HOPE 

Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

全国の牧会者の皆様へ(日本二世櫻井正上)  櫻井家のお兄さんが発表した全国牧会者に宛てた声明文

2017-10-04 13:28:06 | 統一家の行くべき道

既に数多くのブロガーの皆さんが当ブログ村に掲載している「会者(日本二世櫻井正上)」の声明文です。

HOPE管理人(Y)も読ませていただきました。

篤い心と、真摯な心に触れることができて、深く感銘させていただいています。

やはり、統一家の統一丸は行き先が問題のようです。

顯進様に関する誤った情報が統一丸の乗客である教会員、食口たちを支配してきていたようです。

真のお母様に関しても、本当にお母様のことは心配し、お母様を本来の位置で愛し守って差し上げようとしているのは誰なのか、はっきりわかるようです。

この声明文は、日本家庭連合の全国の牧会者に宛てたものですが、一般食口や、様々な立場を保持している人たちにも真摯に受け止め読んでもらいたい内容です。

特に、二世のリーダーたちは正上兄の真摯な声に耳を傾けてほしいものです。櫻井正上兄は日本の二世のリーダーの中でも格段に信頼の篤い方でした。素直にその声に耳を傾ける二世のリーダーはたくさんいるものと思われます。

今、統一家はそのかじ取りを大きく変えて行くべき時が来ています。混沌と矛盾で行き場を失って彷徨する時は過ぎ去っていっています。

善悪、正邪が明らかになって行く時代です。正義と不正義が明白になる時代です。本物と偽物が分けられる時代でもあります。

今回の櫻井正上さんの声明は、新しい時代が訪れていることの大きな証でもあると思います。

『目覚めよ!』全国の牧会者、二世たち、そして古参の食口たちも すべてが目覚めて新しく出発する時が来ているようです。




以下、櫻井正上さんの声明文です。


会者(日本二世櫻井正上)

 

 

その間、胸に秘めてきた思いがありました。その思い故に、長い間、出口のない袋小路に迷いみ、答えのない問いかけを、知れず、繰り返してきました。ここに記すことは、そうした年間の苦と祈りの果てに辿り着いた私自身の結論であり、その間、私の底にありけた、らざる本心の叫びです。

 

周知の通り、我が家はいつからか“渦中の家庭”になりました。弟が、また母が、教会の志向するものとは別の方向に進み出したからです。しかし、私が見る時、彼らに問題とされる要因があったとすれば、それはただ、“真実を追求したから”に他なりません!

 

私は母よりも先にという方に出い、その指導にれました。また弟が支持を表明し、活動を始める前から、側の情報にれていました。親しかった韓の先輩たちがに付いて行った際、幾度となく、彼らと議論を交わし合ったからです。そのため、私は分前から、教会で言われる容が、事と大きく異なっていることに付いていました。いえ、もっとはっきり言うなら、私は“が愛の減少感ゆえに飛び出した”とか、“お父の前に自己否定できなかった”という話がどれほど“真実”から遠いものであるかをく感じてきた者の一人です! 

 

にもかかわらず、私が沈しようと思ったのは、多くの方の家庭の課題は私たちがれていい容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女御自身が、お父が、お母が解決してくださるものと信じたからです。しかし、それは違いました。この問題は“の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深くわっているからです ! 

 

もし問題の端が“父母と子女との間の心情係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因がの家庭の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決にする責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らにえられた職分をこなすことを“口”に、問題を“傍”してきてしまったのかも知れません。 

 

私がこんなことを訴えたところで、現場の理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争むな!と思われる方も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これはなるお家動でも、分派闘争でもありません。神の理の終着点は“の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです ! 

 

もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定念と信仰をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエスキリストをの化身として民衆にえてきたパリサイ人、律法者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです! 

 

もし、今のの家庭の態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか? 

 

<続く>


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