かろうとさえしなければ、やれば思ったようなイメージを作りつづけられるはずである。そんな状態が果たして良い状態なのかどうか、あまり経験したことがないので良く判らない。そう思うと作りたい作家もいなくなってきた、このタイミングがどうも怪しい。つまり技術的なことは、その程度で充分であるから、あとは新たなテーマ、造形に挑め、ということなのかもしれない。とにかく性能の悪い頭を使わず内から湧いて来るものに従っていれば、人間だって自然物だもの、間違いはない。 ブルース・リーは“考えるな感じろ”といった。あんたはさすがに判っていたな。一方私はというと、頭を使って考えた、という顔をしたがる所が実に惜しい。

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち- 2018年7月25日(水)~9月2日(日)(火休)

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本日25日発行
『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』

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