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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



市ヶ谷で撮影を予定しているのは室内なので、11月の光にこだわる必用はそれほどはない。当時の二つの首が並んだ新聞を持っているから、証言から、三島が最後に見た風景を推し量る事は出来るだろう。もちろん床に敷かれた絨毯だった、というのは無しで。 “日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”のだが、私がやる限り、窓外に広がるのは豊饒の海であるべきであろう。高校のバレーだか、バスケット部の顧問が、某高校が試合前に皇居に向かって礼するんで参ったよ、といったのを思い出すが。三島が仮に窓の外ではなく壁に向かっていたとしてもかまう事はない。かつて大友昌司の手法で、乱歩の『人間椅子』で椅子の中に潜む男を作ったから、壁の向こうに豊饒の海でも可能である。三島が最後に見た光景だ、とただ撮影するだけなら、他の人に任せれば良く、私がわざわざ市ヶ谷まででかける必用はないだろう。あれから45年だとたった今知った。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

『石塚公昭 幻想写真展き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界




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繰り返しになるが三島由紀夫に関しては、作り始める前から死んでいるところを作る事以外、今に至ってもアイデアはない。依頼された物はそうはいかないが、何を作ろうかな、などと頭を悩ませるような物は作った事がない。棚からぼた餅が落ちて来るように浮かび、出来の悪い頭で、作りながら追々判るだろうと。そして理解した暁には、なぜ判らないが作ろうと思った、では馬鹿みたいなので、初めから計画通り作りました。という顔をしてしまう。当ブログでは正直に書いてしまうが、読者数を考えると、バレてもたいした事はない。それにブログを書いているうちに、雲間から日差しの如くに判って来ることが多いから、ブログを書くことは私に取って有益である。でないと何も考えずに暮らす事になってしまう。 今は権利を篠山紀信氏が所有しているという薔薇十字社版『男の死』が出る事を八年ほど恐れ続けた。趣旨は違えど、先に出てしまえば、滑稽なバッタもんになってしまう。 始めてジャズシリーズを自分で撮影し、発表した時、被写体を目の前に展示しているのにかかわらず、写真をジャズマン実写と間違った雑誌編集者が一人いたことで、翌年いきなり作家シリーズに転向した理由と同である。それでは世の中にある、ジャズの写真を人形作って再現している人になってしまう。まっぴらである。

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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市ヶ谷の駐屯地は、事件当時のままではなく、外見はいくらかコンパクトになっている。よって加工しないと昔の通りにはならなかった。上に付いていた桜のマークも取り外され玄関に置いてあった。撮影は、命日の一週間前後。何十年経とうが、11月の光の質は変わらないであろう。ただ移築された、と聞いたのを忘れていた。つまり向きが変わっていれば光も変わる。特に問題はないと思えたが。 当日ヤジを飛ばした自衛隊員もこうして見上げたんだな、と思った。何度も繰り返しているが、あのヤジも三島の計算の内だったと私は思っている。非難轟々の中「もはやこれまで。」踵を返して割腹。という悲劇的な場面はすべて三島の演出の通りであった、と私は思う。そのぐらいの事は計算する人である。演説と言えば当時ハンドマイクがつきものであったが、不粋でもあるが、ちゃんと聴こえる必用はなかったろう。計算違いと言えば、森田必勝の介錯が下手で、グサグサやられながら、たまりかねてか、自ら舌を噛み切ろうとした形跡があった。乃木希典は明治天皇崩御の翌日、介錯なしで割腹したが、動脈を切断しない限り簡単には死ねない。一晩中、近所に乃木のうめき声が聞こえたという。三島は事前に森田に「あまり苦しませるな。」と冗談混じりで言ったようだが、次に、自らも割腹する事になっている森田に介錯されることを望んだ事に問題があったろう。かつて三島が肉体に目覚めるきっかけとなった海外渡航で、バチカンで一目惚れして2回も見たというアンテイノウス像は森田にそっくりである。

 

【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

 

 

 

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昔、市ヶ谷の駐屯地に、あのバルコニーに三島を立たせようと撮影に行った。あの制服だけは気に入らない。三島がチンピラヤクザなら、と出演した『からっ風野郎』の革ジャン姿にした。こちらの方がよっぽど良い。あの制服は、中井英夫も気に入らないと言っていた。三島が本当に好きだったのは、白に金ボタンの並んだエレベーターボーイの制服で、あの可愛らしさがない、という。了解しました。エレベーター内で射殺されたエレベーターボーイになってもらった。某デパートのエレベーターを撮影したが、いかにも元警官みたいな警備員に文句を言われた。そんな事は知るか。階を変えて撮っていると、連絡が行ったようで、また現れた。用は済んだ、長居は無用。念のために、エレベーターはデザインを変えておいた。 幼い三島が、坂を降りてきた糞尿を運ぶ青年を見て“彼になりたい”と言えば、お安い御用、と念願を叶えて差し上げた。刺青入れたかったと知れば入れた。さすがの三島も、やれなかった事をしないと創作の意味がない。ある週間誌で、私のなりたいもの、と言う特集で、三島は白バイ警官に扮した。そこで、路肩で死んでいる白バイ警官を、と制服からバイクから調べて見たが、三島に「君、俺は白バイ警官はやったぜ。」と言われそうで止めた。

 【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』

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気が付いたら11月も半ばである。三島由紀夫の命日も近い。三島に関しては、始めた当初から、三島が様々な状態で死んでいる『男の死』しかやりたい事はない。2011年の個展は周囲に止める人いたが、その言葉さえ妙なる音楽に聞こえてしまう始末で、三島は絶対喜ぶぞ、とそればかりであった。結果小さなプリントはともかく、一点も売れず。考えてみたら、いや考えなくとも、いくら作り物とはいえ、人が死んでいるところを欲しがる人はいないであろう。「もっと血を!」の三島が喜ぶだろうと、まさに出血大サービス。 私はそもそも三島作品に興味を持つたのは遅かった。映画『黒蜥蜴』の剥製役や『からっ風野郎』のチンピラヤクザを見て呆れていたからだが、金閣寺を読んで風向きが変わり始め、最終的にはその特異な人物像、その類を見ない本気さに感銘を受けた。なので通常の、作品の中に入って貰うだけでなく死んで貰う事を考えた。事件の一週間前まで自分の発案した死に方で死んでいる所を撮らせ、事件直後に出版を目論んでいた事を知った時には、本人にやられていた、という衝撃はあったが「そうでしようとも。思った通り!」が大きかった。事あるごとに制作してきたが、ラストカットは再度市ヶ谷に出向き、三島が最後に見た風景を撮影して“正に刀を腹へ突き立てた瞬間、日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”これで決まりである。

 
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』
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変化の時というものは、こうもあからさまに訪れるるものだろうか。全てが今しかない、どうぞどうぞ、といっている。ニワトリがニワトリ小屋に追い込まれているかのよう、といえなくもないが。数年前から、気分はそちらに向かってはいたが、最後の引き金は母より顔を合わせていた、河本の眞寿美さんが亡くなったことだろう。河本に最初に顔を出した時は,まだ髪も真っ黒な五十代で、私も二十代の最後の年だつたろう。距離的なことも含め、あまりにも近かった。 引っ越したら懸案であった和風で行きたいところである。まずは室生犀星の撮影に使った金魚が金魚坂から来る事になっている。さらに置き床でも置いて、九代目市川團十郎や左團次の掛け軸でも掛け、江戸川乱歩の“現世は夢夜の夢こそまこと”の短冊を眺め暮らしたい。シミジミとした光景だが、それでいて制作の再起第一戦は、おそらく、全身に竹釘を打ち込まれ、血まみれになってうめき苦しむ三島由紀夫になるはずである。『椿説弓張月』の武藤太が仇を討たれる場面である。私にしたら、本人にやられていた聖セバスチャンの別バージョンを見つけた思いであり、私の見立て通り、当時の舞台のパンフレットに三島は〝私には堕落悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟という一文まで、私に見つけられてしまった。「承りました。汚穢屋や、ドラゴンに噛み砕かれる王子、また背中の彫り物などと同様、やり過ぎ、過剰なご本人もやれなかった事は私にお任せ下さい。」

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第16回『トラウマ』

 

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日中歩き回ったが、歩きながらつい自販機に。水分補給も大切だが、おかげで夜中に腹具合が悪くなることがある。全体的にガタが来ているのだろう。 そのまま帰る気にならず図書館へ。何気なく手に取った橋本治の「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)。を読む。くたびれていたので、居眠りしながら最初読んでいたが、特に私がモチーフとして1番参考にしている仮面の告白に付いて、多く紙面を割いており、読み進めるうち、面白くて目が覚めてきた。なかな普通の本ではこうはならない。 三島は率直に性癖その他について具体的に書いているのに、事件直後の雑誌の寄稿文などで、親しいと言う人が、あれは仮面だ、などと言うのを、何寝ぼけた事を、と呆れていたが、それはひとえに三島の残した制作ノートの煙幕のせいだということが判った。興味深い所は他にもあったが、借りてきたらそればかりになるので、借りずに来たおかげで引用出来ず。

 

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また始まった、と言われそうな三島の血みどろ場面だが、三島歌舞伎の椿説弓張月では、血が、客席にまで達しそうになり、寺山との対談であそこまでやらないよういったのだが、みたいなことを言っているが、嘘っぱちに決まっている。映画、人斬りの撮影の時、京都撮影所の使用する血糊一年分を一日で使い切り、映画憂国では、もっと血を、と増量を指示、腹から溢れるはらわたには、豚の内臓を使い、スタジオに充満する異臭香水を振りかけた、という。そんなことをしたらどうなることか判りそうなものだが、紡ぎ出す美文とはうらはらに、トンチンカンな所もまた三島らしいのである。そんな三島のために、先生もっと血をでしょ!?とやり過ぎたのが、この作品だが、私が写真としてやると、どうしてもこうなる。 歌舞伎だと、何故無惨な殺しの場面か見せ場と変じるのか、浮世絵の無惨絵も同様である。その事が気になり出すのはこの後で、結果、これは写真ではない、と言われながら陰影を無くしているが、写真そのままではやれないのであれば、写真でなくても、一向に構わないのである。この調子で作れば私の聖セバスチャンは女性ならずとも、私自身が辟易となるものになってしまうだろう。

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『三島由紀夫へのオマージュ男の死』は、会場探しに難航した。妙な人等が押しかけてこられても困る、と言う事であったが、私には、三島本人が魚屋に紛し、腹に出刃包丁刺して死んでいる、なんてやっていた。と言う事実が後ろ盾になっていた。しかも糞尿配達人の青年に、〝なりたい〟と本人が書いている。喜ばれこそすれ、叱られるいわれはない。薔薇十字社版男の死は事件直後に出版されなかった三島の無念を考え続けてきた。〝タイミングの天才〟篠山紀信が出さないのだから、奥さんと以後出さない契約をしたに違いなく、出版されることはないだろう。もっとも今出たところで、世界的作家が、いかに変わり者だったかを喧伝するだけであろう。 一方石塚版は、何しろ作りものであるし、まさにオマージュに過ぎない。勿論趣旨は違えど、本家が公開されていたなら、やらなかった。 私が夢想するのはこうだ。あの時三島が死なずにいてくれて、老人となった三島を訪ね、私の『椿説男の死』を見せる。「君は余程暇なんだね、時間もかかったろう。バカな事をしたもんだガハハハ。」ご高齢ゆえ、早々においとまする。と見せかけて、庭の木に登って室内を覗いてみると、さっきは片付けていたが、広げて眺めているではないか。「先生素敵、僕先生のその顔が見たかったんだ。

 

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創業350年の金魚問屋を紹介されたことにより、その気になって、『蜜のあわれ』を手掛けたが。おかげで、今後二ヶ月近く制作に手を染めてはならない、という悪魔との契約を交わす羽目になった。よって、これは何も作ろうと言う話しではなく、ちょっとした覚え書きである。 三島由紀夫が会員制同性愛誌に書いた『愛の処刑』というわざと下手くそに書き、念を入れて他人に書き写させた、と言う作品は、新潮社の全集にも入っている。何度か粗筋を書いたからくり返さないが、三島はこんなシチュエーションで死にたい、と願望を書いたかのようでもある。 三島の死の場面を描くなら、作中に死の場面があれば好都合なわけだが、美少年に見つめられながら腹を切る毛深い体操教師。「先生素敵、僕先生のそんな顔が見たかっんだ。確かそんなセリフがあった。  近所にモデルとして母、姉、妹とお世話になってきた一家がいる。そこの次男が、姉さんにイタヅラで化粧された写真を見た事があるが、一家で最も美しくなってしまった。『愛の処刑』を考えないでもなかったが、三島の趣味とは違う。しかしド素人にデジタルって何でも出来るんですね、と言われ金魚娘を捏造した私である。腹を切る三島、先生のそんな顔が見たかったんだ、としがみつく青年。ここは私の創作だが、飛び散る血しぶきが青年の口に入ってしまい、思わずすすってしまう。口のまわりを血だらけにしながら「先生の血は⭕⭕で⭕⭕⭕なんだね。」  柄にもなく、金魚や金魚娘など可愛らしいものを手掛け、傾いたバランスを立て直そうとしているのかもしれない。

 

タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第15回『美容院には行かないで』

 

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私の聞き違いでなければ来年1月か2月のふげん社での個展は、三島由紀夫へのオマージュ『男の死』が中心になるはずである。もう間もなく6月。そろそろ制作を開始しなければならない。自分がしでかした事とはいえ、被写体制作と撮影の二刀流は、案外大変なのである。 こればかりは三島にただウケることしか考えられず、観ていただく方々を置き去りにしてしまう事になるのは致し方ない。などと多少客観的になれるのも、前回の『男の死』では一作も売れなかったせいであろう。 三島にとって日本版『聖セバスチャンの殉教』たる『椿説弓張月』の武藤太の惨殺シーンがハイライトになるはずで、陰影を出さない浮世絵、日本画調でなければ描けないであろうモチーフである、と言う意味でも、円朝から始めたここ2年の成果とならなければならない。 陰影が無ければ艶もない。芳年などの無惨絵、血みどろ絵は、いくら血みどろになろうと血は模様の如くただベタ塗りなだけで、顔をしかめる事もない。それと同様、歌舞伎の形式も、どんな凄惨な仇討ち場面も、庶民が拍手喝采で観ることができる。 一方、私がかつて三島を226事件の将校に見立てた時考えた〝どこでもドア〟ならぬ〝どこでも血だらけ〟で戒厳令下の帝都東京で三島にウケようと血をサービスし過ぎたが、陰影も艶もある世界だと、ざっとこの調子であり、確かにこれもまた私がしでかした事とはいえ、喜びそうなのは三島くらいである。

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『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

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三島由紀夫の『椿説弓張月』は構想もすでに出来上がり、すぐにでも始めたい所であるが、その個展は来年の1月か2月でその前にやることが山積である。喉からこぼれ落ちそうになっているイメージを飲み込んで我慢するには、室生犀星の懐から本物の金魚がヌルリと顔を出すくらいの事をやる必要がある。ブログのタイトルに大分反しているが、振り上げてしまった拳の持って行きようがなく、まだ何も始めていないのに、つい会場に掲げるキャプションを考えてしまった。 〝『聖セバスチャンの殉教』は三島本人がやっていなければ、まず真っ先に私が手掛けるべきモチーフであった。しかし三島歌舞伎『椿説弓張月』の中に聖セバスチャンがいた。当時の舞台のパンフレットには、三島は私の見立て通り〝私には堕落悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟と書いている。夫、源為朝を裏切った武藤太を、腰元に竹釘を打たせなぶり殺し、怨みを晴らす白縫姫であった。私はと言うと『聖セバスチャンの殉教』を三島本人にやられてしまった怨み?をこれによりようやく晴らす事ができた。〟

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『タウン深川』明日出来ること今日はせず 連載第14回〝青春の日の一撃〟

深川江戸資料館ゴールデンウイーク特別展『深川モダン』~文化で見る近代のKOTO~ 泉鏡花、谷崎潤一郎、永井荷風(杉浦日向子コーナーには葛飾北斎像)

4月20日~5月6日(休4月22日)

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近所の図書館で図鑑を見て『蜜のあはれ』で使う金魚の種類に目星を付け、芳年描くところの『椿説弓張月』の白縫姫が夫の仇を討つため柱に武藤太を縛り付け、なぶり殺している作品を見た。こんな場面が描けるのも浮世絵、歌舞伎ならではである。私の場合、大リーグボール3号あればこそだし、滝沢馬琴が書いているから、北斎が描いているから、三島が歌舞伎にしてるから、といくつも保険に入っている。さらに最強の後ろ盾は、未発表とはいえ三島本人が、魚屋に扮し魚ぶちまけ出刃包丁腹に刺して死んで見せている事実である。 ある友人が「個展で一作も売れなかったのに、またやるのか?人が死んでる所を購入して、額装して飾る人なんている訳がないだろ。」「何も額装して飾って下さい、とはいってない。お前だって⭕⭕の⭕⭕⭕持ってたって額装なんかしないで持ってるだろ?」「お前それ誰に聞いた!」「酔っぱらって自分で言ってたよ。随分集めたらしいな。」「ブログに書くなよ。」「書けるか!書くとしたら、友人ではなく某酒場で見知らぬ人から聞いたことにする。いや、どんな酒場で飲んでるんだ、と思われたくないから書くか!」

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 深川江戸資料館にて葛飾北斎像展示



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三島由紀夫ほど、仮面の告白以来、自分の性的傾向を含め正直に、かつあからさまにしてきた人はいないように思われるが、亡くなった直後の週刊誌の寄稿文など読むと、私はこうなる事は判っていた、などという多分に後出しジャンケン的な意見に交じり、この期に及んで、まだあれは仮面だった、という意見が友人だといってる連中の中にもあって驚く。あからさまに告白しても、タイトルにただ〝仮面〟を付けただけで、たいした効き目であり、良い時代だったのかもしれない。『椿説弓張月』のパンフレットに書かれた〝私には堕落と悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟でさえ、すべて本気だったことを数年後知る事になる。配役は腰元美女4人でなく男4人に変更があったものの。 昼過ぎに撮影に出かける。昨年人を介し、撮影許可を得ていた所でようやく撮影。1日では撮り切れないのは判っていた。いずれまた。 明日は『深川江戸資料館』出品用のプリントをお願いしに、久しぶりに田村写真へ。

 

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真っ赤な血と降りしきる雪の白さ、白縫姫の弾く琴の音と武藤太のうめき声。いかにもな三島演出である。 別の切腹シーンで血糊が客席まで届きそうで、装置に血しぶきが飛び、毎日塗りなおしたそうである。寺山修司との対談で「僕は、あんなに血を出す気はなかった」と言っている。絶対ウソである。同じ年、映画『人斬り』で田中新兵衛役で唐突に腹を切るシーンで、大映京都撮影所が1年間で使う量の血糊を1日で使ったのは誰だ?「もっと血を!どっぷりと!」の三島由紀夫だろう。 映画『黒蜥蜴』では剥製になり、『からっ風野郎』では刺されて死に、『人斬り』『憂国』では切腹。武藤太が腰元達に裸で竹釘を打ち込まれ惨殺されるシーンでは、身体を鍛えた代役を立てたらしい。本当は自分でやりたかったろうが、文士劇ならともかくさすがの三島も歌舞伎の舞台は遠慮した。『椿説弓張月』のプログラムに書かれた文章を見つけた。〝私には堕落と悪への嗜欲も潜み、その夢は、雪のふりしきる中に美女達の手で虐殺される武藤太に化身してゑる〟ビンゴ。これで私は本人に『聖セバスチャンの殉教』をやられてしまった〝恨み〟を果たすことができる。 『深川江戸資料館』にゴールデンウィークに展示する谷崎潤一郎は、善男善女、お坊ちゃんお嬢ちゃんを前に、背景に女郎蜘蛛の彫り物入れた裸の女ではまずいだろう、と満開の桜にした。下地は金箔という想定だが、こんな事が出来るのは谷崎くらいであろう。

 

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深川江戸資料館にて葛飾北斎像展示中

 

 




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