愛の花咲くバンクーバー
デンマンさん。。。すぐ上の写真のビーチは良かったですわぁ~。
レンゲさんも気に入りましたか。。。
何と言うビーチですの?
ブリタニア・ビーチ(Britannia Beach)と言うところですよ。写真で見ると確かにビーチなんだけれど、ブリタニア・ビーチというのは実はコミュニティの名前なんですよ。
町の名前ですか?
正式には村にも町にもなってない集落ですよ。2000年の調べでは住人は250人だったと言うから、日本では程度の大きさですよ。
昔は銅山があったんですよ。でもね、日本でも足尾銅山と言うと、すぐに鉱毒という問題が絡んでくるでしょう。この銅山も公害問題で採算が合わなくなってつぶれてしまった。今は鉱山博物館になっていますよ。
バンクーバーからどれぐらい離れているのですか?
直線にすると30キロぐらいでしょうね。車だと40分から1時間ぐらいかかるでしょうね。ハイウエイ99号線に乗ってゆくんですよ。そのまま行くと2010年に冬季オリンピックが開かれるウィスラーに行き着きますよ。
でも、なんだかすぐに着いたような気がしましたわ。
だって、セスナで飛んでいったんですからね。
あたし、デンマンさんが宙返りをしてくれるかと思って期待していたのですけれど、しませんでしたわねぇ。。。?
ん?。。。宙返り。。。?。。。もう。。。、もう、ああいうキチガイじみた事はしないことにしたんですよ。僕はまだ死にたくありませんからね。これから、もっともっとブログで記事を書かなければなりませんから。うへへへへ。。。
でも、本当に女の子を3人も乗せてセスナで宙返りしたのですか?
ん。。。? どうして知ってるの。。。?
デンマンさんが書いた次の記事を読みましたから。。。
あなたも知らない日本の悲劇
定慧は白雉4年(653)5月に出家し、遣唐使に従って入唐します。
なんと!わずか11歳の時の事でした。
彼と共に中臣渠毎連(こめのむらじ)の息子・安達(あんだち)、春日粟田臣百済(かすがのあわたのおみくだら)の息子・道観などが共に出家しているとはいえ、権臣、藤原(中臣)鎌足の長男が出家するということは、全く異例の事です。
この時、まだ鎌足の次男、不比等は生まれていません。
つまり、定慧は一人息子だったわけです。
どうして鎌足はこの一人息子を、
しかもまだ11歳の幼少の身を出家させて、
危険な船旅へ出したのでしょう。
ご存知のように、この当時の唐への船旅は死を覚悟しなければなりません。
遣唐使の歴史を見れば分かるとおり、千人以上の人が、嵐にあったり、難破したり、座礁したりして、命を落としています。
ロンドンからパリ行き、あるいは、ロスアンジェルスからニューヨーク行きの飛行機に乗ってハイジャックされ、エッフェル塔やエンパイア・ステートビルディングに突っ込まれて、全員が命を落とすことは、ないとはいえません。
しかし、仕事のために、明日、ニューヨークへ行ってください、パリへ出張してください、あるいはLAへ飛んでくださいと言われた時に、ハイジャックされることを理由に僕が断ることは、まずありません。
しかし、もし、この当時僕が生きていたとして、一ヶ月後に、舟で唐に渡ってくださいと言われれば、真剣になって考え込んでしまうでしょう。
なぜなら、4艘で船団を組んで出発したとしても、先ずその内の一艘か二艘は途中で難破したり座礁したりして海の藻屑となって消えてしまうのが、当時の常識でした。
要するに、10円硬貨を上に放り投げて手のひらで受け取った時の裏が出る確率にほぼ近い。
表が出たら、めでたく命拾いをする。
裏の場合には、海底に沈む運命だと思って諦める。
実際、遣唐使が船出するシーンなどを映画で見ても分かるとおり、もう涙の別れです。
念の入った映画では、水杯(みずさかずき)を交わして、これがこの世で会う最後だといって、見送るのです。
僕は、すでに20年以上をカナダで暮らしています。
しかも旅行好きですから、500回近く航空会社の飛行機に乗っています。
しかも趣味でセスナを運転しますから、少なく見積もっても、1000回ほどは飛行機に乗っているはずです。
しかも、僕は馬鹿だから、女の子を3人乗せて宙返りをするという馬鹿げた事をしてしまったことがあります。
絶対にしてはならないことです!
反省しています。
この記事を読んでいる女の子の中できっと、ああぁ~、あの人がデンマンさんなのかぁ~!
と呆れる人が出て来ると思います。
馬鹿は死ななきゃ治らない!
僕もそういう馬鹿だったんですよ。
でも、死ぬ前に馬鹿を止めました!
うへへへへ。。。
とにかく、このことを当時の船旅に置き換えてみれば、僕は500回命を落としていることになります。
仮に確率を10回に一度にしても、100回程、命を落としていたことになります。
今、僕が生きていることが不思議なほどですよ。
当時の船旅が、いかに危険と隣り合わせていたかということは、以上述べたことでお分かりいただけたと思います。
もう、これ以上、くどくど述べる必要はないでしょう。
『あなたも知らない日本の悲劇』より
レンゲさんは、この記事を読んだのですか?
そうですわ。とても興味深い記事でしたわ。
ほォ~。。。マジで、そう思うのですか?
あたしもデンマンさんのいくつかの記事を読んで歴史に興味を持ち始めたのですわ。
そう言えば、レンゲさんは平安時代を舞台にした小説を書きたいと言ってましたよね?
ええ。。。
もう書き始めているのですか?
まだ、お勉強の最中ですわ。
早く書いてくださいよ。レンゲさんが書く小説ならば、絶対読み応えがあると僕は信じる事ができますよ。
どうして、そう思われるのですか?
だってね、レンゲさんほど恋愛経験の豊富な女性は僕が知る限り他に居ませんよ。そういう人が平安時代を背景に恋愛小説を書く。これはもう、源氏物語よりもよっぼど面白い物語になると。。。僕は信じて疑いませんよ。
あたし、その事でデンマンさんに苦情があるのですけれど。。。
何ですか。。。? また急に改まって。。。?
デンマンさんは、あたしが過剰で過激な生き方しかできないと信じ込んでいるようですが。。。
だって、レンゲさん自身が認めていることでしょう?
あの手記はtanomuさんが書いたのですわ。
でもね、レンゲさんはtanomuさん以上に『異邦人』にハマッテいるのですよ。tanomuさんは情熱的な人だけれど、レンゲさんと違ってバンクーバーまでやって来て僕に会おうとするような事はない。
つまり、あたしがバンクーバーまでやって来てデンマンさんにお会いする事は過剰で過激だとおっしゃるのですか?
“過剰な生き方しかできないのかもしれない” tanomuさんは手記の中でこう書いているのですよ。でも、tanomuさんはバンクーバーまでやって来て僕に会うような事はしないのですよ。この事だけを考えたって、レンゲさんは充分に過剰で過激だと僕は思いますよ。これを読んでいる人だって、レンゲさんが実に行動的な女性だと思っているに違いないのですよ。平均的な日本の女性は、このようなことをしたらみっともないとか。。。、このようなことをしたら嫌われてしまうとか。。。、これはちょっとやりすぎになるのではないだろうか。。。そのような事を考えて、“過剰な生き方しかできないのかもしれない”と書いているtanomuさんでも、バンクーバーにやって来ない。
あたしはバンクーバーにやって来てデンマンさんにお会いする。。。だから、過剰で過激なのですか?
それも大きな理由の一つですよ。
でも、デンマンさんだってあたし以上に過剰で過激ですわ。
ん?僕がレンゲさん以上に過剰で過激。。。?
そうですわ。
どうして。。。どうして。。。そのような過激な。。。過激な事を言うのですか?
だって。。。、だって。。。女の子を3人も乗せて宙返りをしましたわ。
だから、僕は反省しているのですよ。もう2度とそのような過激な事はしないつもりですよ。
あたしだって反省していますわ。
いや。。。レンゲさんは反省していませんよ。
なぜ、そうおっしゃるのですか?
なぜってぇ~。。。また今年の夏も僕に会いにやって来たでしょう。。。しかも、また同じスケスケのナイティーを着て僕の部屋にやってきた。夕べもそうですよ。
レンゲさんは8才の女の子になったように僕に甘える。去年と変わりがないですよ。僕はレンゲさんがやってきてから熟睡していないのですよ。だから今日だってちょっと心配だった。
何が心配だったのですか?
もちろん。。。もちろん。。。セスナを操縦する事が心配だったのですよ。
どうしてですか?
やだなあああぁ~。。。僕はレンゲさんと清水君が車の中で愛し合うことを何度も聞かされていますからね。