田舎教師と熊谷(PART 1 OF 3)
日付: Mon, 10 Nov 2008 10:17:26 +0900 (JST)
差出人: "domini@yahoo.co.jp"
宛先: "デンマン さん" green@infoseek.jp
件名:ブログに出さなくてもいいよ
おはよう ございます
11月9日は 寒い日曜日でしたね。
でも デンマンさんのお母さんは
少し忙しくなった日々を 楽しんでいるでしょうね。
(今朝は何を 食べさせて あげようかな?) なんてね。
朝方 冷えたね~、
毛糸のニット帽を かぶって 寝るんだけど どっかいってしまい
寝ぼけまなこで またかぶって 一晩に何度も かぶり直して。
頭に湯たんぽ しよう。
10日(月曜)はミルミルでしょう? 行田に行こうかな?
デンマンさんはパソコンやってれば! 私 本読んでるし、
でも ひどい 寒い雨だったら 行かない、 次の日にします。
10日 ミルミルで メール読んだら 返信ちょうだい。
このメールはブログに出さなくて イイよ。
もう ミルミルに着きましたか?
今日も寒いけど これから 母のとこに 行ってきます。
暖かい日 だったら 行田に行こうと思ったのですが・・
明日(11月11日)の火曜日、デンマンさんは 何か用事があるの?
天気よかったら 館林駅に来たら?
ケイタイに電話ちょうだい。
私が行田に行っても いいけど たまには こっちもイイよ。
ついでに かどやのゼリーフライ 買ってきてね!
私 イモフライ 買っていくよ。
じゃあね。
こんなの ブログだしたら ダメよ。
11月10日 10:16 AM
『心優しいハグ(2008年11月12日)』より
“思い出を食べるグルメ”の小百合さん。
思い出を大切にする小百合さん。
うん、うん、うん・・・
そんな小百合さんのことを改めて思い知らされたのでした。
館林駅で小百合さんと別れてから僕は羽生で秩父線に乗り換えて
東行田駅で降りて「かどや」に歩いていったのでした。
5分も歩けば「かどや」です。
開いていました。
午後4時半でした。
家族の土産にと、ゼリーフライ4つと焼きそば4人前を注文してから
お店をやっている60代のおばあちゃんとおじいちゃんに
営業時間を尋ねたのです。
小百合さんがかつて午後4時半ごろ「かどや」に行ったら閉まっていたと言ったのです。
それで、僕が確かめたのですよう。
そうしたら、営業時間は午前11時半から午後6時までと言う事でした。
定休日は日曜日。
バンクーバーでは午前10時になると、ほとんどのお店が開くのです。
そのつもりで僕は11月12日午前10時頃、実家を出て「かどや」を目指して歩いていったのです。
ところが、ほとんどの店が閉まっているのですよね。
もちろん「かどや」も閉まっていた。
そう言う訳で、小百合さんのためにゼリーフライのお土産を買って持ってゆこうと思ったけれど
それは、かなわなかったのです。
僕は何十年ぶりかで「かどや」のあたりを歩いたのですが、
子供のころの面影はまったくありませんでした。
下町の気取りのない店で“寅さん”が出てきそうな雰囲気です。
お店をやっているおばあちゃんもおじいちゃんも
“寅さん”の映画に出てきそうな好人物でした。
実家に持って帰ったら、「かどや」の“焼きそば”はメチャ受けた。
実にうまかった。
ゼリーフライは、僕が子供のころ食べた味と違うのですよう。
子供のころ“ゼニ(銭)フライ”と呼んでいたオリジナルのゼリーフライは“オカラ”をたくさん使っていた。
でも、「かどや」のゼリーフライは“オカラ”特有のパサパサ感が無くてモチモチしているのです。
“冷たくなったゼリーフライを食べたら草履(ぞうり)を食べたような気がした。”
小百合さんがそう言っていたので、じっくり味わいながら食べてみたのだけれど、
なるほどォ~。。。
実にうまい形容でした。
僕は食べてみて、すぐに納得できましたよう!
うしししし。。。
でも、焼きそばはマジで、うまかった。
“また買ってきてね。”
お袋は、絶賛していましたよう。
小百合さんが11月7日(金曜日)に行田にやって来ました。
かつて子供と一緒に行ったという行田市役所の近くの「駒形屋」へゆきました。
ゼリーフライの店です。
行田観光協会のフライマップにも載っている店です。
コーヒーも飲めるので、小百合さんは、この店に行きたくなったと言うことでした。
この店のゼリーフライはオリジナルの“ゼニフライ”に近い味でした。
“オカラ”を使って揚(あ)げた懐かしい味でした。
でも、中に入っている具が、わずかに違っていました。
同じゼリーフライでも、お店によって味が違うのでしょうね。
2008年の日本への帰省は、なぜか不思議に白鳥と縁がある。
館林駅に着くと小百合さんが迎えに来てくれて「花山」へ行きました。
「花山」と呼ぶのは地元で育った40代の人たちが、そう呼ぶらしい。
館林市のガイドマップを見ると「県立つつじが丘公園」と書いてある場所です。
五月ごろ来れば、きれいな“つつじ”がたくさん咲いているのでしょう。
当然のことですが、11月なのでつつじは咲いていなかった。
ところが桜が咲いているのですよね。
11月に桜が咲いている!
ビックリしました。
この写真ほど見事なものではありませんでした。
でも、間違いなく桜の一種です。
小百合さんもビックリしていました。
名前は分かりません。
バンクーバーやバーナビーの植物園のように名札をつけてくれればいいのに!
小百合さんは、そう言っていましたね。
ごもっともです。
旧秋元別邸(最後の館林藩主・秋元家の別邸)の菖蒲園(しょうぶえん)のすぐそばにある橋の近くに
白鳥が3羽居ました。
泳ぎ疲れたのか3羽とも岸辺に上がって草原(くさはら)の上で羽を繕(つくろ)って
これから昼寝するところでした。
小百合さんは近寄るのが怖いと言うのですよう。
40代の女性の怖さを持っている小百合さんにも
こういう童女のような繊細さがあるのですよね。
小百合さんの“かわゆい”ところです。
僕は50センチまで近寄りましたが
その白鳥たちも、人に慣れているようで
全くビクビクしませんでした。
旧秋元別邸の近くに田山花袋が9歳から14歳まで住んでいたという旧居が保存されていました。
田山花袋の『田舎教師』を読んだ事がありますが、
僕の記憶では、主人公は羽生の田舎にあるお寺に下宿して僕の母校・熊谷高校(当時の旧制熊谷中学)に毎日、朝4時から5時ごろに起きて4時間歩いて通っていた、というような事を読んだことがあります。
初めて読んだ時、信じがたい事をしていたものだと驚きました。
僕が通ってた頃、校長室の前の廊下にガラス張りのケースがあって、
その中に旧熊谷中学校第三回卒業生の写真の中に、
田山花袋の少年時代の姿を見たことがあります。
小百合さんが卒業した館林女子高校は田山花袋の旧居から歩いて5分のところにありました。
女子高時代、校門の近くの食べ物屋さんで
ラーメンだか、うどんだか、あるいはカップヌードルだったか。。。
それを買って戻って来る時に校門のすぐ前で、それをぶちまけてしまい、
後片付けをしなければと思ったけれど、
結局、何もしないでそのままにして教室に戻ってしまった。
そんな事をいつだったか小百合さんが書いていました。
12月にバンクーバーに戻るまでに
小百合さんの面白いエピソードが、もっともっと聞けるような気がするのです。
楽しみにしていま~♪~す。
では、小百合さんに捧げる短歌を。。。
館林 季節外れの 桜咲き かわゆいきみに 胸ときめかせ |
『愛しい人 (2008年11月14日)』より
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