最後の愛 (PART 1)
愛すること
自分を愛することが難しすぎる
それができなければ
他人を愛することもできないのか?
愛だと感じていることは
まったくのまやかしなのか?
醜い自己愛には陥りたくない
自分を大切にすることすら
嫌らしい自己満足に思える
愛さなければ愛されないのか?
などと卑しいことを考えてみる
by merange (めれんげ)
November 24, 2009 15:41
『極私的詩集 愛すること』より
デンマンさん!。。。あんさんは、またわたしの詩を持ち出してきやはったのォ~?
そうやァ。。。めれちゃんは、やっと自分の役目に気づいたのやないかいなァ。
ん。。。?わたしの役目。。。?
そうやがなぇ~。。。めれちゃんの役目やがなァ。。。
そのようなものがありますのォ~?
あるやんかァ!。。。そうやってぇ、めれちゃんは惚(とぼ)けるのかァ~?
惚けてなんていやしません。。。
さよかァ~。。。そんなら、わての書いたものを読んでみィ~なァ。
日本文学の新しい気風
めれちゃんは文学少女だったんだよねぇ~
かなり、早熟だったのやでぇ~
ほんまに、おどろき、ためいきィ~、さんしょのきィ~
このラディゲも、早熟だったのですよう。14歳の頃、
『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、
勉強しなくなって、不登校!
そのために学校を放校処分になるんやでぇ~。
えらいこっちゃぁ~~
とにかく、『肉体の悪魔』は、彼の自伝的要素が強い作品だよね。
でも、本人は、あくまでもフィクションだと言っていたらしい。
なぜ。。。?
ところで、めれちゃんだって、早熟な上に、
かずかずの恋愛体験を持っている。
その体験に基づいて小説を書けば、
直木賞、芥川賞は、当然のようにもらえるんやでぇ~
だから、ノーベル文学賞を目指してねぇ~。
めれちゃんの書く恋愛小説は
絶対に面白いと思う。
なぜならば、江戸川乱歩のような
エログロナンセンス的な要素が
必ず入り込むだろうと
僕ちゃんには思えるから。。。
でも、その前に次女猫のねねを
モデルにして小説を書いてね。
絶対に面白いものが出来上がると思うよう。
それに、めれちゃんのおばあちゃんを
モデルにした小説も。。。
めれちゃんが小説を書くことに没頭すれば、
日本文学に新しい気風を
吹き込む事ができるのに。。。
ボクちゃんは、めれちゃんの才能を
信じていますからねぇ~。
\(*^_^*)/キャハハハ。。。
by デンマン
2008/07/31 8:07 PM
『即興の詩 指きり』のコメント欄より
『見えぬ絆 (2008年8月3日)』に掲載
日本文学に新しい気風を吹き込む事がわたしの役割だと、あんさんは言わはるのォ~?
そ~やがなァ。めれちゃんだって自分の役目が見つかってうれしいやろう?
あんさんは、人がどのように思うか全く気にも留めずに書いてしまうのやねぇ~?
ん。。。?人がどのように思うのも、かめへんと、わてが思ってると、めれちゃんは言うのんかァ~?
そうですう。
。。。んで、わての書いたものを読んで、いったい人がどのように思うのかいなァ?
そないな事は分かりきっていますやんかァ~!。。。上のような事をマジで書けば、ネット市民の皆様方が笑うのやでぇ~。。。
どうして笑うのやァ?
あんさんは、そのような分かりきった事が分かりまへんのォ~?
わてが、何か可笑しな事でもゆうたのかァ~?
ゆうてはりますがなァ~。。。
直木賞、芥川賞は、
当然のようにもらえるんやでぇ~
だから、ノーベル文学賞を目指してねぇ~。
このような事を人前で言うたら、あんさんは“ドアホ”やと思われますのやでぇ~。。。
さよかァ~。。。
さよかァじゃありませんがなア!。。。わたしまでが、あんさんのように“ドアホ”やと思われてしまいますがなァ~!
どうして。。。?
どうしてってぇ~。。。、わたしの書いたものを、あんさんは、よ~けい引用しているのですがなァ。わたしは恥ずかしくって、大阪の町も顔を上げて歩けないのですえ~。。。
それは、そ~やがなァ~。。。顔を下げて地面だけ見てたら、大阪だけじゃなくても、どこでも歩けんでぇ~。。。
わたしは、そのような歩き方の事を言ってるのではありませんがなァ~。。。たとえネットで誰がこの記事を読んでなくとも、あんさんのような事を言われたら、わたしはとっても恥ずかしい気持ちに落ち込んでしまうのですやん!
なにも、めれちゃんが恥ずかしいと思うことはあらへんでぇ~。。。
でも、恥ずかしくなってしまうねん!
だから、それはめれちゃんが自分に自信をもてないからやでぇ~。。。このページのトップの手記に、めれちゃんが書いたように、めれちゃんは自分を大切にしないからやでぇ~。。。
自分を大切にすることすら
嫌らしい自己満足に思える
だれだってぇ、自分が一番かわいい。。。自分が一番大切やと思っているのやがなァ~。。。
わたしはちがいますう。
そうや。。。だから、めれちゃんは次のように書いてしまうのやがなァ。
自分を愛することが難しすぎる
それができなければ
他人を愛することもできないのか?
めれちゃんが自分を大切だと素直に思えれば、自分を愛する事だって容易(たやす)い事やがなァ~。
そうですやろかァ~?
そうなんや。。。そうすれば、他人を愛することもできるのやでぇ~。。。そうなれば、次のような事は絶対に書かへん。。。
じいさん、永久に近づくな。
めれんげは自分の思うままに
詩を書きたいのだ
自由に心のままに。
ネガティブな詩だってある。
そこに喰らい付いてきて、
気持ちの悪い文章を書くじいさん。
アンタは本当に面倒くさい奴だ。
アクセス禁止にしたところで、
どうせipを偽装するんだろうな。
ハッキリ言う。
一度はアンタと和解したが、
そんなことはもう、決してありえない。
なぜかと言うと、
めれんげの気持ちをわかったつもりで、
見当違いのコメントを書いて
わたしのブログを汚すからだ。
何より許せないのは、
アンタの「言葉泥棒」だ。
都合のいいところだけ抜き出して、
さも、アンタと通じ合っているような
文章を垂れ流していることだ。
それに、何年も前の文章を
いつまで使い続けるつもりなんだ。
わたしはいつまでも
同じ所に立ち止まっているわけではない。
アンタが同じネタを使っていることで、
アンタの進歩のなさを露呈しているんだ。
気持ち悪い「愛のコラボ」ってなんだ?
それも結局は、アンタの脳内で
わたしの創作を侮辱しているってことだ。
アンタとわたしとではレベルが違う。
アンタは人の書いたものなしでは、
何も書けない貧困な人間だ。
クリエイティビティもないくせに、
「文学的素養」について語るな。
わたしが心の底から苦心して絞り出した言葉を
アンタはのうのうと使いまわして
さも自分が知識人であるように装っているだけだ。
そして、さもしいアンタは、
他人を馬鹿呼ばわりして、
自分のブログのネタとして使う。
オリジナリティもないアンタには、
自分で何かを創りだす能力なんて
ないからだろうな。
じいさん。
アンタは自分が思う以上に、
ネットの中で、飽きられているぞ。
アンタに構ってくれた人たちは、
もうアンタになんて目もくれていないだろう?
それはアンタの薄っぺらさを
みんなが気付いたからだ。
わたしはアンタにつきまとわれているから、
こんな文章を書かざるを得ない。
とにかく一言言いたいのは、
「死ぬまでわたしに関わるな。ネタにもするな」
ということだ。
by merange (めれんげ)
October 05, 2009 19:36
『極私的詩集 永久に近づくな』より
『美しい愛のコラボ』に掲載
(2009年11月26日)
めれちゃんが、こうしてエゲツナい事を書くのんは、そもそも自分を大切にしないからなのやでぇ~。。。
あんさんは、またわたしにお説教をしやはるのォ~?
お説教じゃあらへんでぇ~。。。わては本音で、めれちゃんに話しているだけやないかいなァ~。
それで、あんさんはわたしにどないしろ!と言わはるのォ~?
どないしろとも言わんでぇ~。。。でもなァ、ここでレンゲさんが書いたものを読んで欲しいのやァ~。。。
変わらない気持ち 2007-04-04 19:27 人はそれぞれに、 ちがう愛のかたちを持っていて、 時にその表れかたが、 相容れないこともある… で、わたしはデンマンさんが、 デンマンさんらしいかたちで、 わたしへの変わらない気持ちを、 持ちつづけてくださっていることに 気づいたのです。 そしてわたしはそれを、 自分のものさしで理解して、 とんでもなく誤解していたことに、 気がついたのです。 つまり、デンマンさんの個性を、 わたしはもっと、大切にすべきだと思い、 自分の懐のせまさを、 正そうと決心しました。 そして何よりも、 わたしを忘れずにいてくれる、 そんな人を粗末に扱ってはいけないと 強く感じました。 勇気を出して、さしのべた手を、 握り返してくださったことに、 今も本当に感謝しています。 by レンゲ 『変わらぬ愛』より (2007年5月7日) 『愛のコラボって何?』にも掲載 (2009年10月15日) |
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