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・・み言から読み解く”真実” 16 2008年1月~6月

2018-04-14 23:01:08 | 金容成のブログに引用されたお父様のみ言から読み解く”真実”

金容成のブログに引用されたお父様のみ言から読み解く”真実”  (雪風さんより)

16 2008年1月~6月

 

2008年~9年は内容が多いので、何回かに分けて掲載します。束草事件は複雑なので、このシリーズでは取り上げませんが後日、改めて束草事件を取り上げようと考えています。

 

2006年にお父様はUPFを創設し、すべての組織をUPFの下に組み込んだ。家庭連合もUPFの傘下に入れた。これがお父様の方向性だった。しかし、それとは違う方向性が2008年ぐらいから顕著になる。統一教会という宗教団体を頂点に置く考え方だ。この二つの違いが明白になったのは、亨進様の家庭連合就任からだった。この背後にはお母さまの動きがあったようだが、これによって、教会と顕進様の間にあつれきが起きるのは避けられなくなった。亨進様は家庭連合という名前を退けて統一教にした。統一教というのは、宗教を前面に押し出した名前である。

 

亨進様の家庭連合会長就任は、分裂が起きる前触れであるとは見えなかった。しかし顕進様はすでに、統一教という宗教を前面に出して亨進様を立てた教派主義と、文先生、顕進様が進めていたUPFを前面に立てた、世界的運動の二つに分裂してしまうことを感じていた。そしてその背後に、お母さまがいるのを知っていた。

 

2008年のクリスマスイブの集まりにおいて、兄である顕進様を中心として「右側が宗教、右翼であり、左側が左翼サタンの立場」と文先生は語られた。つまり宗教を代表する亨進様が、顕進様に指導されなければならない、ということだった。統一教会では「宗教が心の位置にあり、体の上に立つべき」である。つまり宗教組織の頂点に立つ人物が後継者になると考える傾向があったと思われる。しかし心と体のたとえで考えるのならば、心の上に神様がいる。

 

2009年の混乱の後に、亨進様や国進様は「私は真の父母に絶対服従する宗教の一員であり、平和運動などに関心はない」と語り、教会員にもそのように伝えた。彼らにとっては、UPFはただの渉外活動で、宗教の宣伝のための道具だった。だからUPFを統一教や家庭連合の下に置く組織に転換したがそれは、お父様の方向性とはかなりかけ離れたものだった。そのかけ離れた考え方の背後にいたのがお母さまだった。お母さまの考えは「真の父母の指示によって」という言葉によって実行された。「お父様の指示だ」という宣言文やビデオを作り、お母さまを叱った記録や、顕進様を中心と認めた記録を消し去れば良かったのだ。

 

基元節では「真の父母、真の家庭、神の主権」を定着させて、それを神様に捧げる必要があった。「真の父母」が定着できるためには、世界的次元のアベル・カインの基台の上に立たなければない。ですからお父様はUPFを「既存の国連に対するアベル」と言われた。

お父様は、平和をもたらすには人間だけではできず、神様を中心としなければならないと語られていた。そのためにお父様が立ち上げたのがUPFだった。それを成功させるために奔走していたのが顕進様だった。

お父様も顕進様も、UPFは宗教の宣伝のための道具ではなかった。顕進様が2008年の勢いのまま走ることができていたとすれば、現実的な基盤ができて、世界的な平和に向けた解決の道が示され、国連でさえその働きに注目していたことだろう。

 

3月

2008年の初めに真の子女様と教権勢力による陰謀があることを感知された顯進様は、お父様に書簡を送った。真の父母様への特別書信から抜粋  3/23

参照サイト<http://ameblo.jp/sawada213/entry-12034890821.html

 

「お父様、私は息子としてお父様の使命を助けること以外に、何も願うことはありません。<中略> 私と私がしている事について、多くの誤解を受けるようになりました。<中略>

根拠のないでっちあげに私の兄弟たちが同調し、ご父母様さえも心が揺れ、ある時にはそれを認められているような印象を受けた時、私は当惑せざるを得ませんでした。お父様、私に対してご心配なさらなくても結構です。どのような困難と誹謗が私の前を塞いだとしても、お父様とみ旨と真の父母様の為の私の覚悟と行動は続くでしょう。」

顯進様の講演文集3巻「神様の夢の実現」日本語版  356ページ~

 

4月

顯進様がお父様に書信を送られた15日後の4月6日、ハワイのキングガーデンで特別儀式が行われた。その儀式とは

顯進様・國進様・亨進様に、カイン・アベル・セツの失敗を解怨する責任分担があることを2006年2月4日指示されたが、それから二年後の2008年第49回真の父母の日に、お父様が正式に顯進様がカイン、國進様がアベルであると宣布された儀式のことである。

 

お父様は、お母様・顯進様・國進様が一つになったという特別な儀式を実施された。しかし三人が一つになったという宣布は、あくまでも希望であり、実際には一つになれなかった。これは当時の状況が証明する。特別な儀式を実施された動機は、書簡の内容が決定的な役割をしたのではないかと思う。そして10日後に特段の人事を発表され、それから2日後に亨進様を世界会長に任命されたが、全く経験のない亨進様が世界会長となられることによって、お母様を立てた教権勢力が統一家の行政力を完全に掌握することとなった。お父様は統一家が一つになれない状況を、亨進様をもって解決しようとされたのではないだろうか。亨進様が、資格も経験もない自分を何故世界会長に任命されたのかについて、一度でも苦悩されたならば、亨進様は教権勢力の反乱に利用されることはなかったはずである。亨進様はこれを、亨進様ご自身の責任で悟らなければならなかった。

 

就任式でお父様は、世界会長としての門出を見守ってくださいと祝祷されたが、この祝祷の内容は非常に重要である。亨進様に要求した「責任分担」が示されたからである。お父様が祈られたとおりに遂行にしたならば、亨進様は統一家の歴史の中で、永遠不変の孝子であり、忠臣となったことだろう。それゆえ祝祷は非常に重要である。真の家庭の責任を果たすことを願う呼訴文であったからである。

 

世界会長人事は「顯進様が長子の役割を果たせ」と主張したお父様の意中とは180度違う人事であった。 以後、父子協助時代という語彙(ごい)自体が摂理現場から消えさり、お母様を立てた亨進様と國進様をはじめとする教権勢力の全盛時代が始まった。お母様と亨進様、國進様を前面に立てた教権勢力に怖いものはなく、顯進様を行政的に振り回すことのできる世界会長の職権を乱用した。以後教権勢力は、摂理的中心人物は亨進様であると主張する。教会長たちは、この歪んだ状況を自然に受け入れた。亨進様を前面に立てた國進様が人事を掌握することとなり、教会長は人事権を掌握した教権勢力の顔色を伺うことに余念がなかった。

 


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