懐かしい杜の都
お元気ですか? 昨年の暮れに 年越しそばのつもりで 送るつもりでしたが 遅くなりました。 日本はカップ麺の 種類も多く 生めんに近いもの カレー味 おそば 焼きそば 等々 デンマンさんの好きそうな 辛口を見つけ 仙台という事も なつかしく思うだろうと パックしました。 今回 チョコの方が おまけ。 私の好きなキャドバリーの デイリーミルク。 それから 粉末ソース 10個入れました。 サッポロ一番で 焼きそばを作るときに 使ってみてね。 「かどや」風味に近くなるかも…。 船便で何日かかるのかしら…? では。。。 小百合より 2009年1月17日 |
コンビ復活で帰ってきた味噌ラーメン
「元祖 五右工門ラーメン」
2007年10月7日 (日曜日)
今から40年ほど前、北隣の文化横丁に、北海道の味噌ラーメンを本州に初めて紹介したといわれる「五右エ門ラーメン」という人気のラーメン店があった。
その当時の店長、横山元勝さんと社員だった種田穣吉さんが、三十数年ぶりにコンビを再結成し「元祖 五右エ門ラーメン」を3年ほど前に開店させた。
懐かしい味を求めて訪れる客が引きも切らない。
材料も作り方も当時と変わらない「赤味噌らーめん」は、何と言っても仙台味噌の素朴な風味が印象的だ。
野菜など素材のうま味や甘味が、個性的な味噌とうまく調和している。
店の復活に人気を呼んだのは、ラーメンばかりではなかった。
「がんちゃん」「じょんちゃん」と、お互いをニックネームで呼び合う横山さんと種田さんの掛け合いは、下手な漫才師より数倍も客の笑いを誘う。
今日初めてカウンターに座ったとしても、「じょんちゃん」が厨房からひょっこり顔を出して昔なじみのように話しかけてくるはずだ。
その時はぜひ、味噌ラーメン誕生秘話を語ってもらうと良い。
営業時間
11:00~24:00
休不定休
問い合わせ
TEL022-713-3595
メニュー
赤味噌らーめん650円、白味噌らーめん650円、餃子400円
『仙台 横丁ものがたり』より
デンマンさん。。。上の記事を読むと「元祖 五右工門ラーメン」をやっているコンビは、昔、文化横丁で「五右工門ラーメン」をやっていた人たちなのでござ~♪~ますわね。
そうなのですよう。僕もそうではないだろうかとは思ったのだけれど、ちょっと意外でしたよう。
どうしてでござ~♪~ますか?
確かに何から何までよく似ている。店の造りまで似ている。だから、かなさんの次の記事を読んだ時に、僕はてっきり文化横丁の店だと思ってしまったほどですよう。
仙台の五右衛門ラーメン
2004年9月7日(火)
今日のランチは、一番町の壱弐参(いろは)横丁にある、五右衛門ラーメンでした。
私は、大のラーメン好きで、本当はもっと頻繁に食べに行きたいのですが、今年の夏は非常に暑かったので、涼しくなるまでラーメンは控えていたのでした。
以前の日記にも書きましたが、私は暑がりで汗かきですので、夏にラーメンを食べると、大変なことになるからです。
最近は、やっと少し涼しくなりましたので、久々にラーメンにしたのでした。
このお店のお勧めは、「五右衛門味噌ラーメン」です。
八丁みそのような濃い色のスープに、やわらかチャーシュー2枚、ひき肉、もやし、メンマがたっぷりのっていて、とてもおいしいです。
麺はどちらかと言うと細めです。スープは見た目よりあっさりしています。
同僚Aさんも、同じく五右衛門味噌ラーメンを注文しました。
Aさんは、チャーシューが苦手とのことで、2枚もらいました。
写真は、Aさんからのチャーシューものせて写したものです。
このお店はカウンターのみですので、写真をとるにも、ちょっと躊躇しました。
念のため店主さんに「ラーメンの写真をとってもいいですか?」と聞きましたら、
「いいよいいよ!ラーメンに肖像権ないから!」と快諾してくださいました。
『食べ物日記その他いろいろ』より
でもね、良く読むと違っているところもあるのですよう。
例えば。。。?
文化横丁にあった店では、面は太かった。
五右エ門ラーメン 文横店 (文化横丁店)
閉店
札幌ラーメンの専門店。
仙台での味噌ラーメン発祥の店と言われている。
当時、味噌味の札幌ラーメンは珍しく画期的だった。
以下はwebmasterの記憶によるもので多少違っているかも知れないので予めご了承願います(情報があったら教えて下さい)。
1969年にはすでにあったので、開店は1960年代後半と推定される。
また閉店は1975年前後と思われる。
学生だったwebmasterは頻繁に通ったもので、いわば「ラーメン食べ歩き」の原点でもある。
調理場にそったL字型のカウンターだけの細長い狭い店で、昼時はサラリーマンに人気があり、カウンターで食べている後ろに客が並んで待っていた。
ラーメンの作り方は、中華鍋でモヤシを炒めた後お湯を入れて煮たスープを味噌・塩・醤油のスープの素と科学調味料の入った丼に注ぎ、その中に大きな釜で茹でた太い麺を入れ、その上に先程のモヤシとメンマ・挽肉のそぼろをのせる。
一度に5杯ぐらいずつ作っていた。
好みでラー油をかけて食べる。
1個50円の茹で卵を置いていた。
ラーメンは1969年には1杯120円で、その前は先輩から聞いた話しによると100円だったという。
1970年ごろに150円に改定された。
10杯分の値段で11枚綴りの回数券があった。
また、店内でお土産用の麺を販売していた。
釜のトレードマークのマッチもあった。
ここの他にも下記の店があった。
これらのいくつかは経営が別だという話を聞いたこともあるが、少なくても店の名前と釜のトレードマークは共通だった。
○ 稲荷小路店(青葉区一番町4丁目9。今「仙台っ子」があるところ。店の外に札幌ラーメン系特有の臭いが漏れていた。文横店と味が微妙に違うと言われていた)
○ 一番町店(青葉区一番町3丁目9。一番町郵便局の近く)
○ 向山店(行ったことがあるようなないような、記憶が定かでない)
○ 青森店(青森市古川2丁目。松竹の地下)
○ 鉄砲町店(宮城野区鉄砲町。仙台信用金庫から東へ40mの角)
○ 志波町店(若林区志波町1)
【場所】
一番町2-3 文化横丁(今「遇太郎(ぐうたろう)」があるところ)
【メニュー】
大盛りもあった。
味噌ラーメン
『五右エ門ラーメン』より
かなさんは麺はどちらかと言うと細めですと書いている。しかし、上の説明では太い麺と書いてある。僕も、あのような太いラーメンの麺を他で見た事がない。どのように見ても、あの麺は細いという印象を与えないのですよう。
小百合さんがデンマンさんに送った“仙台辛味噌ラーメン”の麺と比べて、どうでござ~♪~ました。
2倍ほど太くて、もっと腰があってシコシコした触感でしたよう。
それ以外にも違いがありましたの?
かなさんはスープは見た目よりあっさりしています、と書いているけれど、あの文化横丁の“五右エ門味噌ラーメン”のスープは「あっさりしている」、とはとても言えない!スープの味は、“赤味噌特有の強い香りとパンチのあるショッパさ”ですよう。コクがあってコッテリした感じで、とても「さっぱり」という味覚じゃなかった!
なんだか、デンマンさんのお話を聞いているだけでも、あたくしは食べたくなってきましたわア。。。それで、小百合さんが送った“仙台辛味噌ラーメン”のスープのお味は。。。?
それが、文化横丁の“五右エ門味噌ラーメン”のスープと、そっくりでしたよう。驚きました。急に20年以上前の懐かしいスープの味が僕のオツムに衝撃的に蘇(よみがえ)ったのですよう。
デンマンさんが壱弐参(いろは)横丁の「元祖 五右工門ラーメン」で味噌ラーメンを食べれば、確実に昔の文化横丁の味噌ラーメンと比較できますよね。
うん、うん、うん。。。確かに。。。でもねぇ、昔と同じにやっている、と言っても30年以上経っているのだから、すっかり同じにはできないと思うのですよね。
「がんちゃん」「じょんちゃん」と、お互いをニックネームで呼び合う横山さんと種田さんの掛け合いは、下手な漫才師より数倍も客の笑いを誘う。
今日初めてカウンターに座ったとしても、「じょんちゃん」が厨房からひょっこり顔を出して昔なじみのように話しかけてくるはずだ。
文化横丁でも、こうして二人が面白おかしくラーメンを作っていたのでござ~♪~ますか?
いや。。。僕が覚えている限り、男二人でやっているのを見た事がない。確か、27歳ぐらいの兄さんが「釜茹で」をやっていましたよう。もう一人は、27歳から32歳ぐらいの小柄な女性で、主にレジを担当しながら、どんぶりに薬味を入れたり、何かと手伝っていました。フィリピン系かインドネシア系の、目がパッチリとして、肌が小麦色で、ちょっとエキゾチックな顔立ちをしていたのですよう。だから、僕は今でもはっきりとその女性の顔を覚えているのです。
東南アジアから日本へ移民してきた女性だったのでござ~♪~ますか?
1970年代には、現在のように東南アジアからの移民なんてまず居ませんでした。その女性は間違いなく日本人でしたよう。
どうして、そうはっきりと言えるのでござ~♪~ますか?
僕は東南アジアからカナダへ移住した女性とは、両手の指では数え切れないほど知り合いになった。友達にもタイ人やフィリピン人、インドネシア人の女性と結婚した人が居るけれど、どれほど日本語がうまくなろうとも20才を過ぎてから日本語を勉強すれば、日本人とは同じようには話せない。どこかにクセのあるアクセントやイントネーションがあって、日本人ではないと、すぐに分かるものですよう。
そういうものでござ~♪~ますか?
文化横丁の店に居た女性は、98%日本人ですよう。別にこだわる訳じゃないけれど、これだけ言えば、僕が勘違いしてない事が判ると思ってね。2年ほど通いましたからね。1週間に2度か3度は味噌ラーメンを食べていました。
。。。んで、仙台の思い出は「五右工門ラーメン」から、どこへ飛んだのでござ~♪~ますか?
■ 『思い出の曲とふるさと (2009年1月9日)』
(仙台での学生時代の思い出:
昼ごろ片平丁に出かけ公孫樹食堂で定食か、カレーか、うどんを食べ、
研究室へ行って机の上に置いてある洗面器と手ぬぐいを持って近くの風呂屋へ行く。
帰ってくると研究室の壁に貼り付けたヌードが迎えてくれる。
そのヌードは僕がFORTRANで文字を重ね打ちして描いた等身大のものだった。)
上の記事に書いたけれど、「五右工門ラーメン」を食べるときって、友達と決まって“番町”に遊びに出るときなんですよう。
遊びって、どういう遊びですのォ~?
主にビリヤードをやりに一番町へ出たのですよう。友達が4人集まればマージャンですよう。
。。。んで、遊びに行かない時には。。。?
片平丁キャンパスにあった公孫樹(いちょう)食堂で定食か、カレーか、うどんを食べて、それから研究室へ行って机の上に置いてある洗面器と手ぬぐいを持って近くの風呂屋へ行ったのですよう。
午前中は。。。?
僕は夜型の人間だから、試験以外の時には午前中は寝ていますよう。昼ごろ起き出してバイクでキャンパスに向かい、それから僕の一日が始まるのですよう。うしししし。。。
。。。んで、お昼ご飯を食べたあとにお風呂ですか?
いけませんか?
学校に居る間にお風呂屋さんに行く人なんて聞いた事がござ~♪~ませんわア~!
卑弥子さんが「日本文化と源氏物語」を講義している京都の女子大学の学生は昼ごろにスーパー銭湯に行かないのですか?
行きませんわよう。聞いた事も見た事もござ~♪~ませんわア。
卑弥子さんが知らないだけですよう。最近の女子学生はずいぶんと飛んでいると言うじゃありませんかア~
あたくしが教えている女子学生には、そのような変わり者、飛んでいる者は居ないはずでござ~♪~ますわ。。。んで、デンマンさんは、どのお風呂屋さんに行ったのでござ~♪~ますか?
開福湯という銭湯ですよう。
デンマンさんが勉強していた研究室から近くなのでござ~♪~ますか?
歩いて5分ぐらいでしたよう。
僕は上の地図の下の方に見える電気通信研究所の大泉・野口研究室に居たのですよう。その机の上にプラスチックの洗面器と手拭が常時置いてあるのですよう。
。。。んで、お昼を近くの公孫樹食堂で食べてから研究室に行って、お風呂道具一式を持ってお風呂屋さんへ行くのでござ~♪~ますか?
そうですよう。確か、午後1時半か2時に営業開始だったですよう。
。。。んで、今でも、そのお風呂屋さんは、やっているのでござ~♪~ますか?
調べてみたら、残念ながら、もうやってないのですよう。