HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

リバイバルの時!全てのものが失わたような‥でも一番大切なものは残っている・・・神山会長追慕集会から

2017-04-25 03:44:12 | 統一家の行くべき道

神山会長の追慕集会が全国で行われて行っています。東京、名古屋の集会に続き、最近中四国の集会も行われたと聞きます。中四国の集会はこれまで顕進様を支持して来た方たち限定の集会だったようですが、とても復興した集会だったと聞きました。

その時の感想です。

 

神山会長の生涯の歩みに感動 その聖和の姿こそ我らが模範とすべき歩み

 神山会長の追慕の映像を通していかに神山会長が、御父母様一筋に歩み続けて生涯を走りぬかれたかを知ることが出来ました。そして、そういう神山会長を家族がいつも見守りながら支持し支え続けられてこられた姿に涙しました。米国での聖和式の様子は、まさにこれこそが成約聖徒の真の聖和の姿であると実感する厳かで威厳にあふれるものでした。正に天使天軍が迎えまつられての聖和の姿を実感するものでした。

 証をしてくださった先輩家庭(米国で共に歩まれてきた渡部寿子さん)からは、神山会長がいつも御父母様に寄り添い、一心不乱に歩み続けられた姿をまざまざと思い起こされる内容で感動的なものでした。

 最後に神山裕子夫人がお話をされましたが、夫人のお話は開拓時代の神山会長との思い出話やご自身がリヤカーを引いて屑屋をしてお金を稼ぎながら、本当に大きな希望を抱いて、トップから伝道しようと、キリスト教会の牧師を訪ねたり、さらには毎日皇居を訪ねて通い続け最後は宮内庁に入れてもらった時の証しをしてくださいました。「今信仰のリバイバルを!」との言葉が胸をうちました。

 

これからも復興集会は続きます 復興(リバイバル)の時が来ています

 この30日には九州福岡での集会が予定されています。大阪でも開催されるそうですね。

今本当に裕子夫人が言われたように「リバイバル(大復興)が起きていることを感じます!反対や迫害が多ければ多いほど、復興の炎は燃え上がるものです。最後の最後、今際の息のその時まで「許せ、愛せ、団結せよ!」と叫び続けられた神山会長!最後に歌われた「人生の生みの嵐に」の歌、涙でメロディーにならず、節を外しながらも歌われる神山会長の姿に真の孝子忠臣の姿を見ました。霊界に先に怒れた、真のお父様の御許に・・・祖の御許であのアメリカの諸行事を御父母様に代わって最前線で闘い続けられたように!霊界の諸天善神を総動員し、霊界のすべての善霊人達を総動員して、地上に協助を始められている姿を実感させられました。

ふと、現日本教会指導部がこの集会に「行くな、見るな、触れるな!」との通達を出す意味が分かったような気がしました。

 

今はこんなに少ない者たちだけれど

今は、こんなにわずかの者たちしかいないけれども、善神善霊が共にある我らの歩みはこれから限りなく発展していくに違いない!との思いを強くさせられました。

本当に純粋に、純真に始められた我らの運動がいつの間にか様々な人間の欲望の中で、組織が大きくなればなるほどその純粋さや純真さが失われて、欲望や、初めは些細だった邪な思いが、そのうち拡大して、神様のため、み旨のためと言う歩みが、何時かしら自らの保身や欲望の虜になってしまってきた日々があったのではと思わされます。そんな私たちの心に巣くった闇の思いが、いつかしら結実して、御父母様や真の家庭を蔑ろにして、私たちの運動自体を貶める結果を招いてきてしまったのではないかと思います。

今もう一度初心に帰るべき時です。純粋無垢にひたすら神様の愛を求め、神様の愛の理想の世界を実現するために、どんなに貧しくても、どんなに自分自身に力が足らないと思っても、大きな希望を胸に抱き、前進し続けることが必要なその時と思います。

 

だからリバイバルです

だからリバイバルです!あの初期の生き生きとした精神を取り戻して、大復興を始める時です。老いも若きも・・・・

偽りはいずれの日にか滅びて無くなって行くものです。誰がどうしようとしても崩れかかった建物の崩壊を防ぐことは出来ません。但しその建物の中にまだ多くの家族や仲間があれば、脱出を呼びかけなければならない時なのかも知れません。

 

法華経にある「三車火宅の譬え」

法華経にある「三車火宅の譬え」の教えを思い出しました。

法華経の詳しい教えはわかりません。しかし、この三車火宅の譬えは、わかり易い譬えです。

長者の家が火事になった。その中で遊ぶ長者の子供たち、「火事だよ!」と叫んでも子供たちは遊びに夢中で出てこない。そこで知恵をめぐらした長者は子供たちが日ごろほしがっていた「羊車、鹿車、牛車がああるよ!」と叫ぶと子供たちは火宅から逃げ出してきた!そこで逃げ出した子供たちに大白牛車を与えたと言う譬えです。

ここで三車と言うのは、羊車(聲聞)、鹿車(縁覚)、牛車(菩薩)で、煩悩の炎にもまれた者たちが三車で象徴された修行を行えば、大白牛車(佛、最高の悟りの境地)を与えられるというたとえ話です。

法華経の教えは現代人には難解に思える点があるかもしれませんが、極めて真実を説いた教えであると思います。

 

私はこう理解してみました

私はわかり易く解釈してみました。

法華経の意味とは多少違っているかもしれませんが、三車と言うのは私たちの信仰の修道、すなわち、真理を学び、ただしい行い・善の行いをなし、豊かな心を養うこと。と理解しました。そうすることで神様の心情と一つになり神様の愛とともにある自分となって、すなわち天国人となって天国に入るものとなる・・そのように理解してみたらいいのではないでしょうか!

具体的には真理を学ぶ・・すなわちみ言を訓読して、そのみ言のごとく考え実践する。すなわち愛の実践を為し、そして真の愛の平和理想世界の実現に邁進する。そういう私たちになることではないでしょうか!それはまさにリバイバルです。

私たちは邪な心や時代があったことを悔い改めて真理と真実の教えの方向にかじ取りを為して、新しい復帰の道への前進を始めて行く時です。そうすることを通してすべてが蘇るその時を迎えているのではないでしょうか!

 

全てのものが失われたように思う、でも一番大切なものは残っている

今私たちは様々なものが失われたかの如く思うけれども、実は一番大切なものは残っていたのです。それは真実を求めて歩もうとする「良心」です。お父様は「良心は両親に優り、良心は先生に優り、良心は神様に優る!」と教えていただきました。  ただ親の教えに従え、先生の教えに従え、神様の教えだからそれに従えとは言われてないのです。

いま教会では「御父母様の教えだからそれに従え!」と強調しています。そう言えば言うほど、真実や真理からは遠ざかって行ってしまっているのです。今は「良心の叫び」に聞き従う時です。その良心の声を自覚するために真理のみ言を訓読するのです。そこから自らの意思に従って神様のみ旨はなんであるか、行くべき道は何処にあるかを自ら悟って歩むべき時なのです!

 

自ら心に定めて歩みを始める時

櫻井節子夫人と神山裕子夫人は、自ら「皇居に行こう」と心に定めて、精誠を込めて毎日皇居前に行かれました。その誠実さに宮内庁の方も感動されて、中に通してくださったのです。今私たちが学ぶべきはその誠実さその真実を求める真摯な姿なのではないでしょうか!そして生涯を神様と御父母様の願いを求めて歩み続けられた神山会長、その御跡を慕って歩む我らとなりたいものです。

 

↓↓ アージュと思われたら応援よろしくお願いいたします

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿