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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



東陽図書館ヘ。ここは古本屋みたいな匂いが良い。 室生犀星の真横の写真を見つけた。危ない。耳の形がちょっと違った。コピーを取る。滝沢馬琴著、挿絵葛飾北斎『椿説弓張月』前編をコピーした本を入手していたが、白縫姫仇討ちシーンは無いと思っていたが、実はあった。読めないのであのシーンは後編かな、と思っていたが、後編は源為朝が琉球に渡ってからの話しで、前編にちゃんとあった。北斎の挿絵は引きの絵であったし、馬琴が武藤太を柱に縛り付け、と書いてるのに、柱はなく、腰元に囲まれ裸にされた武藤太、小さいので、楽し気に見えてしまうが、この後、なるべく苦しませながら竹釘で殺される訳だが、三島の弓張月を読むと、仇を討つ白縫姫と討たれる武藤太、三島の一人二役に思えてしまう。たまたまだろうが、竹釘を打ち込む腰元は四人だし。 幼い頃絵画『聖セバスチャンの殉教』の絵を観てイッてしまった三島、同じようなシチュエーションを滝沢馬琴作品に見出しそこをクローズアップして歌舞伎にしてしまい、最後に自分を同じポーズで、篠山紀信に撮らせ。まさにやりたい放題である。そして同性愛誌にバレないよう下手くそに書いた『愛の処刑』通り、青年に見つめられながら切腹。それを実現するため三島以外の方法が他にあるだろうか。いくら親友に頼んでも、介錯までは無理だろう。用意周到は三島の得意とするところである。ただ森田の介錯が下手で、もたもたするそ間の苦しさはさすがの三島も想定外だったようで、舌を噛み切ろうとした形跡があったという。

 

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『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  

 

 

 

深川江戸資料館にて葛飾北斎像展示中

 

 

 

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花

 

 

 

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三島は5歳の時に坂を降りて来る逞しい糞尿を運ぶ青年を見て、〝彼になりたい〟と思う。この~になりたいを実現する第一歩はボディビルであったろう。外遊により太陽や肉体に目覚めたみたいに言っているがそれは、きっかけがなかっただけで幼い頃からずっと憧れて続けていたことであろう。 『男の死』のラインナップは、私の知る限りでは聖セバスチャン、兵隊、魚屋、ヤクザ、体操選手他のようである。その嗜好は『仮面の告白』にすでに述べられている。映画『からっ風野郎』で嬉しそうに無教養なアンポンタンヤクザを演じた三島だが、死の直前外見だけは『男の死』により〝なりたかった彼〟になれたということであろう。しかしボディビルで鍛えた外見だけの筋肉が中身がひ弱かったように、いくら外見がヤクザじみようと中身の教養は胴体から切り離されるまではいかんともし難かった。 以前、鈴木邦男さんにお会いした折、気になっているある事について質問させて頂いた時の答えが「盾の会の連中は本なんか読みませんから。」であった。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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造形  


それにしても制作上の思い付きなど、そのままぶつぶつ書いてるブログで良いのであろうか。特に『椿説男の死』(椿説付けておかげで一々石塚版といわないで済むようになった。)など特殊過ぎて人様に披露するような物になってはいないだろう。それが原因で前回は一作も売れない、というワースト記録を作ったが、良く考えれば、いや良く考えずとも、作り物とはいえ、血を流したりして人が死んでいるのだから当然であろう。前回の『男の死』では、全く三島にウケることしか考えていなかった。何て書くと、今回は他の事を考えるのか、と言うと、相も変わらず頭に浮んだイメージを取り出し、それをただ観ていただくだけである。ただ次回は、陰影を出さない手法でもやるので、全身に竹釘打ち込まれ恍惚、いや苦悶の三島が出品できるはずである。 『椿説弓張月』は三島一人の予定だが、白縫姫も方法が見つものなら登場させてみたいが、私にはハードルが高い、そういえば『ゲンセンカン主人』の女は、漫画の登場人物に似せてみたが、これは他所からパーツを持って来て、ではなく、元の顔を、ほぼコピー&ペーストで作った。粘土で造形の要領であり、写真の領域とは最早いえないだろう。〝それでいいのだ〟とどこかのお父さんも言っている。 そう言えば、制作中は考えなかったが、原作者は浮世絵を参考にキャラクターを造形している。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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一日  


『椿説男の死』は、当初三島や乱歩が愛蔵したという、芳年の『英名二十八衆句』のような無惨絵のスタイルで行くつもりであったが、写真では無理と断念。最近書いたが『神風連の乱』で三島に切腹して貰った時、三島が映画『憂国』でそうしたように、はみ出すはらわたに豚モツを使った。結果、わずかばかりの事で、自作の残酷表現に辟易とした江戸川乱歩が如き気分を味わった。写真の身も蓋も無いせいである。当時陰影を消す手法を思い付いていたならそうしたろうが、今となっては、陰影が無ければ出来なかった作品が残ったから良かったと思う。 昨年は陰影の有る無しの案配で随分悩んだが、今は写真家が、モノクロ、カラーを矛盾なく使い分けるのと同様に考えている。新版画の川瀬巴水は、陰影表現をシリーズにより使い分けている。つまり同一画面にさえ矛盾が無ければ、効果的な方を選べば良いと言う結論に至った。 芭蕉記念館の方にお会いし、書類にハンコを押す。数年後、芭蕉サミットがあるそうだが、是非門弟三人の肖像画のみを参考にした旨掲げ、迎え打って欲しい。俳句のイメージのため、枯れ枝みたいな爺にして芭蕉を利用するのはいい加減にするべきだと私は思う。

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元薔薇十字社の社主であり、『男の死』の企画者である内藤三津子さんは「良く言われるけど、モチーフは全て現代であり、時代物は一切ない。企画者の私が言うのだから間違いない。」と断言されていた。だとしたら私がやってみたい。しかし死に装束の侍を、アフロヘアーの男がウエストレベルのカメラで撮っているカットがあるから、胸毛とアフロが結託して内緒で撮ったのではないか。内緒で撮っている所を内緒で撮った人物は目星が付いている。 ところで昨日触れた『椿説弓張月』であるが、源為朝を報奨金欲しさに裏切った武藤太は、為朝の妻、白縫姫により腰元達に竹釘を打ち込まれ断首される。絵として聖セバスチャンである。聖セバスチャンは三島にやられてしまって、悔し紛れに、炎上する金閣寺に縛り付けたり、黒蜥蜴に剥製にされたりの三島セバスチャンは作ってみたが、灯台もと暗し、和風で悪党ではあるものの、こんな所にセバスチャンが居たではないか。 椿説(ちんせつ)は珍説にかかっており鎮西八郎為朝の鎮西にもかかかっていてちんぜいとも読まれる。そこでオリジナルの薔薇十字社版に敬意を表し、石塚版を『椿説男の死』三島由紀夫へのオマージュとしてみたい。もっとも私の作品はほとんどが珍説ではあるけれど。


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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載13回『月に兎 泉鏡花



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篠山紀信がゴロウデラックスで『男の死』について喋ったらしい。 奥さんの反対にあい、同時に薔薇十字社の社主内藤さんが企画した書誌を出すという交換条件で『男の死』の出版を阻止させられたのだが、『男の死』が出ていれば薔薇十字社は潰れなかった、と企画者の内藤さんから伺ったが、三島といえど書誌となると、マニアか研究者に限られるだろう。権利は篠山に譲渡されたが、奥さんは再び篠山に『三島由紀夫の家』の出版を条件に出版をしない事を約束させたらしい。よってもう世に出る事はない、と私は聞いている。 篠山は三島主導でただ撮らされ面白くなかったといっているが、先行する細江英公の『薔薇刑』が三島が被写体に徹し、細江に身を委ねた事を考えると忸怩たるものがあったろう。撮影しながらいずれリベンジを、と誓っていただろうと想像する。しかし三島によりその可能性は断ち切られてしまう。篠山は予想もしておらず、相当なショックだったようだが、あれだけのモチーフを失ったショックもあったのではないか?どんな企画が頭にあったのか聞いてみたい。 映画出演の依頼に、ヤクザの役ならと出演した『からっ風野郎』だか、すでにあの格好で市ヶ谷の現場に立たせた。篠山版の男の死には、ヤクザのリンチ死というのがあったようだが、オリジナルと被りたくないが、〝石塚版〟男の死にもどうしても欠かせない。川口で工場を経営する友人にいずれ工場で撮影させて貰うよう連絡した。友人の工場だし、三島が言うところの〝どっぷりたっぷり〟とした血糊を使う事は可能であろう。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭


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ブログを始める前の身辺雑記時代に、三島の頭部を作っていた頃、小学校3年の時の成田孝君という友人との話しを書いた。二人して色々作ったりして遊んだが、最も熱中した遊びが『忍法死んだマネ』であった。校庭の隅に、滑る部分が取り払われたまま放置された滑り台があった。そこに登ってはピストルで撃たれ、苦しみながら滑り台にぶら下がり、力尽きて落ちて死ぬ。これを飽きることなく繰り返した。 三島を作るにあたり、やりたいことは『男の死』だけであり、資料として入手した芸術新潮のバックナンバーで三島自ら『男の死』をやっていた事を知り、私の思った通りだ、というのと本人にやられてしまっていた、と1勝1敗のような気分であった。何年後かにその頃の身辺雑記を読んだら、三島が篠山紀信に撮らせた『男の死』も(忍法ではないものの)〝死んだマネ〟ではあるな、と可笑しかった。成田君と繰り返し熱中したこの遊びにより、某かの、そこはかとなく甘美な物を感じていたことは間違いないが、ある日女子が先生に言い付け、この遊びは終わりを迎えた。 この舞台が昭和30年代の葛飾区の小学校でなく昭和8年頃の学習院初等科であったなら、平岡君も交え3人で熱中し『仮面の告白』に私と成田君も登場していただろう。そして平岡君がもう少し気の利いた名前を考えてくれたに違いない。

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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉



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『男の死』の個展で、三島由紀夫が最晩年九州に調べに出かけた『神風連』(しんぷうれん)を題材に、神風連の乱を制作した。電線の下を通る時は扇で頭を隠し、すでに鉄砲の時代に西洋文明を拒否し、刀で戦ったような人々である。神風連の乱の場面で三島には切腹してもらったが、映画『憂国』で三島がそうしたように、豚モツを使用したが、ここが写真である。生々しい。展示にはどうか、とその部分を暗くした。その程度で自己規制してしまうようでは、やりたいことを続けるには大リーグボール3号(陰影を消す手法)を編み出さなければ行き詰まっただろう。まさに必要は発明の母である。 陰影のない手法ならば生々しさは消えるだろう。陰影がない代わりにヌメ々の質感も消える。 前から考えていたのは三島や乱歩が好きだった血みどろ絵調で、阪東妻三郎の無声映画『雄呂血』のように捕り的に囲まれ追い詰められる侍、と言う場面である。市ヶ谷の総監室での捕り物にしても良いが、あそこで相手を傷つけたのは三島の方である。ここまでこんなことを考えておいて今さら何を、と言う話しではあるが、こだわりというのはそうした物である。作れば良いという物はではない。俺を汲み取り人にしておいて何を言う、と三島にまで言われそうだが、あなたが彼になりたいなんてお書きになるからですよ。肥桶からこぼれるのを糞尿でなく血にすること、私にしては、思い付くまでちょっと時間かかってしまいましたけど。


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『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉





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考えてみたら、いや考えなくとも、人形とはいえ人が死んでいる所を描いた個展の作品が売れるとは思えない。周囲にも止められたが聞く耳持たず。その言葉も妙なる音楽に聴こえてしまう有様であった。睡眠時間を削り急いだが、作り損なった作品が随分あり、何年も経って背中に唐獅子牡丹の三島も完成させた。個展はともかく何らかの形でやるべきカットは完成させるつもりではいたが、また個展で発表できるとは。未だに聞き間違いではなかったろうかと。それにしても、あんなことこんなこと〝やっちゃっていいですか?〟と、対アンドレ戦における前田日明のようなことを思っている。この件に関しては、三島由紀夫のことだけしか頭になく、事件直前、森田必勝を伴い篠山事務所で嬉しそうに己が死んでいる姿を見せたらしいが、そんな感じに私も三島に見せたい。そして間違いなく言われるだろう。「君、血が足らんぞ、もっと血だ。」『憂国』撮影時にもとにかく血をもっと、と要求している。生前演出を予定していた『サロメ』でサロメの手に抱えられた銀盆の上のヨカナンの首に「血はどっぷり、たっぷりと流して下さい。」と指示をしている。私は三島に喜んでもらいたいばかりに、少々サービスし過ぎた一カット。

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三島由紀夫の同時代の作家には三島がどう見えていたのか。事件直後の週刊誌のコメントは、私はこうなることは判っていた、とかいっているのも多いし、亡くなったあの時点で親しいといっている割に同性愛を否定したり、トンチンカンなこといっているのが多い。さすがだ、と思わされるのは澁澤龍彦くらいである。だからこの直後に、死の一週間前まで撮影していた自らが腹に出刃包丁刺して魚をぶちまけて死んでいる魚屋になっているところを訳知り顔の連中に見せつけざまあみろ、となるはずだったろう。三島は小説の最後の一文がピシッと浮かばないと書き出さなかったという。『男の死』が出なかったおかげでピシッと行かなかった。無念であろう。 野坂昭如の『赫奕たる逆光』私説・三島由紀夫を読んでいる。良いタイトルである。 高校2年の時の担任が、お前ら現国の成績が悪すぎると居残りさせて『真夜中のマリア』を朗読させられた。一年前は、石川達三の『四十八歳の抵抗』だったと聞いた。野坂は家族写真が嫌いで、あんなことしてできた家族と並んでなど恥ずかしくて嫌だというようなことを書いていた。以来この人はちゃんとしたまともな人だと思うようになった。 自身の出自と照らし合わせつつ書かれ面白くて読んでいる。

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先日撮影した道路工事だが、パワーショべルのショベルの中に、掘り返された瓦礫と共に死んでいる三島由紀夫というシーンを工事の音で思い付き、エレベーターで降りている間も、それだけ考えていたが、撮っているうちに、周囲で立ち働く若者も使いたくなった。その方が三島は喜ぶに決まっている。そ こで、道路に土を撒くため、トラックの荷台からショベルがすくい取った土をスコップを差し入れてすくっているのを、三島の心臓を一突きしてとどめを刺している所に変えた。 初めてご訪問いただいた方には一体何のことやら意味不明であろう。下の旧HPの三島のページに、かつて個展で一カットも売れなかった作品『男の死』を並べてある。この続きを来年の今頃やることになりそうである。まるでこれから登るべき尾根を見上げながら下っているような心持ちだが、何故か顔は満面の笑みという奇妙な状態である。

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 アートコレクターズ(生活の友社)引用の美学 存在しないものを撮る 石塚公昭

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昨日のパワーショベルは、ショベル内で、ズタボロのヤクザがまるでゆりかごの赤ん坊のように安らかに死んでいるイメージである。それに想定していなかった若い作業員も登場してもらいたい。 三島由紀夫が絵画そのまま演じて見せた『聖セバスチャンの殉教』は『仮面の告白』から多くのアイデアを貰っている私としては、本人がやっていなかったら、当然私がやっていただろう。というより、私がこういう事をしたら、三島にウケるだろう、と発想した元がこれだったのかもしれない。たぶん三島の頭部を作りながらブツブツ言っていたはずなので、いずれ調べてみたい。 何年前だったろうか。突如『聖セバスチャンの殉教』の別角度から撮られたカットがニューヨークだっかで発見された。三島本人が手紙と共に送付した物で、局部も露わな〝特別ヴァージョン〟で、三島はとにかく誰かに見せたくてしょうがなかったに違いない。国内で披露する訳にはいかず海外の〝同好の士〟に送り付けたのではなかろうか。

月刊アートコレクターズ (株式会社 生活の友社)『引用の美学』インタビュー石塚公昭〝存在しないものを撮る〟

 

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 ※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉




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『タウン誌深川』表紙用作品の背景がおおよそ完成した。この人物で深川をテーマとするなら、これをもって決定版とするつもりでやっている。まるで高田浩吉が三味線抱えて現れそうな風景である。 くつろいでいると、外で道路工事をしている音がする。アイデア浮かぶ。三島由紀夫の『男の死』で確認しているのは澁澤龍彦責任編集『血と薔薇』(薔薇十字社)に掲載された聖セバスチャン他数点で、後は証言から類推するしかない。石塚版とは趣旨は違うもののどうしても被らざるを得ないのがヤクザ者の死である。亡くなる直前、彫り物師に連絡取りながら果たせなかった三島の無念は私が晴らせた?しかし死んでいる所はまだである。そこでカメラを持ってアスファルトを掘り返しているパワーショベルのショベル部分を撮らせて貰った。気の良さそうな若者に話かけられ重機マニアを装う。余計なことは知らない方が彼のためである。 アスファルトの下からヤクザ者の死体が掘り出されるとはおかしな話ではあるが、そもそも私のやっている事自体がおかしな話なので、かまうことはない。人の死体が掘り出されたのに平然と作業する人達。こんな三島好みの人達に囲まれ死んでいるなんて。制服ならぬ作業服だけれども。

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私にとって江戸川乱歩と三島由紀夫は労せずしてイメージが湧く両巨頭である。ただし三島の場合は最初から『男の死』以外にやりたいテーマは一つもない。特に初の書き下ろし小説『仮面の告白』はイメージの宝庫であり、私は〝仮面〟無しの正直な告白ととらえ、作品にかこつけ作者を描く、という私の試みには最高のモチーフであった。おかげで三島を汚穢屋の青年にし、肥桶から糞尿ならぬ血液をぶちまけ死んでいるところを制作した。なぜなら、幼い頃、坂を降りてくる肥桶を担いだ逞しい汚穢屋の青年を見て〝彼に惹かれ「私が彼になりたい」という欲求を覚えた〟と書いているからである。「先生私にお任せ下さい。」という訳で制作した。薔薇十字社版ではさすがに魚屋が腹に出刃包丁刺して魚をぶちまけることでお茶を濁している。三島はスタジオで魚のヌラヌラをことさら身体に擦りつけたに違いなく、ぶちまけた魚の中には見ただけで顔色を変えた蟹は入っていなかったのも間違いないだろう。 それにしても自決の一週間前まで様々なコスプレをし、断末魔を演じていた三島の想いを受信し制作しようというのが、よりによって〝感心されるくらいなら呆れられた方がマシ〟などとヌカしている私だというのは困ったものであるが、やはりこのテーマにおいては、三島本人にウケることしか考える事は出来ない。

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三島由紀夫が魚屋やヤクザや体操選手、その他いかにも三島好みの、つまり文学とは無縁で逞しい人物になりきり、恍惚として死んでいるところを篠山紀信に撮影させた『男の死』はあの凄絶な死に世間が震撼している所に放たれる二の矢となるはずで、そこでザマアミロ、となる事を三島は想定していただろう。事件の一週間前に、森田必勝を伴い作品のチェックに篠山の事務所を訪れた時、あんな嬉しそうな三島さんは見た事がない、と企画者の内藤三津子さんに伺った。 奥さんの反対で未刊となってしまったが、私はその事実を知らず、三島が様々な状態で死んでいるところを作ったら、さぞかし三島にウケるだろう、と思っていて、三島本人にすでにやられていたことを知った時の驚きは、〝やっぱりな〟という気分と共に忘れられない。その後三島の孫が高校を卒業したら出版される、などの噂を耳にしてはタイミングの天才、篠山紀信の影に怯えながら、制作を急いだ。寝床に本を並べ寝心地を悪くし、睡眠時間を削る方法を考えたのはこのためであった。結局は出版される可能性がない事は今は判っている。三島の願ったタイミングで出なかった以上、封印されたままの方が三島にとっても良いと今では思っている。 一方私の場合は作中描かれたり、言及したり、そこから発想した死に方に限っているが、個展で描けなかった唐獅子牡丹を背負った三島も制作出来たし、オンデマンドで小冊子にでも出来たら、なんてここでも書いていたので、来年やり残した新作と共に個展ができるとなればこんな嬉しいことはない。

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