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産経新聞「楠木正成考」・・「公」を忘れた日本人へ

2017-04-26 14:39:16 | 歴史について

産経新聞に掲載中のシリーズ企画「楠木正成考」

産経新聞をお読みの方は、すでにご存じだと思いますが、連載企画「楠木正成考」が続いています。産経新聞本紙に連載されている記事のほかに、シンポジウムや講演会、史跡めぐりツアーなどが企画されています。

これほど大々的な「楠木正成」に関する企画はかつてなかったことでしょう。

このシリーズのサブタイトルが「『公』を忘れた日本人へ」で、「『公』に尽くす人生の意味を問うている」と紹介文にあります。

奇しくも当HOPEブログでも楠木正成について取り上げてきました。

 

真のお父様も語られた「楠木正成」 江戸時代には諸侯の治世の教科書に

真のお父様が「楠木正成が(忠臣として)いるだろう!」と言われたと聞いた方もあるでしょう。

楠木正成の人生は、戦記物として、特に江戸時代初期には太平記の注釈書も数多く出され、「太平記読み」と言う、「太平記」の講釈を職業にした人たちもいたくらいに、多くの人々になじみ親しまれてきました。

 

 

黄門さんが命じられて建てられた忠魂碑

現在楠木正成が祀られる湊川神社には、黄門さんこと水戸藩主徳川光圀が助さんこと佐々木助三郎に命じて作らせたという供養塔が境内に祀られています。

日本を代表する忠臣であるとともに、その優れた軍略や治世の在り方はその後の諸侯の治世の模範として、特に江戸初期には「太平記」が諸侯の教科書のように珍重されました。

今は忠とか、義とか言うことがすっかり失われてしまった時代です。「公」のために殉じるなどと言うのは時代錯誤のようにさえ言われてきました。

 

実は単純に主君に殉じたという人物ではなかったことが楠木正成の偉かったところ

しかし、楠木正成の生きざまは、単純に「主君に殉ずる」と言うようなものではなかったことが、その生涯を学んでみるとよくわかってきます。

このブログでも紹介してきましたが、楠木正成は仕えた後醍醐天皇にただ盲目的に従った人物ではありませんでした。もとより当時後醍醐天皇の側近を固めていた公卿たちの言うがままに生きた人ではさらさらありませんでした。

いつのときも、積極的に軍略を説き、治世のありかたについては、いつも民の生活を案じながら幅広い民衆の支持のもとで立派な治世を行っていたのです。

湊川での最後は、最後の最後まで潔く戦って、攻める足利尊氏も、深い尊敬心をもって相手として戦ったと言われています。

湊川に至る前までは、このたびばかりは官軍に理が無いことを説き、足利尊氏の声を聞き入れるように、最後の最後まで天皇に進言したものの、側近の公卿たちに撥ね退けられ万やむを得ずの出兵となったものでした。

常に「公」の立場で物事を考え、捉え、「公」に殉じ切った生涯だったということが出来ます。

 

今日統一家の問題解決の鍵も「楠木正成の生涯」に隠されているとも言えるのでは

今日統一家の様々な問題の解決にも、この楠木正成が教訓として遺してきた事柄にとても重要な意味があると思います。

「公」の精神を取り戻すことが、今日何よりも求められているのではないでしょうか!

心ある皆さん、産経新聞のシリーズにも是非目を通してみられることをお勧めいたします。

 

 

 


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