市ヶ谷で撮影を予定しているのは室内なので、11月の光にこだわる必用はそれほどはない。当時の二つの首が並んだ新聞を持っているから、証言から、三島が最後に見た風景を推し量る事は出来るだろう。もちろん床に敷かれた絨毯だった、というのは無しで。 “日輪は瞼(まぶた)の裏に赫奕(かくやく)と昇った”のだが、私がやる限り、窓外に広がるのは豊饒の海であるべきであろう。高校のバレーだか、バスケット部の顧問が、某高校が試合前に皇居に向かって礼するんで参ったよ、といったのを思い出すが。三島が仮に窓の外ではなく壁に向かっていたとしてもかまう事はない。かつて大友昌司の手法で、乱歩の『人間椅子』で椅子の中に潜む男を作ったから、壁の向こうに豊饒の海でも可能である。三島が最後に見た光景だ、とただ撮影するだけなら、他の人に任せれば良く、私がわざわざ市ヶ谷まででかける必用はないだろう。あれから45年だとたった今知った。
【タウン誌深川】〝明日出来ること今日はせず〟連載第17回『引っ越し』