長い間制作を続けていると、やるといっていながら前言をひるがえし、やらずに終わったことは数々ある。やらないで済ませたのだから、粘土、フィルムなどムダせずに良かった、ということにしている。だいたい頭先行で進めた場合がほとんどで、その点自分でも解らないまま、やらずにおれない、そんな場合は結果が良い。ただ私が『ブーフーウー』の出演者で(例えが旧過ぎるが)私を鞄から出し、横でクランクを回しているお姉さんがいるかのようで、どこかやらされている感がぬぐえない。あまりそんなことばかりいっていると、電波に操られ系に思われても何だが。ある種の寄生虫は宿主をコントロールするそうだが、外側からの電波ではなく、せめて私の中にいる寄生虫の方がマシだろうか。なので私は何でこんな事をしようとするのか考え、お姉さんや寄生虫のせいでなく、私の頭で考えてこうしています、という顔をしたがるのである。もっとも先日も書いたが、当ブログの駄文さえ読まれなければバレない訳で、だったら書かなければ良い訳だが、結論が出ていることばかりでは書くことがなくなってしまう。それに訪問者数を考えると外部に漏れていないに等しいだろう。 今のところ制作にも入っていないのだから、説明のしようがないが、今回は大伸ばしのプリントこそが効果的のはずである。 それにしても『寒山拾得』展とは何事か。写真展なんて付けては混乱を招くだけかもしれない。三島由紀夫が様々な様子で死んでいる『三島由紀夫へのオマージュ男の死』ほどではないだろうが、個展会場探しには苦労することにはなるだろう。それもまた良し。モチーフが旧すぎて 『寒山拾得』なんて古いよ、といわれることはないだろう。 歴史から見て新○○、モダン○○の類いは発表の翌日から古び始める。
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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家たち』 2018年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutube
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載10回『劇場の永井荷風』
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