デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

女帝と美女 PART 1

2007-08-18 16:59:44 | 日本史

 
女帝と美女





  
  
熟田津(にきたづ)に

船乗りせむと

月待てば

潮もかなひぬ

今は漕ぎ出(い)でな




こんにちは。デンマンですよ。
きょうも引き続き万葉集の8番目の歌です。
3回目になります。

■ 『道後温泉と女帝と美女 2007-08-14』

■ 『章子さんと大伴家持と山上憶良  2007-08-16』

初めて読む人は上のリンクをクリックして前回の話を読んでみてください。

はっきり言って、上の歌の表面的な意味だけを考えるならば、
この歌はたいしたことは無いですよ。
誰でも作れるような歌ですよ。
あなただってそう思うでしょう?

僕ならば、現代風に次のような歌を作りますね。



 

葉山にて

船出しようと

月待てば

潮もころあい

さあ、こぎだそう

by デンマン
  
  



地名が変わっているだけで、僕の作った歌と熟田津(にきたづ)の歌は
表面的な意味だけを読む限り、ほとんど変わりがないのですよ。

僕の歌には2つの写真が貼り付けてあります。
おそらくあなたにとって、どちらの歌の方に関心があるかと言えば、
当然2つの写真が貼り付けてある僕の歌の方だと思うのですよ。
どうですか?

このかわいこちゃんって、一体誰なの?
このかわいこちゃんがヨットの中に居る訳なの?
それで、デンマンよ!
オマエ、このかわいこちゃんとヨットで葉山から太平洋に船出したのかよ?
ええっ?どうなの?
オマエ、こんなかわゆい女の子と一緒に本当にヨットに乗って太平洋に出て行ったの?
一体、どういう訳でこのかわいこちゃんが乗ってんだよ?
もっと詳しく話を聞かせてくれよ。。。

どうですか?
あなただって、僕の歌にそのような関心を持つのではないですか?


生前、司馬遼太郎さんは、このようなことを言っていましたよ。




“作品は作者だけのものと違うんやでぇ~。。。

作者が50%で読者が50%。。。

そうして出来上がるモンが作品なんやでぇ~”


名言だと思いますねぇ~~。

あなたが読者として、どれだけ50%の分を読みつくすか?
それが問題ですよね!

大伯皇女が全身全霊の力を込めて詠(うた)ったのがこのページの上で示した歌です。

あなたも、全身全霊の力を込めて。。。
あなたの人生経験と、これまで学んできた国文と、日本史と、
すべてを噛み砕いた上で理解すべきなのかもねぇ~。

大伯皇女は、それを期待しながら、
1300年後に生まれるだろうあなたに、
この当時の波乱に満ちた政治の真相を伝えようと、
上の歌を詠(うた)ったのかも知れませんよ。へへへへ。。。。

大伴家持は一読者として大伯皇女の歌を充分に読み取った上で
万葉集に載せたのだと思いますね。

『愛と怨霊』より


司馬遼太郎さんの名言は、短歌についてはまさにその通りだと思いますよ。
作者の言おうとしたことを、読み手がどれだけ汲み取る事ができるか?
それで初めて作品(この場合、短歌)が作者と読者の間で一つの作品として完成される。
文学作品というものは、そういうものだと僕も思います。

。。。で、あなたが僕の短歌から、どれだけの事を読み取る事ができるか?
上の2つの写真だけしか手がかりが無いのですよ。

実は、この女性の事についてはレンゲさんも気になって
次の記事の中で僕とレンゲさんが、この女性の事でいろいろと話しています。



■ 『ロマンチックなバンクーバー  (2007年8月15日)』

上の記事を読めば僕がどうして葉山の短歌を作ったのか?が書いてあります。

もし、『現代万葉集』を作るとして、僕が編集長になったら僕の作った短歌は載せるだけの値打ちが無いと思います。
つまり、どうでもいいような歌なんですよね。
僕が作った葉山の短歌には、どうしても書かなければならなかった、詠まねばならなかったと言う動機がない。

じゃあ、『万葉集』に載せられた歌にはそのような動機があるのか?

あるのですよ!
僕は感じ取る事ができます。
また、そういうものを感じ取って欲しいために、編集長の大伴家持はそのような政治的な歴史的な意味のある歌を選んで載せたと信じる事ができます。

万葉集の中には“読み人知らず”の歌がたくさんあります。
その作者たちは『万葉集』に自分の歌が載せられるだろうとは考えてもみなかったでしょう。
。。。で、大伴家持は、なぜ載せたのか?
大伴家持が、その人たちの作った歌の中に、充分な政治的で歴史的な意味を見つけているからです。
つまり、大伴家持は読者として残りの50%の部分を充分に読み取っている。
読み取った上で、『万葉集』の編集長として載せている。
僕は、そう見ているのですよ。

すぐ上の引用の中で書いた「大伯皇女の歌」もそのような政治的に歴史的に意味のある歌なんですよ。
もちろん、大伯皇女は万葉集の中に自分の歌が取り上げられるだろうと思って作った歌じゃない!
でも、その歌を詠んだ大伴家持が政治的で歴史的な意味を読んで取り上げているのです。
僕が言おうとしていることは『愛と怨霊』を読んでもらえば、理解してもらえるはずです。

それで、熟田津(にきたづ)の歌にはそれ程の政治的で歴史的な意味があるの?
あるのですよ。
だからこそ『万葉集』の編集長は取り上げたのですよ。

この歌は37代天皇の斉明天皇(女帝)が詠(よ)んだと言われています。
でも、実は、この女帝に仕えていた額田女王(ぬかだのおおきみ)が代わって詠んだと言うのが定説です。
僕もそう思っています。

なぜなら、この時、斉明天皇(女帝)は歌など詠(よ)むような気分ではなかったはずです。
持病に苦しめられて養生のために道後温泉へ行ったからです。



。。で、歌はどういう意味なのか?
次のような説明が最も一般的ですよ。


熟田津で船出をしようと月を待っていると、

潮流も良い具合になった。

今こそ漕ぎ出そう。


表面的な意味だけならば、
つまらない取るに足りない歌なんですよね。

それなのに、編集長はなぜ取り上げたのか?
この歌に隠された裏話があるからですよ。
それを大伴家持は読み取って万葉集に載せたのです。
僕はそうとしか思えないのです。

。。。で、一体どんな裏話があるのか?

実は、この歌については、いろいろと不思議な事があると歴史学者や古代史研究家からも言われているのですよ。

どういうところが?
次のような事が言われています。

○ これらの船団は663年の唐・新羅連合軍との海戦への出発だと思われるのに、
  この熟田津(にきたづ)からの船出は斉明天皇即位元年・655年です。
  つまり、8年前に作られた歌だと言うのです。

○ 斉明天皇が筑紫朝倉宮に出陣したのは661年です。
  海戦の現場はソウル沖ですから松山沖からの船出は
  戦いの直接の出発ではありません。

○ 軍船は手漕ぎのガレー船なので、月の出をまって夜行するのは可笑しい。
  昼間の方が漕ぎ易い。

○ 手漕ぎなのだから、潮待ちするのも可笑しい。
  干潮であろうが満潮であろうが、手漕ぎだから
  潮の満ち干きにそれ程影響を受けないだろう。

○ 帆船を同行していたとしても潮待ちではなく風待ちではないのか?

○ この軍団は前年に国東(くにさき)半島へ航海したのに、松山沖へとって帰っています。
  兵員が逃亡、この補充のために松山沖へ投錨した
  やっと兵員の補充ができて、いざ筑紫へと再出発する時の歌ではないのか?

確かにいろいろと不思議の多い歌なのですが、
編集長はこの歌を載せて何を読者に伝えたかったのか?

その事を考えてみようとこの記事を書き始めたのです。
僕は、まず次のように思いました。

なぜ、熟田津(にきたづ)なのか?

熟田津でなければならない理由があったのですよ。
葉山では絶対にダメなのですよ!
僕が奈良時代に生きていて、上の葉山の歌を詠んだとしても
絶対に万葉集には載らなかったのです。

なぜ?

温泉でなければならなかった。
斉明天皇(女帝)や額田女王が生きていた飛鳥時代は、
温泉と言っても湯治場のようなものだったのでしょうね。
つまり、持病を治しにゆくようなところだったのです。

ちなみに、斉明天皇は温泉が好きだったようです。
好きと言うよりも病気を治すつもりがあったのだろうと思います。

658年10月15日に紀温湯に行き、659年1月3日に宮に帰る、という記録があります。
なんと2ヶ月半も逗留していた事になります。
持病を持っていたのでしょうね。
この紀温湯と言うのは白浜温泉のことです。



白浜温泉 「白浜温泉パーク」 樽風呂から海を望んだところ

それから2年後の661年1月14日に伊予の熟田津の石湯行宮に泊まっています。
唐と新羅の連合軍と戦いに行く途中に熟田津に立ち寄っているのですよ。
現在の我々の感覚からすると温泉に行くというのはリクリエーションなんですよね。
つまり、癒しを求めたり、楽しむために行くのです。

戦争に行く軍団の先頭に立って兵士たちを励まし、これから勇敢に戦ってくれ、
と言う立場にある“大元帥”が途中温泉に立ち寄る。
なんとなくふざけている様な話ですが、当時の温泉が湯治だということを考えれば、納得がゆきますよね。
斉明天皇は、どこか体の具合が悪かったようです。
事実この後、軍船に乗って九州に行きます。
そして半年後の7月24日に朝倉宮で亡くなっています。

暗殺説もあります。
でも、僕は2年ほど前に2ヶ月半も白浜温泉で湯治をしていた事などから考えて、
斉明天皇は病気を患っていたのだと思います。
大変つらい思いをしながら九州まで船旅をしたようです。
67歳で亡くなっています。

持病を持っている67歳の女性が、なぜ大元帥として日本軍の先頭に立って九州まで行かなければならなかったのか?
上の歌はこの時の歌なんですよ。
“今こそ漕ぎ出そう。”なんて意気揚々として漕ぎ出そうと言うような勇ましい歌ではないのですよね。
むしろ悲痛な叫びがその裏に隠されている!

もちろん、葉山のヨットハーバーから僕がかわいこちゃんと一緒に
ルンルン気分で太平洋に漕ぎ出すような楽しい気分では決してない。

つまり、額田女王が斉明天皇(女帝)のやるせない沈痛な気持ちを思いやりながら作った歌なのです。
この事情を大伴家持は充分に良く知っているので、この歌を万葉集に取り上げたのだと僕は信じています。

なぜ、持病持ちの、もしかすると船旅に持ちこたえられそうにないヤバい斉明天皇(女帝)が大元帥になって九州の大本営まで出向いてゆかねばならなかったのか?
実際、ヤバい事になってしまった訳ですよ。
戦争が始まる前に持病が悪化して死んでしまった。

この当時、政治の実権を握っていたのは、後に天智天皇になる中大兄皇子なのですよ。
だから、中大兄皇子が大元帥になって軍団を指揮して戦争をやればいいのです。
それなのに67才の持病を患っているおばあちゃんが大元帥になってノコノコと出て行った訳ですよ。
誰が考えたって可笑しな事なんですよね。

でも、このおばあちゃんでなければならなかった。
なぜなら、中大兄皇子が大元帥になったら、まとまりが付かなくなってしまう。
それ程この人物には敵対する者が多かった。
ほとんど誰もが中大兄皇子を信頼していないのですよ。

なぜ?

それは、この人の名前を見ればすぐに見当が付きます。
“大兄皇子”と言うのは皇太子、つまり次期天皇のことです。
“中大兄皇子”と言うのは、その次に皇位を継承できるポジションに居る人の事です。
つまり、皇太子ナンバー2です。

では、この当時の“大兄皇子”は誰だったのか?
古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)
何も無ければこの人が天皇になる人だった。
ところが“中大兄皇子”は野望を持っていた。
何が何でも自分が天皇になろうとした。



そのために、“中大兄皇子”は、645年にあの有名な大化の改新クーデターを起こした。
つまり蘇我氏から実権を奪った訳です。
古人大兄皇子も、その煽(あお)りを受けて亡き者にされてしまったのですよ。
本来ならばクーデターが終わった時に“中大兄皇子”は天皇になれるはずだった。
ところがなれなかった。

なぜか?

“中大兄皇子”を天皇に望む人が極めて少なかった。
つまり、それだけ反対者が多かったと言うことですよね。
“中大兄皇子”が天皇になったら反乱が起きそうな雲行きになった。
それで自分の母親をそのまま天皇にしていた。
これが35代の皇極天皇です。
この後、このおばあちゃんの弟が36代孝徳天皇になった。

この叔父さんである孝徳天皇が亡くなった後でも中大兄皇子は天皇にはなれなかった。
反対するものが多かった。
無理して天皇になったらクーデターが起きるかもしれない。
つまり、中大兄皇子は実行力はあったけれど、人望は無かったようです。

それで、仕方ないから、また自分の母親を天皇につけた。
つまり、同じ女性が二度天皇になった。
この37代の天皇が斉明天皇です。

皇国史観の影響で大化の改新クーデターは素晴しい政治改革と位置づけされていますが、
実体は、蘇我氏がやろうとしていた事を引き継いだに過ぎません。
中大兄皇子がとりわけ新しい事を始めたわけではないのです。

つまり、“大化の改新”と言うのは皇国史観に基づいて美化したものに過ぎず、
実体は政治権力闘争、内輪揉めに過ぎなかった。
そういう実体を地方の豪族なども良く分かっていたから中大兄皇子に反対する者が多かった。

もし蘇我氏が本当に悪政を施していて、中大兄皇子がその悪者たちを征伐したのならば、
中大兄皇子は大化の改新の年に、すんなりと天皇になっていたはずです。
あなたも、そう思いませんか?
でも、そうならなかった。
つまり、政治改革と言うよりも中大兄皇子が野心でクーデターを引き起こした何よりの証拠ですよね。
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女帝と美女 PART 2

2007-08-18 16:58:32 | 日本史



中大兄皇子が天智天皇として即位したのは668年です。
大化の改新クーデターを645年に断行してから23年が経っています。
このクーデターがいかに望まれていなかったクーデターであるかが分かると言うものです。

668年に正式に天皇になった時にも、どさくさにまぎれて天皇になってしまったようなところがあります。
天智天皇は百済を助けるために古代韓国で戦争に加担した。
それで、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れた!
唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくると言うので
戦時体制を敷いて大防衛網を築いたのです。

大津に都を移そうとした時にも大和の豪族から猛反対を受けた。
でも、軍隊の実権を握っているからゴリ押しで自分の思うことをやり通してしまった。



しかし、天智天皇は重大な間違いを犯してしまった。
唐・新羅同盟軍の侵攻を防ぐために、天智帝は上の地図で示したような、一大防衛網を築いたのです。
(現在で言うなら、テポドンに備えるようなものですよ!
その防衛網を実際に構築したんですよ!
その実行力は確かにすごい!)

そのために、一体何十万人の人々が動員されたことか?
しかし、天智天皇の防衛計画を本当に理解している人は、おそらく10パーセントにも達しなかったでしょう。

「何でこんな無駄なことをさせられるのか?」

大多数の人は理解に苦しんだことでしょう。

魏志倭人伝に書いてあるとおり、原日本人(アイヌ人の祖先)というのは、
伝統的に町の周りに城壁を築くようなことをしません。
したがって、山城を築くようなこともしません。
これは朝鮮半島的な発想です。

原日本人にとって、山は信仰の対象です!
聖域に入り込んで、山を崩したり、様相を変えたり、岩を積み上げたりすることは、
神を冒涜することに等しいわけです。
このことだけをとってみても、天智天皇は土着の大和民族、古代アイヌ人から、総スカンを喰らう。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるから!」

しかも、これだけでよせばいいのに、東国から、防人(さきもり)を徴用する。
東国には、当時アイヌ人の祖先がたくさん暮らしていた。
つまり、大和人に同化したアイヌ人もたくさん居た。
この人たちは、文字通り、万物に神が宿ると信じて、平和に感謝して生きる人たちだった。

この防人というのは、九州の防衛に狩り出される警備兵です。
そのような素朴な人たちまでもが警備兵として狩り出される。
往きは良い良い帰りは怖いです。
というのは、帰りは自弁当です。
つまり自費で帰国しなければなりません。

したがって金の切れ目が命の切れ目で、
故郷にたどり着けずに野垂れ死にをする人が結構居たそうです。
それはそうでしょう、新幹線があるわけでありませんから、
徒歩でテクテクと九州から関東平野までテクシーです。
ホテルなんてしゃれたものはもちろんありません。
途中で追いはぎに襲われ、身ぐるみはがれたら、もう死を覚悟しなければなりません。
さんざ、こき使われた挙句、放り出されるように帰れ、と言われたのでは
天智天皇の人気が出るわけがありません。
人気どころか怨嗟の的になります。
「今に見ていろ。きっとバチが当たるゾ!」

それで、バチが当たって(?)天智天皇は暗殺されたわけです。
これまでの天智天皇の政策と防人の実態についての説明は次の記事から引用したものです。

■ 『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』

大伴家持は役人としてこの防人たちを監督していた事があるんですよ。
もちろん、天智天皇が防人を狩り集めていた頃から100年がたっていましたが、
当時の事情も十分に知っています。

この大伴家持と言う人は歌人と言うよりも政治家、あるいは政治評論家と呼んだ方が
この人の人物像をより的確に表現する事ができると思います。
なぜなら、この人物の経歴を見てみると実に良く分かります。
“藤原政権”に反抗的だった人で、そのために都から追放されたこともある人です。



この当時としては異色の“社会派歌人”と言われた山上憶良は
702年の第七次遣唐使船に同行し、唐に渡り儒教や仏教など最新の学問をおさめて帰国したあと、大伴家持の家庭教師も勤めた人です。

つまり、大伴家持は山上憶良の強い影響を受けている。
このような“社会派歌人”の目から見たら、天智天皇は“国民”の事など虫けら同然に考え
防人を“捨て駒”同様に狩り出して酷使していた“悪徳政治家”以外の何者でもなかった。
上の熟田津(にきたづ)の歌は、いわば天智天皇の悪政を告発するために取り上げたのですよ。

実権を持たない者にできる事は“ペンは剣よりも強し”を頼りに、
歌集に政治告発の歌を隠して後世に伝える事だけです。
僕は、そう見ているのですよ。
あなたは、どう思いますか?

でも、なぜ持病を持ったおばあちゃんを

日本軍の大元帥にしたの?


日本には古くから巫女的人物を政治の場に持ち出すと国が丸く収まると言うような伝承があったようです。
古くは“卑弥呼”さんですよね。

中国の歴史書によると桓帝・霊帝の間(146年 - 189年)は倭国は大乱の時代だった。
その後、邪馬台国を治めていた卑弥呼を共立する事によって平和になって倭国は治まった、と書いてあります。

このおばあちゃんにも巫女的な能力があったの?

それがあったようです。
皇極天皇として即位した年に次のような記録が残っています。


皇極天皇元年(642年)

1月15日 - 即位。
7月25日 - 蘇我蝦夷が雨乞いのため大乗経典を転読させたが、
        微雨のみで効果がなかったため、29日にやめる。
8月1日 - 天皇が天に祈ると、雷が鳴って大雨が降る。雨は五日間続いた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、巫女的能力が認められていたようです。
卑弥呼を共立する事によって倭国が治まったように、
素晴しい巫女的能力を持ち合わせている斉明天皇を大元帥にして唐・新羅連合軍と戦う。
そうすれば勝てると言うことを触れ回って、中大兄皇子は反対する諸豪族をなだめて戦争に引き込んだ。

霊魂が存在して、それが祟りを起こすと真面目に信じられていた時代です。
巫女的能力を持ち合わせていると言うことは絶大な信用と威力を発揮したのでしょう。

これまでの事を考え合わせて、熟田津(にきたづ)の歌を斉明天皇の身になって解釈すれば次のようになるかもしれません。




道後温泉本館 (国指定重要文化財)

67才にもなって、唐・新羅連合軍と戦う軍団の大元帥として
九州まで船で行くなんて思いもよらない事でした。

もう体のあちらこちらが痛くて
道後温泉にでも浸かって
しばらく湯治でもしなければ、
とても長い船旅に、この老いた体がもちませんよ。

一体、息子は何を考えているのだろう。。。
確かに、まだ若い頃、天に祈ったら雨が5日間降り続いたのよ。
でも、あれはまぐれだったのよ。
わたしが祈らなくても、降るモノは降ったのよ。

たまたま、雨が降ったからと言って、
巫女能力があると信じて
わたしを大元帥にしたって
戦争に勝つ訳がない。

でも、しかたがないわ。
他の人が大元帥になったのでは、まとまりが付かなくて
戦争どころではないらしい。

とにかく先が思いやられる事ですよ。
果たして、この長い船旅に老いた体が持ちこたえて、
無事に都に帰れるかしら。

いつまでも道後温泉で
道草をしている訳にも行かないでしょうね。
月も出たと言うし、
潮も具合がよいと言う。
しかたがありません。
言われたとおり、
おとなしく九州まで行くとしましょうか。

あぁ~あ、難儀な事ですわ。


斉明天皇が心配していたように、663年に白村江(はくすきのえ)の戦いで敗れてしまった。
唐と新羅の連合軍が日本に攻めてくると言うので中大兄皇子は
戦時体制を敷いて大防衛網を築いたのです。
そのために多くの防人(さきもり)が東国から徴用されて捨て駒のように犠牲になった人もたくさん出た。

でも、唐と新羅の連合軍は日本に攻めては来なかった。
おばあちゃんが人身供養になったということでしょうか?

少なくとも67才の老体にムチ打って大和日本のためにお勤めを果たした事だけは確かです。
言ってみれば、人身御供・人柱になったのかもしれません。
このおばあちゃんの苦労を考えて冥福を祈りたい。

でも、それ以上に多くの防人の苦しみを考えたのが“社会派歌人”の大伴家持だったのでしょうね。

熟田津(にきたづ)の歌を『万葉集』に載せたのは
斉明天皇の追善供養のためと言うよりも
故郷に戻れずに途中で亡くなった多くの防人のための鎮魂歌のように僕には思えるのですよ。
おそらく、大伴家持もそう思いながら、後世の我々にこの事実を伝えようとしたのではないでしょうか?

あなたは、どう思いますか?

とにかく、ここまで読んでくれてありがとうございました。
ついでだから、他の記事も読んでくださいね。

では。。。



ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』

『あなたが思う存分楽しめるデンマンのポータルサイト ビーバーランド XOOPS 3世』



こうなってしまったら、どの関係者にとっても大変な事ですよね。
あなただって、そう思うでしょう?
うへへへへ。。。

実はね、このマンガを見て、
いろいろと面白いことを書いた人たちが居るのですよ。

あなたはどんな事を言いたいですか?

他の人が書いたコメントを読みたいと思いませんか?
次のリンクをクリックしてくださいね。

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』




おほほほほ。。。。

また現れて、くどいようで

ござ~♪~ますけれど。。。

ネットにも愚かな人がたくさん居ますわよね。

パンツにコカイン君は、相変わらず

下らないコメントを書いていますわ。

えっけん君と太田将宏老人は

ムカついたままコメントを書いてしまいます。

みっともないコメントになるだけです。

ええっ?そんなことより、

もっと面白い話がないのかって。。。?

デンマンさんが書いた上のお話だけでは

物足りないのでござ~♪~ますかぁ

だったらね、メチャ面白いお話を

あなたにおせ~♪~てあげますわよ。

ちょっとこれ見てよ。



この女の子、いったい何を考えていると思う?

この絵を見てね、いろいろな人が

面白いことを書いているのよ。

あなたも覗いてみない?

次のリンクをクリックして読んでみて頂戴ね。

■ 『どうよ、これ? 可笑しいでしょう?

あなたも何か一言書いてね』


あなたもきっと笑ってしまいますわよ。

これだったら、絶対に読みたくなるでしょう?

読んでね?

ダメよ!生返事してこの場を誤魔化そうとしちゃああ、

絶対に読んでねぇ~~?

お願い。頼むわよねぇ~。

うふふふふ。。。

上のリンクをクリックして読んでね。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

ああああ~~~

初恋の人と会いたいわああああ~~!





 
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ん?ジョンのところへ行く

2007-08-18 16:56:44 | 英語・英会話



ん?ジョンのところへ行く



こんにちは。ジューンです。
お元気ですか?
暑いですよね。
。。。と言っても実はカナダのバンクーバーは
日本と比べたらとっても涼しいのですわ。

今日(17日)午後1時で気温は21度です。
夜になると16度から15度に下がります。
先日デンマンさんの記事を読んでいたら、バンクーバーを同じ緯度で日本に移すと
北海道の北の端を飛び出て樺太(カラフト)の中央部に位置する事になる、と言う事が書いてありました。

わたし自身は樺太に行ったことはありませんが、
寒い土地だと言うことは聞いています。

バンクーバーはカリフォルニアから北上してくる暖流の影響で
冬暖かく、夏もそれ程暑くなりません。
夏でも30度を越える事はめったにありません。
最近では、冬になってもほとんど雪が降りませんし、
降っても積もりません。

2010年はバンクーバーの北のウィスラーで冬季オリンピックが開かれますが、
雪は大丈夫なのだろうか、と心配になるほどです。

でも、ウィスラーは山岳地帯だから、まず雪の心配はなさそうですわ。
雪質が良いので有名なところです。

わたしは夕べ日本のお友達と電話でお話したのです。
一昨年デンマンさんと一緒に日本へ行った時にお世話になった良子さんと言う親切な女性です。
レンゲさんと同じように熊谷に住んで居るのです。
なんでも、最近40度を越したそうです。
40度を越す気温なんて、なかなか経験できませんよね。

一番暑かったのが岐阜だと言うことでした。
その次が熊谷だったそうです。





熊谷で“かき氷”を食べた事が懐かしく思い出されます。

カナダでは“かき氷”って売ってません。
似ているものと言えば、シャーベットでしょうか?

わたしが子供の頃、まだ日本に“セブンイレブン”が無い頃、
カナダの“セブンイレブン”で Slurpee (スラーピー) と言うものを売っていました。
今でも売っているのでしょうか?



シャーベット状の炭酸飲料なのですが、
わたしにとって日本の“かき氷”に一番似ている物はこの飲み物です。
いろいろな種類があるのですわ。
わたしはコーラのスラーピーばかりを“食べて”いました。

実は、日本の“かき氷”と違ってストローは付いていますが、スプーンは付いていません。
北米では“飲み物”なんですよね。

もともとスラーピーの名前に含まれるslurpには次のような意味があります。


slurp

【名詞】 ズルズル[ペチャペチャ]する飲み食いの音

【自動詞・他動詞】 音を立てて飲み喰いする

・ When you eat soup,
  you shouldn't make slurping sounds.

  ズルズル音を立ててスープを飲んではいけません


英語圏ではスープは飲むのではなく“食べる (eat)”と言うことをお忘れなく。

ところで、タイトルの“ジョンのところへ行く”とは、どういうことなのでしょうか?

I go to the john.

あなたはどのように訳しますか?

直訳すると、“わたしはジョンのところへ行く”となりますよね。

でも、これでは全く意味が通じません。
もし、ジョンが名前ならば出だしの文字は大文字になりますよね。
でも、この上の例文では小文字で始まっています。
また、名前には定冠詞(the)を付けませんよね。

では、一体、上の例文はどういう意味なのでしょうか?

次の文を見ると分かると思います。

I drank too much,

I need to go to the john again.


分かりますか?

和訳すると次のようになります。

“飲みすぎたわ。またトイレに行かなくちゃ。”

john とは俗語で“トイレ”を意味するのです。

どうですか?
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Education First と言う名前で知られている語学学校ですよ。
語学研修から海外大学進学準備まで幅広いプログラムをアメリカ、カナダ、オセアニア、ヨーロッパなど世界38都市41校で開講しつづけて40余年。
その伝統が今ではEFブランドとして世界に広く知られていますよ。

2008年北京オリンピックの公式語学教育機関になっています。
わたしは知りませんでした。

EFは、世界50ヶ国以上に語学学校とオフィスを構えています。
だから、すぐにあなたの希望する国、都市、そして目的のプログラムが見つかるはずです。
40年に渡る語学教育のノウハウが、最も効率的に海外で語学を習得できるプログラムを可能にしているのですよ。



世界14ヶ国38都市の各EF校には、100ヶ国以上から学生が集まり、クラスルームはいつも国際色豊かです。
つまり、世界中に友達ができるのですよ!
留学期間は1週間以上でお好きな期間を選べます。

現地の文化に溶け込めるホームステイ滞在、クラスメートとの生活を楽しむ学生寮滞在があり、1人部屋又は2人以上の相部屋からあなたの希望の生活スタイルをチョイスできます。
EFで留学すれば、語学力アップは保証つきです!
それに、事前に語学力測定を行い、レベルに合ったクラスで学べます。

EFオリジナルの教材と、専門の訓練を受けた講師陣の講義、オンライン学習を組み合わせたプログラムは、その期間内で最大の効果を得られるよう設計されていますよ。
そして何より、留学は楽しくなくては意味がありませんよね!
EFでは、充実した課外活動や週末を過ごす為の豊富なアクティビティを提供しています。
大勢で騒ぎたい人から、1人の時間を好む人まで、それぞれのニーズに合わせてアクティビティに参加できますよ。



どうですか?
少しは興味が湧いてきたでしょう?
もっと詳しく知りたいでしょう?
次のリンクをクリックしてね。

■ 『あなたにも海外留学できますよ!』

詳しい資料を無料でゲットする事が出来ます。
取り寄せてぜひ読んでみてくださいね。

ええっ?
あなたは英語が少しは分かるの?
それで、海外でバイトがしてみたいの?

だったらね、あなたの海外バイトをサポートしてくれるサイトがあるのよ。
次のリンクをクリックしてみてね。

■ 『あなたの海外バイト、ワーホリをサポートしてくれるサイト』

長い人生ですよ。
一生日本にとどまっているなんて、鎖国していた江戸時代に生きているようなものですよね?
狭くなりつつあるけれど、まだまだ広い世界に目を向けてくださいね。

とにかく、上のリンクをクリックして、無料資料を取り寄せて読んでみるといいわよ。
もし、たくさんの質問があったら、カウンセラーと会って話を聞く事もできます。
もちろん無料です。



ええっ?英語もいいけれど、それよりも、人生にプラスになるような真面目に付き合いたい異性の相手が欲しいの?
何で。。。急に英語から男女交際の話になるの?
ちょっと飛躍していると思わない。。。?

でも、あなたがその気ならば良いところを紹介しますよ。
次のリンクをクリックしてみてね。

■ 『あなたが素敵な相手を見つけることができる真面目な結婚サイト ガイド』



どうせ、付き合うのなら、家庭を持つべき相手。。。
そのような人を探すべきよね。
遊びだけの付き合いもいいけれど。。。
人生にプラスになるような付き合いならば、やっぱり素敵な結婚相手を見つけることですよね。
では、あなたの幸運を祈っていますよ。



Good luck!

バ~♪~イ


あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『あなたが思う存分楽しめるデンマンのポータルサイト 【ビーバーランド XOOPS 3世】』

■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』



■ 『ブログに記事を書いてお小遣いをもらおう!』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』



■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』



■ 『ウンコマン と DEMPA55』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』




おほほほほ。。。卑弥子でござ~♪~ますわよ。

くどいようですけれど、また現れましたわ。

ええっ、何で英語の記事に

顔を出すのかって?

あたくしも、英語を勉強して

ワーホリしたいのですわよ。

とにかく、まず、レンゲさんのように

バンクーバーに行こうと思うので

ござ~♪~ますのよ。

あたくしだけこのようなダサい

十二単(じゅうにひとえ)なんか

着せられて、こうしてブログに顔を出すのって

少し飽きてきましたわ。



あたくしもレンゲさんのようにナウい水着を身に付けて

かっこよく登場したいのでござ~♪~ますのよ。

うふふふふ。。。

でも、あまりグチを言うと

デンマンさんに叱られてしまうので、

これぐらいにしますわ。

ところでね、あたくしが顔を出す

『ビーバーランド XOOPS 3世』も覗いてね。

ええっ?どんな面白い事をやっているのかって。。。?



ちょっとこの漫画見てよ。

ワンワンちゃんがパンツに噛み付いてるのよね。

いろいろな人が面白い事を書いてんのよ。

あなたも、ちょっと覗いてみない。。。?

じゃあね、次のリンクをクリックして覗いてみてよ。

『こういうのって、どう?面白いでしょう?

何か一言いってよ』


あたくしも、このポータルサイトで

モデレーターを勤めているので

ござ~♪~ますのよ。うしししし。。。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあ、バ~♪~イ。






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