既に数多くのブロガーの皆さんが当ブログ村に掲載している「全国の牧会者の皆様へ(日本二世櫻井正上)」の声明文です。
HOPE管理人(Y)も読ませていただきました。
篤い心と、真摯な心に触れることができて、深く感銘させていただいています。
やはり、統一家の統一丸は行き先が問題のようです。
顯進様に関する誤った情報が統一丸の乗客である教会員、食口たちを支配してきていたようです。
真のお母様に関しても、本当にお母様のことは心配し、お母様を本来の位置で愛し守って差し上げようとしているのは誰なのか、はっきりわかるようです。
この声明文は、日本家庭連合の全国の牧会者に宛てたものですが、一般食口や、様々な立場を保持している人たちにも真摯に受け止め読んでもらいたい内容です。
特に、二世のリーダーたちは正上兄の真摯な声に耳を傾けてほしいものです。櫻井正上兄は日本の二世のリーダーの中でも格段に信頼の篤い方でした。素直にその声に耳を傾ける二世のリーダーはたくさんいるものと思われます。
今、統一家はそのかじ取りを大きく変えて行くべき時が来ています。混沌と矛盾で行き場を失って彷徨する時は過ぎ去っていっています。
善悪、正邪が明らかになって行く時代です。正義と不正義が明白になる時代です。本物と偽物が分けられる時代でもあります。
今回の櫻井正上さんの声明は、新しい時代が訪れていることの大きな証でもあると思います。
『目覚めよ!』全国の牧会者、二世たち、そして古参の食口たちも すべてが目覚めて新しく出発する時が来ているようです。
以下、櫻井正上さんの声明文です。
全国の牧会者の皆様へ(日本二世櫻井正上)
その間、胸に秘めてきた思いがありました。その思い故に、長い間、出口のない袋小路に迷い込み、答えのない問いかけを、数知れず、繰り返してきました。ここに記すことは、そうした数年間の苦悩と祈りの果てに辿り着いた私自身の結論であり、その間、私の奥底にあり続けた、偽らざる本心の叫びです。
周知の通り、我が家はいつからか“渦中の家庭”になりました。弟が、また母が、教会の志向するものとは別の方向に進み出したからです。しかし、私が見る時、彼らに問題とされる要因があったとすれば、それはただ、“真実を追求したから”に他なりません!
私は母よりも先に顕進様という方に出会い、その指導に触れました。また弟が顕進様支持を表明し、活動を始める前から、顕進様側の情報に触れていました。親しかった韓国の先輩たちが顕進様に付いて行った際、幾度となく、彼らと議論を交わし合ったからです。そのため、私は随分前から、教会で言われる内容が、事実と大きく異なっていることに気付いていました。いえ、もっとはっきり言うなら、私は“顕進様が愛の減少感ゆえに飛び出した”とか、“お父様の前に自己否定できなかった”という話がどれほど“真実”から遠いものであるかを強く感じてきた者の一人です!
にもかかわらず、私が沈黙しようと思ったのは、多くの方々同様、真の家庭の課題は私たちが触れていい内容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女様御自身が、お父様が、お母様が解決してくださるものと信じたからです。しかし、それは違いました。この問題は“真の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深く関わっているからです !
もし問題の発端が“父母様と子女様との間の心情関係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因が真の家庭内の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決に対する責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らに与えられた職分をこなすことを“口実”に、問題を“傍観”してきてしまったのかも知れません。
私がこんなことを訴えたところで、現場の摂理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争に巻き込むな!と思われる方々も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これは単なるお家騒動でも、分派闘争でもありません。神の摂理の終着点は“真の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです !
もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の摂理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定概念と信仰観をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエス・キリストを悪の化身として民衆に教えてきたパリサイ人、律法学者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の摂理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです!
もし、今の真の家庭の状態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の発端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか?
<続く>
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